1.  7日に発売の『紙の爆弾』、滋賀医大事件の判決にみる「報告事件」の実態、裁判所の公正・中立を問う

司法制度に関連する記事

2020年06月08日 (月曜日)

 7日に発売の『紙の爆弾』、滋賀医大事件の判決にみる「報告事件」の実態、裁判所の公正・中立を問う

『紙の爆弾』(7月号)に、わたしが執筆した滋賀医科大事件の記事が掲載された。タイトルは、「前立腺がん患者をモルモットに 滋賀医大病院事件『疑惑の判決』」。

このルポは、4月14日に判決が下された滋賀医科大事件の判決に、「報告事件」の疑惑があることを伝えたものである。「報告事件」というのは、全国の裁判所を管理する最高裁事務総局の政治的判断と介入により、公正・中立な判決が阻害された可能性がある事件を意味する。

裁判の進行を担当書記官が最高裁事務局へ「密告」して、最高裁が政治的判断が必要と考えた場合、担当裁判官を人事異動させることによって、最高裁事務局の意に沿う判決を下させる事件のことである。

滋賀医大病院事件では、結審の後、2人の裁判官が異動になった。判決を読み上げたのは、結審の後、裁判官に就任した新しい裁判長だった。前裁判長は、判決に捺印していない。

国立病院で起きた人間モルモット事件に審判を下すのは、厚生労働省の信用失墜につながりかねない。実際、厚生労働省はこの事件を傍観し続けたのである。

この裁判が「報告事件」であることは、書面を読めば判断できる。わたしのようにジャーナリストの端くれであっても、長年に渡って記事やルポを書いていると、論理が破綻している「作文」には反応する。編集者やライターの視点で、判決文を読んでみると、判決文が後から、誰かが修正を加えたものであることが分かるのだ。

「作文」としては、書き直しが求められるレベルなのだ。繰り返しになるが、それは「作文」で最も大事な論理が破綻しているからだ。

◆◆
「報告事件」の指定は、国策にかかわる案件が法廷に持ち込まれた際に行われるようだ。次のユーチューブは、わたしが「報告事件」について、報告・講演しときの記録(1時間47分50秒~)である。

【動画】シンポジウム「裁判所は本当に駆け込み寺か?」、田中哲郎判事の例に見る不自然な裁判官の人事異動

田中哲郎裁判長は、携帯電話の基地局の撤去を求める住民訴訟が起きるたびに、事件が所属している裁判所へ異動させられ、次々と住民を敗訴させた人物である。わたしが原告になった対読売新聞のスラップ裁判(3件の裁判、約8000万円の請求に対して、反訴した裁判)でも、途中から登場した。この瞬間に、わたしは敗訴を確信した。

「報告事件」の指定は、「押し紙」がらみの裁判でもたびたびおこなわれてきた。多くの裁判官が、「押し紙」の存在を認めない判決を下してきたわけだが、それが間違いであったことが、近年、否定できなくなってきた。新聞社は、日本の権力構造の一部であるから、裁判でも有利になる傾向がある。

◆◆◆
「報告事件」が広がっている背景に、司法ジャーナリズムの機能麻痺がある。日本のマスコミは、原則として裁判が提起されたときと、判決が下されたときにしか、事件を報道しない。判決を検証することはまれだ。が、これでは役割を果たしていない。

『紙の爆弾』の記事は、判決の矛盾に踏み込んでいる。