1. 障害厚生年金を申請したところ障害国民年金に裁定、年金制度崩壊のきざしが露骨に、被害者が告発

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2022年03月23日 (水曜日)

障害厚生年金を申請したところ障害国民年金に裁定、年金制度崩壊のきざしが露骨に、被害者が告発

年金制度が危ないと言われはじめて久しい。

「はたして自分は年金を受給できるのか」

「近い将来に年金制度は崩壊するのではないかか」

「保険料は納めないほうが懸命ではないか」

こうした懸念の声があがるようになった。国の社会福祉政策が後退する状況の下で、年金受給をめぐる裁定にもグレーな領域が増えてきた。さまざまな口実を付けて、年金の支給を抑制する力が強まっている。年金制度に関する説明義務すら十分に履行されないこともある。

メディア黒書に対して、障害年金給付の裁定をめぐる事件に巻き込まれた女性から内部告発があった。高知市の植田貴子(仮名)さんである。障害年金の裁定をめぐる国賠訴訟に勝訴した人で、みずからの体験を通じて、「年金崩壊」の実情を告発したいというのがその趣旨である。

植田さんは、障害厚生年金を受給する資格があるにもかかわらず、なぜか障害基礎年金の裁定を受けた。その時は年金が支給されることに安堵して満足したが、その後、不当な裁定であることに気づいて、審査請求を行った。しかし、それは却下された。さらにその後、障害の程度が軽減したという理由で、障害基礎年金の支給も停止されてしまった 。そこで国を相手に、2013年に審査結果の取り消しを求める国倍訴訟を起こしたのである。

◆障害年金とはなにか?

障害年金とは日本年金機構によると、「病気やけがによって生活や仕事などが制限されるようになった場合」に、所定の手続きを経て受給できる年金のことである。障害年金には2つのタイプがある。障害基礎年金と障害厚生年金である。

一定の要件を満たしたうえで、「国民年金に加入していた場合は『障害基礎年金』、厚生年金に加入していた場合は『障害厚生年金』が請求」(厚生省のウエブサイト)できる。改めて言うまでもなく、後者の方が前者よりも支給額が高い。国としては、なるべく「障害厚生年金」の支給は控え、「障害基礎年金」に裁定することで、予算を抑制したいという思惑があるようだ。この方針の被害を受けたのが、植田さんである。

 

◆1970年に網膜色素変性症

植田さんは、1947年2月15日に高知市で生まれた。ごく普通の少女時代を送っていたが、小学生のときに初めて視力に異変を感じた。夜になると視力が落ちて、外へは出られなくなった。「鳥目」ではないかということで、学校が販売していた肝油を買って飲んでいたという。中学校のころには仮性近視と診断された。

しかし、昼間はごく普通の生活をしていた。視力によって生活に支障をきたすようなことは何もなかった。

実際、中学校を卒業すると集団就職で瀬戸内海を渡り、神戸市にある紡績会社に勤務するようになった。勤務は2交代制で夜勤になることもあったが、目に障害があるという感覚はなく普通に働いていた。小学生のころに体験した「鳥目」のことは忘れていた。

その後、高知市に戻り、看護婦の見習いとして働いた。保険の仕事なども体験したが、目に不自由を感じることはなかった。

植田さんが網膜色素変性症と診断されたのは、1970年6月だった。しかし、視力の衰えを感じて眼科医を受診したのではなく、縁談の話があったので、念のために眼に異常がないかを知るために眼科を受診したのである。その結果、網膜色素変性症と診断された。そのために縁談は破談となった。

その後、植田さんは別の男性と結婚した。

ちなみに網膜色素変性症は、視野狭窄を引き起こす病気で、進行すると失目に至ることもある。急激に病状が悪化することもあれば、ゆるやかに病状が進むこともある。植田さんが目に障害を感じるようになったのは、2000年のことだった。そこで眼科を受診したところふたたび網膜色素変性症(両眼)と診断された。さらにその後、大学病院でも同じ診断を受けた。

そこで植田さんは、2002年9月25日、網膜色素変性症を理由に障害厚生年金を申請した。その際に発病の起点としたのは、最初に網膜色素変性症と診断された1970年6月である。症状の悪化に伴う申請である。発病の起点となった時期に、植田さんは厚生年金に加入していたので、当然、障害厚生年金を受ける資格があった。

ところが裁定の結果、障害基礎年金になってしまった。そこで植田さんは、四国厚生支局の社会保険審査官に対して再審査を請求した。しかし、それは却下され、国倍訴訟起こしたのである。

◆網膜色素変性症発症の起点日は?

裁定が障害基礎年金になるか、障害厚生年金になるかは、いくつかの条件があるが、植田さんの場合は、網膜色素変性症の診断を受けた起点日である。20歳前にこの病気と診断され、20歳の時点で症状が固定していれば、障害基礎年金が適用される。これに対して20才を過ぎてから病気の診断を受け、しかも、その時期に厚生年金に加入していれば、障害厚生年金が適用される。

従って植田さんのケースでは、網膜色素変性症の診断を受けたのが、小学生の時期と判断できるのか、それとも縁談を機に眼科を受診して初めて網膜色素変性症の診断を受けた日(1970年6月)と判断するのかが、裁定の判断基準となった。話を複雑にしたのは、小学生のころに眼科で下された弱視の評価だった。弱視を、網膜色素変性症と解釈できるかどうかという点だった。半世紀近く前のことであるから、当時の診断書は残っていなかった。診断を下した医師も、すでに他界していた。

こうした状況の下で、社会保険事務所は、植田さんが小学生のころにすでに網膜色素変性症を発症していたと見なして、障害基礎年金の裁定を下したのである。

◆本人尋問

既に述べたように植田さんは、公式に網膜色素変性症の診断を受けた時期は厚生年金に加入していたので、障害厚生年金を申請した。ところが障害基礎年金の裁定を受けたのである。途中で障害基礎年金に申し立て内容を変更したこともなかった。職員が文書を改ざんしたり、偽造した疑いがあった。

裁判の判決は、植田さんが障害基礎年金と障害厚生年金の両方を申し立てたと認定している。しかし、植田さんの意識の中では、自分が申請したのは障害厚生年金だけである。この点は、裁判の中でも争点になった。

裁判の本人尋問の中で植田さんは、弁護士の質問に応えるかたちで、このあたりの事情を次のように説明している。

【弁護士】(障害基礎年金裁定申請書に)植田さんのお名前と判こがありますが、これは植田さんが書いたり判を押したりしたものですか。

【植田】私の字に似ていますけども、私はこういうものに署名したり判を押したりしたことは覚えていません。

【弁護士】この申請をしたときに、病気の初心日の説明はありましたか。

【植田】いいえ、私は全然、障害基礎年金の話は全く、一言も聞いたことないんです。

審査資料の中に「日常生活状況等申立書」という書面があるのだが、これについても改ざんの疑惑がある。

【弁護士】これは植田さんが書いたものですか。

【植田】字は似ているんですけども、わたしはこういう中途半場な書き方はしません。初診日から書くようになっていますから、私はこういう書き方はしていません。

障害基礎年金の裁定を受けたわけだから、当然、それの紐づけされた障害基礎年金の関する書類は存在する。これらの資料の作成過程について、弁護士は次のように質問した。

【弁護士】この障害基礎年金の申請書をいつ書いたか、植田さんは思い出せますか。

【植田】私、書いた記憶は全然ないんですよ。

さらに「病歴・就労状況等申立書」も、改ざんの疑惑があった。

【弁護士】この書類は大分、空欄が多いですが、植田さんはこのようにほとんど空欄にして提出したんですか。

【植田】いいえ、私は全て書きました。

【弁護士】詳しく書いたということですね。

【植田】はい。

このように植田さんの本人尋問では、障害年金の申請に使われた書面を誰が作ったのかがひとつの争点となった。植田さんは一貫して「役所」が改ざんした書面に基づいて、裁定が行われたと主張した。これに対して被告の国は、正規の手続きを経た上で裁定されたことを主張した。

両者の攻防は、「資料編」掲載した尋問調書に記録されている。

 

◆不十分な説明義務

判決は、2015年4月17日に言い渡された。植田さんの勝訴だった。主文は次のようになっている。

1,厚生労働大臣が原告に対して平成24年2月8日付けでした障害基礎年金及び障害厚生年金の裁定請求を却下する旨の処分を取り消す。

2,訴訟費用は、被告の負担とする。

ただ、判決では社会保険事務所が関係書面を改ざんしたとまでは認定していない。同事務所が植田さんを主導するかたちで裁定手続きを進める中で、十分な説明義務を果たさなかったために、植田さんには、本人の意志とはかかわりなく障害基礎年金を裁定する方向で、手続きが行われたように受け止めたというのが真相のようよだ。

障害年金の支出を抑制することが職員の念頭にあったので、十分な説明義務を果たさないまま都合のいいように手続きを進めたようだ。この事件に、年金制度そのものの崩壊の兆しがみえる。

 

【資料編】・・・・・・・・・・・・・・・・

■訴状

■判決1

■判決2

■判決3

■尋問調書1

■尋問調書2