1. 川崎市でヘイトスピーチを取り締まる新条例が成立、軽薄な川崎市議らの発想、取り締まりは現行の法律で十分に可能

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2019年12月16日 (月曜日)

川崎市でヘイトスピーチを取り締まる新条例が成立、軽薄な川崎市議らの発想、取り締まりは現行の法律で十分に可能

川崎市で12日にヘイトスピーチに罰金を課す条例が全会一致で成立した。それを受けて、「人権派」と呼ばれている弁護士らが活気づいている。たとえば神奈川新聞の報道によると、この新条例の「意義を学ぶ講演会が13日夜、同市川崎区の市ふれあい館で開かれ」、師岡康子弁護士が条例成立を歓迎する観点から条例について解説したという。

実はこの女性は、カウンターグループが2014年12月の深夜に大阪市で起こしたM君リンチ事件(実行者に対して約100万円の損害賠償の支払い命令が最高裁で確定)の隠蔽工作に率先して走った人物のひとりである。この事実を鹿砦社のデジタル鹿砦社通信がスクープしている。参考までに、その記事を紹介しておこう。事実を裏付ける生資料も決定的な証拠として公開されている。

【参考記事】M君リンチ事件隠蔽に第一級の資料が明らかに! 金展克(きん・のぶかつ)氏がカウンター運動の理論的支柱=師岡康子(もろおか・やすこ)弁護士のトンデモないメールを大暴露! 鹿砦社特別取材班

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外国人(実質的には在日韓国人と在日朝鮮人)を差別してはいけないことは、わざわざ念を押すまでもない。あまりにも分かり切った話だ。だが、実際にはこれらマイノリティーの人々に対して口汚い罵倒を繰り返す心ないグループが存在する。彼らによる誹謗中傷を防止するために公権力がスピーチの内容を「検閲」して、規制が必要と判断すれば法的な手続きを経た上で、最高50万円の罰金の支払いを命じることを可能にしたのが川崎市の新条例である。

ヘイトスピーチは明らかに人権侵害に該当するから、条例の制定に異論を唱えればレイシスト(差別容認主義者)のレッテルを貼られかねない。実際、筆者の場合は、リベラル派を自称するグループにより「差別者リスト」に載せられた。まるで1970年代の部落解放同盟朝田派による糾弾に類似した扱いを受けたのである。

こうした誤解がわが身にふりかかるのを恐れてか、新条例を批判する人はほとんどいない。多くの文化人がM君リンチ事件から故意に視線をそらしたように、新条例に関しても直視しを避け、批判的な観点から論評する人はあまりいない。市民運動を批判する行為は、実はリベラル派にとってはみずからの支持層を失う大きなリスクを伴うのだ。

が、新条例には重大な問題点があるので順番に整理してみよう。差別を悪として認識することと、それを根拠として言論規制を推進することはまったく別問題なのである。

1,公権力が言論活動の許容範囲を「検閲」する社会の出現
何をもって差別的な発言とみなすのかは主観的な要素が介入して来るから、ヘイトスピーチ認定の基準は固定したものではない。個人差が大きい。単に外国人を批判しただけでも、拡大解釈によってはヘイトスピーチと判断される可能性がある。あるいは自由闊達な言動を抑制するために、恣意的に言論に対して懲罰を課する危険もある。

 

2,性など他の差別へ適用範囲が拡大する可能性
現在の日本で問題視されている差別は、改めていうまでもなく、外国人に対する差別だけではないので他の差別に関するスピーチに対しても類似した法規制が課せられる可能性がある。たとえば性に関する差別的発言、企業内の序列を背景としたパワハラ発言、さらにはエイズなど特定の疾病を持つ人々に対する侮辱的発言など・・・。差別の種類を数え上げていくと際限がない。

これらの問題に関する言論を、ヘイトスピーチを取り締まるのと同じ原理で規制していけば、自由闊達な言論は確実に消滅の一途をたどる。本来、言論というものは、「交戦」することで徐々に真実を浮かびあがらせる性質のものなのだが、反対言論をそれ以前の段階で公権力によって一方的に取り締まれば、いずれは言論統制を招いてしまう。

それゆえに公権力が悪用する。

 

3,ヘイトスピーチの次はインターネットネット言論の統制へ
2019年12月12日に川崎市で成立した条例は、規制の対象がヘイトスピーチに限定されているが、早くもネット上の言論も取り締まるべきだという声が「人権派」からあがっている。実際にネットに対する規制が始まったら、言論活動の許容範囲はさらに縮小されるだろう。

 

4,取り締まりは現行の名誉毀損裁判で十分に可能
ちなみに条例を設けてヘイトスピーチを取り締まるまでもなく、名誉毀損的な言論は現行の法制度の下で十分に取り締まることができる。民事訴訟の提起も刑事告訴の提起も可能だ。わざわざ新条例を設ける特別な理由はない。実際、名誉毀損を理由とした訴権の濫用が大きな社会問題として浮上しているのである。

 

5,差別の背景に新自由主義=構造改革の導入による格差社会
さらに新条例を発案した人々に欠落していると思われる差別の原因に関する見識の軽薄さも指摘しておかなければならない。現在の差別を考える上で、新自由主義がもたらした社会格差を無視することはできないだろ。格差社会がエスカレートすると、階級意識が鮮明になり、それがゆがんだ形で露呈したとき、さまざまな形の差別を生み出していく。それゆえに差別問題を根本的に解決するためには、なによりもまず格差のない社会を構築しなければならない。

それが客観的な解決の条件なのだ。この作業を抜きにして言論を取り締まっても、差別意識は解消しない。

ヨーロッパから日本に至るまで、民族差別が広がった背景には新自由主義=構造改革の導入がある。その弊害を立憲民主党や共産党はどれだけ深く認識しているのか疑問を感じる。言論の規制よりも先に着手しなければならない政治上の課題があるのではないか。

有権者は無駄に税金を払っているわけではない。公権力によって差別が逆に利用され、影のように言論統制が忍び寄っていることを認識するべきだろう。それに気づいたときはもはや手遅れなのだが。

全会一致で新条例を可決した川崎市議らの軽薄と無知が言論を滅ぼしかねない。