1. 「腐った金」とジャーナリズムの精神とは両立するのか、依然として新聞人による「押し紙」政策は止まず

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2019年03月04日 (月曜日)

「腐った金」とジャーナリズムの精神とは両立するのか、依然として新聞人による「押し紙」政策は止まず

メディア黒書に対して「押し紙」の内部告発が増えている。その大半は匿名で、裏付け資料が添付されていないので、事実確認ができずに放置するが、実名による内部告発で、連絡先が記されているものについては、弁護士を紹介して対処をお願いしている。今年中に、何件かの「押し紙」裁判が起こされるのではないかと思う。

筆者が「押し紙」の取材をはじめた1997年ごろ、日本新聞協会は「押し紙」の存在を全面的に否定していた。そのために「押し紙」という言葉も禁句になっていた。筆者が日本新聞協会の職員に、

「『押し紙』についてお尋ねしたいことがあります」

と、質問したところ、

「残紙のことですか?」

と、切り返えされたことがある。残紙とは文字通り販売店に残っている新聞の事である。新聞協会は、その新聞は新聞社が「押し売り」したものではなく、販売店が自主的に注文した新聞だと言いたかったのである。

その時代からすでに20年が経過しているが、最近は新聞協会もさすがに「押し紙」の存在を否定できなくなっている。数ヶ月前に筆者が協会に、これまでの主張に変わりはないかを確認したところ、「だれがそんなこと(「押し紙は1部もない」)を言いましたか?」と開き直ってきた。「押し紙」の存在を否定できなくなっているのである。協会の誰か言ったかという問題ではなく、それが協会としての公式見解だったのである。

現在、インターネット上に「押し紙」回収の動画や「押し紙」の写真が登場して、「押し紙」を否定することが、「大嘘つき」の烙印を押されかねない情況になっている。昨年の秋には、新聞販売店のパソコンに保管されている新聞部数に関するデータが、パソコン管理会社の社員によって、改ざんされていることも判明した。しかも、同じ手口の改ざんが系統の異なる新聞社の販売店で行われていたとする証言も出ている。

 

【参考記事】新聞「ABC部数」はこうして改ざんされる――実行者が手口を証言、本社販売局の指示でデュプロ(株)が偽の領収書を発行、入金一覧表なども偽造し数字を整合させる

 

「押し紙」の存在を否定できなくなっているのだ。が、それにもかかわらず依然として、新聞は「押し紙」をやめない。規模は相対的に縮小しているとはいえ同じことを延々と続けている。

 

◆理想と現実のギャップ

次に示すのは、京都新聞社の社是である。

 われらは正義を守る
 われらは自由を守る
 られらは真実を守る

京都新聞は過去にたびたび「押し紙」問題を起こしており、筆者が把握しているだけでも、少なくとも2度法廷に立たされている。

次に紹介するのは、読売新聞の「読売信条 」である。

読売新聞は

責任ある自由を追求する。

個人の尊厳と基本的人権に基づく

人間主義をめざす。

国際主義に立ち、日本と世界の平和、

繁栄に貢献する。

真実を追求する公正な報道、

勇気と責任ある言論により、

読者の信頼にこたえる。

この新聞社も一貫して、「押し紙」は1部も存在しないと主張してきた。読売の代理人を務めている自由人権代表理事の喜田村洋一弁護士も同じ見解だ。しかし、2007年に判決が確定した真村訴訟の中で、裁判所は読売による「押し紙」政策の存在を認定している。しかも、訴訟の中で「押し紙」を帳簿上で処理する目的で、コンピュータ上に架空の配達地区と架空の読者を設定していたことも明らかになっている。もちろんこれらの事実も、裁判所が事実認定している。

真村訴訟・福岡高裁判決

「押し紙」の存在は明白で、一部の新聞人は、それを認めているが、依然として大半の新聞社は「押し紙」政策を続けている。中止する意思はないようだ。

筆者には、彼らのメンタリティーが理解できない。どう考えても「腐った金」とジャーナリズムの精神とは両立しないはずだが。

「腐った金」とジャーナリズムの精神とは両立するのか、依然として「押し紙」政策を続けている新聞社