1. 佐賀新聞の「押し紙」裁判、11月1日に証人尋問、ABC部数の水増しを暴露か? 原告が呼びかけ文を発表

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2019年09月27日 (金曜日)

佐賀新聞の「押し紙」裁判、11月1日に証人尋問、ABC部数の水増しを暴露か? 原告が呼びかけ文を発表

佐賀新聞社を被告とする「押し紙」 裁判の証人尋問が、11月1日に開かれる。詳細は次のとおり。

日時:2019年11月1日 午前10時~午後5時

場所:佐賀地方裁判所 3階
     (佐賀県佐賀市中の小路3-22)

午前10時:証人・佐賀新聞販売局長 井出研一
午前11時:証人・元佐賀新聞販売局長 江口賢郎
午後11時30分:証人・元佐賀新聞販売局員・三神部会担当 武富一也
午後2時10分:証人・元佐賀新聞販売局員 原 正則
午後3時10分:証人・原告 寺﨑昭博

原告・寺崎さんは、証人尋問を前に証人尋問の傍聴を呼びかける文書を発表した。その内容から察して、尋問ではABC部数の水増しや、それに伴う折込広告の水増し問題にも言及するようだ。呼びかけ文をPDFで紹介しよう。

原告・寺崎氏のお願い文

■佐賀新聞「押し紙」裁判の全記事

 

【「押し紙」事件の経緯】
原告の寺崎さんは、2009年4月に佐賀新聞・吉野ヶ里販売店の経営者になり、2015年12月末で廃業した。負担させられていた「押し紙」の割合は、当初は10%程度だったが、ピーク時の2012年6月には約19%に。その後、佐賀新聞社が全販売店を対象に「押し紙」を減らしたこともあり、廃業時には約14%だった。

寺崎さんは、繰り返し佐賀新聞社に対して「押し紙」を減らすように求めたが、同社は申し出には応じなかった。担当員や販売局長らを交えた面談の際には、販売局長が、「残紙があって苦しいのはわかるが、『残紙』は販売店の責任だから切ってやることはない」と発言するなど、佐賀新聞社は「押し紙」政策を改めようとはしなかった。

その結果、新聞代金の納金が遅れるようになり、販売局長から、「これ以上納金の遅れが続き、その金額が信認金を超えれば改廃になる」と告げられた。

実際、納金が遅れるようになり、寺崎さんは2015年の12月末日付で廃業に追い込まれた。

「押し紙」問題がはじめてクローズアップされたのは、1970年代である。日本新聞販売協会が1977年に残紙のアンケート調査を行い、全国の新聞の8.3%が残紙になっているという結果を発表した。1980年に入ると、新聞販売問題は、国会質問の場で議題になった。85年までに15回に渡って、共産党、公明党、社会党の3党が15回に渡って「押し紙」問題を取り上げた。

国会質問のなかで、最もインパクトを与えたのは、瀬崎博義(共産)議員による「北田資料」の暴露である。これは読売新聞鶴舞直売所の北田店主が、暴露した同店の資料で、それによると3割から4割程度が残紙になっていた。

ちなみに読売は、「押し紙」をしたことは一度もないと主張してきた。

■■
残念ながら国会質問を繰り返しても、「押し紙」問題は解決しなかった。日本経済が好調で、折込広告の需要が増えたからだ。「押し紙」があっても、折込広告の水増しで、損害を相殺できる構図が生まれると、店主らも「押し紙」問題にはふれなくなった。その結果、洪水のように「押し紙」が押し寄せ、産経新聞・四条畷販売所の今西龍二さんのように、「押し紙」小屋を建設する店主も現れたのである。

今世紀になって、1990年代に蓄積された「押し紙」が発覚しはじめた。
「押し紙」率が40%や50%は、特に珍しくない状態が生まれた。

2007年、福岡高裁が真村訴訟で、読売新聞の「押し紙」政策を認定する判決を下した。これを機にメディアが「押し紙」問題を取り上げるようになった。しかし、2009年に読売新聞社が、『週刊新潮』とわたしに対して5500万円の支払を請求する名誉毀損裁判を起こすと「押し紙」報道は消えた。

この裁判で読売の代理人を務めたのが、喜田村洋一・自由人権協会代表理事である。読売には、1部も「押し紙」は存在しないと主張したのだ。この弁護士が作成した書面は、事実の信憑性が疑わしいので、今後も検証する必要がある。わたしに対する著作権裁判でも読売の代理人を務め、虚偽の事実を前提に提訴していた高い可能性が判決で認定された。信用できる人間ではない。

【参考記事】読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由