2017年10月30日 (月曜日)
スポーツの政治利用とテレビによる洗脳、それに気づかない視聴者
テレビを通じて日常生活の中に歪(ゆが)んだ価値観が広がっている。先週だけでも、筆者は3件の洗脳まがいの例に遭遇した。
まず、プロ野球のドラフト会議を通じた視聴者の洗脳である。あるテレビ局は、ドラフト候補の選手を事前に取材して、彼らの口から両親への「感謝の気持ち」を繰り返し語らせていた。感謝すること自体は望ましいことだが、問題は、心がけをよくすれば、「道は開ける」という誤った観念を視聴者に植え付けることである。
幾ら努力してもプロ野球の選手になれるのは、ほんの一部に過ぎない。ドラフトにかかっても活躍できるのは、さらにその一部の選手である。
「感謝の気持ち」は大事だが、感謝するだけでは、どうにもならない事もあるのだ。感謝する気持ちの育成は、1960年度の中教審「期待される人間像」の理念とまったく同じだ。
◇素質がすべての五輪
先週は、東京オリンピックまで1000日を切ったこともあって、オリンピック関連のテレビ番組がいくつか放映された。番組の中で、オリンピック出場を夢見る若い世代が次々と紹介された。
そこでも、やはり視聴者に対してある誤った観念の押しつけが行われていた。「努力すれば報われる」という観念である。しかし、これはオリンピックのレベルについては、真実ではない。
陸上競技の世界選手権メダリスト(400メートルハードル)・為末大守氏だったと思うが、新聞関係者が主催した講演で、オリンピックに出られるのは才能がある人だけという意味の発言をしたことがあった。この発言は、冷酷なようで実は的を得ている。主催者は、おそらく為末氏に「努力すれば報われる」と言わせたかたのではないかと思うが、オリンピックのレベルになると努力だけではどうにもならない。
才能と素質がある人が、死にものぐるいの努力をしてはじめて舞台に立てるのだ。メダルとなるとさらに遠い。ところがテレビのオリンピック関連番組を見ていると、努力すれば報われるというような誤った観念を押しつけている。
◇物事には「感謝」していいものと悪いものがある
さらにDJポリスを利用した警察のイメージ作戦も悪質だ。オリンピックを機に英語を話すDJポリスが登場するとテレビが報じていたのだが、DJポリスの活動で、警察のイメージアップを図り、その一方で警察の権限を強めていく政策が進んでいるのが実態だ。
警察や検察のレベルは、ここ数年極めて劣化している。それは森友学園や加計学園事件の対応をみれば一目瞭然だ。
警察のイメージアップ作戦としては、過去には読売新聞が主催する「わたしの町のおまわりさん」作文コンクールなどもあった。児童が警察の肯定的な側面を作文で描くコンクールである。
このようにメディアを通じた洗脳は、大半の人々が気づかないだけで日常的に行われている。これが厄介なのは、努力したり、感謝する行為そのものは、全く否定すべき性質のものではないからだ。
しかし、努力と感謝だけで、自分の置かれている状況を変えることが出来るか否かという問題になるとそう単純ではない。たとえばブラック企業の中で、従業員がいくら努力と感謝を重ねても状況は改善しないだろう。問題点を客観的に洗い出して、具体策を採らないかぎり物事は解決しない。それが正しい思考方法なのである。
物事には「感謝」していいものと悪いものがある。「努力」するにも、その方向性を見極める必要がある。このあたりを区別しないテレビ番組は、公共性を欠いている。