1.  歯止めがかからない読売の部数減、昨年11月から75万部減、実配部数をめぐる事実の認識方法に疑問

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2014年08月28日 (木曜日)

 歯止めがかからない読売の部数減、昨年11月から75万部減、実配部数をめぐる事実の認識方法に疑問

読売新聞の部数減が止まらない。7月のABC部数は、924万8,446部で、前月比で、-3万1309部である。ピークだった昨年の11月からの減部数は、75万8994部になる。

これは50万部規模の東京新聞一社分をはるかに超える。ここ数カ月の読売部数の変遷は次の通りである。

2013年10月 9,882,625

2013年11月 10,007,440

2013年12月 9,767,721

2014年1月 9,825,985

2014年2月 9,738,889

2014年3月 9,690,937

2014年4月 9,485,286

2014年5月 9,348,149

2014年6月 9,279,755

2014年7月 9,248,446

◇「押し紙をしたことは1回もございません。」

ただ、ABC部数が本当に新聞の実配(売)部数--実際に販売している部数-を正確に反映しているか否かは、疑問がある。と、いうのもABC部数は、新聞社みずからが数字を申告し、ABC協会が抜き打ち的に公査(監査)する仕組みになっているからだ。抜け道があるのだ。

事実、ABC協会による公査(監査)は信用できないという声は後を絶たない。

実配部数の実態に関しては、さまざまな主張があり、裁判も起きている。たとえば読売がわたしと週刊新潮を東京地裁へ訴えた裁判の証人尋問の中で、読売の宮本友丘副社長は、「押し紙」をしたことは一度もないと主張している。

次の尋問調書は、読売の販売政策を強力にバックアップしてきた自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで、宮本氏が行った法廷証言である。

喜田村:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

(略)
喜田村:被告の側では、押し紙というものがあるんだということの御主張なんですけれども、なぜその押し紙が出てくるのかということについて、読売新聞社が販売店に対してノルマを課すと。そうすると販売店はノルマを達成しないと改廃されてしまうと。そうすると販売店のほうでは読者がいない紙であっても注文をして、結局これが押し紙になっていくんだと、こんなような御主張になっているんですけれども、読売新聞社においてそのようなノルマの押しつけ、あるいはノルマが未達成だということによってお店が改廃されるということはあるんでしょうか。

宮本:今まで1件もございません。

村上正敏裁判長は、「押し紙」は1部も存在しないという「事実」を認定して、新潮社側を敗訴させ、385万円のお金を支払うように命じた。

◇「押し紙」を認定した真村裁判の判例

東京地裁で「押し紙」が一部も存在しないという事実認定が行われた一方で、2007年には、福岡高裁が読売の「押し紙」政策を認定する判決を下し、最高裁もそれを追認している。真村裁判の判決である。判決は、次のように「押し紙」問題の核心部分をついている。

新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告(読売)の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。

■真村裁判・福岡高裁判決全文

また、読売の平山裁判(原審は福岡地裁)では、新聞販売店で新聞が過剰になっていた事実を認定している。その数字は、約4割から5割だった。ただし、田中哲郎裁判長は、これらを「押し紙」とは認定しなかった。

毎日新聞では、「押し紙」の実態を示す内部資料が外部に流失している。次の資料である。

■「朝刊 発証数の推移」

◇「押し紙」問題と歴史修正主義

新聞の実配部数を正確に把握することは、新聞について論じるときに、きわめて重要だ。かりにある新聞社のABC部数が500万部で、実配部数が300万部と仮定する。

この場合、500万部を前提に新聞を論じれば、議論の前提事実が誤っているわけだから、まったく無意味だ。このような議論を、仮に採点するとすれば、完全に「F」ランク(失格)である。新聞論で「押し紙」問題をタブー視してはいけないゆえんである。

ところが日本では、研究者もジャーナリストも「押し紙」が1部も存在しないことを共通認識として新聞を論じている。客観的な事実の認識から思考をはじめる姿勢が欠落している。

このようないいかげんな国民性が、従軍慰安婦をめぐる歴史修正主義の問題でも露呈しているのではないだろうか。

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