1. 東京都知事選 マスコミが報じない舛添VS細川の欺瞞(ぎまん) 新自由主義者同士の対決

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2014年01月23日 (木曜日)

東京都知事選 マスコミが報じない舛添VS細川の欺瞞(ぎまん) 新自由主義者同士の対決

23日に東京都知事選挙が告示される。元首相の細川護煕氏が出馬して、それを元首相の小泉純一郎氏が支援する民主党・生活の党の戦略が注目を集めている。しかも、こうした戦略を斬新なチャレンジと評価する世論も高まっているようだ。

おそらく舛添氏と細川氏の争いになるのではないかと思うが、両者に対立軸と呼べるような政治信条の違いがあるのだろうか。舛添氏が新自由主義者であることは疑いの余地がないが、細川氏も新自由主義者である。

細川氏が首相の座に就いたのは、1993年である。自民党を飛び出した議員たちが中心になって政界を再編し、長期にわたった自民党政権に終止符を打ち、非自民の政権を打ち立てたのである。その時の首相が細川氏だ。

細川氏らが自民党を離党する引き金となったのは、自民党が構造改革=新自由主義の導入にもたついていたからだ。

◆構造改革=正義の幻想

円高の影響を受けて日本の財界は、1980年代の半ばから、生産の拠点を海外へ移し、国際競争の波にさらされることになった。そこで不可欠になったのは、構造改革=新自由主義と軍事大国化の2本柱だった。

軍事大国化の政策は、多国籍業企業の権益を、武力で防衛する体制を米国と共同で構築する必要があったからだ。

一方、構造改革=新自由主義の導入は、政府をスリム化して無駄な出費を抑え、大企業の負担を軽減することで、国際競争力を高めることが目的だった。そのために省庁を再編して官僚の力を削いだり、公共事業を縮小して財政支出を抑えたり、さらには大きな財政負担となっている福祉を切り捨てる政策が求められた。

構造改革といえば、官僚の排除というイメージがあるが、本当の目的は、官僚による利権誘導が倫理に反するからではなくて、利権の誘導によって、財政支出が増えるからである。財界がそれを嫌ったのだ。法人税の軽減が遠のくからだ。経済を市場原理に任せることを前提に、「小さな政府」へ再編するプロセスとして、官僚の排除が求められたのだ。

このあたりの解釈を勘違いすると、構造改革=社会正義ということになってしまう。

自民党がドラスチックに構造改革に踏み込めず、細川政権を成立させてしまったのは、利権誘導政治(公共事業や補助金のばらまき)を中止すると、自らの支持母体を失うからだ。

自民党がもたついている間に、小沢氏や細川氏といった新自由主義者に先を越されたのである。これが細川内閣の誕生の経緯である。

が、自民党も政権を奪回するために、財界の求めに応じて、構造改革=新自由主義の方向性を打ち出さざるを得なくなった。そして政権を取り戻すと橋本内閣の時代から、本格的に規制緩和策など、構想改革=新自由主義に踏み込んだのである。

しかし、それが国民の反発を買った。橋本内閣に続く、小渕内閣と森内閣では、やむを得ず構造改革=新自由主義のスピートを緩めた。そして公共事業をばらまいた。これに苛立った財界の不満に応えるかのように登場したのが、小泉氏だった。

小泉内閣が構想改革=新自由主義をドラスチックに導入して、格差社会を打ち立てたことは言うまでもない。

こうした経緯を長いスタンスでみると、細川内閣が最初にやろうとしたことを、小泉内閣が実現したことになる。冷静に考えれば、細川・小泉の両氏が都知事選で志を同じにしても、まったく驚きに値しない。ある意味では、当然の結果なのだ。

細川氏は、原発をゼロにできても、構想改革=新自由主義のひとつの柱である地方分権政策などの国策の受け皿になる可能性が高い。政府が地方分権政策により、中央の財政負担を減らして、福祉政策などを地方に移譲しても、地方が財源不足になれば、福祉が切り捨てられる。

「国家戦略特区」などは、新自由主義のモデル地区のことである。

松添氏と細川氏の争いは、似通った政治信条を持つ者同士の争いである。対立軸にはなっていない。このあたりの欺瞞(ぎまん)の構図をマスコミは報じるべきだろう。