1. 木村元昭裁判官が第2次真村裁判で下した判決にみる日本語の誤り 真村裁判再考?

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2013年08月08日 (木曜日)

木村元昭裁判官が第2次真村裁判で下した判決にみる日本語の誤り 真村裁判再考?

第2次真村裁判の高裁判決を検証する作業を続けよう。意外に見過ごされがちだが、この判決には、日本語文法の誤りもある。それが原因で意味が曖昧になり、「おそらく、・・・・の意味だろう」と推測した上で、他の記述との整合性を考え、意味を組み取らざるを得ない箇所があるのだ。改めて言うまでもなく、判決文がどうにでも解釈できるようでは、さまざまな不都合が生じてくる。特に敗訴した側はたまったものではない。

日本語文法の誤りは、赤字で表示した次の箇所である。

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人(読売)が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もないかえって、控訴人は、平成13年には、現実には読者が存在しない26区という架空の配達区域を設けていたところ、これを被控訴人[読売]も了解していたと認めるに足りる証拠はない。)??

そうすると、控訴人において、被控訴人による違法不当な行為の存在を指摘することが容認される場合があるとしても、本件は、これに当たらないというべきである。??

??? そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、たとえ控訴人自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る 。?

「控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない」という箇所である。「おいて」の使い方が間違っているのだ。この部分は、おそらく次のような意味である。

・・・控訴人(真村)及び黒薮は、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由があると認められる証拠を示していない。

文法だけではなく、内容も間違っている。青字の部分に注目してほしい。

◇1次裁判は「押し紙」の存在を認定

「26区」というのは、「『押し紙』は一部も存在せず、販売店に搬入された新聞はすべて配達されている」という建前を法的に裏付けるために、真村さんがパソコン上に設けた架空の配達区である。もちろん「26区」には、架空の(「押し紙」)読者が登録されていた。

こうして販売店に搬入された新聞は、すべて配達され、1部の「押し紙」も存在しないという状況の法的根拠を打ち立てたのである。ただし、だれがこのような策を指導したかは不明だ。

真村さんは、裁判の中でこのような操作をしたことを第1次裁判の中で認めている。当然、読売に対して義務づけられていた部数内訳の報告も、「26区」の部数が反映されていた。しかし、1次裁判の裁判官は、

新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

と、認定したのである。さらに、

定数(黒薮注:搬入部数のこと)と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。

と、事実上、「押し紙」の存在と読売の責任を認定しているのだ。

つまり木村元昭裁判官が書いた「控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない」は、文法だけではなく、内容についても完全な誤りである。支離滅裂な判決文なのだ。

■参考:第1次真村裁判・福岡高裁判決??