半世紀を超えたコロンビア内戦が終わる、世界を変える決意とは何か?
コロンビアのELN(民族解放軍)と政府が、5日、停戦に合意した。コロンビアには、複数の反政府ゲリラがあったが、今回の停戦合意により半世紀を超えたコロンビア内戦は完全に終わる。
これに先だつ2016年8月には、FARC-EP(コロンビア革命軍 - 人民軍)と政府の間で和平が実現していた。FARC-EPは合法政党に生まれかわり、すでに元戦士の社会復帰も始まっている。去る8月には、キューバによる国際支援により、FARC-EPの元戦士ら200人が、医学留学のためにハバナへ旅立った。医師を目指す若ものたちである。(写真上)
太平洋戦争の後、ラテンアメリカで最初にゲリラ活動が始まったのは、グアテマラである。1954年、CIAとUFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)がクーデターで民主的な政権を倒すと、強固な軍事政権が敷かれた。これに抗して、1960年ごろからゲリラ活動が始まったのだ。グアテマラ内戦は、36年後の1996年に終わり、URNG(グアテマラ民族革命連合)は合法政党に生まれ代わった。
コロンビア内戦はグアテマラより遅い1962年に始まったが、グアテマラ和平の後も続いたので、結局、ラテンアメリカで最も長い内戦となっていた。この間、ELNやFARC-EPとは別のゲリラ組織も含めて、停戦と交渉決裂を何度も繰り返してきたが経緯があった。が、ELNと政府の停戦合意で、ようやく内戦が完全に終結する見込みとなった。新しい時代に入ったのだ。
◇『山は果てしなき緑の草原ではなく』
同じラテンアメリカでも、中米は1990年代に内戦が終わった。1990年のエルサルバドル、1992年のニカラグア、1996年のグアテマラである。これらの国のゲリラ組織は、いずれも合法政党として現在も活動を続けている。エルサルバドルのFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)と、ニカラグアのFSML(サンディニスタ民族解放戦線)は、現在、政権党である。それぞれサンチェス大統領とオルテガ大統領は、いずれも元ゲリラである。
一方、グアテマラでは、「戦後」急激に民主化が進み、現在も戦争犯罪の検証作業が続いている。1980年代にジェノサイド(住民の皆殺し作戦)を断行した元将軍であり元大統領であるリオス・モントに対して、グアテマラの裁判所は、2013年、禁固80年の判決を下した。
次の動画は、晩年に法廷に立たされたリオス・モントを記録したものだ。元大統領・将軍は、「絶対にやっていない」と叫び続けた。
ラテンアメリカの内戦について考えるとき、どうしても避けることが出来ない問いは、「社会を変えるとはどういうことなのか?」という問いである。筆者は、日本の政治家、たとえば、豊田真由子、森ゆうこ、橋下徹、小沢一郎、山尾志桜里、それに都民ファーストの議員らと、ラテンアメリカの元ゲリラを比較しながら、この問について考えざるを得ない。
日本では、ゲリラになった人々に対して、テロリストのレッテルを張る傾向があるが、これは完全な誤りだ。軍事政権の下では、他に社会を変える方法がないのだ。暴力に対する正当防衛でもある。
たとえば、次の動画は、エルサルバドル軍による発砲の場面である。軍に暗殺されたオスカル・ロメロ大司教の告別式で、銃口が群衆に向けられた。この事件が内戦の引き金になったのだ。
しかし、暴力に対抗するとはいえ、ゲリラになれば、命のリスクがあるし、自分の生涯を牢獄に閉じこめてしまうリスクもある。
次に引用したニカラグアの元ゲリラの告白には、深い意味がある。社会を変えるとは、どういうことなのかを考える指標になる。
辛いのは孤独だ。孤独に比べれば他はたいしたことないさ。孤独こそは恐ろしく、その感情はちょっと言いようがない。実際、ゲリラには深い孤独がある。仲間がいないこと。それに都会の人間にとってあたりまえのように身の回りにあった一連のものがないこと。忘れ始めた車の騒音の孤独。夜になって電気を懐かしく思い出すことの孤独。色彩の孤独、山には緑色と黒っぽい色しかないんだ、緑は自然そのものだ。オレンジ色はどうした? 青い色がない、水色がない、紫色や藤色もない。そういった現代の色がないんだ。君の好きな歌がない孤独。女がいない孤独。セックスがない孤独。家族に会えない孤独。君の母さん、君の兄弟、学校の仲間に会えない孤独。教授たちに会えない、労働者に会えない、隣人に会えない孤独と喪失感。街を走るバスへの孤独、街の暑さや埃への孤独、映画に行けないという孤独。だが、君がどんなにこれらのものを望んでも手に入れることができないのだ。欲しいと望んでも手に入らないという意味で、それは君自身の意思に対する孤独の強制だ。なぜなら、君はゲリラを捨てることはできないからだ。君は戦うためにやってきた。そして、それは君の人生の決断だからだ。その孤立、孤独こそが、最も恐ろしいもの、最も辛く、苦しいものなのだ。誰にもキスできない孤独。人間として誰も愛撫できないということ。微笑んでくれる誰もいない孤独。誰も君を愛撫してくれない、動物だって愛撫し合っているんだ。俺たちは俺たち同士で愛撫し合うことはできなかった。男ばっかりだったからな。(『山は果てしなき緑の草原ではなく』)
ラテンアメリカが激変しはじめたのは、今世紀に入ってからである。それまでに地道で長い戦いがあったからだ。もちろん変革には紆余曲折はあり、一筋縄にはいかないが、社会を変えたいと心底から思っている人々がいることが大きい。最大の遺産である。ダメな政治家が増えている日本とは異質なものを感じる。
コロンビアの和平は、ラテンアメリカにまた新しい歴史のステージを運んでくる。
【写真】出典:Prensa Latina 、留学生の壮行式