「閾値」を隠した日本のマスコミ報道、中国を敵視、福島の汚染水問題
8月24日に福島原発の汚染水を海に放出し始めたのち、中国から激しい批判の声が上がっている。これに対して、外務省は9月1日に反論を発表した。中国の主張を「科学的根拠に基づかないものだ」と決めつけ、国際原子力委員会(IAEA)のお墨付きがあるので、安全性に問題はないという趣旨である。
マスコミはALPSを通過する水を「処理水」と表現するなど国策に寄り添った方向で報道を続けている。テレビは連日のように福島沖で捕獲させる魚介類をPRしている。「汚染水」という言葉は絶対に使わない。売れない魚を学校給食で使う案も出始めているらしい。
政府や東電、それにマスコミの主張は、「規制値を遵守しているから絶対に安全」だというものである。しかし、この考え方は、放射線や化学物質の安全性には「閾値」がないことを隠している。
「閾値とは、ある値が所定の水準を超えると特定の変化が生じたり判定・区別が変わったりする、という場合の『所定の水準』『数値的な境目』『境界線となる値』を意味する語である」(Weblio)
放射線の人体影響に閾値がないことについて、岡山大学の津田敏秀教授は次のように指摘している。
(日本では)「100ミリシーベルト以下ではがんが増加しない」ことになってしまっている。2013年5月27日付けで出された「国連特別報告者の報告の誤りに対する日本政府の修正」と題された日本国政府代表部の文書にも、「広島と長崎のデータに基づき、放射線被ばくによる健康への影響は、100ミリシーベルト以下の水準であれば、他の原因による影響よりも顕著ではない、もしくは存在しないと信じられている」と記されている。これは100ミリシーベルトの放射線被ばくが、発がんの「閾値(しきい値)」のように考えられていることを意味する。
よく知られていることだが、国際X線およびラジウム防護委員会IXRPは1949年に、放射線被ばくによる癌の発生に閾値はないことを結論づけ、この結論は現在に至るまで変えられていない。(『医学的根拠とは何か』津田敏秀著、岩波書店)【続きはデジタル鹿砦社通信】
アメリカ食品医薬品局が日本からの輸入に関する注意事項を3月に更新、福島県のコメや牛肉など
アメリカ食品医薬品局は、3月4日付けで、日本からの輸入品に関する注意事項を更新した。岩手県産が1品目解除されたが、依然として厳しい制限が続いている。
更新された書面によると、現時点で青森、千葉、福島、群馬、茨城、岩手、宮城、長野、新潟、埼玉、静岡、栃木、山形、山梨の各県産の一部の食品が輸入禁止になっている。
このうち最も輸入禁止品目が多いのは、福島県である。牛乳、葉っぱ野菜、タケノコ、シイタケ、ゆず、牛肉、米、栗、梅など約30品目になる。
筆者が在住している埼玉県の場合は、野生のキノコが輸入禁止になっている。
国により放射能による人体影響が異なるはずがなく、アメリカ食品医薬品局のデータを通じて、日本政府の人命軽視の方針が垣間見える。原発による汚染は、日本のメディアが報じている以上に広範囲で、深刻なことが分かる。
反原発の季刊誌『NONUKES』20号、福島のセシウム137の真実
『NONUKES』(鹿砦社)という季刊誌をご存じだろうか。2014年8月に第1号が発刊され、先月発売になった号で、20号になる。反原発の立場から編集されている雑誌で、日本の反原発運動を紹介している。一部の連載は別として、大半の記事が原発に関連したものである。しかも、マスコミが報じない領域をカバーしている。
たとえば「『子ども脱被ばく裁判』は被ばく問題の根源を問う」と題する井戸謙一弁護士へのインタビューでは、原発による低線量被曝の問題を取りあげている。低線量被曝という言葉は、あまり聞かないが、放射線や電磁波による被曝を考える上で、ひとつのキーワードである。
これは、国などが定めた規制値を守っていれば被曝による人体影響はないという考えを否定し、どんなに微量の被曝でも、人体影響を受けるリスクが存在するという考えだ。
当然、低線量被曝はありえないという考えに立つと、それを前提とした対策は取られない。報道の対象にもならない。それが今の日本の実態だ。
東京オリンピックへ向けて、福島の復興を強調するプロパガンダが活発になっているが、その裏側では、「予防原則」に基づいて、子どもに安全な環境で教育を受ける権利を保証させたり、将来的に子どもが直面する可能性のある健康リスクに対する損害を賠償させる裁判が行われている。
福島の原発事故の後、セシウム137について、大人でも90日程度で半減するという情報があふれた。しかし、福島の原発がまき散らしたセシウムは、性質が異なる。不溶性のもので、「微粒子の状態で呼吸と一緒に取り込まれれば、それが肺とか気管支に沈着すると溶けないから、ずっとそこにいる」のだという。
京都大学の河野益近教務が福島のセシウム137を調査したところ、98%が不溶性であることが判明した。「子ども脱被ばく裁判で」は、低線量の内部被曝を前提として、不溶性のセシウム137が問題になっているのである。
鹿砦社はこれまでもマスコミが取りあげない問題に光を当ててきたが、『NONUKES』も同じ路線だ。記者クラブの情報をリライトしたようなレポートは1本もない。
タイトル:『NONUKES』(鹿砦社)
版元: 鹿砦社
価格:680円(税込み)
反原発の季刊誌『NONUKES』、福島のセシウム137の真実
元大阪高検公安部長の三井環氏が安倍昭恵氏らを刑事告発、選挙応援は国会公務員法違反、国会では福島みずほ議員がこの問題を追及
元大阪高検公安部長の三井環氏が20日、安倍昭恵氏と同氏の付職員3人に対する刑事告発状を東京地検特捜部に送付した。告発状によると、昭恵氏は2016年夏の参院選で自民党の候補者14人の選挙活動に参加した。その際、首相夫人付の政府職員を同行させていた。これが国家公務員の政治活動を禁じた国家公務員法102条1項に抵触するというのが告発の趣旨である。
昭恵氏は国家公務員ではないが、刑法60条は、「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする」と定めており、この条項が昭恵に該当する。
告発状によると昭恵氏が選挙応援した候補者は、次の通りである。全員が自民党である。
①小野田紀美(岡山)
②朝日健太郎(東京)
③島尻安伊子(沖縄)
④江島清(山口)
⑤山本順三(愛媛)
⑥自見はなこ(福岡)
⑦元栄田一郎(千葉)
⑧伊藤高江(兵庫)
⑨中原八一(新潟)
⑩岩城みつひで(福島)
⑪古庄玄知(大分)
⑫山崎力(青森)
⑬山本さちこ(三重)
⑭高野剛(山梨)
◇福島みずほ議員の国会質問
告発の発端になったのは、4月3日の参議院予算委員会で、社民党の福島みずほ議員が、この問題を指摘したことであった。福島氏が、昭恵氏の国家公務員法違反を指摘したところ、土生栄二内閣審議官は、「公務遂行補助活動のための、活動に関する連絡・調整の必要性から職員が同行している」と答えた。
これに対して、三井氏は、告発状の中で、次のように反論している。
被告発人安倍昭恵が、国家公務員を同行した当時は、かような説明はなく、かかる文書は存在しないと思われる。そもそも国家公務員法には、連絡・調整のため同行するなどという規程は存在しないし、福島みずほ議員の追及や、市民団体が告発するとの情報を察知し、意図的に犯罪行為にならないように、安倍内閣は、後付けで説明したものと思われる。
なお、告発状には昭恵氏に同行した国家公務員が、実際に昭恵氏と一緒に選挙活動をしている写真などが、証拠として提出されている。
◇司法・メディアの後進国
しかし、告発状が受理される可能性は皆無に等しい。日本における三権分立の原理は表向きだけのもので、実態は司法もマスコミも国家の権力構造の一部に組み込まれているからだ。当然、このニュースもほとんど報道されないだろう。NHKと読売はまず報じないだろう。そもそも不偏不党の報道などありえないわけだから、政権サイドのNHK・読売が報じないのは当たり前である。
この点、たとえば欧米や韓国、それに中米のグアテマラなどに比較すると、日本は後進国である。社会変革の点では、既にかつての「発展途上国」にも追い越されているのである。
【参考記事】現職大統領に対して「不逮捕特権」を奪う決定、三権分立の理想を示した中米グアテマラの最高裁判所
【国家公務委員法】
第102条 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。
【刑法】
(共同正犯)第60条 2人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。
福島の被災地でもビジネス感覚の博報堂、アスカ支援のクリスマスイベントで「後付け」の高額請求1250万円
2011年3月11日に東北地方に襲いかかった大惨事の後、ボランティアの人々が、北から南から続々と被災地へ向かった。
その中で、ビジネスに視線を光らせるメディア企業があった。電通の最大のライバル、福岡では、電通を撤退させたこともある博報堂である。
◇メディアを巻き込んだ前代未聞の経済事件
博報堂とアスカコーポレーションの係争にみる経済事件では、メディア黒書が指摘してきたように博報堂によるさまざまな「不正」が発覚している。
たとえば通販情報誌を制作する際の博報堂による過去データの流用である。博報堂かテレビ局によるCMや通販番組の「間引き」疑惑である。博報堂がタレント料金が不自然に高くつり上げた疑惑である。さらには、次に紹介するイベントをめぐる「臨時」請求の件も見逃すわけにはいかない。
一見、さまざまな事件が交錯して複雑に感じられるこの経済事件であるが、根底にあるものは単純明快だ。後付けの「御見積書」により博報堂が請求対象にした膨大な業務が正しく実施されていたのかという点である。さらに架空請求や水増し請求はなかったのかという検証点である。
これらの点が裁判の争点になることはほぼ間違いない。司法判断とは別に、筆者は、不正の事実を複数つかんでいる。
◇福島でのクリスマスイベント
2011年12月20日から25日の6日間、JR福島駅の東口駅前広場で「FUKUSHIMA×ASKA Shining Hope Tree」と題するイベントが行われた。これはアスカが被災地支援事業としてスポンサーになって支援したものである。これについては、博報堂のコンベンション・スペース事業部の柳澤博之氏も次のような報告書を書いている。
JR福島駅東口駅前広場周辺では、毎年地元商工会議所が主導する実行委員会により街頭イルミネーションイベント「星に願いを・・★」キャンペーンが実施されてきた。しかし、昨年は東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故の影響により、実施が危ぶまれる状況であった。
一方で、福岡県に本社を置く化粧品会社アスカコーポレーションは、震災発生直後より物資の提供を行うなど被災地支援に力を入れており、その活動の一環として、年末にクリスマスイルミネーションを提供したいという意向を持っていた。
美しいイルミネーションを見た被災地の方々が、その一瞬だけでもつらい現状を忘れて笑顔になれる。そんな機会を提供することで、被害者の「こころの復興」を支えたいという意図である。そして、東北地方でイルミネーション設置の適地を探し中、福島駅前のイルミネーションイベントの窮状を知り、特別協賛として参加することになった。
アスカコーポレーションは、前年の2010年に福岡市内で大規模なイルミネーションイベントに特別協賛して成功させた実績があり、今回はその時に購入した電飾資材の一部を活用して、福島県内最大級となる高さ約13mのクリスマスツリー型イルミネーションを制作するという計画である。
柳澤氏も述べているように、福島のイベントは、「福岡市内で大規模なイルミネーションイベントに特別協賛して成功させた」際に「購入した電飾資材の一部を活用して、福島県内最大級となる高さ約13mのクリスマスツリー型イルミネーションを制作するという計画である」。
電飾資材はすでにアスカが所有していたので、経費はかなり節約できる見通しだった。ところがイベントが終わった後の12月31日付けの後付け「御見積書」を見て、アスカの社員たちは唖然となった。
◇後付の見積書に「約○○円」の「約」を連発
後付けの「御見積書」の請求項目の中に、「暴風対策」「積雪対策」などを理由に、臨時の請求が次々と追加されていたのだ。後付けの「御見積書」そのものがおかしな手続きであるのに、それに加えて、これもまた後付けの臨時の請求が書き加えられていたのだ。赤文字で次のように記されていた。
※暴風対策・積雪対策のためフレーム強化を行い、追加費用約80万円が発生しました。
※設置面に傾斜があったため安全性担保のため傾斜調整・土台調整を実施し、追加費用約100万円が発生しました。
※20日のプレゼント配布数増への緊急対応、23日分追加対応のため保管・アッセンブル・配布費用として追加費用約40万円が発生致しました。
※23日分追加分対応のため緊急の印刷費用として追加費用約5万円が発生しました。
※20日のプレゼント配布数増への緊急対応として追加費用約5万円が発生致しました。
追加請求は総計で230万円になる。内訳は次の通りだ。
暴風対策積雪対策追加費用:80万
傾斜調整土台調整追加費用:100万
商品追加費用:40万
追加印刷費用:5万
警備追加費用:5万
読者は、追加費用の前に付けてある「約」という言葉に違和感を感じないだろうか。「約80万円」、「約100万円」、「約40万円」、「約5万円」、「約5万円」。
通常、見積書に表示される金額に「約」という表現はあり得ない。明細な金額を相手に伝えるのが原則だ。
しかも、「約」を付した金額が、合計請求額に加算されているのだ。
◇「強風・大雪の日はありませんでした」
公的資金による復興事業は別にして、個人や民間企業の多くは、福島の復興支援を無償で行ってきた。アスカによる支援も例外ではない。ところが博報堂は、その支援事業により1250万円の利益を上げている。
しかも、この中には、「暴風対策積雪対策追加費用」や傾斜調整土台調整追加費用」など、本当に必要だったのかを検証しなければならない臨時の請求も含まれているのだ。
こうした実態について、福島でのイベントを企画し、現地入りしたアスカの社員が言う。
「博報堂の後だし見積書からすると12月13日から施工を開始して、26日にイルミネーションを撤収したことになっています。その当時の天気を調べていただくとわかりますが、気温はかなり低かったのですが、雪や風はパラつく程度でした。わたしが現場に入った時も多少雪が降った程度です。13日~26日まで、雪マークの日はありましたが、強風・大雪の日はありませんでした。
しかも、この福島のイベントは、前年福岡の大濠公園で使用したイルミネーション機材を流用することで安くできることを前提に、高くても1000万以内という話が博報堂の営業マンと南部社長の間で行われたと聞きました。
もちろん、復興支援のイベントなので、南部社長の気持ちを受けて、『利は一切取らない』という話になっていたと推測します。ところが博報堂は実際には、暴風や積雪などを理由に250万円を追加請求してきました」
この件についても、取材を拒否している博報堂側の言い分は不明だ。
メディア黒書は、常に反論を歓迎する。
写真出典:福島観光情報
【参考記事】
津波記録誌で「怠慢」編集 岩手県大槌町、東北博報堂との契約解除 ...
東京第5検察審査会の「闇」、第5検審による疑惑だらけの小沢起訴議決の次は福島原発訴訟の審査
MEDIA KOKUSYOで、疑惑の「デパート」として繰り返し報じてきた東京第5検察審査会(以下、第5検審)が、福島原発訴訟に「介入」している。
福島原発訴訟の不起訴に対して、原告ら約6000人が不起訴撤回を求めておこなった「審査申立」を、疑惑の第5検審が担当している事実をご存知だろうか。
◇検察審査会の「闇」
検察審査会というのは、「検察」の名前を付しているが、最高裁事務総局が管轄する機関である。役割は、検察が不起訴にした事件で、異議が申し立てられたときに、起訴が相当かどうかを審査し、結論を出す機関である。
審査員は、有権者から「くじ引き」で選ばれる。
起訴相当の判断が下された場合は、検察が容疑者を再調査する。その結果、再び不起訴という結論になれば、申し立てを行った者は、再度、検察審査会に審査を申し立てることが認められている。そして審査委員たちが2度めの起訴相当の判断を下した場合、検察の方針とは無関係に、容疑者は強制起訴される。
その典型例が小沢一郎氏である。小沢氏は、陸山会事件で検察の取り調べを受けた後、不起訴になったが、検察審査会への審査の申し立てがあり、第5検審が担当した。そして「審査員」らが2度にわたって起訴相当との判断を下したために、強制起訴されたのである。
ところが起訴が決定した日と、小沢氏が立候補していた民主党代表選の日(2010年9月14日)が重なったために不信感をいだいた志岐武彦氏(『最高裁の罠』の著者)らが、情報公開制度を利用して、膨大な内部資料を入手し、第5検審の実態を調べたところ、帳簿上でしか審査員が存在しなかった疑惑が浮上したのである。
情報公開された資料の整合性を専門家をまじえ、綿密に検証する中で、「架空の審査会」であったことを推論するに十分な証拠が浮かび上がったのだ。
審査員が存在しなかったということは、最高裁事務総局か、検察審査会の事務局が自分で、起訴か不起訴を決めて容疑者を法廷に立たせ、裁判官が判決を書くという茶番劇がまかり通ることになる。戦後民主主義の評価にかかわる大問題が浮上したのである。
第5検審にかかっている重大疑惑の詳細については、後述するとして、福島原発訴訟が第5検審に割り当てられるまでの経緯を簡単にたどってみよう。
◇福島原発訴訟の経緯
2012年6月11日:1324人が福島地検の第1次告訴を行った。
2012年11月15日:13,262人が福島地検の第2次告訴を行った。
2013年9月9日:福島地裁が東京地検に事件を移送し、東京地検が不起訴を決めた。
※「移送」とは、事件の担当を他の地検へ変更すること。つまり福島地裁では扱い切れない大問題ということで、東京地検へ移送した可能性が高い。移送が誰の指示によって行われたのかは不明。
2013年10月16日:東京検察審査会に、3名が審査申し立て
2013年11月22日:東京検察審査会に、5737名が審査申し立て
◇東京検察審査会
東京検察審査会には、1部から6部がある。そして福島原発訴訟の審査申し立ては、いわくつきの第5検審に割り当てられたのである。
第5検審には、具体的にどのような疑惑がかかっているのだろうか。以下、過去の記事の重複(紫文字の部分)になるが、引用してみよう。[紫文字]
【1】すでに述べたように、検察審査員は有権者から選ばれる。その意味では、裁判員を選ぶ裁判員制度に類似している。ところが委員を選ぶパソコン上の「くじ引きソフト」が、いかさまであることが判明している。これはあえて「いかさま」と断言してもほぼ間違いない。
森裕子氏が国会議員の職権で「くじ引きソフト」を調査したところ、手動で委員候補の名前や年齢が入力でき、しかも、くじ引きが終了した時点で、候補者名が全部消える仕組みになっているのだ。もちろん候補者を恣意的に「不適切」と決めつけて、排除することもできる。その記録も残らない。
この驚くべき仕組みは、森裕子氏の『検察の罠』(日本文芸社)に詳しい。
つまり検察審査会の「くじ引きソフト」を使えば、恣意的に委員を「選べる」のだ。『最高裁の罠』で志岐氏が指摘しているように、その気になれば、架空の審査員を選び、架空の起訴議決を下すこともできる仕組みになっているのだ。
改めていうまでもなく、架空の審査員を選んだり、架空の起訴議決を行うのは、最高裁事務総局の監督下にある検察審査会事務局である。つまり最高裁事務総局が、容疑者を「起訴」して、裁判所が有罪の判決を下すことが、理論上、可能になっているのだ。これは軍事裁判に等しい。
小沢一郎氏に対する起訴議決は、架空だった可能性が極めて高い。少なくとも、そんなふうに推論できるだけの十分すぎる裏付け資料がある。
【2】小沢一郎氏の事件を担当したのは、東京第5検察審査会(第5検審)である。この第5検審は、新設である。次に述べるように、「新設」の事実は極めて重い意味を持つ。
2008年1月22日付け『日経新聞』によると、当時、全国の検察審査会を50ヶ所廃止するものの、大都市部には14ヶ所増設する再編案が発表され、2009年5月までに実施される予定になっていたという。
小沢事件が所属した第5検審は、新設の検察審査会である。なぜ、新設の検察審査会が割り当てられたのだろうか。この「謎」は、委員の任期が6カ月で、2分の1が半年ごとに交代する規則に照らし合わせると解ける。
委員の2分の1が半年ごとに交代するのであるから、既存の検察審査会では、「くじ引きソフト」で架空の委員を選ぶことができない。残留する委員がトリックに気付くからだ。架空の委員を選ぶためには、どうしても、新設の検察審査会を設置する必要があったのだ。
第5検審が架空で、小沢氏に対する起訴議決は架空だったという推論の根拠のひとつである。
ちなみに都市部で検察審査会の増設が行われた時期は、小泉構造改革で格差社会や貧困が深刻になり、自民党が政権崩壊の危機にさらされていた時期である。民主党の台頭が予測されていた。
そして、既に述べたように、2009年5月までに新設の検察審査会の運用が始まる計画になっていたのだ。この「2009年5月」とは、どのような時期なのだろうか?
民主党政権が誕生する4カ月前である。つまり政権を取る可能性が強くなっていた民主党対策として、検察審査会が新設された可能性も否定できないのである。ちなみに、小泉内閣の下で発足した司法制度改革推進本部の本部長は小泉純一郎首相だった。
小沢氏は、第5検審に割り当てられ、鳩山由紀夫元首相(不起訴)は、やはり新設の第4検審に割り当てられた。
福島原発訴訟の容疑者が起訴される可能性は、ほとんどない。不起訴を前提にして、最高裁事務総局が、この事件を第5検審に割り当てた可能性が高い。
書評、高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』 犠牲の上に成り立つ国家の実態
高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)は、日本における経済成長や安全保障が、一部の国民を犠牲にすることで成り立っている構図を描いている。具体例として高橋氏が取り上げているのは、福島第1原発と沖縄の米軍基地問題である。
前者について言えば、東京電力が首都圏から遠く離れた過疎地に原発を設置した結果、都市部の人々がその恩恵を受け、地元の人々が放射能による汚染に苦しめられることになった実態を告発している。後者については、沖縄に米軍基地を押し付けることで、安全保障体制を維持している実態を批判している。 沖縄が日本の半植民地という観点である。
米軍基地の維持が本当に安全保障につながるか否かは議論の余地があるが、沖縄を、あるいは沖縄の人々を犠牲にした構図があることは疑いない。
高橋氏は現代社会に普遍的な視点を供給している。たとえば携帯電話の通信網もある種の犠牲の上に成り立っているシステムである。ユビキタス社会を構築するという国策を前提として、電話会社がわがもの顔に基地局を設置していることは周知の事実である。
ところが、基地局からはマイクロ波という放射線の一種が放出され、人体に有害な影響を及ぼす。健康被害に関する医学的な因果関係はまだ解明されていないが、疫学調査では両者になんらかの接点があることがほぼ裏付けられている。
しかも、ドイツやイスラエルの疫学調査では、マイクロ波と発癌の関係も指摘されている。
街中に基地局が設置された場合、基地局周辺の住民がマイクロ波による被害を受ける。事実、基地局設置をめぐって全国各地で紛争が続発してきた。訴訟も起きている。
しかし、基地局の設置は国策であるから、国が定めた電波防護指針を守っている限りは、法的に基地局を撤去することができない。裁判を起こしても勝てない。基地局の設置で、通信の質は高まるが、基地局周辺の人々がマイクロ波の犠牲になっているのである。
高橋哲哉氏は、『靖国問題』(ちくま新書)の中で、靖国神社が戦争の犠牲者を英雄に変えてしまうシステムであることを指摘した。改めて言うまでもなく国家が犯した最大の犯罪は、太平洋戦争で300万人を犠牲にしたことである。国民を洗脳したあげく、屍の山を築きながら、大陸へ市場を広げようとしたのである。
と、すれば敗戦を機に、前時代の扉は永遠に閉じてしまわなければならなかったはずだ。が、新聞による世論誘導システムはそのまま放置された。戦犯や戦犯候補も次々と蘇った。この中には、正力松太郎のような新聞人もいる。
過去から受け継がれた負の遺産が、再び日本を危険な方向へ誘導しようとしている。自民党が多国籍企業のために海外派兵体制を整え、自衛隊を国防軍に変え、再び国民に生命の犠牲を強要しようとしている。そんなとき、『犠牲のシステム 福島・沖縄』は国家の本質を知る手引きとなる。