1. 10月15日から新聞週間、「押し紙」問題を議論してこなかった日本新聞協会

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2018年09月28日 (金曜日)

10月15日から新聞週間、「押し紙」問題を議論してこなかった日本新聞協会

10月は新聞に関連した行事があちこちで開催される。その中でも最も有名なのが、日本新聞協会が主催する新聞週間だ。今年は、15日からはじまる。

新聞週間に先立って、6日からは、第71回新聞大会開催記念フォーラム「ことばと脳のおいしい関係」が東北福祉大学仙台駅東口キャンパス(仙台市)で開かれる。

筆者は、「押し紙」の取材をはじめてのち、新聞人たちの言動に耳をかたむけてきたが、新聞大会で「押し紙」について議論したという話は聞いたことがない。本来であれば、真正面から議論して、解決しなければならない問題なのだが、新聞協会は、大会でこのテーマを扱うどころか、今だに「押し紙」は一部も存在しないと開きなおっている。

  現場をなによりも重視しなければならない新聞人の良心を疑う。

日本の新聞人にとって、ジャーナリズムなどは二の次で、新聞業の目的は、政府広報として機能することである。ジャーナリズムの仮面をかぶって、上手に国民を世論誘導することである。

森友事件の報道はある程度評価できるとしても、なぜ、他の汚職については取材しないのだろうか。森友事件よりももっと悪質な汚職はたくさんある。たとえば、オリンピック選手村建築予定地(都の公有地)を約1200億円で値引き販売した事件。中央省庁と広告代理店の間の取り引きで、インボイスナンバーを外した請求書が多数使われている問題。ピックアップしてみると際限がない。

記者としての職能がないから取材しないのではなく、公権力の顔色をうかがっているからだ。

一方、公権力が「押し紙」を放置するのは、新聞社が政府広報部としての役割を果たしてくれるからにほかならない。汚職を徹底追及できないのは、「押し紙」という経営上の弱味を握られているからだ。

こうした状況の下で、われわれ「押し紙」反対派も、何かアクションを起こす必要があるのかも知れない。新聞人には、何も期待できないから。