喫煙撲滅運動と専門医師の関係、客観的な事実が欠落した診断書、横浜副流煙裁判「反訴」
診断書がアクションを起こすための通行証になる現象は昔から続いてきた。たとえば大相撲の力士が本場所を休場するときには、診断書を提出する。労災認定の手続きにも診断書の提出が義務づけられている。医療裁判では、診断書の提出は義務ではないが、判決内容に決定的な影響をおよぼすことが多い。
こうした事情の下で、患者の希望に応じてこころよく診断書を交付してくれる医師は重宝がられている。当然、多くの人々が、診断書は、本当に患者の病状を客観的に検証した記録なのかという疑念を抱いている。不透明なものが付きまとっている。
現在、喫煙撲滅運動と診断書の連動が争点になっている裁判が横浜地裁で進行している。発端は、2017年の晩秋。ミュージシャンの藤井将登さんは、隣人の家族3人(A夫、A妻、A娘)から4518万円を請求する裁判を起こされた。将登さんが吸う煙草の副流煙が自宅に流入して、健康を害したというのが、3人の訴えだった。「受動喫煙症」による被害の救済を求める訴訟である。
この提訴の根拠になったのが、複数の医師が交付した診断書である。そこには、受動喫煙症や化学物質過敏症の病名が付されている。
とりわけ日本禁煙学会の理事長(当時)で禁煙学の権威である作田学博士が交付した診断書は、訴状と一緒に提出されており、3人の訴えを裏付ける有力な根拠となってきた。さらに作田医師は、原告家族のために5通もの意見書や報告書などを裁判所に提出している。
ところが審理が進むうちに、作田医師が作成した3通の診断書に後述する瑕疵(かし)があることが次々と判明したのである。
結論を先に言えば、横浜地裁は家族3人の訴えを棄却した。その後、東京高裁も原告の控訴を棄却し、藤井将登さんの勝訴が確定した。それを受けて、将登さんと妻の敦子さんは、根拠のない事実に基づいて高額訴訟を起こされたとして、逆に3人に対し約1000万円を請求する裁判を起こした。俗にいう反スラップ訴訟である。この裁判は現在は東京高裁で継続している。
◆診断書の何が問題なのか?
作田医師が交付した家族3人の診断書には、次のような疑問点が浮上している。いずれも将登さんを被告とする最初の裁判が提起されて、1年が過ぎたころに判明した事実である。
■A娘の診断書
作田医師によるA娘に対する診断書交付は、医師法20条に違反していた。医師法20条は、無診察による診断書交付を禁じている。
しかし、作田医師は、A娘を診察していない。元々、面識もない。インターネットによる診察すらも実施していない。他の医師がA娘に交付した診断書や、A妻の話を聞いて、診断書を交付したのである。見ず知らずの「患者」に、診断書を交付したわけだから、明らかな医師法20条違反である。横浜地裁の判決も、この事実を認定している。さらに医師法20条違反は、虚偽文書作成罪・行使罪にも該当する。
■故A夫の診断書
A夫は、係争中に癌で他界した。その故A夫の診断書にも不可解な点がある。作田医師は、診断書に「受動喫煙症」の病名を付したのであるが、A夫は提訴の1年半前までへビースモーカーだった。喫煙歴は、およそ25年間。A夫本人も喫煙者だったことを認めている。もちろん喫煙者が煙草を絶った後に、別の喫煙者の副流煙で体調を崩すことはあるが、作田医師が喫煙歴を帳消しにするのはおかしい。
■A妻の診断書
さらにA妻の診断書に至っては、受動喫煙症の病名を付したうえに、副流煙の発生源を1階に住む「ミュージシャン」と事実摘示している。ミュージシャンとは、改めて言うまでもなく、藤井将登さんのことである。現場を取材して、そのような結論に至ったのではなく、「問診」の中で、本人から聞き取った内容をそのまま記述したか、あるいは勝手な想像で「犯人」を特定したのである。
◆診断書をワープロで作成か?
ちなみにいずれの診断書も、当時、作田医師が外来を開いていた日本赤十字センターの公式のフォーマットで作成されたものではない。また、「受動喫煙症」という病名は、日本禁煙学会が独自に命名したもので、WHOが認定している「病気」ではない。当然、日本でも保険請求の対象になっていない。受動喫煙という現象は、喫煙の現場で起こりうるが、その事と病状を呈することは別である。
さらに、日本禁煙学会の会員で、くらた内科クリニック院長の倉田文秋医師が交付した3人の診断書にも別の問題がある。倉田医師は診断書の交付を一旦断り、家族3人が副流煙裁判を提起するのであれば診断書を交付すると条件を付けた上で、最終的に交付したのである。もちろん、こうして交付された3人の診断書にも、受動喫煙症の病名が付されていた。診断書交付の条件として、訴訟の提起という条件を付けたことで、提訴を煽った可能性もある。
さらに付け加えるならば、日本禁煙学会は、自らのウエブサイトに受動喫煙症を認定するための診断書のひな型まで掲載している。これでは客観的な診断、客観的な医学を奨励しているとはとても思えない。
このように横浜副流煙裁判で使われた診断書は、さまざまな疑問を孕んでいるのだ。
◆禁煙撲滅運動の政策目的で交付された診断書
既に述べたように、横浜地裁は家族3人の訴えを棄却した。原告の主張がなにひとつ認められなかったばかりか、既に述べたように、裁判所は、作田医師による医師法20条違反を認定した。「診断は原告●●を直接診察することなく行われたものであって、医師法20条に違反する」と断罪したのである。
また裁判所は、作田医師らが作成した「受動喫煙症」の診断基準にも言及して判決の中で、診断基準が禁煙撲滅運動を進める上で、副流煙による被害を認定しやすくする方向性で作成されたと事実認定したのである。次の記述である。
【引用】その基準が受動喫煙自体についての客観的証拠がなくとも、患者の申告だけで受動喫煙症と診断してかまわないとしているのは、早期治療に着手するためとか、法的手段をとるための布石とするといった一種の政策目的によるものと認められる。
判決は、実質的に作田医師らによる喫煙撲滅運動を厳しく断罪したのである。当然、提訴の根拠となった診断書そのものが信用できないしろものということになる。
◆診断書の在り方を世に問う裁判
ある意味で、横浜副流煙裁判は、喫煙撲滅運動と医師が結託した不正な診断書をめぐる事件なのである。それが最高潮に達して、4518万円の高額な金銭を請求する裁判に至ったのだ。法廷に立たされた藤井将登さんと家族が怒り心頭に達したのはいうまでもない。
繰り返しになるが、東京高裁で判決が確定した後、藤井将登さんと妻の敦子さんは、原告家族3人と作田医師を逆に提訴した。しかし、横浜地裁は、喫煙撲滅運動や作田医師が交付した診断書の問題に踏み込むことなく、藤井さん夫妻の訴えを棄却した。診断書は医師が交付したものであるから信頼性が高いという先入観で判断を下したように見受けられる。
藤井さん夫妻は判決を不服として東京高裁へ控訴した。高裁が喫煙撲滅運動に連動した診断書の件にどこまで踏み込むのかが、今後の着目点である。ある意味では、診断書の在り方を世に問う裁判にほかならない。診断書の交付を依頼する患者も、それを引き受ける医師も、避けては通れない問題を孕んでいるのである。