日弁連に異議申立書を提出 草案に排斥期間についての記述などを追加 喜田村弁護士に対する懲戒請求事件
10月31日に喜田村洋一自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求の申立を行った。申立理由書の草案は、本サイトで紹介したとおりだが、公式に日弁連に提出したものには、若干の修正を加えた。
最も大きな変更点は、排斥期間に関する記述を付け加えたことである。排斥期間とは、一定期間のうちに権利行使しなければ消滅する権利のことである。期間は3年。
問題になっている催告書(黒薮は怪文書と主張)を読売の江崎・法務室長が送り付けて来たのは、2007年12月21日。そして、わたしが懲戒請求を第2東京弁護士会に申し立てたのは、2011年1月31日である。従って懲戒請求を申し立ては時点で、3年の期間が過ぎている。
これを理由のひとつとして第2東京弁護士会の決議書(秋山清人弁護士が執筆)は、わたしの申し立てを退けている。
しかし、この催告書を執筆したのが喜田村弁護士か彼のスタッフであるという認定が最高裁で確定したのは、2010年2月である。この時点までは、喜田村氏が作者である可能性が高いという司法認定は決定していなかったのだ。
江崎氏も一貫して、催告書は自分が執筆したと主張してきた。
わたしが懲戒請求に踏み切ったのは、上記の判決が最高裁で確定したからである。それまでは江崎氏が作者であることが認められる可能性も残っていたのである。当然、この時点で喜田村氏の懲戒を求める根拠は存在しなかった。
と、なれば当然、懲戒事由が発生た起点は、判決が確定した2010年2月である。ところが第2東京弁護士会は、江崎氏が催告書(怪文書)を送付した2007年12月21日を懲戒事由が発生た起点にしているのだ。
改めて言うまでなく、2007年12月21日に催告書を送付した江崎氏は弁護士ではないので、弁護士懲戒請求の対象にすらならない。江崎氏ではなく、喜田村弁護士の行為を検証するのが懲戒請求を申し立てた目的である。
こんなことは法律の素人でも分かることではないだろうか?