1. 「押し紙」にメスが入らない理由、権力構造の歯車としての新聞・テレビ

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2020年11月23日 (月曜日)

「押し紙」にメスが入らない理由、権力構造の歯車としての新聞・テレビ

「押し紙」問題の取材をはじめて23年。しかし、取材歴が長いことを逆説的にみると、23年も告発を続けて、ほとんど何の成果も得られていないことは大問題だ。新聞関係者は、「押し紙」を指摘されようが、折込チラシを水増しを指摘されようが、違法な新聞販売を指摘されようが、外国籍の配達員を酷使しようが、なんのお咎めも受けない。

佐賀地裁の「押し紙」裁判で、裁判所が「押し紙」政策を認定しても、新聞業界は相変わらず「押し紙」を続けている。この厚顔ぶりには恐れいる。こうした状況が延々と続いている背景に、新聞社・テレビ局が権力構造の歯車に組み込まれている事情がある。

リベラルをよそいながら世論誘導により、現在の権力構造を維持する「役割」を果たしているのだ。この実態にメスを入れようにも、学者や評論家は、自己PRの巨大媒体を失いたくないので絶対に動かない。唯一の例外として、評論家による新聞紙面の批判があるが、こんなものに彼らは何の痛痒も感じていない。「見解の相違」で逃げられるからだ。

わたしは、新聞・テレビが健全な社会進歩を著しく妨害していると思う。公権力もマスコミの利用価値が分かっているから、本気でメスを入れない。新聞が適度な権力批判を行っても、結局は、「ガス抜き」の役割を果たしているだけなのだ。麻薬かアヘンと同じ役割を果たしている。諸悪の根源と言っても過言ではない。

これ以上、解決を遅らせないために「押し紙」問題の新戦略を考案する必要あるだろう。妙案があれば、黒薮までお知らせください。

【写真】(左:水増しされた江戸川区の広報紙。右:残紙)