1. 「押し紙」をめぐる疑惑の新聞特殊指定「改正」が行われた1999年は、どんな年だったのか?

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2025年04月19日 (土曜日)

「押し紙」をめぐる疑惑の新聞特殊指定「改正」が行われた1999年は、どんな年だったのか?

新聞特殊指定(平成11年公取委告示第9号)の「改正」をめぐる疑惑が浮上している。既報したように、この件は1997年12月に公正取引委員会が、北國新聞社に対して、「押し紙」の排除勧告を行ったことに端を発している。公取委がはじめて新聞業界の「押し紙」にメスを入れたのである。

これを機として日本新聞協会と公取委は、解決策を話し合う。ところが不思議なことに話し合いを重ねた結論として生まれた1999年の改正・新聞特殊指定は、独禁法を骨抜きにして、新聞社がほとんど自由に「押し紙」ができる内容になっていたのである。

当時の公取委員長は根来泰周氏で、日本新聞協会の会長は渡邉恒雄(読売)氏だった。当時、渡邉氏は、「読売1000万部」に執着していた。一方、根来氏は退任後、プロ野球のコミッショナーに就任した。

これら一連の経緯は、この問題を調査した江上武幸弁護士が、次の記事に詳しく書いている。

押し紙(その1)平成11年の新聞特殊指定「改正」の謎-モラル崩壊の元凶 -

 

◆辺見庸氏が指摘する「1999年問題」

さて、この1999年(平成11年)は、どんな年だったのだろうか。強引に法律改正が行われたのは、新聞特殊指定だけだったのだろうか?この点について、辺見庸氏は、『私たちはどのような時代に生きているか』の中で、「1999年問題」という言葉を使って、当時の政情を解説している。

「じつは僕は、しきりに「1999年問題」と言っているんですが、これはある意味で戦術的な言い方です。99年の諸問題は、もちろん、ここに至る長いプロセスがあって、突然に降ってわいてきたわけではないですから、結果だけを論じることはできないのです。ともあれ、僕としては99年問題の重大性を最大限強調したい。」

「象徴的には、この年の第145通常国家で成立した『周辺有事法』、『盗聴法』、『国旗・国家法』、『改正住民基本台帳法』を、私は私の内面との関係でかつてなく重大視している。これらがこの国の短、中期的未来に向けた法制的かつ思想的祖型になることは、私の表現行為にとって耐えがたい圧迫なのです」

ちなみに当時の首相は、小渕恵三氏である。ほとんど知れていないが、小渕氏は当時、自民党新聞販売懇話会の会長を務めていた。同懇話会は新聞業界が政界工作に窓口にしていた団体である。新聞業界からの政治献金を受け取る窓口でもある。

新聞業界の裏面を見ると、日本の新聞ジャーナリズムがいかに信用できないかが分かる。日本の権力構造に組み込まれている。