1. 判決文を公開、森ゆうこ前参院議員の敗訴が確定、裁判所は「一般読者の普通の注意と読み方」を重視

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2014年08月07日 (木曜日)

判決文を公開、森ゆうこ前参院議員の敗訴が確定、裁判所は「一般読者の普通の注意と読み方」を重視

横綱が立ちあいに平幕力士の張り手を受けて、「腰砕け」であっけなく土俵に崩れ落ちたならば、引退を勧告されかねない。

前参院議員の森ゆうこ氏が、ブロガーを訴えた裁判は、控訴期限が過ぎた8月2日、森氏の敗訴が確定した。森氏が要求していたのは、500万円のお金と言論活動の一部禁止。が、請求はすべて棄却された。本人尋問も開かれなかった。前国会議員が「平幕」に完敗したのだ。

森氏の訴えが認められなかったわけだから、この裁判の被告・志岐武彦氏がみずから主宰するブログ「一市民が斬る」に書き続けた「最高裁事務総局の闇」は、決して根拠がない内容ではないということにもなる。その意味で、むしろ訴えられた志岐氏の側は、今後、より広い言論活動の可能性を獲得することになる。

「最高裁事務総局の闇」は、今後、ますますインターネット・ジャーナリズムの表舞台に浮上することになりそうだ。

◇複数の記述の組み合わせの無理が
判決は、2重に森側(小倉秀夫弁護士)の訴えを退けている。東京地裁の土田昭彦裁判長は、まず①森側の論理の破綻を根拠に訴えを退けた。さらに森側が指摘した個々の名誉毀損的な表現について、②森側による事実の拡大解釈、あるいは事実の誤認を根拠に訴えを退けた。

名誉毀損裁判の大半は独立した個々の記述が原告の社会的評価を低下させたとする主張を前提に争われる。たとえば、「Y社は、従業員に残業を強制して、手当を支払っていなかった」という表現が争点になると、それが事実なのか、あるいは事実に相当するのかを検証する。事実でなければ、名誉毀損が認定される。

しかし、この裁判で森側の小倉弁護士は、志岐氏が書いた3本の記事にみられる複数の表現を総合的に解釈した場合に、名誉毀損を構成するという主張を展開した。この論理を図式化すると次のようになる。

記事1・・・記載A,記載B、記載C

記事2・・・記載A,記載B、記載C

記事3・・・記載A,記載B、記載C

たとえば「記事1の記載A」と、「記事2の記載B」「記事3の記載A」を組み合わせた時に、名誉を毀損する事実を構成するという論法である。
森側が訴因としたのは、志岐氏が執筆した3本のブログであった。3本のブログから個々の表現をピックアップし、それを組み合わせて、名誉毀損を主張したのである。

◇「一般読者の普通の注意と読み方」
ところが名誉毀損裁判では、「一般読者の普通の注意と読み方」を基準として、特定の表現が社会的地位を低下させたかどうかを判断することになっている。となれば、森側の論法には、最初からかなり無理があった。

普通の読者は、ある記事を読みながら、ほかの記事との関連を考えたりはしないからだ。研究者やジャーナリストはそういう読み方をするが、大半の読者はそのような読み方をしない。そして、繰り返しになるが、名誉毀損裁判では「一般読者の普通の注意と読み方」が判断基準になるのだ。

この点について、判決は次のように判断している。

本件各記事は、それぞれ別の日時に投稿されており、被告が本件記事1を投稿する際に本件記事2及び3を投稿することを予定していたとか、本件記事2を投稿する際に本件記事3を投稿することを予定していたと認めるに足りる証拠はないから、本件各記事を全体として一つの表現行為と見ることはできず、

それぞれの記事ごとにその名誉毀損性を判断するのが相当であると解されるが、本件記事の内容を確定してその名誉毀損性を判断するに当たっては、当該記事以前に投稿された記事の内容を踏まえたものであるとして、その内容を斟酌する余地はあるとしても、当該記事が投稿された時点で存在しない後の記事の内容を斟酌するのは相当でないというべきである。

◇拡大解釈と事実誤認
しかし、土田裁判長は念のために個々の記事に見られる表現についても、踏み込んで検証している。結論を先にいえば判決は、森側が指摘している事柄は、森氏の拡大解釈や事実誤認に基づいたものであって、記事の趣旨とは異なると判断している。

たとえば「司法取引」に関する次の認定である。

 原告は、本件記事1の記載⑤において、小沢(黒薮注:小沢裁判の被告・小沢一郎氏)の無罪判決を得るために原告が最高裁判所と裏取引をし、また、それ(黒薮注:検察による検察審査員の誘導)が真実ではないことを知りながら、検察官が捏造報告書により検察審査会の審査員を誘導したというストーリーを原告が流布させたとの事実が摘示されていると主張する。

 しかしながら、記載⑤には、原告が、小沢の無罪判決を早期に得るために、最高裁判所に対する追及をやめたことを窺わせる記載があるのみで、最高裁裁判所との間で何らかの取引を行ったことを窺わせる記載はないし、検察官が捏造報告書を作成して検察審査会の審査員を誘導したというストーリーを原告が流布したことを窺わせる記載もないから、記載⑤において原告が主張するような上記事実が摘示されていると認めることはできない。

ほかの記述についても森氏による拡大解釈という観点から土田裁判長は、森氏の訴えを退けている。

◇「木を見て森を見ない」
この判決について、わたしは裁判所とは、別の観点から、森氏の訴えには正当性がないと考えている。以下、わたしの個人的な意見である。

わたしは、森側の小倉弁護士が指摘したように、前後関係を重視して、総合的な観点から書かれた内容を解釈するのが正しい態度だと考えている。さもなければ、「木を見て森を見ない」過ちを犯すことになるからだ。

ただ、それをもって志岐氏の一連のブログが名誉毀損にあたるとは思わない。と、いうのも志岐氏のブログを、訴因とならなかったものも含めて重層的に読めば読むほど、志岐氏が客観的な事実に基づいて、推論を述べていることが読み取れるからだ。

文章表現の評価は、全部を読んだうえで判断するのが妥当。さもなければ「揚げ足取り」が幅をきかせることになりかねない。

◇関連資料
次にリンクするのは、志岐氏の代理人・山下幸夫弁護士による解説(動画)と、判決である。

■山下幸夫弁護士による解説

■判決全文