1. 「押し紙」70年⑬ 黒薮の取材に応じたから店主を解任の論理、喜田村弁護士ら準備書面の中で「自称ジャーナリスト」を批判

「押し紙」の実態に関連する記事

2015年10月02日 (金曜日)

「押し紙」70年⑬ 黒薮の取材に応じたから店主を解任の論理、喜田村弁護士ら準備書面の中で「自称ジャーナリスト」を批判

【サマリー】対読売裁判で真村氏が敗訴した理由のひとつに、真村氏が「メディア等を用いて」読売を攻撃したことがあった。具体的には、真村氏がわたしの取材に協力したことである。読売代理人の喜田村洋一・自由人権協会代表理事らは、準備書面の中で「自称ジャーナリスト黒薮」という優等生らしい蔑称を使って、この点についてたびたび言及している。それが記録に残っている。

  この裁判には、記録された文書を基に検証を重ねなければならない問題が山積している。たとえば同じ裁判官が、仮処分の判決と本訴でまったく正反対の結論を出している事実である。

第2次真村裁判の仮処分の申し立ては、1審から4審まで真村氏の完全勝訴だった。しかし、本訴では逆、1審から3審(地裁・高裁・最高裁)まで読売の勝訴だった。本訴が優先されるので、真村氏は敗訴した。

平行して進行したこれら2件の裁判では、ほぼ同じ証拠資料が提出され、同じ主張が展開されたことはいうまでもない。が、判決だけは正反対になった。

この事実は、日本の裁判所が物事の明確な判断基準を有していないことを意味する。裁判官の主観により、あるいは政治的な要素を配慮しながら、判決を下していることになる。司法制度が日本の権力構造の歯車に組み込まれている結果、このような現象が生じている可能性もある。

この裁判にかかわった判事に木村元昭(現、福岡家庭裁判所所長)という人物がいる。木村裁判官は、福岡地裁で仮処分の第2審を担当し、真村氏を勝訴させた。その直後に、沖縄の那覇地裁へ転勤になった。

木村裁判官が那覇地裁で勤務している間も、福岡で真村裁判は進行していた。

本訴の地裁判決で敗訴した真村氏は、福岡高裁へ控訴した。その控訴審がはじまってまもなく、裁判長の交代があった。新しい裁判官は、木村元昭氏だった。木村氏が那覇地裁から福岡高裁へ栄転して、真村裁判の控訴審を担当することになったのだ。

仮処分で真村氏を勝訴させた裁判官であるから、当然、本訴でも真村氏に有利な判決を出すものと思われた。ところが判決は、真村氏の敗訴であった。判決の内容も、木村氏がみずから執筆した仮処分の判決と矛盾だらけの内容だった。

木村元昭氏が書いた2つの判決を読み比べたとき、わたしはこの人物の人間性そのものを疑った。判決は、記録として永遠に残る。同じ裁判官が同じ案件で書いた2つの判決を、後世の司法研究者はどう評価するのか、わたしは暗い好奇心を刺激された。

この裁判の詳細については、拙著『新聞の危機と偽装部数』の第6章「人権問題としての真村裁判」に詳しい。

ちなみに木村氏は、わたしが読売に対して起こした損害賠償裁判(読売がわたしに対して提訴した3件の裁判が「一連一体の言論弾圧」として5500万円を請求)の控訴審で、裁判長として登場し、わたしを敗訴させている。

◇取材する自由、取材を受ける自由

さて、本訴における真村氏の敗訴理由のひとつに、真村氏が「メディア等を用いて」読売を攻撃したことがあがっている。具体的には、わたしの取材に応じたことである。読売代理人の喜田村洋一・自由人権協会代表理事らは、準備書面の中で「自称ジャーナリスト黒薮」という蔑称を使って、この点についてたびたび言及している。

詳細については、拙著『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)から重要部分を抜粋するので、次のPDFをご覧いただきたい。

■『新聞の危機と偽装部数』・・・「黒薮執筆の記事の責任を真村氏が負う不思議」

真村氏がわたしの取材活動に協力したことを、改廃理由として主張した喜田村氏らが、報道活動の自由や取材を受ける自由について、本当はどのように考えているのかは知らないが、真村裁判の記録文書を検証する限りでは、厳しく言論制限するのが妥当だという考えのようだ。少なくともわたしはそんな印象を受けた。

残念ながらこのような考えは、特定秘密保護法の施行に象徴されるように、水面下でじわじわと日本に広がっている。