1. 「『押し紙』さえなければ・・」、新聞販売店の経営が危機的に、預金を切り崩して新聞の卸代金を上納

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2019年11月11日 (月曜日)

「『押し紙』さえなければ・・」、新聞販売店の経営が危機的に、預金を切り崩して新聞の卸代金を上納

筆者のところに新聞販売店からの相談が相次いでいる。「押し紙」が原因で、預金を切り崩して新聞社へ新聞の卸代金を納入しているが、それも限界に来ているという主旨のものが多い。「押し紙」 さえなければ、経営を持続できるが、新聞社は「押し紙」を排除してくれないという。

預金を切り崩して支払っている「押し紙」代金の額は、店によって異なるが、なかには月々100万円近く支払っている店もあるようだ。新聞発行本社から年間の部数拡販目標を提示され、達成できない場合は、改廃すると恫喝された店主もいるようだ。

新聞社が年間の増紙目標を一方的に提示して、それに準じた新聞部数を一方的に搬入する手口は共通している。「押し紙」がない新聞社は、極めて限定されている。(熊本日日新聞など)

「押し紙」の規模は、地方紙よりも中央紙の方が多い傾向がある。

「うちの系統では、どの店も1000部はあります」

と、話す店主さんもいる。また、次のような声も。

「搬入される新聞の半分は『押し紙』です」

「3500部のうち、配達しているのは1300部」

◆実配部数の回復はあり得ない

新聞の実配部数が回復することはありえない。週刊誌も含めて、紙の媒体は、書籍は別として、急激に衰退している。と、なれば販売店は対策を考えなければならない。業績が回復することを期待して、預金を切り崩してまで、「押し紙」代金を支払う必要はないだろう。

そんな金があるのなら、弁護士に相談して「押し紙」裁判を起こすべきだろう。店を改廃されてから、裁判を起こしても、「なぜ、現役の時代に『押し紙』を断らなかったのか」と抗弁されかねない。今の裁判所では、それで通用するのである。

販売店がなかなか訴訟に踏み切れないのは、裁判そのものを何か特別なものと勘違いしているからである可能性が高い。裁判は司法制度のひとつであるから、必要なときは利用すべきだろう。また、発行本社に対する忠誠心も、訴訟を控える原因になる。販売店が発行本社に対して感じるような連帯感は、発行本社サイドにはない。「押し紙」で全部預金を吐き出させ、その後、巷へ放り出そうというぐらいの腹しかない。

「発行本社と販売店は車の両輪」といううたい文句は嘘である。

販売店が「押し紙」裁判を起こせば、逆に販売店による折込チラシの水増し詐欺を訴えると脅す販売局員もいるようだが、折込チラシの水増し詐欺をやらせているのは新聞社の側にほかならない。折込チラシの水増しを止めれば、販売店は「押し紙」の代金が支払えなくなり、新聞社の販売収入も減る。販売店も困るが、もっと困るのは新聞社の方である。

◆「押し紙」裁判の勝算はあるのか

これまでに起こされた「押し紙」裁判を検証する限り、中央紙では、毎日新聞と産経新聞の「押し紙」裁判に関しては、販売店が勝訴する流れが出来ている。裁判所が、新聞社を敗訴させる判決を書くのを嫌っているので、最終的には和解というかたちになるが、最近では、推定で3500万円(毎日のケース)を支払わされた。

また、集団で訴訟を起こした場合も、販売店の方が有利になる。古いケースでは北國新聞の店主さんらが、新しいケースでは琉球新報の店主さんらが、和解金を勝ち取っている。現在、南日本新聞でも集団訴訟になっていると聞く。

読売新聞社と朝日新聞社については、権力構造の一部に組み込まれている可能性が高いので、「押し紙」裁判では苦戦するが、市民運動の支援を受ければ、裁判所も公正な判決を書かざるを得ないだろう。実際、読売の場合は、同社の「押し紙」を認定した判決が存在する。2007年の福岡高裁判決の判例で、最高裁でも判決が確定している。

読売の代理人・喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)は、読売には一部も「押し紙」は存在しないと主張してきたが、福岡高裁が読売の「押し紙」を認定している。みずからも関わった裁判であるから、この事実を知らないはずがない。公式に見解を取り消すべきだろう。

 

【参考資料】読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由