1. 押し紙弁護団が報告書を公開、西日本新聞を被告とする「押し紙」裁判で、報道自粛の背景に「押し紙」問題

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2022年11月15日 (火曜日)

押し紙弁護団が報告書を公開、西日本新聞を被告とする「押し紙」裁判で、報道自粛の背景に「押し紙」問題

押し紙弁護団(江上武幸弁護士、他)は、14日に提訴した西日本新聞の「押し紙」裁判の提起に続いて、最新の「押し紙」裁判についての報告書を公表した。全文は、次の通りである。

 

「西日本新聞押し紙訴訟」追加提訴のご報告

2022年(令和4年)11月15日

福岡・佐賀押し紙訴訟弁護団
                                                弁護士 江上武幸(文責)

この度、当弁護団は、佐賀県の西日本新聞販売店元経営の●氏を原告として5718万円(弁護士費用を含む)の押し紙仕入代金の返還を求める裁判を福岡地方裁判所に提訴しました。当弁護団は他にも西日本新聞社・読売新聞西部本社・読売新聞大阪本社を被告とする裁判をかかえており、いずれも最終局面を迎えています。全国的には、他の弁護士による訴訟が各地で提訴されており、今後も同様の裁判が続くことが予想されます。

新聞社の収入は販売店の仕入代金と紙面広告料の二本立てになっています。そのため、新聞業界では、販売店に経営に必要のない新聞を供給して仕入れ代金を不当に利得し、ABC部数を大きくして高額の紙面広告料を得ることを目的とした押し紙が古くから半ば公然と行なわれてきました。

昭和30年の新聞特殊指定で押し紙が禁止されましたが、それから67年が経過した現在も多くの新聞社は押し紙問題を自主解決できないまま今日に至っています(注:私どもが知る限りでは、熊本日々新聞は押し紙問題を自主解決しています。)。

急速な新聞離れと新聞広告収入の減少により、中央紙・地方紙を問わず新聞社の経営は極めて深刻な状況だといわれています。パソコンやアイホンの普及によって、紙の新聞の存続すら危ぶまれる時代になっています。そのような現実に直面し、新聞社はますます押し紙をやめようにもやめられなくなっているではないでしょうか。

これまでも、販売店経営者の入れ替わりは激しかったのですが、最近はいよいよ末期的症状を呈しているようです。販売店主の間では、借金を残さないで廃業できた販売店はまだ益しであるとの会話が交わされています。

押し紙は販売店経営者を苦しめるだけでなく、紙面広告料・折込広告料の詐欺であり、貴重な資源や労力の無駄づかいであり、新聞業界にあってはならない行為です。

社会の木鐸たるべき新聞社が、自社の利益のために長年にわたり押し紙を続け、その結果、経営陣だけなく記者や一般社員に至るまで法令遵守(コンプライアンス)意識の欠如やモラル崩壊がおきているとしても不思議ではありません。

旧統一教会と政権党との関係や、東京オリンピックをめぐる贈収賄事件など、本来、新聞社が真っ先に調査報道すべきだったと思われるニュースが何故これまで報道されてこなかったのか、その背後に押し紙問題のやましさが隠されているとしたら、憲法により知る権利を保障されている国民にとって、これほど不幸なことはありません。

私達弁護団は、押し紙問題はもはや司法の力に頼るしか解決の道はないと考えていますが、かならずしも三権分立の徹底していない司法制度のもとで、押し紙裁判を担当する裁判官が、司法の独立を堅持して押し紙撲滅のための抜本的な解決の道筋を示してくれるかどうかについても注目したいと思います。

「日本中枢の崩壊」(元通産官僚古賀茂明著)、「黒い巨頭最高裁判所」(瀬木比呂志元裁判官著)、「面従腹背」(前川喜平元文部事務次官著)、「アメリカに潰された政治家たち」(孫崎亮元外交官著)、「日本会議の正体」(ジャーナリスト青木理著)等の著作を読むとき、「風に立つライオン」(さだまさし作詞・作曲)の一節に「やはり僕たちの国は、残念だけれども何か大切な処で、道を間違えたようですね。」という歌詞が浮かんできます。

押し紙によって新聞販売店を廃業せざるを得なかった原告の皆さん方は、自身の損害の回復を求めるだけでなく、あとに残された販売店経営の方達が、胸をはって押し紙のない販売店経営ができるようにと願って裁判に立ち上がっておられます。新聞業界の将来を担う若い記者や担当の皆さん達が、正義感を奮い起こして、それぞれの社がかかえる押し紙問題の解決に向かって立ち上がられるよう期待しています。

以上