【YouTube】読売新聞社の「押し紙」を認定した真村訴訟、読売代理人として喜田村洋一弁護士も登場

007年12月、読売新聞の「押し紙」を認定した判決が最高裁で確定した。この裁判は、新聞販売店が地位保全を求めて起こしたもので、販売店の残紙が「押し紙」か否かが争われた。裁判所は、残紙を「押し紙」と認定。その後、雑誌による「押し紙」報道が本格化するが、読売は、裁判提起により反撃した。読売裁判には、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士が、延々とかかわってきた。喜田村弁護士は、読売に「押し紙」は、一部も存在しないと主張してきた。
【書評】喜田村洋一の『報道しないメディア』、著者の思想の整合性に疑問

『報道しないメディア』(喜田村洋一著、岩波書店)は、英国BBCが点火したジャニー喜多川による性加害問題の背景を探った論考である。著者の喜田村氏は、弁護士で自由人権協会の代表理事の座にある。メディア問題への洞察が深く、出版関係者や大学の研究者からありがたがられる存在だ。
その喜田村弁護士が著した本書は、ジャニーズ問題がほとんど報じられなかった背景に、報道すれば返り血を浴びる構図があったと結論づけている。喜田村氏は、ジャニーズ問題を報じてきたマスコミが『週刊文春』と『週刊現代』の2媒体だけであった事実を指摘した上で、次のように述べている。
ジャニー喜多川氏の性加害だけでなく、マスメディアにジャニーズ事務所の気に入らない記事が掲載されたりすれば、ジャニーズ事務所は、当該メディアを出入り差し止めにしたり、そのメディアの発行会社の雑誌全部にジャニーズ事務所の所属タレントを出演させなかったり、さらにはそのメディアの上層部に直接不満を言いつけるということをやっていた。
報道に踏み切ることで、不利益を被る構図が存在したという説である。改めて言うまでもなく、そのような構図を構築したのは、報道対象であるジャニーズ事務所の側である。
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ワイセツ行為がらみの事件の裏付けを取る作業はそう簡単ではない。ジャニー喜多川から提訴された『週刊文春』の代理人を務めた喜田村弁護士は、法廷でそれを立証するための着目点として、被害の「訴えが10年以上も続けられている」点を上げている。「そんな告発が続けられるのは何か理由があるはずだ。私は、ジャニー喜多川に対する反対尋問で、この点を衝くことを決めた」という。
告発の数量と連続性という観点から言えば、ジャニー喜多川の事件の性質は、やはりほとんど報道されない「押し紙」問題の性質とも重なる。後者は、1960年代から内部告発が始まり、半世紀以上も告発が続いている。現在も、毎日新聞社に対する「押し紙」裁判が大阪地裁で進行している。時代をさかのぼり、今世紀に入るころには、福岡地裁・高裁で読売新聞社に対する「押し紙」裁判が多発した。
後述するように『週刊新潮』も法廷に立たされた。これら一連の裁判における新聞人の主張は、「押し紙」は歴史的に見ても、一部たりとも存在しないというものである。とりわけ読売のK弁護士は、この点を宮本友丘専務(当時)に尋問の場でも証言させた事実もある。一貫して、「押し紙」行為の存在と連続性を否定してきたのである。
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筆者(黒薮)にとって、『報道しないメディア』は、「押し紙」問題や関係者の倫理観を考える上で参考になる。
なぜ、新聞業界の内部で公然の事実となってきた「押し紙」問題が、ほとんど報道されないのか? 答えは、本書で喜田村弁護士がジャニーズ問題を例に指摘した構図にある。「押し紙」行為を検証すれば、その連続性が明確であるにも関わらず、それを報じれば、マスコミが大変な不利益を被るリスクがあるからだ。その構図を構築したのも、ジャニー喜多川のケースと同様に報道対象にされる側である。つまり新聞社にほかならない。
具体的な不利益の中味については、たとえば自社の出版物の書評が新聞紙面から締め出されるリスクである。日本の新聞社が大量の「押し紙」を隠しているとはいえ、それにもかかわらず相対的に見れば部数は多く、書評の宣伝効果は高い。
新聞研究者やジャーナリストが「押し紙」にタッチしない点について言えば、新聞社問題の核心にふれると新聞紙上で自分の意見を表明する場を失うリスクが高くなるからだ。
しかし、誰もが最も恐れているのは、恐らく「押し紙」報道に対する高額訴訟である。読売による提訴件数は推論ではなく、具体的な事実が裁判記録として残っている。その記録は、今後も消えることはない。
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意外に知られていないが、実はマスコミが「押し紙」を大々的に報道した時期が一度だけある。それは2008年ごろである。
その発端は、福岡県の元販売店主が起こした地位保全裁判で、福岡高裁が、読売の「押し紙」行為を認定したことである。これが2007年12月で、その後、「押し紙」報道が本格化するのである。
司法が新聞社の「押し紙」行為を認定したのは初めてだった。本題からはそれるが、参考までに判決文から、「押し紙」を認定した箇所を紹介しておこう。
販売部数にこだわるのは一審被告(黒薮注:読売のこと)も例外ではなく、一審被告は極端に減紙を嫌う。一審被告は、発行部数の増加を図るために、新聞販売店に対して、増紙が実現するよう営業活動に励むことを強く求め、その一環として毎年増紙目標を定め、その達成を新聞販売店に求めている。このため、『目標達成は全YCの責務である。』『増やした者にのみ栄冠があり、減紙をした者は理由の如何を問わず敗残兵である、増紙こそ正義である。』などと記した文章(甲64)を配布し、定期的に販売会議を開いて、増紙のための努力を求めている。
米満部長ら一審被告関係者は、一審被告の新聞販売店で構成する読売会において、『読売新聞販売店には増紙という言葉はあっても、減紙という言葉はない。』とも述べている。
この福岡高裁判決の後、マスコミは「押し紙」問題を取り上げ始めた。『週刊ダイヤモンド』や『SAPIO』などが、新聞社特集を組み、その中で「押し紙」問題に言及するようになった。他のメディアも追随した。
しかし、同時に、読売による裁判攻勢が始まったのである。読売が裁判を連発して、言論機関が言論に対する審判を裁判所に委ねる異常な事態になったのだ。読売は、まず、最初に筆者に対して、2件の裁判を起こしてきた。メディア黒書に対する攻撃である。さらに『週刊新潮』が「押し紙」問題を連載すると、筆者と新潮社に対して約5500万円を請求する名誉毀損裁判を仕掛けてきた。この時点で、筆者に対する請求額は総額で約8000万円に膨れ上がった。3件の裁判の被告になった。
裁判を起こしていた元店主が、読売から「反訴」される事態も起きた。反訴で敗訴した元店主が、読売のK弁護士らによる法手続きにより、自宅を差し押さえられたこともある。提訴による委縮効果は計り知れない。
こうした状況の下で、極めて少数の例外を除いて、マスコミによる「押し紙」報道は沈黙したのである。喜田村弁護士が解析したジャニーズ問題の報道と同じ構図が、「押し紙」問題の報道でも表れたのである。
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幸いにジャニーズ問題の方はBBCの報道により、一応の解決を見た。しかし、「押し紙」問題は、解決の目途が立っていない。筆者の試算では、35年で少なくとも32兆6200万円の不正な資金が新聞社に流れ込んでいる。全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、統一教会の霊感商法による被害額が35年間で1237億円であるから、比較にならない状況が生まれているのである。
ところで読者は、読売から委託を受けて、「押し紙」報道を抑制してきたK弁護士の実名をご存じだろうか?それは、『報道しないメディア』を著した喜田村洋一弁護士なのである。喜田村弁護士は、一方ではジャニーズ事務所を批判し、もう一方では読売新聞社を擁護する。著者の思想の方向性が、筆者には分からない。
【参考記事】読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由
【参考記事】国策としての「押し紙」問題の放置と黙認、毎日新聞の内部資料「発証数の推移」から不正な販売収入を試算、年間で259億円に
読売「押し紙」裁判、喜田村洋一(自由人権協会代表理事)らが勝訴判決の閲覧制限を申し立て、大阪高裁は3日付けで閲覧制限を認める

読売新聞「押し紙」裁判の続報である。読売の代理人を務める自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士らが、大阪高裁判決(読売勝訴)の閲覧制限を大阪高裁に申し立てていたことが分かった。
これを受けて、読売勝訴の判決を執筆した大阪高裁の長谷部幸弥裁判長が、3日付けで、早々とそれを認める決定を下した。
閲覧制限が認められた記述の中には、読売の残紙の実態を摘示する箇所も含まれている。
読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件①、その後の経緯と自由人権協会代表理事・喜田村弁護士への疑問

読売新聞の「押し紙」裁判(大阪地裁、濱中裁判、読売の勝訴)の判決文に対して、読売新聞が閲覧制限を申し立てた件について、その後の経過を手短に説明しておこう。既報したように発端は、メディア黒書に掲載した『読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開』と題する記事である。この記事は、文字通り読売「押し紙」裁判についてのわたしなりの解説である。
この記事の中で、わたしは判決全文を公開した。ところがこれに対して読売(大阪本社)の神原康行法務部長から、書面で判決文の削除を要求された。理由は、読売が判決文の閲覧を制限するように裁判所に申し立てているからというものだった。法律上、閲覧制限の申し立てがなされた場合、裁判所が判決を下すまでは、当該の文書や記述を公開できない。神原部長の主張には一応道理があるので、わたしはメディア黒書から判決文を削除した。
※ただし、ジャーナリズムの観点からは、はやり公開を認めるべきだと思う。「押し紙」という根深い問題を公の場で議論する上で大事な資料になるからだ。
ここまでは既報した通りである。その後、裁判所は読売の申し立てを認めた。法律を優先すれば、判決文は公開できないことになる。しかし、裁判所が判決文全文の閲覧を制限したのか、それとも読売にとって不都合な記述だけに限定して閲覧を制限したのかは不明だ。そこでわたしは、読売の神原部長に対して、判決文全文の非公開を希望しているのか、それとも部分的な記述だけに限定した非公開を希望しているのかを問い合わせた。
現在、その回答を待っている段階だ。
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この閲覧制限の手続きを行ったのは、喜田村洋一弁護士ら6人の弁護士である。喜田村弁護士は、日本を代表する人権擁護団体である自由人権協会の代表理事を務めている。古くから読売の代理人として働いてきた人で、読売の販売店訴訟を処理するために福岡地裁へも頻繁に足を運んでいた。元店主に対して家屋の差し押さえの手続きなどを行ったこともある。
読売は喜田村弁護士を代理人に立て、わたしに対しても2008年から1年半の間に3件の裁判を起こしている。請求額は、約8000万円。(このうちの1件は、新潮社とわたしの両方が被告)。
3件のうち最初の裁判は、わたしが読売の法務室長から受け取った催告書(ある文書の削除を求める内容)を、わたしがメディア黒書で公開したことである。法務室長が書いた催告書をわたしが無断で公開したというのがその建前だった。法務室長は、催告書の著作権人格権が自分に属していることを根拠として裁判を起こしたのだ。
ところが裁判の中で、この催告書は法務室長名義になっているものの、実際の執筆者は喜田村弁護士である高い可能性が判明した。著作権人格権は他人の譲渡することはできない。つまり法務室長には、著作権人格権を根拠として裁判を起こす資格がなかったことが判明したのだ。当然、読売の法務室長は門前払いのかたちで敗訴した。
催告書の執筆者である喜田村弁護士は、法務法務室長による提訴が成立しないことを知りながら、訴状を作成し、この裁判の代理人として働いたのである。
この裁判の判例は、裁判提起により「押し紙」報道の弾圧を試みて失敗した例と、わたしは考えている。参考までの判決(知財高裁)の全文を紹介しておこう。
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さて「押し紙」問題はすでに周知の事実になっている。「押し紙」とは何かという定義の議論は決着しておらず、それゆえに「押し紙」裁判が複雑化しているわけだが、俗にいう残紙が大量に発生している事実だけは否定できなくなっている。
実際、濱中裁判でも大量の残紙があった事自体は認定されている。濱中さんが敗訴したとはいえ、一時期に限定して読売による独禁法違反も認定された。
残紙の責任が販売店にあるにしろ、新聞社にあるにしろ残紙が発生していることは、紛れのない事実なのである。
これは読売に限ったことではなく、日本の新聞社に共通した暗部である。それが生み出している利益を試算すると驚異的な数字が浮かび上がってくる。
日本全国で印刷される一般日刊紙の朝刊発行部数は、2021年度の日本新聞協会による統計によると、2590万部である。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」と想定し、新聞1部の卸卸価格を1500円(月額)と仮定する。この場合、「押し紙」による被害額は77億7000万円(月額)になる。この金額を1年に換算すると、約932億円になる。
旧統一教会による被害額が35年間で1237億円であるから、この金額と「押し紙」による被害額を比較するためには、1年間の「押し紙」による被害額932億円を35倍(35年分)すれば、その金額が明らかになる。結論を言えば、32兆6200億円である。
この莫大な金額に公権力機関が着目すれば、メディアコントロールが可能になる。公権力機関は、「押し紙」政策の取り締まりを控えさえすれば、暗黙のうちに新聞社を配下に置くことができる構図になっている。それにゆえに「押し紙」問題は、ジャーナリズムの根幹にかかわる問題なのである。単に商取引の実態だけを問題としているのではない。
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何人もの販売店主とその家族が、「押し紙」により人生を無茶苦茶にされてきた。喜田村弁護士は、そのことを想像してみるべきではないか。自由と人権の旗をかかげるのであれば、プライバシーに配慮した上で判決文を公開して、「押し紙」問題を議論する方向で動くべきではないか。それが多くのメディア企業がかかわっているこの問題を解決するための道筋である。
読売・大門駅前店の「押し紙」裁判、19日に大阪地裁で尋問、喜田村洋一・自由人権協会代表理事が出廷か?

読売新聞・大門駅前店の元店主が2018年8月に約4100万円(後に約1億2500万円に増額)の損害賠償を求めた「押し紙」裁判の尋問が、1月19日に大阪地裁で開かれる。スケジュールは次の通りである。
日時:2023年1月19日、午前10時~夕方
場所:大阪地裁1007号法廷(本館の10階)
証人:原告本人と被告会社の販売局員
だれでも傍聴できる。
注目すべき点は、裁判所が「押し紙」の定義をどう判断するのかと裁判所の指示に従って読売が提出した文書類の評価である。また、原告が「押し紙」の受け入れを断ったことを裏付けるショートメールが裁判所に提出されており、これをどう評価するかも注目される。
読売の代理人弁護士として喜田村洋一・自由人権協会代表理事が出廷する可能性が高い。
「押し紙」裁判は、このところ新聞社側(産経、読売、日経)が3連勝しているが、新聞離れが急激に進み、「押し紙」が販売店の大きな負担になっている状況の下で、裁判所が判断を変更する可能性もある。春には判決がでる見込みだ。
裁判所が「押し紙」の定義の明確化を求める、読売の代理人は喜田村洋一・自由人権協会代表理事、残紙率50%の読売・濱中裁判の第1回口頭弁論

読売新聞・YC門前駅前店の元店主・濱中勇志さんが8月に、読売新聞大阪本社に対して起こした「押し紙」裁判の第1回口頭弁論が、10月22日の午後、大阪地裁で開かれた。
原告の訴状、それに対する被告・読売新聞の答弁書の提出を確認した後、池上尚子裁判長は原告に対して、「押し紙」の定義をより具体的に示すように求めた。これは読売側が、答弁書の中で釈明を求めている事柄でもある。
今後の裁判の進行については、口頭弁論(公開)の形式で行われることになった。
「押し紙」裁判は、これまで弁論準備(非公開)のかたちで行われることがよくあったが、マスコミが注目している裁判なので公開での審理を希望すると原告が表明したのを受けて、読売もそれに同意した。
読売の代理人は、喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら5人の弁護士が務める。喜田村弁護士は、かねてから読売には「押し紙」は1部も存在しないと主張してきた経緯がある。読売新聞も日本新聞協会も同じ見解である。
読売は、濱中裁判でも基本的に同じ主張を展開する可能性が高い。
原告の代理人は、江上武幸弁護士ら6人が務める。江上弁護士は、「押し紙」を水面下の問題から、表舞台に出した2度に渡る真村裁判の弁護団長を務めた。第1次訴訟では、福岡高裁が、読売による「押し紙」政策を認定(2007年)した経緯がある。この判決を受けて、『週刊ダイヤモンド』などの雑誌が次々と「押し紙」問題を提起した。
しかし、読売が『週刊新潮』とわたしに対して名誉毀損裁判を起こしたあと、「押し紙」報道は下火になった。
第2回の口頭弁論は12月17日の11:45分から行われる。
◆読売の「求釈明」
読売は答弁書の「求釈明」の節で中で、「押し紙」の定義と具体的な「押し紙」の証拠を示すように釈明を求めている。次のくだりである。
原告の主張する「必要部数」、「押し紙」、「仕入れ単価」などの根拠及びその証拠を示すよう(黒薮注:原告に)求めるとともに、被告が上記①(黒薮注:下記参考)ないし③の行為(黒薮注:下記参考)を行ったことについて、だれが、いつ、どこで、なにを、どのように行ったのかという詳細についての具体的な主張及び証拠を示すように求める」
①と②は以下と通りである。
①原告がその経営上真に必要であるとして実際に販売している部数にいわゆる予備紙等(被告代理人註:この「予備紙等」との表現の「等」に何が含まれているのかは不明である。)を加えた部数(必要部数)を超えて供給する方法(注文部数超過行為)
③2280部という定数を定めて当該部数を仕入れるように指示する方法(注文部数指示行為)
【「押し紙」裁判の解説】
従来の「押し紙」は、今年の5月に販売店勝訴の判決が下りた佐賀地裁のケースを除いて、販売店で残紙になってた部数が、「押し紙」なのか、それとも「積み紙」なのかが最大の争点になってきた。
「押し紙」というは、簡単に言えば、新聞社が押し売りした部数のことである。これに対して「積み紙」というのは、販売店がみずから注文した部数のことである。販売店がみずから過剰な部数を注文する場合がある背景には、新聞の搬入部数に対して折込広告の搬入枚数が決まる基本原則があることや、残紙を含む搬入部数に対して新聞社が補助金の額を決めるなどの事情がある。
しかし、最近は広告主が自主的に折込広告の発注部数を減らすことが多く、「新聞の搬入部数=折込広告の搬入部数」の原則が崩れているというのが、常識的な見方である。PR手段が多様化する中で、折込広告の需要は大幅に下落している。
ただし、地方自治体の広報紙については、この不正な商慣行が依然として維持されている。
「押し紙」の定義は、裁判所が残紙の性質を判断するための前提条件になる。過去の判例では、残紙の性質が「押し紙」なのか、それとも「積み紙」なのかの判断で、判決の明暗も分かれてきた。残紙の存在は認定するが、その中身は「積み紙」と判断した判例が多い。
しかし、2010年ごろから、残紙の性質を「押し紙」と認定した上で、販売店が和解勝訴するケースが増えている。
佐賀新聞の「押し紙」裁判では、裁判所は、新聞の実配部数に予備紙を加えたものを新聞販売店が真に必要な部数とした上で、それを超える部数は理由のいかんを問わず、「押し紙」と認定した。残紙は、「積み紙」ではないと判断したのだ。
「押し紙」の定義を明らかにして、それを前提に残紙の性質を検証しようというのが、これまでの裁判の共通した争点である。「押し紙」裁判は、販売店が損害賠償を求める裁判であるから、損害の有無の検証は当然である。
しかし、ジャーナリズムの視点からすると、それ以前の問題がある。残紙の性質が「押し紙」であろうが、「積み紙」であろうが、大量の残紙そのものが社会通念からして、公共の秩序を乱しているとする視点である。濱中裁判のケースでは、搬入されていた新聞の約50%が残紙になっていた。なぜ、このようなビジネスモデルが放置されきたのか?
新聞のビジネスモデルそのものが公序良俗違反に該当する可能性が高い。公序良俗違反について、民法90条は、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする」と明記している。
原告は、裁判の中で公序良俗違反を主張するものと見られる。
この裁判を通じて、日本の新聞社のビジネスモデルを考える必要があるだろう。
【資料】
カルロス・ゴーンとグレッグ・ケリーの代理人を務める自由人権協会の2人の弁護士、弘中惇一郎と喜田村洋一 、過去には武富士や読売の代理人
日産自動車のカルロス・ゴーン会長とグレッグ・ケリー代表取締役が逮捕されてのち、2人の著名な弁護士が登場した。弘中惇一郎弁護士と喜田村洋一弁護士である。
二人には、薬害エイズ事件の安部英被告の代理人を務めて無罪を勝ち取った経歴がある。ロス疑惑事件では、三浦和義被告を無罪にした。
弘中弁護士について言えば、サラ金の武富士の代理人を務めて、フリーランスライターや出版社を攻撃し続けた経歴がある。一方、喜田村弁護士は、読売新聞の代理人を務め、「『押し紙』は1部も存在しない」と主張してきた。もともと提訴の資格を欠くにもかかわらず、書類(催告書)の名義を偽って、裁判を起こした事実もある。
両人とも人権擁護団体、自由人権協会の重鎮である。喜田村氏は、現在の代表理事で、弘中氏も過去に代表理事を務めたことがある。【続きはウェブマガジン】
自由人権協会代表理事の喜田村弁護士らが起こした2件目の裁判、「窃盗」という表現をめぐる攻防③

喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)らが、催告書の名義を「江崎」に偽って著作権裁判を起こしたのは、2008年2月25日だった。その2週間後の3月11日に、喜田村氏らは黒薮に対して2件目の裁判を起こした。メディア黒書の記事が読売と江崎氏ら3人の読売社員の名誉を毀損したとして、2200万円を請求してきたのである。このなかには喜田村氏が受け取る予定の弁護士費用200万円が含まれていた。
訴因は、メディア黒書の記事だった。この年の3月1日に、読売の江崎氏らは、久留米市のYC久留米文化センター前店を、事前の連絡もなく訪店して、対応にでた店主に対し同店との取引中止を宣告した。強制改廃である。その直後に、読売ISの社員が店内にあった折込広告(翌日に配布予定だった)を搬出した。
久留米の別の店主から連絡を受けたわたしは、メディア黒書で速報記事を流した。その記事の中で、折込広告の搬出を「窃盗」と表現した。
◇2200万円の「お金」を要求
喜田村弁護士らは、この「窃盗」に注目して、名誉毀損裁判を起こしたのである。読売関係者は、店主の承諾を得て折込広告を搬出しており、記事は事実とは異なる、それにもかかわらず「窃盗」という事実を摘示したので、名誉毀損に該当するという論法であった。
裁判の舞台は、わたしの地元であるさいたま地裁だった。福岡の江上武幸弁護士ら弁護団が、著作権裁判と同様にこの裁判も無償で支援してくれたので、わたしは弁護士料はもとより、福岡からの交通費も、コピー代も一切負担しなかった。訴訟が原因で文筆業を廃業に追い込まれることもなかった。とはいえ裁判にはかなりの時間を割かれた。海外取材も中止に追い込まれた。
幸いにさいたま地裁は、読売の訴えを棄却した。折込広告の搬出行為は、複数の人の面前で行われており、「窃盗」と表現していても、そのようには解釈されないので、名誉を毀損したことにはならない、などと判断したのである。ただ、「窃盗」という言葉は軽率な表現だという指摘もあった。
ちなみに裁判では争点にはならなかったが、わたしは文章の解釈は、部分的な表現についての評価をするだけではなく、文章全体の意図を把握した上で評価すべきだと考えている。「窃盗」という言葉だけを切り離すと、確かに「他人の所有物を無断で持ち出す」というニュアンスがあるが、日本語のレトリックという観点からすると、隠喩(いんゆ)表現にすぎない。
たとえば、「あの監督は鬼だ」、とか「この国は闇だ」といった表現方法である。この場合、前者は、「あの監督は鬼のように恐い」の意味で、「鬼」という事実を摘示しているわけではない。後者は「この国は闇のように不可解だ」の意味である。これも事実の摘示ではない。わたしは、読売関係者による折込広告の搬出行為を、「窃盗とかわらないほど悪質な持ち去り行為」の意味で使ったのである。
それというのも江崎氏らがいきなり販売店に足を運び、突然に店主に対して強制改廃を宣言し、頭部を鈍器で強打したような強い精神的衝撃を与えた上で、折込広告を搬出したと推測されたからだ。前ぶれもなく家業を奪われた瞬間、当事者には正常な判断力はないというのが、わたしの推測だ。頭は真っ白だったに違いない。
こうした事情を考慮せずに、喜田村弁護士らは、「窃盗」という言葉を捉え、名誉毀損だとして2200万円のお金を支払うように求めてきたのである。キャッシュで払ってほしいのか、銀行振り込みかは不明だが、とにかく高額な金銭を求めてきたのである。
◇天下りの集まり-TMI総合法律事務所
さいたま地裁での敗訴が原因かどうかは不明だが、喜田村弁護士は代理人を辞した。それに代わって読売の代理人になったのは、TMI総合法律事務所のメンバーだった。この法律事務所は、元最高裁判事をはじめ司法関係者の「天下り」を多数受け入れており、裁判の公平性と職業倫理いう観点からすると、問題が多い事務所である。メディア企業・読売がこうした法律事務所に仕事を依頼したことにわたしは驚いた。
しかし、控訴審でも読売は敗訴した。この時点でわたしは、勝訴判決が確定すると思った。最高裁が口頭弁論を開いて、判決の見直しを下級裁判所に指示することは、めったにないからだ。とはいえ心の片隅では不安もあった。なぜか読売が裁判にめっぽう強いからだ。
不安は的中して、最高裁でこの事件の口頭弁論が開かれることになった。わたしの周辺の人々は驚きを隠さなかった。最高裁は、判決を東京高裁へ差し戻した。そして東京高裁の加藤新太郎裁判長が、わたしに110万円の金銭支払いを命じたのである。しかし、このお金も、寄付ですぐに集まった。
加藤判事はその後、勲章を貰って退官。大手弁護士事務所・アンダーソン・毛利・友常法律事務所に顧問として再就職した。
なお、加藤判事が読売新聞に繰り返し登場していたことが、後に判明する。次の記事である。
■読売に登場していた加藤新太郎氏
加藤氏は、読売裁判にはかかわるべきではなかっただろう。
著作権裁判、名誉毀損裁判と喜田村氏らの裁判攻勢は続いたが、最高裁が口答弁論を開くまでは、福岡の弁護団にはまったく歯が立たなかったのである。
真村訴訟でも、やはり敗訴を続けていた。少なくとも10連敗はしている。
その後、さらに2009年7月、読売は黒薮に対して3件目の裁判を起こすことになる。そこで再び現れたのが喜田村弁護士だった。その他に、読売の代理人として藤原家康という名前も訴状にあった。両者とも自由人権協会の関係者である。
自由人権協会とは、何者なのか、わたしは暗い好奇心を刺激されるようになったのである。
喜田村弁護士に対する懲戒請求、第2東京弁護士会の秋山清人弁護士が書いた議決書の誤り②

■ 本稿の前編
喜田村洋一弁護士(自由人権協会)らが起こした黒薮に対する著作権裁判は、すでに述べたように、検証対象になった催告書に著作物性があるかどうかという著作権裁判の肝心な判断以前に、喜田村氏らが催告書の名義を偽って提訴していたとの判断に基づいて、棄却された。
念のために、喜田村氏らが著作物だと主張した文書と、それを削除するように求めた催告書を再掲載しておこう。2つの文書を並べるといかにデタラメかが判然とする。
【喜田村氏らが著作物だと主張した回答書】
前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。
【メディア黒書から回答書を削除するように求めた催告書】
冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。
しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。 貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。
そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。
貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。
なお、誤解を避けるためにあえて念を押しておくが、喜田村氏らが著作権裁判で削除を求めたのは、後者、つまり催告書の方である。催告書が読売・江崎法務室長の著作物であるから、著作者人格権に基ずいて、メディア黒書から削除するように求めたのである。しかし、東京地裁は著作物性の判断をする以前の問題として、喜田村氏らが催告書の名義を「江崎」と偽って、提訴していたとして、訴えを退けたのである。そもそも訴権などなかったのだ。
ただ、東京地裁は、参考までに、催告書に著作物性があるか否かの判断を示している。そして著作物性はないと判断した。
◇第2東京弁護士会の判断の誤り
さて、喜田村氏らが、提訴権がないのに、催告書の名義を偽ってまで裁判を提起した行為を、どう評価すべきなのだろうか。わたしは司法制度を悪用した悪質な言論妨害と判断して、喜田村氏が所属する第2東京弁護士会に対して、喜田村氏の懲戒を申し立てた。しかし、2年半後に申し立ては棄却された。議決書を書いたのは、秋山清人弁護士である。
決定書を再読してみると、論理の破綻が随所に見受けられるが、そのうち「除斥期間」に関する記述について意見を述べよう。
秋山弁護士は、わたしが期限内(3年)に申し立てを行わなかったから、棄却が妥当だとしているのだが、これは誤っている。
わたしが第2東京弁護士会に懲戒請求を申し立てたのは、2011年1月31日である。一方、江崎法務室長が、問題の催告書を送付したのは、2007年の12月21日である。従って、確かに催告書送付を起点として計算すると3年が過ぎており、審理の対象外になるとも考えうる。
しかし、わたしが懲戒請求の根拠としたのは、弁護士職務基本規定の第75条である。
弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。
喜田村弁護士は、江崎氏が催告書を送付したのを受けて、東京地裁や知財高裁での裁判期間を通じて、「虚偽」の事実を知りながら、裁判所に次々と書面を提出し続けたのである。わたしはこの行為を問題にしているのである。
そして最高裁の判決が確定したのは、2010年である。懲戒請求に踏み切る前年である。この時点で、喜田村弁護士らによる裁判が、虚偽の事実を前提にしていたことが公式に認定され、懲戒請求の要件が整ったのである。
と、すれば懲戒請求の前提となった事実の起点は、判決の確定日である。起点をわざわざ2007年12月21日までさかのぼる理由はないはずだ。それは喜田村氏を救済するための措置だったとしか考えられない。。
このあたりの事情について、秋山弁護士はどのように考えたのだろうか。
第2東京弁護士会の議決を日弁連も追認した。つまり名義を偽って裁判を起こしても、なんら問題ないと判断したのである。これは司法制度に対する軽視にほかならない。自殺行為だ。秋山氏は、軽々しく重要文書を執筆すべきではなかった。文書は記録として残るからだ。当然、今後も検証対象になる。
事件の発生から10年が過ぎ、現役だった関係者の中には、これから定年退職を迎える人々もいるだろう。従って新しい真相究明の道が開けそうだ。
新聞崩壊の時代、検証は11年目に入る。
※決定書の全文は、PDF作業が終わり次第に公開します
喜田村洋一弁護士らによる著作権裁判提起から10年、問題文書の名義を偽って黒薮を提訴、日弁連はおとがめなし①

10年前の2007年12月21日、わたしはメディア黒書(当時は新聞販売黒書)に、一通の催告書を掲載した。読売(西部本社)の江崎徹志法務室長から、わたしに宛てた催告書である。
この催告書は「江崎」の名前で作成されているが、後になって、実は喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)が作成していた高い可能性が、東京地裁と知財高裁で認定される。つまり名義を偽った文書だったのである。それがどのような意味を持つのかを説明する前に、まず、事件の全体像を紹介しておこう。
◇公募で新聞販売店主に
事件の発端は、2001年にまでさかのぼる。YC広川を経営していた真村久三氏と読売の係争が前段としてあった。
真村氏は、もともと自動車教習所の教官として働いてきたが、40歳で新聞販売店の経営を始めた。読売が販売店主を公募していることを知り、転職に踏み切ったのである。脱サラして自分で事業を展開してみたいというのが、真村氏のかねてからの希望だった。
幸いに真村氏は店主に採用され、研修を受けたあと、1990年11月からYC広川の経営に乗りだした。ところがそれから約10年後、読売新聞社との係争に巻き込まれる。
その引き金となったのは読売新聞社が打ち出した販売網再編の方針だった。真
村氏は、YC広川の営業区域の一部を隣接するYCへ譲渡する提案を持ちかけられた。しかし、YC広川の営業区域はもともと小さかったので、真村氏はこの提案を受け入れる気にはならなかった。それに自助努力で開業時よりも、読者を大幅に増やしていた事情もあった。
読売の提案を聞いたとき真村氏は、自分で開墾した畑を奪い取られるような危機を感じたのだ。
当然、真村氏は読売の提案を断った。これに対して読売は、真村氏との取引契約を終了する旨を通告した。その結果、裁判に発展したのだ。これが真村訴訟と呼ばれる有名な訴訟の発端だった。
しかし、係争が勃発したころは、単に福岡県の一地方の小さな係争に過ぎなかったのだ。真村氏の代理人・江上武幸弁護士も、読売の実態をあまり知らなかったし、後にこの判決が「押し紙」問題の有名な判例になるとは予想もしていなかった。
真村事件の経緯は膨大なので、ここでは省略するが、結論だけを言えば、裁判は真村氏の勝訴だった。喜田村弁護士が東京からやってきて加勢したが及ばなかった。判決は、2007年12月に最高裁で確定した。
◇真村訴訟
わたしが読売との係争に巻き込まれたのは、真村訴訟の判決が最高裁で確定する数日前だった。真村氏が福岡高裁で勝訴したころから、YC店主が次々と江上弁護士に「押し紙」(残紙)の相談を持ちかけるようになっていたのだが、こうした状況下で、読売も方針を転換したのか、それまで「死に店扱い」にしていたYC広川への訪店を再開することにした。そしてその旨を真村氏に連絡したのである。

しかし、読売に対して不信感を募らせていた真村氏は即答を控え、念のために江上弁護士に相談した。訪店再開が何を意味するのか確認したかったのだ。江上弁護士は、読売の真意を確認するための内容証明郵便を送付した。これに対して、読売の江崎法務室長は、次の書面を送付した。
前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。
◇回答書に続いて催告書を公表
わたしは、メディア黒書で係争の新展開を報じ、その裏付けとしてこの回答書を掲載した。何の悪意もなかった。しかし、江崎氏(当時は面識がなかった)はわたしにメールで次の催告書(PDF)を送付してきたのである。
冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。
しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。 貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。
そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。
貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。
◇著作権裁判の開始
当然、わたしはメディア黒書から回答文書を削除することを断った。そして今度は、支離滅裂な内容の催告書を、怪文書としてメディア黒書に掲載したのである。こうして回答書も、その削除を求める催告書もネット上で閲覧が可能になったのだ。
読者は、この催告書を作成したのは、誰だと推測するだろうか?おそらく法律の素人と推測するだろう。ところがそれは喜田村弁護士だったのである。少なくとも東京地裁と知財高裁は、後にそういう判断を下すことになる。
さて、回答書が著作物だと強弁する催告書が、ネット上で公になったとすれば、催告書の名義が江崎法務室長になっていることもあり、読売の法務関係者の見識が嘲笑の的になりかねない。それが理由かどうかは不明だが、読売の江崎氏は催告書の削除を求めて、仮処分を申し立てた。喜田村弁護士の名前で、仮処分申立書を東京地裁へ提出したのである。
申立書の内容は、催告書の著作者は江崎氏なので、メディア黒書から催告書を削除するように求めたものだった。東京地裁は、江崎氏の仮処分申し立てを認めた。この命令に納得できなかったわたしは、本裁判を希望した。こうして2008年2月、東京地裁を舞台にして、わたしと江崎氏との著作権裁判が始まったのである。
◇催告書の作成者は喜田村弁護士だった
ところがこの裁判の途中で、前代未聞の疑惑が浮上する。催告書の著作権者は本当に江崎氏なのかという疑惑だった。「たとえ代筆にしろ問題はない」と考える読者も多いかも知れないが、法的に見ればそうではない。江崎氏らは、著作者人格権を根拠に裁判を起こしたからだ。
著作権法は著作者人格権と著作者財産権の2つの権利を保障している。このうち他人に譲渡できる権利は、著作者財産権である。これに対して、作品を公表する権利などを保障した著作者人格権の方は、著作者だけが持っている権利で、譲渡したり、相続したりすることはできない。一身専属権なのである。
既に述べたように江崎氏らは、催告書の作者が江崎氏であり、著作者人格権が江
崎氏にあるという理由で、催告書を削除するように求めて裁判を起こしたのである。従って、催告書が喜田村弁護士の代筆であれば、著作者が江崎氏だという虚偽の事実をでっちあげて、わたしを提訴したことになる。
2009年3月、東京地裁で判決が下った。わたしの勝訴だった。判決は地裁から最高裁までわたしの勝訴だった。裁判所は、催告書が著作物かどうかを判断する以前に、催告書を執筆したのは、江崎氏ではなく、喜田村弁護士である高い可能性を認定し、読売を敗訴させたのだ。知財高裁判決から、核心部分を引用しておこう。
上記の事実認定によれば、本件催告書には、読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告の名前が表示されているものの、その実質的な作者(本件催告書が著作物と認められる場合は、著作者)は、原告とは認められず、原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて強い。
つまり催告書の作成者ではない江崎氏は、もともと提訴する権利がないのに、
強引に裁判を起こしたのである。喜田村弁護士も、提訴権がないことを知っていたのに、敢えて代理人を引き受けて、提訴に及んだのである。これが重大な訴権の濫用でないはずがない。こんな事件は、過去に一件もない。
なお、裁判所が喜田村弁護士を代筆者と判断するに至った根拠については判決で述べられているが、たとえば過去にマイニュースジャパンへ送付した喜田村名義の催告書の書式や構成がまったく同じだったことなどが上げられる。やたらに他人に催告書を送付していると、こんな失敗をするのだ。
地裁での勝訴を受けて、わたしの弁護団は、声明を発表した。弁護団は、この事件を「司法制度を利用した言論弾圧」と位置づけている。
判決は次の通りである。
◇弁護士懲戒請求
判決が確定した後、わたしは喜田村弁護士に対して弁護士懲戒請求を申し立てた。懲戒請求の準備書面2を掲載しておこう。事件の性質をコンパクトにまとめている。ただし、申し立ては認められなかった。
読売は、著作権裁判を提起した後、1年半の間に、わたしに対してさらに2件の裁判を提起した。請求総額は、約8000万円となった。(続)
自由人権協会・喜田村洋一代表理事に対する疑問、共謀罪には反対だが、一貫して読売新聞社をサポート、二枚舌の典型

自由人権協会が5月15日付けで共謀罪に反対する声明を出している。声明そのものは、ステレオタイプな内容で特に感想はないが、筆者はある大きな疑問を感じている。
同協会の代表理事を務めている喜田村洋一弁護士が、一貫して読売新聞をサポートしてきた重い事実である。読売新聞は、安倍首相が熟読を勧めた新聞で、改憲論を主導し、共謀罪法案でも旗振り人の役を演じている。公称で約800万部の部数を有し、大きな影響力を持っている。
喜田村氏はその読売新聞をサポートしながら、その一方では共謀罪法案に反対する声明を出しているのだ。
この人物が過去に何をやったのか、筆者は克明に記録してきた。喜田村弁護士が作成した資料(主に裁判関係)も永久保管している。それを基に手短にいくつかの事実を紹介しておこう。
◇2つの真村訴訟
周知のように喜田村弁護士は、ロス疑獄事件の三浦和義被告や薬害エイズ裁判の安倍英被告の代理人弁護人を務めて無罪を勝ち取ったことで有名だ。これらの判決については、様々な意見があるが、弁護士としての職能が優れていることは間違いない。
その職能を生かして読売新聞をサポートしてきたのである。たとえば、福岡県広川町のYC店主が2002年に起こした地位保全裁判-真村訴訟で、読売の代理人を務めた。この裁判は、2007年12月に最高裁で真村店主の勝訴で決着した。
ところがその半年後、読売は別の理由をつけて、一方的に真村店主を解任した。その結果、再び店主は地位保全裁判を提起せざるを得なかったのである。これら一連の動きの中で、喜田村氏が東京から福岡へ何度も出張して、「大活躍」したのである。
この2度目の真村訴訟は仮処分申立てと本訴の2本立てで行われた。最初に判決が出たのは仮処分だった。店主の勝訴だった。裁判所は読売に対して、店主を元の地位に戻すように命令を下した。ところが読売はこの命令に従わなかった。
そのために裁判所は読売に対して、店主へ間接強制金を支払うように命じた。読売はこれには従った。1日に確か3万円だったと記憶している。
しかし、間接強制金の累積が3600円円を超えたころ、本訴で読売が勝訴した。そのために店主は、それまで受け取っていきた間接強制金の返済を求められた。喜田村弁護士らは、確実に返済をさせるために、真村店主の自宅を仮差し押さえたのである。その後、間接強制金の返済を求めて、店主を裁判にかけている。
◇黒薮裁判
真村店主が2度目の地位保全裁判を起こした2008年は、読売が裁判を多発した年である。前年の福岡高裁で同社の「押し紙」政策が認定されており、その影響もあったのではないかと思う。
まず、2月に喜田村氏らは、筆者に対して2件の裁判を起こした。1件は、著作権裁判、もう1件は名誉毀損裁判である。
著作権裁判は筆者の勝訴だった。裁判の中で喜田村弁護士らが、虚偽の事実をでっちあげて裁判を起こしていた高い可能性が認定された。当時の法務室長と共謀したでっち上げだった。
名誉毀損裁判は、地裁、高裁が筆者の勝訴。しかし、最高裁が口頭弁論を開いて、判決を高裁へ差し戻し、高裁の加藤新太郎裁判官が筆者に110万円の支払を命じる判決を下した。その加藤裁判官が、読売新聞の紙面に2度にわたりインタビューで登場していたことが後に判明した。退官後には、勲章をもらい、大手弁護士事務所へ再就職している。
読売は2009年にも筆者に対して裁判を起こした。総括すると、わずか1年半の間に、3件の裁判を起こして、約8000万円を請求したのである。
当然、これら一連の裁判はスラップの典型ではないかという批判が上がった。そのために出版労連が筆者を全面支援してくれた。九州からは、真村訴訟の弁護団が駆けつけて、東京で無償の弁護活動を展開してくれた。
また、筆者は逆に読売に対して、3件の裁判が一連一体の言論弾圧にあたるとして、5500万円の賠償を求める裁判を起こした。喜田村弁護士については、著作権裁判におけるでっち上げを根拠として、弁護士懲戒請求にかけた。しかし、2年半後、日弁連は請求を棄却した。
次の準備書面で事件の本質を的確に指摘している。
◇平山裁判
さらに喜田村弁護士らは、別の事件も起こしている。
筆者が最初の裁判に巻き込まれた時期、「押し紙」を断った久留米市の店主を解任して、地位不存在を確認する裁判を起こした。平山裁判である。
この裁判は店主の平山氏の敗訴で終わった。店主を解任する際、読売は読者調査(新聞の配達先を調べる作業)を行ったのだが、その費用まで店主に請求したのである。
平山氏は裁判の途中で病死された。告別式の出棺時に、中学生の息子さんが肩を小刻みに震わせて泣いていたのが筆者の印象に残っている。裁判の本人尋問の中で、この息子さんが幼少のころ、読売の担当員にからまれている平山氏をみかねて、担当員に「もう帰れ」と怒鳴った証言があった。
その後、裁判は奥さんが引き継がれた。しかし、敗訴して1000万円を超える賠償金を支払わされたのである。
これら一連の読売裁判を担当したのが、喜田村弁護士である。
◇7つの森書館裁判、清武裁判
喜田村弁護士が担当したのは、販売店訴訟だけではない。周知のように、7つの森書館や元読売記者の清武英利氏の裁判でも、読売の代理人を務めている。これらの裁判についても、不当裁判という批判が多い。
犯罪者も含めてすべての人は人権を有しているわけだから、読売を弁護する行為をどう評価するかは難しいが、読売を支援するのであれば、共謀罪に反対する声明など出すべきではない。自由人権協会そのものがまったく訳の分からない団体ということになってしまう。
【写真】喜田村弁護士らが断行した仮差押えの証拠
■真村裁判・黒薮裁判・平山裁判については、拙著『新聞の危機と偽造部数』(花伝社))に詳しい。
読売・喜田村洋一・自由人権協会代表理事らによる口封じ裁判から9年目に、今後も検証は続く

12月21日は、読売新聞社(西部本社)の江崎徹志法務局長がメディア黒書(旧新聞販売黒書)に対して、ある文書の削除を求める仮処分を申し立てた日である。代理人弁護士は、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。2016年の12月21日は対読売裁判が始まって9年目にあたる。
江崎氏の申し立ては、わたしがメディア黒書に掲載した江崎名義の1通の催告書の削除を求めるものだった。しかし、江崎氏は法務室長という立場にあり、実質的には、江崎氏個人ではなく、読売新聞社との係争の始まりである。
事実、その後、読売から3件の裁判、わたしから1件の裁判と弁護士懲戒請求を申し立てる事態となった。
◇真村事件から黒薮裁判へ
この裁判の発端は、福岡県広川町にあるYC広川(読売新聞販売店)と読売の間で起こった改廃(強制廃業)をめぐる事件だった。当時、わたしは真村事件と呼ばれるこの裁判を熱心に取材していた。
係争の経緯については、長くなるので省略するが、2007年の12月に真村氏の勝訴が最高裁で決定した。日本の裁判では、地裁と高裁で連勝すれば、最高裁で判決が覆ることはめったにない。そのために最高裁の判断を待つまでもなく、高裁判決が出た6月ごろから真村氏の勝訴確定は予想されていた。
そのためなのか、読売も真村氏に歩み寄りの姿勢を見せていた。係争になった後、中止していた担当員によるYC広川の訪店を再開する動きがあった。そして江碕氏は、その旨を真村氏に連絡したのである。
しかし、読売に対して不信感を募らせていた真村氏は即答を控え、念のために代理人の江上武幸弁護士に相談した。訪店再開が何を意味するのか確認したかったのだ。江上弁護士は、読売の真意を確かめるために内容証明郵便を送付した。これに対して、読売の江崎法務室長は、次の書面を返信した。
前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。
わたしは、メディア黒書で係争の新展開を報じ、その裏付けとしてこの回答書を掲載した。何の悪意もなかった。むしろ和解に向けた動きを歓迎していた。
しかし、江崎氏(当時は面識がなかった)はわたしにメールで次の催告書(PDF)を送付してきたのである。
冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。
しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。 貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。
そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。
貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。
わたしは削除を断った。先に引用した、
前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。
と、いう回答書は著作物ではないからだ。催告書の形式はともかく、書かれた内容自体はまったくのデタラメだった。著作権法によると、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」。上記の回答書は、著作物ではない。催告書の内容そのものが間違っている。
そこで、今度はこの催告書をメディアで公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権に基づいて、削除するように求めてきたのである。
そして喜田村弁護士を立てて、催告書の削除を求め、仮処分を申し立てたのである。(回答書の削除は求めてこなかった。)
こうして江崎氏名義の催告書が、著作物かどうかが争点となる係争が始まったのだ。書かれた内容の評価とは別に、催告書が著作物かどうかという点に関しては、一応は議論の余地があった。書かれている内容そのものがデタラメであっても、それに著作物性があるかどうかは、別問題である。
結論を先に言えば、仮処分申立は、江崎氏の勝訴だった。催告書が著作物と認めれらたのだ。
判決に不服だったわたしは、本訴に踏み切った。代理人は江上弁護士ら、真村裁判の弁護団が無償で引き受けてくれた。わたしは東京・福岡間の交通費もふくめて、1円の請求も受けなかった。
◇重大な疑惑の浮上
本訴の中で重大な疑惑が浮上した。
既に述べたように、この裁判は、江崎氏が書いたとされる奇妙な内容(例の回答書が著作物であるという内容)の催告書が争点だった。内容が奇妙でも催告書が江崎氏の著作物であると認定されれば、わたしは削除に応じなければならない。
仮処分では負けたわたしだが、裁判の途中から様相が変わってきた。特に江崎本人尋問を機に流れが変わった。
確かに催告書の名義は江崎氏になっているが、催告書は喜田村弁護士が作成したものではないかという疑惑が浮上してきたのだ。
著作者の権利は、著作権法では、「著作者人格権(公表権などが含まれる)」と「著作者財産権」に別れるのだが、前者は他人に譲渡することができない。一身専属権である。
江崎氏は、著作者人格権を根拠に、わたしを提訴したのである。と、なれば江碕氏が催告書の作者であることが、提訴権を行使できる大前提になる。仮に他人が書いたものなら、それはたとえば、わたしが村上春樹氏の作品を自分のものだと偽って、著作者人格権による権利を求める裁判を起こすのと同じ原理である。
催告書の本当の作成者が喜田村弁護士だとすれば、喜田村氏らは催告書の名義を「江碕」偽り、それを前提にして、著作者人格権を主張する裁判を起こしたことになる。
◇東京地裁・知財高裁の判決
東京地裁は、わたしの弁護団の主張を全面的に認めて、江崎氏の訴えを退けた。喜田村洋一弁護士か、彼の事務所スタッフが催告書の本当の作者である可能性が極めて強いと認定したのである。
このあたりの事情については、地裁判決直後の弁護団声明を参考にしてほしい。弁護団は、この事件を「司法制度を利用した言論弾圧」と位置づけている。
次の引用するのは、知財高裁判決の重要部分である。催告書の名義人偽り疑惑について、次のように言及している。
上記の事実認定によれば、本件催告書には、読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告の名前が表示されているものの、その実質的な作者(本件催告書が著作物と認められる場合は、著作者)は、原告とは認められず、原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて強い。
繰り返しになるが、江崎氏は、元々、著作者人格権を主張する権利がないのに、催告書の名義を「江崎」に偽って提訴し、それを主張したのである。
喜田村弁護士は、自分の行為が弁護士としてあるまじき行為であることを自覚していたはずだ。弁護士職務基本規定の第75条は、次のようにこのような行為を禁止している。
弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。
ところが名義を偽った催告書を前提にして、裁判所へ資料を提出し、自己主張を展開したのだ。
裁判が終わった後、今度はわたしの方が攻勢に転じた。喜田村弁護士が所属する第2東京弁護士会に対して、喜田村弁護士の懲戒請求を申し立てた。2年後に、申し立ては却下されたが、多くの法律家が前代未聞のケースだとの感想を寄せた。弁護士会の判断は誤りだと話している。現在、再審を検討している。
曖昧な決着はしないのが、わたしの方針だ。
参考までに、懲戒請求の中身を次の書面で紹介しておこう。
今後も検証は続く。
