1. 新聞ジャーナリズムが機能しない本当の理由、『消費者ニュース』から転載 

「押し紙」の実態に関連する記事

2017年02月07日 (火曜日)

新聞ジャーナリズムが機能しない本当の理由、『消費者ニュース』から転載 

『消費者ニュース』の1月発売号が、大規模な「押し紙」特集を組んでいる。執筆者は次の通りである。わたしも「新聞ジャーナリズムが機能しない本当の理由」と題するレポートを寄稿している。

•新聞残紙問題(概論)…松澤麻美子(弁護士[福岡])

•新聞トラブルの実情について…拝師徳彦(弁護士[千葉])

•佐賀新聞押し紙訴訟(No.2)…江上武幸(弁護士[福岡])

•山陽新聞「押し紙」訴訟判決の報告…位田浩(弁護士[大阪])

•監視する者がいない日本のメディア(第4の権力)…青木歳男(弁護士[福岡])

•新聞ジャーナリズムが機能しない本当の理由…黒薮哲哉(ルポライター)

•広報能力なき残紙と政府広報予算の構造的な課題…小坪慎也(行橋市議会議員)

•新聞とメディアのビジネスモデル…渡邉哲也(経済評論家)

『消費者ニュース』は、次のサイトから注文できる。

■『消費者ニュース』

わたしのレポートについては、本サイトで紹介しよう。次の通りである。

新聞ジャーナリズムが機能しない本当の理由  

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読者は次の引用文が書かれた年度を推察できるだろうか。

■たとえば、新聞記者が特ダネを求めて〝夜討ち朝駆け〝を繰り返せば、いやおうなしに家庭生活が犠牲になる。だが、むかしの新聞記者は、記者としての使命感に燃えて、その犠牲をかえりみなかった。いまの若い世代は、新聞記者であると同時に、よき社会人であり、よき家庭人であることを希望する。

■読者の新聞批判は種々雑多だが、新聞取材、報道に関するものを大まかにまとめると-

一、報道・評論の姿勢に関するもの。
  報道・評論の偏向を戒めるもののほか、不偏不党に固執するあまり独自の判断がなさすぎて物足らぬという批判も少なくない。

二、報道の行き過ぎ、取材の突っ込みが不足、誤報などから人権を侵害されたという訴えや、人権尊重を強調するものが多い。

この引用文は1967年、日本新聞協会が発行する『新聞研究』に掲載された「記者と取材」と題する記事のくだりである。執筆者は新聞取材研究会となっている。読者は、まるで現在の新聞批判を読むような錯覚に陥らなかっただろうか。「新聞はダメだ」という嘆きは、実は、最近になって始まったのではなく、少なくとも半世紀前からあったのだ。

先人たちが、いつの時代にも「今の若者はダメだ」と呟いてきたように、新聞研究者や読者は、「今の新聞はダメだ」と新聞に対する不満を露わにしてきたのである。

だが、それは根拠がないことではなく、実際、新聞が公権力に対峙する姿勢でジャーナリズム活動を続けた時代は存在しない。リクルート事件報道のような単発的な例外はあるにしても、輪転機が止まるのを覚悟で、真実を報道し続けた歴史はない。

従来からの新聞批判の裏には、新聞報道の水準を高めてほしいという切実な思いがあることはうまでもない。そこで対策を練り、さまざまな有識者が提言を繰り返してきたわけが、枝葉末節の違いはあるにせよ、その根底にある思考の方向性は昔からほとんど変わっていない。記者としての強い自覚を持たせ、職能を高めることが、新聞ジャーナリズム再生の道だという精神論が広く受け入れられてきたのである。

たとえ新聞社経営に関連した問題提起がなされたとしても、重労働で記者に考える時間がなくなっている、というようなやはり記者個人の問題の範囲を超えることはなく、たとえば、後述する「押し紙」問題などは、議論の対象になるどころか、タブー視されてきたのである。実は、最もこれが重要な問題なのだが。

◇故新井直之によるたった一人の反乱

しかし、こうした風潮にはなびかず、まったく別の視点から新聞を考察したひとりの新聞研究者がいた。創価大学の元教授・故新井直之氏である。新井氏は著書『新聞戦後史』(栗田出版会、1972年)の中で、別の視点から日本の新聞が置かれている実態を鋭く指摘した。新井氏の論考を検討することは、案外、新聞ジャーナリズムが機能しない原因をさぐることにつながるかも知れない。

新井氏は、『新聞戦後史』の中で日中戦争が原因で新聞用紙の生産が減り続け、1938年9月に新聞用紙使用制限令ができたことを指摘してから言う。

 1940年5月、内閣に新聞雑誌統制委員会が設けられ、用紙制限は単なる経済的意味だけでなく、用紙配給の実権を政府が完全に掌握することによって言論界の使命を制しようとするものになった。(略)

 新聞の言論・報道に影響を与えようとするならば、新聞企業の存立を脅かすことが効果的であるということは、今日でも変わっていない。

「新聞企業の存立を脅かす」経営上の要素とはなにか?この問題を掘り下げ、現在の状況に当てはめて考察することが、本稿の目的である。

戦前・戦中における「用紙配給の実権」、つまり公権力が握っている新聞社経営の弱点にあたるものを、2016年の時代状況の中で探すとすれば、たとえば再版制度や消費税の軽減税率適用問題がある。これらの問題に対処するために新聞業界は、日本新聞販売協会の政治連盟を通じて、自民党や公明党に多額の政治献金を行ってきた。たとえば2014年度分の政治資金収支報告書によると、同政治連盟は約150人の国会議員に総額927万円の政治献金を支出している。

献金目的のひとつである消費税問題について考えてみよう。周知のように新聞関係者は、新聞に対する消費税の軽減税率を適用するように政府に求めてきた。そして2015年に既に適用する方針を勝ち取っている。

◇新聞に対する軽減税率問題と「押し紙」問題

しかし、新聞関係者はそれに満足せずに、税率5%の適用を求めている。このことは、一般的にはほとんど知られていないが、新聞関係の業界紙では、普通に報じられている。

消費税が新聞社と新聞販売店にとって、いかに大きな負担になるかは、毎日新聞の元常務取締役の河内孝氏が『新聞社』(新潮新書)の中で、示している試算を見ればおおよそ見当がつく。この試算は、消費税が5%の時代に行われたものであるが、ひとつの参考になるだろう。追加負担増の額は、河内氏の試算によると次のようになる。(2004年度のABC部数で計算)

読売:108億6400万円
朝日:90億3400万円
毎日:42億6400万円
日経:38億7100万円
産経:22億1800万円

消費税が8%から10%になれば、さらに負担は増える。それゆえに新聞関係者は5%の軽減税率を目指しているのである。こうした状況を公権力が逆手に取れば、メディアコントロールの道具に変質しかねない。

ちなみに新聞業界が軽減税率の導入を強く主張する本当の理由は隠されてい
る。表向きは新聞が文化的商品であるから、あるいは新聞が公器であるからということになっているが、これは真実ではない。結論を先に言えば、最大の理由は、「押し紙」にも消費税が課せられるからだ。

なぜ、販売していない「押し紙」に消費税が課せられるのだろうか。答えは簡単で、「押し紙」は、新聞販売店が注文して、読者に販売した新聞として経理処理されるからだ。経理帳簿の上では、「押し紙」は存在しないのだ。このことは、別の問題を生じさせる。

それは、読者がいる新聞の消費税は読者から徴収できても、「押し紙」には読者がいないので、新聞社と販売店が「押し紙」に課せられる消費税を自腹で支払わざるを得ないことである。

このように消費税問題が新聞社の生死にかかわっている状況の下で、税制に関する決定権を握る公権力を新聞ジャーナリズムが監視できるはずがない。自由な言論活動の客観的条件は揃っていない。

◇毎日新聞、「押し紙」収入が年間で259億円の試算

「押し紙」が新聞社経営にいかに大きな要素として作用しているかを理解するために、ある試算を紹介しよう。それにより、消費税問題と同じように、なぜ、公権力が新聞社の弱点として、「押し紙」問題をメディアコントロールの道具にできるかが理解できるだろう。

試算に使用するのは、毎日新聞社の内部資料「朝刊 発証数の推移」である。
この資料は、2004年に外部に流出して、2005年に『FLASH』や『財界展望』で紹介された。

「朝刊 発証数の推移」によると、2002年10月の段階で、新聞販売店に搬入される毎日新聞の部数は約395万部である。これに対して発証数(読者に対して発行される領収書の数)は、251万部である。差異の144万部が「押し紙」である。(試算は、2002年10月の段階におけるもの。)

仮にこの144万部の「押し紙」が公正取引委員会の命令などで排除されたら、毎日新聞はどの程度の減収に見舞われるのだろうか。

試算に先立って、明確にしておかなければならない条件は、「押し紙」144万部の内訳である。つまり144万部のうち何部が「朝・夕セット版」で、何部が「朝刊だけ」なのかを把握する必要がある。と、いうのも両者の購読料は異なっているからだ。

残念ながら「朝刊 発証数の推移」に示されたデータには、「朝・夕セット版」と「朝刊だけ」の区別がない。常識的に考えれば、少なくとも7割ぐらいは「朝・夕セット版」と推測できるが、この点についても誇張を避けるために、144万部のすべてが、価格がより安い「朝刊だけ」という前提で計算する。

「朝刊だけ」の購読料は、ひと月3007円である。その50%にあたる1503円が原価という前提にするが、便宜上、端数にして1500円の卸代金で計算する。この1500円を、144万部の「押し紙」に対して徴収した場合の収入は、次のような式で計算できる。

1500円×144万部=21億6000万円(月額)

最小限に見積もっても、毎日新聞社全体で「押し紙」から月に21億6000万円の収益が上がっていた計算だ。これが1年になれば、1ヶ月分の収益の12倍であるから、

21億6000万円×12ヶ月=259億2000万円

と、なる。

ただ、本当にすべての「押し紙」に対して、集金が完了しているのかどうかは分からない。新聞社の担当員の裁量で、ある程度の免除がなされている可能性もある。 しかし、「押し紙」を媒体として、巨額の資金が販売店から新聞社へ動くシステムが構築されているという点においては、大きな誤りはないだろう。同時に「押し紙」によって、販売店がいかに大きな負担を強いられているかも推測できる。

新聞は、一部の単価が100円から150円ぐらいだから、だれでも手軽に購入できる商品である。そのためなのか、ややもすれば新聞社の儲けは少ないように錯覚しがちだが、販売網を通じて安価な商品を大量に売りさばく仕組みになっているので意外に収益は大きい。

◇メディアコントロールの手法

改めて言うまでもなく、「押し紙」 により大きな収益を上げているのは、毎日新聞社だけではない。全国ほとんどの新聞社で同じことが起こっているのだ。

しかし、「押し紙」は独禁法に抵触している。公正取引委員会が「押し紙」排除に乗り出せば、新聞社はひとたまりもない。さらにまた次のような事情もある。

新聞販売店に搬入する折込広告の割り当て枚数は、新聞の搬入部数に一致させる基本原則があるので、「押し紙」部数に相当する折込広告は、配布されることなく廃棄されるのだが、これは刑法上の詐偽に該当し、警察の取り締まり対象にもなる。

事実、1983年に熊本県警が西日本新聞の販売店に対して「(折込広告の)不正行為があれば事件として扱う」と警告したことがある。(『熊本日日新聞』1983年7月17日付け)

消費税問題と同じように「押し紙」問題でも、公権力は新聞社の経営上の決定的弱点を握っているのである。

こんなふうに日本の新聞社は、権力の監視機関としてのジャーナリズムの資質を欠いている。新井直之氏が戦前・戦中から例を引いて指摘した問題は、現在でも形を変えて生き続けているのである。

その実態を客観的に把握し、解決策を探る作業を避けて、いくら記者に精神論を説いても問題の解決にならない。