元NHK・自民党の和田政宗議員が「押し紙」問題で公取委を追及、14日の内閣委員会
自由民主党の和田政宗議員(NHK出身)が参議院内閣委員会で「押し紙」問題について質問した。和田議員が、
「公正取引委員会が新聞販売店から『押し紙』の申告・情報提供を受けた件数は何件でしょうか」
と、問うたのに対して、公正取引委員会の山本審査局長は、「調査にかかわることなので、お答えは差し控える」と答弁を避けた。また、販売店から「押し紙」についての情報提供があった場合の対処方法を尋ねられ、山本審査局長は、
「申告があった場合には、その内容を確認しましたり、事案に関連する情報などを収集いたしまして、独占禁止法に違反する疑いがあるのかどうか、そういった具体的な事実に接した場合には、違反事実の把握のために必要な調査をおこなっていくことになります」
と、答えた。さらに新聞発行本社を指導したケースについては、「平成」に入ってから1件あると答えた。この一件とは、北國新聞に対する「押し紙」の排除勧告である。
山本審査局長がみずから認めたように、「押し紙」問題が深刻になっているにもかかわらず、公正取引委員会は北國新聞以外の新聞社を指導したことはない。こうした実態に、販売店サイドからは不信の声が広がっている。
ちなみに読売・真村訴訟で2007年に下された福岡高裁判決は、読売の「押し紙」政策を認定している。しかし、公正取引委員会は、読売を指導していない。もはや独禁法の番人としての役割を果たしていないと言っても過言ではない。
【参考記事】読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由
「押し紙」問題は、2017年4月14日にも、共産党の清水忠史議員が取りあげている。
なお、国会質問の中継は、次のリンク先でアクセスできる。14日の内閣委員会、和田氏の質問は、「1:07」あたりからである。
【動画】「押し紙」の回収場面、資源の無駄づかいでもある。
内閣府の疑惑は実は加計事件だけではない、電通・博報堂も、衆議院内閣委員会の秋元委員長が2ヶ月休会を弁解、「主戦場を他の委員会へ譲った」
国会の衆議院内閣委員会が約2ヶ月の間、開かれていたなかった問題で、内閣委員会の秋元司委員長(自民)から説明があった。この問題は、既報したように、4月13日から5月6日までの約2ヶ月の期間、内閣委員会が休会になっていた事実が、後日発覚したものである。
【参考記事】 加計学園事件で疑惑の的ー内閣府を検証する衆議院内閣委員会が開かれなかった異常
加計学園事件の舞台が内閣府であるにもかかわらず内閣委員会が休会になっていたのは、極めて不自然なので、秋元委員長に問い合わせた。
説明の趣旨は次のようなものだった。
委員会を開く場合、関係する大臣の出席を求める必要があるのだが、大臣のスケジュールが重なったために、他の委員会に譲った。しかし、他の委員会で同じテーマが取り上げれらている。「主戦場」を譲ったかたちになった。その方針に野党も合意していた。加計学園の問題も、他の委員会で取りあげられている。内閣委員会では、このようなことがよくある。
◇電通と博報堂が関係した内閣府の疑惑
内閣府では、加計学園の問題以外にも、解明しなければならない問題がある。政府の広報活動に関連した資金の不透明な流れである。
大手広告代理店が内閣府に送付した請求書からインボイスナンバー(書類番号)が外されているのだ。筆者が最初に調査したのは、博報堂だった。それから電通についても調査した。その結果、両社とも同じ疑惑があることが判明した。
インボイスナンバー(書類番号)が不在になった請求書にどのような疑惑があるのかは後述することにして、まず、疑惑の請求額を2015年度の新聞広告に限定して紹介しよう。次の数字だ。裏付けは()内に示した。
博報堂:約20億円(裏付け)
電通:約25億円(裏付け)
ちなみに博報堂の場合、2012年度から15年度の4年間で、疑惑の額は新聞広告だけで約64億円にもなっている。(電通については、筆者はこの期間の資料を所有していない。)
◇なぜ、インボイスナンバーを外したのか?
なぜ、電通と博報堂はそろって、インボイスナンバーを外した請求書を送付したのだろうか。結論を先に言えば、正規の会計システムとは別のところで会計処理することを意図した可能性が高い。
博報堂も電通も、コンピュータと連動した会計システムを導入している。このシステムで会計処理する場合、インボイスナンバーで管理するのが原理である。例外はあっても、この原理は変わらない。
それはちょうどマイナンバー制度の運用で、マイナンバーが不可欠になるのと同じだ。あるいは、クレジットカードが番号で管理されるのと同じ原理だ。番号を外してしまえば、システムは機能しない。
つまり電通や博報堂がインボイスナンバーを外した請求書を送付した事実は、これらの請求の会計処理が正規の会計システムとは別の所で行われた可能性を示唆するのだ。
このような実態について、経理の専門家は、
「内閣府の側から指示している可能性もある。特別な事情がない限り、社のロゴも入っていないこんな請求書は出さないはずです」
と、話す。
ただし、インボイスナンバーがない請求書の発行が違法行為というわけではない。経理処理も可能だが、わざわざインボイスナンバーを外す合理的な理由がない。
解明する必要があるのは、なんのために、インボイスナンバーを外して、コンピュータと連動した正規の会計システムから切り離して経理処理をしてきたのかという点である。
このような経理処理を認めると、裏金作りの温床になることはいうまでもない。
広告代理店は、内閣府にとっては、国策プロパガンダの役割を果たす重要な取引先である。そのための資金が政府の広報予算である。その広報予算が極めて不透明な実態になっているのだ。
加計事件かくし? 衆議院内閣委員会が2ヶ月「休会」していた問題、「休会」に至る事情を秋元司委員長に質問
加計学園事件に関与していた疑惑が取り沙汰されている内閣府。その内閣府に関するテーマを審議する衆議院内閣委員会が、約2ヶ月「休会」になり、加計学園事件など重大問題がほとんど審議されたなかった問題で、筆者は12日、秋元司委員長(自民党)に質問状を送付した。
質問状では、次の2点を問うた。
①加計学園の問題が起きているにもかかわらず衆議院内閣委員会が約2ヶ月も委員会を開かなかった理由。
②この間、議員報酬は支払われるのか?
既報したように、衆議院内閣委員会は、4月12日から約2ヶ月「休会」になり、6月7日に再開したが、この日を最終日とした。
この問題がほとんど知られていないのは、皮肉なことに、内閣府には記者クラブが存在しないからだ。そのため情報がメディアに十分に伝わらない。
多数を占める自民党が「数の力」で、国会の機能を停止させたとすれば、大問題だ。議会を麻痺させるクーデターに匹敵しかねない。
秋元委員長への質問状は次の通りである。
【質問状】
わたしはフリーランスライターの黒薮哲哉です。お尋ねしたいことがあり、質問状を送付しました。
今国会での内閣委員会の開催状況を調べたところ、4月12日の開催を最後に、その後、約2ヶ月の間、休会になっていたことが分かりました。加計学園の問題など、内閣府には問題が山積しておりますが、どのような理由で約2ヶ月間、委員会を休会にされたのでしょうか。また、その間、議員報酬は支払われたのでしょか。説明していただくようにお願いします。
与党が「数の力」で委員会を開かないという話はこれまで聞いたことがありません。極めて珍しいケースだと認識しています。
なお、回答はメディア等で公表する予定にしております。
【参考記事】加計学園事件で疑惑の的ー内閣府を検証する衆議院内閣委員会が開かれなかった異常
【写真】秋元司・内閣委員会委員長
加計学園事件で疑惑の的ー内閣府を検証する衆議院内閣委員会が開かれなかった異常
加計学園事件を解明するための鍵を握る国会の衆議院内閣委員会が、今国会では開かれない見通しであることが分かった。疑惑解明は秋の臨時国会まで持ち越されることになる。
複数のメディアが報じているように、内閣府が文部科学省に加計学園の獣医学科開設を早急に進めるように促していたとされる文書が存在する。と、すれば当然、国会の内閣委員会は、管官房長官を出席させて、この問題を徹底的に検証しなければならない。文部科学省よりも、むしろ内閣府の調査の方が肝心なのだ。
ところが今国会では、内閣委員会を開催する予定はないという。それが同委員会の多数派である自民党の方針である。
◇博報堂事件と加計学園事件
今国会における内閣委員会の開催状態は異常だ。委員会は3月に始まり、3月中は順調に開かれていた。ところが4月12日に開催されたあと、延々と休会が続いた。再開されたのは、6月7日だった。実に2ヶ月近く開かれなかったのだ。しかし、7日の委員会が最終回になる見込みだ。
筆者がこのような異常な実態を細かく把握していたのは、内閣府と博報堂の広告取引に関する国家予算の出費についての国会質問を、内閣委員会に所属する共産党議員に依頼していたからである。その前段として筆者は、博報堂事件について筆者が書いた『週刊金曜日』の記事を、自民党を含む内閣委員会の全議員に送付した。博報堂事件についてまじめに考えてもらおうという意図から送付したのである。
ところが肝心の内閣委員会が開かれない。その結果、筆者ははからずしも、内閣委員会の開催状況をチェックするようになったのだ。
周知のように加計学園の問題をメディアが連日のように報じはじめたのは、5月の後半になってからだ。しかし、内閣委員会はそれよりもはるか以前から休会になっている。これは自民党議員が、内閣委員会で博報堂事件や加計学園事件の追及を受けることを警戒していたためである可能性が高い。少なくとも筆者はそんなふうに推測している。
最初は博報堂事件を、次に加計学園事件を警戒して、休会を続けたのだろう。そして最後に申しわけ程度に7日に開き、格好をつけたのだ。
野党が国会審議に応じないことはよくあるが、与党が「数の力」で審議に応じないのはめずらしい。それは議会制民主主義の否定にほかならない。
なお、内閣委員会の秋元司委員長(自民党)の見解は、返答があり次第に紹介する。
【写真】内閣委員会の秋元司委員長
加計学園疑惑や公共広告費の不正経理疑惑など問題が山積する内閣府、肝心の内閣委員会がほどんど開かれていなかったことが判明
加計学園の事件に安倍首相が関与している疑惑が濃厚になっているが、前川喜平前事務次官や安倍晋三の国会招致が行われる気配はない。安倍首相も管官房長官も疑惑そのものを否定している。証人喚問は必要ないという立場を取っている。
異常な国会運営は、実はこれだけではない。問題の鍵を握る内閣府のグレーな実態を明らかにする動きも抑制されているようだ。
筆者が今国会における衆議院内閣委員会の開催状況を調べたところ、ほどんど開かれていなかったことが分かった。3月に3回、4月に2回、5月は一度も開かれなかった。この怠慢ぶりでは、「議員報酬を減らせ」という声があがりなねない。
内閣委員会の秋元司(自民党)委員長の事務所に、内閣委員会を開催しない理由をこれまで2度問い合わせた。最初の問い合わせでは、秘書が「自分は知らない」と答えた。2度目は、書面で理由を問い合わせたが、返答はない。
共謀罪法案の衆議院での強行採決といい、森友学園や加計学園の疑惑解明を妨害する動きといい、国会運営が完全におかしくなっている。大統領を退陣へ追い込んだ韓国などに比べて、日本の三権分立と民主主義ははるかに遅れている。と、いうよりも安倍政権の下で後退してしまった。
そして、独裁国家の一歩手前まで来た。
【写真】秋元司議員
内閣委員会の議員58名に博報堂関連の資料を提供、メディア企業に巨額な国家予算注入の恐るべきシステムの裏付け
博報堂を通じて巨額の国家予算をメディア企業へ流し込むカラクリを暴いた『週刊金曜日』(2月24日)の記事、「裁量は内閣府次第、政府広報費の杜撰な使い道」(黒薮執筆)のコピーを、1日、内閣委員会の国会議員58名に送付した。
日本の場合、欧米に比べて議員定数が少ないので、議員ひとりあたりの仕事の量が多く、積極的に国会質問を依頼しない限り、大問題が放置されてしまう可能性が高い。こうした配慮から、今回の記事送付に至った。
書き手の側は単に記事を執筆するだけではなく、資料の配布、講演、訴訟など、PRの舞台を自分で準備する必要がある。
記事に添付した手紙は次の通りである。
拝啓
時下ますますご隆昌のことと存じます。
わたしはフリーランスのジャーナリストとして、メディアの問題を中心に取材・執筆している者です。このたび『週刊金曜日』(2月24日号)に内閣府の資金疑惑に関する記事を執筆しましたので、そのコピーを同封させていただきました。
記事のタイトルは、「裁量は内閣府次第、政府広報費の杜撰な使い道」です。国家予算が見積書もなく、内閣府の判断ひとつで湯水にように広告代理店・博報堂へ支払われている実態を報告した内容です。
特に問題なのは、文中にあります俗に「構想費」と呼ばれる知的活動に対する報酬です。2012年度が3,980万円だったものが、2015年には6,700万円になっています。関係者を取材した限りでは、何に使われていたのか、具体的な使途がほとんど分かりません。
なお、博報堂に関しては、他の省庁との取り引きも調査しました。その結果、たとえば国勢調査の告知(政府の新聞広告)が、契約どおりに行われていないことも判明しています。2015年度の調査の場合、契約書によると延べ25件の政府広告を制作・配信することになっていましたが、このうち13件が「間引」かれ、12件しか掲載されていません。それにもかかわらず料金は、全額が徴収されています。
また、文部科学省では、たった9ページのウエブサイトの制作に対して、2,100万円が博報堂へ支払われています。その前年にも、2本のウエブサイトが制作されています。
環境省のクールビスにも莫大な資金が投じられていますが、わたしが情報公開請求で開示させた「成果物」は、杜撰なものでした。
これらを立証する資料は、すべて黒薮が保管しております。もし、国会で追及していただけるようであれば、資料を提供します。日本は国会議員の総数が欧米に比べ少ないためにご多忙なこととは存じますが、よろしくお願いいたします。
◇マスコミ向け国家予算の激増
「押し紙」問題についても、今後、同様のアクションが必要だろう。
広告代理店や新聞・テレビの問題は、巨大メディアが相手なので、国会議員も慎重になる。それでも、博報堂に関連した国会質問は、過去に民主党と共産党が繰り返している。「押し紙」問題の国会での追及も、1980年代に、共産党、公明党、社会党の各党が行った。
ちなみにマスコミに対する国会予算の支出が急激に増えはじめたのは、第2次安倍政権になってからである。行政事業レジューシートによると内閣府から支出された国策PRのための予算は、次のようになっている。
2012年度(野田政権):38億8300万円
2013年度(安倍政権):47億4700万円
2014年度(安倍政権):58億3700万円
2015年度(安倍政権):60億8600万円
こうした資金により、日本の新聞ジャーナリズムは骨抜きにされ、共謀罪のようなとんでもない法律が閣議決定されそうになっているのである。
博報堂に5人の国家公務員が天下り、2007年の国会・内閣委員会でも、共産党の吉井英勝議員が指摘
内閣府、あるいは内閣官房(総理直属の機関)から博報堂への「天下り」が慣行化している実態が過去の国会議事録などから分かった。
現時点でも、博報堂への天下りは、少なくとも阪本和道氏(元内閣府審議官)と、田幸大輔氏(元広報室参事官補佐・広報戦略推進官)のケースが判明している。他の省庁からのものを含めると、松田昇氏(元最高検刑事部長)、前川信一氏(元大阪府警察学校長)、蛭田正則氏(元警視庁地域部長)らも博報堂、あるいはその持株会社である博報堂DYホールディングスに再就職している。
国家予算の一部が形を変えて、彼らに報酬として支払われていることになる。
なんのために博報堂グループが退職した国家公務員を受け入れているのかについては、個々の元国家公務員か、内閣府を取材しなければ分からないにもかかわらず、「天下り」の連携プレーを演じている当事者らは、阪本氏らの再就職は合法で「天下り」に該当しないという詭弁(きべん)を弄しているので、真相解明の糸口すら掴めない。
彼らの詭弁がどのようなものであるかは、後述することにして、国家公務員らによる凄まじい天下りの実態を過去の国会議事録から紹介しよう。
◇過去にも博報堂に5名が天下り
2007年5月11日の国会。内閣委員会で共産党の吉井英勝議員(写真)は、内閣府と広告代理店の不透明な関係を、特に新聞の公共広告に特化して追及した。内閣府が募集する公共の新聞広告(国策プロパガンダの媒体)の入札が、表向きは競争入札になっているが、実態としては随意入札や談合になっている事実を指摘している。
もちろんこの国会質問は、博報堂の実態だけに特化したものではなく、電通を筆頭とする日本の広告業界全体の談合体質を糾弾しているのだが、その中に不透明な取り引きの背景に「天下り」があることを指摘している。
博報堂の場合は、「経済社会総合研究所総括政策研究官を最後に退職した丸岡淳助氏の二人の天下りがあるということになっております」と、述べているほか、他の省庁も含めた実態については、「衆院調査局の中央省庁の補助金等交付状況、事業発注状況及び国家公務員の再就職状況予備的調査によれば」「博報堂には五人、うち常勤三人」だと指摘している。
その上で吉井議員は、次のように公務員制度改革が機能していない実態を批判する。
政府広報を契約する内閣府の人が天下りをしていっている。そして、この入札の一連のいろいろな問題の中で、いろいろな疑念とか疑惑、そういったものが持たれるものについて、やはりまずこれを徹底的に解明する。そのことなしに公務員制度改革を口にするということは、私は、かなり筋が違うんじゃないか。改革を口にするんだったら、まず実態の究明、解明だということを言わなきゃならぬと思うんです。
◇天下りが後を絶たない本当の理由
「天下り」はなぜ後を絶たないのか?
答えは簡単で、言葉の定義にある。伝統的に司法の場では、天下りは官庁が国家公務員の退官後のポストを民間企業に設けさせて受け入れさせることを意味し、このような上からの強制がなければ、「天下り」とは解釈されないからだ。
実際には、「天下り」という言葉は、広義に国家公務員が取引先に再就職することを指しているが、司法の世界では、狭義の「天下り」にしか解釈されない。従って、再就職等監視委員会による調査基準も次のようにずさんなものになっている。
1 現職職員による他の職員・元職員の再就職依頼・情報提供等規制
2 現職職員による利害関係企業等への求職活動規制
3 再就職者(元職員)による元の職場への働きかけ規制
これでは、問題の根源を絶てるはずがない。また、彼らに問題を解決しようという気概もない。彼ら自分自身、退官後の再就職を希望しているからだろう。
◇国策プロパガンダと金
余談になるが、「押し紙」という言葉も、恣意的な解釈が行われている。たとえば「押し紙」裁判で読売の代理人を務めてきた自由人権協会・代表理事の喜田村洋一弁護士らは、読売には、過去も現在も、1部の「押し紙」も存在しないと主張してきたが、筆者が保存している裁判記録によると、そのひとつの根拠になっていたのが、なんと「押し紙」の定義である。喜田村弁護士らによれば、押し売りした証拠がない新聞は、「押し紙」ではないので、読売には1部も「押し紙」が存在しないという理論になるのだ。
司法の世界では、この程度の論理が通用してしまう危険性があるのだ。実社会では、社会通念からして、販売予定のない商品を多量に仕入れるバカはいないので、販売店に残っている新聞は押し売りされたものと解釈して、広義に「押し紙」と言っているのだが。
「天下り」という言葉にも、まったく同じ罠が潜んでいる。
博報堂の諸問題は、かなり以前から国会で問題になってきた事が過去の国会議事録から判明した。しかし、まったく改善されることなく今日に至っている。
今も同じことを繰り返しているのだ。
これにメスを入れるには、やはり公共広告の在り方、あるいは国策プロパガンダと公共広告、金について考える住民運動を組織することも必要ではないか。