1. 「八木VS志岐」裁判の尋問、曖昧で信用できない日本の名誉毀損裁判、裁判官のさじ加減でどうにでもなるのが実態

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2015年07月10日 (金曜日)

「八木VS志岐」裁判の尋問、曖昧で信用できない日本の名誉毀損裁判、裁判官のさじ加減でどうにでもなるのが実態

【サマリー】名誉毀損裁判は、裁判官のさじかげんで判決に差がでるケースが多い。判断基準があいまいだ。志岐武彦氏が歌手で作家の八木啓代氏に対して200万円の支払いを請求する名誉毀損裁判では、八木氏による多量ツイートが問題になっている。これらのツイートが名誉毀損があたるのか、実際のツイートを読者に公開した。

また、「窃盗」という言葉が争点になった「黒薮VS読売」裁判を再検証する。この裁判は、地裁と高裁が黒薮の勝訴。最高裁で読売が逆転勝訴し、黒薮に110万円の支払い命令が出た。

7月8日、東京地裁で「志岐武彦VS八木啓代」裁判の本人尋問が行われた。この裁判では、歌手で作家の八木氏(被告)による一連のツイート(リツイート等も含む)が志岐氏の名誉を毀損したかどうかが争われている。

念を押すまでもなく名誉毀損裁判では、ある表現が原告の社会的な地位を低下させたかどうかが検証される。従って原告が名誉毀損的表現を主張している表現が複数件あれば、当然、そのひとつひとつを検証すると同時に、その表現がどのような文脈の中で使われているのかを総合的に把握しなければ真実には到達できない。

ところがわたしがこれまで傍聴してきた数々の裁判では、このようなプロセスは踏んでいないものが大半を占める。複数の名誉毀損的表現を絞り込んで、審理しているようだ。

8日に傍聴した「志岐武彦VS八木啓代」裁判でも、原告が名誉毀損的であるとしている八木氏のツイートのすべてを厳密な検証対象としているわけではない。

◆著名人による一連のツイート

著名人による一連のツイートにより、一市民である志岐氏がどのように社会的評価を低下させられたのか、あるいは社会的評価は低下させられていないのかの検証も十分には行われていない。

そもそも社会的評価を下すのは不特定多数の読者であるから、その読者を法廷に呼ぶことなしに検証はできない。

が、それは実質的には不可能だ。第一、だれが八木氏のツイートを読んだのかを特定することができない。第二に文章表現の受け止め方は、数学の回答とは異なり、個々人によりかなり多様性があるので、ある表現をひとつの基準ではかること自体に無理があるのだ。

ちなみに志岐氏が名誉毀損的だとしているツイートは次のようなものである。すでにネット上で公開されているものなので、ほんの一部であるがここでも紹介しておこう。

■八木氏よるツイートの例PDF①

■八木氏よるツイートの例PDF②

読者は、著名人によるこれらのツイートが一市民の社会的評価を低下させていると感じるだろうか?

◆「窃盗」という表現をめぐる論争

名誉毀損裁判では、こじつけ解釈が得意な者が勝を制すのが実態のようだ。普通の人が普通の読み方をしたときにはありえない解釈が幅をきかせて、勝敗を決することもままある。

たとえばわたしが被告になった対読売裁判のひとつがその典型である。この裁判の発端は、2008年3月1日に福岡県久留米市で起こった読売新聞販売店の強制改廃事件に端を発している。強制改廃とは、新聞社が一方的に販売店を廃業させることである。

この日、わたしは福岡県の販売店主から電話を受けた。この店主は、慌てた口調で、知人の販売店に読売の江崎法務室長ら数人の社員らが事前の連絡もなしに訪れ、店主を前に強制改廃を宣告した後、翌日の朝刊に折り込む折込チラシを、店舗から運び去ったと伝えてきた。

わたしはウエブサイト「新聞販売黒書」でこの事件の速報記事を出した。その際に、チラシの持ち去り行為を指して、「窃盗」と書いた。さらにチラシの搬出作業を行ったのが、読売の関連会社・読売ISの社員であったにもかかわらず、この点を明確にしなかった。そのために読売の社員が「窃盗」をはたらいたような印象を与えたらしい。

読売は、人権擁護団体である自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士を立て、わたしに対して2230万円のお金を求める名誉毀損裁判を起こした。

当然、争点は、「窃盗」という言葉になった。地裁と高裁では、わたしが勝訴した。チラシの搬出作業は、店主の目の前で行われており、読者は読売関係者が本当に窃盗をはたらいたとはみなさないというのが、裁判所の判断だった。

つまり裁判所は、「窃盗」は文章修飾学の隠喩(メタファー)にあたると判断したことになる。メタファーとは、たとえば「あの監督は鬼だ」「人生はマラソンだ」と言った表現である。これは「鬼のように厳しい」「マラソンのように起伏がある」という意味である。

わたしは「窃盗」をメタファーとして、強制改廃直後のチラシの搬出行為を「窃盗のように悪質だ」の意味で使ったのだが、喜田村弁護士らは、メタファーを知らなかったのか、額面通りに「窃盗」が事実の摘示にあたると強弁して、フリーライターには支払い不可能な2230万円のお金を求めたのである。

余談になるが、これが人権派弁護士の実態なのだ。

ところが最高裁で状況が変わる。最高裁は、読売を逆転勝訴させることにして弁論を開き、判決を東京高裁へ差し戻したのである。そして東京高裁の加藤新太郎裁判長が、110万円の金銭支払いを命じる判決を下したのである。

わたしは今でも、読売を逆転させた加藤新太郎判事は文章修飾学の隠喩(メタファー)を知らなかったのではないかと考えている。

ちなみに加藤新太郎裁判長について調査したところ、過去に複数回、読売新聞にインタビューなどで登場していたことが分かった。

■加藤新太郎裁判長が登場した読売の紙面PDF