1. 常総市の水害報道の裏で進む安保関連法案の報道自粛

「押し紙」の実態に関連する記事

2015年09月14日 (月曜日)

常総市の水害報道の裏で進む安保関連法案の報道自粛

【サマリー】茨城県常総市の水害にマスコミ報道が集中している裏側で、安保関連法案の成立が刻々と近づいている。連日、国会議事堂前をはじめ全国で安保関連法案に反対する活動が展開されているが、マスコミはそれをほとんど報じない。

 その原因を突き詰めていくと、メディア企業の経営上の汚点が要因になっているようだ。新聞に対する軽減税率適用問題。「押し紙」問題。再版制度を巡る問題。粉飾決算の問題・・・・。

安倍内閣が17日に参議院で安保関連法案を採決する動きが高まるなか、連日のように東京永田町の国会議事堂前をはじめ、全国で抗議活動が展開されている。しかしマスコミはほとんどそれを報じていない。カメラの視線は一斉に茨城県常総市の水害現場に釘づけになってしまい、この国の将来を左右する安保関連法案は意中にないかのようだ。

後世の歴史家は、2015年の9月の政情について、「安倍内閣にとっては、水害が幸いした」「皮肉にも水害が日本の運命を変えた」と記すことになるかも知れない。

安保関連法が憲法9条を骨抜きにしてしまうのは論を待たない。それが何を意味するのかを、巨大メディアの関係者が理解していないとはおおよそ考えられない。
それにもかかわらず、報道を自粛しているのは、報道内容をめぐって政府と敵対関係になった場合、ビジネスとしての出版業に支障をきたす恐れが生じるからにほかならない。

ジャーナリズムよりも、出版ビジネスを優先している結果である。

◇新聞社経営の4つの汚点

新聞に限って言えば、新聞社経営に影響を及ぼす決定的な要素が政府の手に握られている。具体的には次のような事情である。

今の時期、新聞に対する軽減税率の適用問題が政府内で検討されていること。意外に気づいていない人が多いが、消費税は「押し紙」に対しても課せられている。経理帳簿の上では、「押し紙」にも読者がいるものとして処理されているからだ。当然、増税は「押し紙」だらけの新聞社を直撃する。

河内孝氏が『新聞社』(新潮新書)の中で試みた「押し紙」に課せられる消費税負担の試算によると、消費税が5%から8%になれば、読売の場合は約108億円の追加負担になる。朝日の場合は、約90億。毎日は約42億円の負担増である。

消費税が8%から10%になった場合も、おおむね同じ規模の負担がさらに加わる。新聞社経営の危機に陥るのは間違いない。

新聞業界は、消費税の軽減税率の適用を勝ち取るために、これまで繰り返し政界工作を行ってきた。新聞販売の業界団体、たとえば日販協政治連盟からは、自民党を中心に政治献金が支払われてきた。選挙の支援も行っている。

こうした事情の下で、自民党が1990年代の中ごろから構築を進めてきた軍事大国化と新自由主義の導入を、言論で打ち砕く勇気は新聞社にはない。ジャーナリズムよりも、ビジネスとしての出版業を選択しているからだ。それが彼らの一貫した方針である。

また、再版制度という既得権が政府の手に握られていることも、報道自粛の要因になっている。周知のように規制緩和の流れの中で、これまで繰り返し再版制度の撤廃案が浮上してきた。そのたびに新聞社は、政界工作を行い、現在のところは、この既得権を維持している。

再販制度が撤廃されると、新聞販売店が独自に新聞の販売価格を設定できるようになるだけではなく、営業区域(テリトリー制)も消滅してしまう。そうなると販売店相互で生存をかけた自由競争がはじまり、弱小の販売店は淘汰され、統合などにより規模な大きな販売会社が出現する。その結果、新聞社と販売店の力関係が対等になり、「押し紙」制度が維持できなくなる。

それは販売収入の大減益をもたらす。同時に、紙面広告の媒体価値も下落して、広告収入の減収を招き新聞社に壊滅的な打撃を与える。

「押し紙」そのものが独禁法に違反していることは言うまでもない。つまり最悪の場合は、警察が刑事事件として「押し紙」を取り締まることもできるのである。

「押し紙」を経理処理する場合、粉飾決算にならざるを得ない。販売店は「押し紙」にも読者が存在するという虚偽を前提に経理処理を強いられてきた。つまり、実際には販売されていない新聞が販売されたものとして経理処理されるわけだから、結果として粉飾決算になってしまう。

国税局が過去にさかのぼって「押し紙」にメスを入れると、新聞社は倒産するかも知れない。

◇全事実を報じること、一部分を報じること

日本の新聞社は①から④のような経営上の汚点を抱えている。それゆえにずばり言えば、ジャーナリズム活動は困難だ。彼らが事実のすべてを報じているように見えても、実際にはそのほんの一部分に過ぎないことも多い。読者の側が、全事実を報じていると勘違いして、それを前提に新聞を評価しているに過ぎない。

せいぜいリベラル右派の『東京新聞』のレベルが、報道の限界ではないだろうか。

新聞社経営の汚点に対して、多くの人々が疑問を呈する声をあげれば、少しは状況も変化するかも知れない。が、なにしろ巨大メディアが広告媒体として機能している状況の下では、新聞社と敵対することだけは控えようと心に決めている人が多い。右翼から左翼まで、思想とは無関係にそういう方針の人が多い。

が、これではいつまでたったも日本人はマスコミに洗脳され続けるだろう。解決にはならない。日本が軍事大国になって、再び大本営発表が幅をきかせるようになってからでは、もう手遅れなのだ。