1. 15日から新聞週間、日本新聞協会は今年も「押し紙」問題・折込広告の水増し問題を避ける

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15日から新聞週間、日本新聞協会は今年も「押し紙」問題・折込広告の水増し問題を避ける

日本新聞協会は、10月15日から21日の日程で、第72回新聞週間をスタートさせた。共同通信によると、今年は、「人工知能(AI)の進化や、AIを活用した社会の課題などについて語るパネルディスカッション」を開くらしい。

同協会は、毎年、新聞週間になると、なにかテーマを決めて討論しているが、わたしの知る限り、「押し紙」や折込広告の水増しについて、討論したことは一度もない。実は、表裏関係をなすこれらの問題こそが、新聞業界が早急にメスを入れなければならない部分なのだが、当事者たちは隠蔽に終始してきた。

いまだに「知らぬ」、「存ぜぬ」という態度を貫いているのだ。そのこと自体が新聞経営者(新聞人)としての資質が欠落していることを示している。鈍感というよりも、知りながら逃げているのだ。ジャーナリズムよりも、金銭の損得(ビジネス)を優先しているのだ。

これでは日本のジャーナリズムに責任が持てるはずがない。

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なぜ、新聞経営者は「押し紙」や折込広告の水増し問題に踏み込まないのだろうか。答えは簡単で、踏み込めば、新聞社経営が破綻するからにほかならない。たとえばM社のABC部数が250万部だとする。この250万部のうち、150万部が実配部数で100万部が「押し紙」だと仮定する。

これらの「押し紙」100万部とセットになる折込広告の料金は不正に徴収されていることになる。新聞1部が生み出す折込広告の手数料を月額2000円とすれば、全体で月額20億円の不正収入となる。年間では240億円。この240億円の大半は、新聞(「押し紙」)の卸代金として、新聞社に支払われる。

新聞社と販売店の従属的で前近代的な関係を考慮すれば、折込広告の手数料を「上納」すると表現しても過言ではない。

この構図こそが、経営難が言われて久しい新聞社が倒産しないからくりにほかならない。新聞社にとって、新聞販売店による折込広告の水増し行為は、「必要悪」になっているのだ。

それゆえにこの点を問題視する者は、販売店の従業員であろうと、ルポライターであろうと、容赦なくスラップ訴訟の対象になる。「押し紙」と折込広告の水増しは、新聞社経営の急所だから、過剰なリアクションを起こすのだ。

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改めて言うまでもなく、折込広告の水増しは、刑法上の詐偽である。従って警察は、いつでも新聞社や広告代理店、あるいは販売店を取り締まることができる。しかし、実際に警察が折込広告の問題で動いたケースは、皆無ではないにしろ、ほとんどない。理由は簡単で、この問題を故意に放置することで、メディアコントロールが容易になるからだ。

新聞が公権力に不都合な論調を展開すれば、「押し紙」と折込広告の水増し問題にメスが入る構図になっている。と、なれば新聞人たちは、記者たちの原稿を検閲せざるを得なくなる。その結果、ジャーナリズムは機能しなくなり、かつてのソ連で進行したプラウダを通じた言論統制と同じ状況が、日本でも生まれているのである。

この国はまもなく崩壊するかも知れない。

「押し紙」問題と折込広告の水増し問題は、新聞社販売局の問題には違いないが、もっと広い視点でみると、新聞ジャーナリズムの根幹にかかわる問題なのである。