1. 水面下で広がっている「押し紙」をめぐる裁判、筆者も網羅できない規模か?

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2018年11月14日 (水曜日)

水面下で広がっている「押し紙」をめぐる裁判、筆者も網羅できない規模か?

「押し紙」をめぐる訴訟が、筆者だけでは網羅できない規模で広がっているようだ。かつては販売店が新聞社を相手に裁判を起こしても、まず勝てないというのが常識だった。新聞社の担当員は、「押し紙」をめぐるトラブルが起きると、自信満々に、

「あなたがたが裁判を起こしても、絶対に勝てないですよ」

と、断言していた。残念ながら、それは事実だった。帳簿上では、新聞販売店が自分で希望する部数を注文したことになっているので、裁判所は残紙を「押し紙」とは認定しなかったのだ。帳簿上の事実関係だけで判断していたのである。

裁判所の見解に変化の兆しが現れはじめたのは、2005年だった。岐阜新聞の元店主が起こした「押し紙」裁判の控訴審判決で、名古屋高裁が残紙を「押し紙」と認定したのである。損害賠償は認めなかったが、残紙を「押し紙」 と判断した。

判断の根拠になったのは、独禁法の新聞特殊指定の正当な解釈である。新聞特殊指定は、ごく簡単に言えば、「実配部数+予備紙」を超える部数は、理由のいかんを問わずに、「押し紙」と定めている。そこには「押し売りがあったか、なかったか」といった主観や感情に基礎をおいた判断は一切排除され、「実配部数+予備紙」を超える部数という客観的な要件が判断基準として示されたのである。

その2年後に、読売の「押し紙」政策を認定した真村訴訟の福岡高裁判決が最高裁で確定した。これを機に雑誌が「押し紙」特集をはじめたのである。

ちなみに読売の滝鼻広報部長は2016年、福岡高裁判決の中では、「押し紙」政策は認定されていないと抗議してきた。その抗議に対する反論を紹介しておこう。その後は抗議はないが。

読売の滝鼻広報部長からの抗議文に対する反論、真村訴訟の福岡高裁判決が「押し紙」を認定したと判例解釈した理由

◇読売には1部も「押し紙」はないと主張

しかし、2008年から2009年にかけて読売の代理人である喜田村洋一・自由人権協会代表理事らが、筆者に対して3件の裁判(請求額は約8000万円)を起こすと、「押し紙」報道はほぼとまった。喜田村氏らは、読売には1部も「押し紙」はないと主張したのである。その記録は残っている。

次の引用は、読売が『週刊新潮』とわたしに対して、名誉を毀損されたとして5500万円のお金を支払うように求めた「押し紙」裁判で、読売の宮本友丘専務(当時)が、読売の代理人である喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで証言した内容である。

喜田村:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

当時、彼らが主張したことを、これから本格的に検証する必要がある。発言は真実だったのか?いま現在も読売には「押し紙」が一部もないのか?このあたりについても、調査しなければならない。

読売による一連の裁判から10年になり、「押紙」裁判の広がりは、筆者だけでは網羅できない規模になっているようだ。上記で紹介したユーチューブもその例である。動画を「押し紙」で検察していてたまたまみつけた。