1. 販売店訴訟の検証、京都新聞・藤ノ森販売所、店主の死、そして初七日あけに改廃通告

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2012年05月22日 (火曜日)

販売店訴訟の検証、京都新聞・藤ノ森販売所、店主の死、そして初七日あけに改廃通告

 今回取り上げるのは、京都新聞藤ノ森販売所の改廃事件である。このケースでは、販売店側の心情にまったく配慮しない販売局員たちのエゴイズムが露呈した。

 店主の池内巌氏は、35年にわたって藤ノ森販売所を経営してきた。しかし、2001年9月3日に、食道癌で亡くなった。手術を受けた後、3年におよぶ闘病を続けたが、回復することなく京都市伏見区にある国立京都病院で息を引き取ったのである。

  新聞販売店という性質上、葬儀の当日も新聞の配達を休むわけにはいかないので、池内家の人々は、密葬という形で巌氏に別れを告げた。それでも出棺の時には、近所の人々が次々と集まってきたという。配達業務を通じて、巌氏が地域にとけ込んでいたからである。

 妻の淑子氏は、自分が店主になって家業を引き継いだ上で、若き専従の川村氏(仮名)に店を任せる予定にしていた。

  川村氏は中学校のころから、藤ノ森販売所で新聞配達のアルバイトをしながら母親と2人の妹を支えてきた。父親がほとんど家に寄りつかなかったので、川村氏が新聞配達をして家計を助けたのだ。

  最初は1人分の配達区域を他の新聞少年と分担して2人で配っていた。しかし、これでは収入が少ないので、店主の巌氏は1人で1区域を配るように勧めた。さらに仕事に慣れると夕刊も配るように勧めた。普通、夕刊の配達料金は、朝刊よりも安く設定されているが、巌氏は川村少年に対しては格差を付けなかった。家庭の事情をよく知っていたからである。

 川村少年は午前四時半に起床して藤ノ森販売所へ出勤する。折込チラシを新聞に挟む作業が終わると、自転車に新聞を積み込んで明け方の街へでる。配達を終えて店舗に戻るのが六時過ぎである。会社員たちが出勤する前の時間帯に新聞を届けなければ、購読を中止される恐れがあるので、早い時間帯に配達業務が終わるようにタイム・スケジュールが仕組まれているのだ。

 川村氏は自宅へ戻って八時まで仮眠する。それから朝食も食べずに学校へ駆けつけていたという。しかし、登校したとはいえ、配達の疲れで授業中に何度も眠気に襲われ、集中して勉強するどころではなかった。学校が終わると、夕刊を配達するために藤ノ森販売所へ直行した。

  こうした生活を続けるうちに、部活動に励んだり進学を目指す級友たちとの間に距離が出来てしまった。(14003700/文字)