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 大阪市長選挙で平成維新の会の橋下徹氏が圧勝した。この選挙を通じて、わたしは洗脳の恐ろしさを痛感している。

 大阪市民の多くが、閉そく感が漂うなかで、橋下氏のこれまでの政治家にない奇抜さを「新しさ」と勘違いして、投票したのではないかと思うが、実は同じような世論誘導現象が、1993年から繰り返されている。

 1993年は、小沢一郎氏が構造改革=規制緩和を叫んで自民党を飛び出した年である。細川内閣が成立して自民党の政権が崩れたことで、人々は新しい時代が到来するものと勘違いした。

 が、その新しさとは、自民党よりもさらに急進的な新自由主義の導入だった。小沢氏らが財界の要請に答えた結果だった。


 細川内閣の成立は、財界が自民党よりも新政権に肩入れした結果である。なぜ財界は新政権を選んだのか?それは小沢氏らの方が、自民党よりも新自由主義の導入に積極的だったからに他ならない。

 93年の「政変」は、日本の政治をより右よりにシフトする改革だった。それを新しさと勘違いしたのである。当然、メディアの責任も重い。

  ちょうどこの時期に、国際ビジネスの時代を見据えるかのように、多国籍企業の権益を守るシステム--海外派兵が始まった。海外派兵の名目は国際貢献になっているが、実質は企業が進出した地域の「治安維持」である。政変により企業が現地人の搾取により、ぼろもうけ出来なくなるリスクを、武力で回避するのが目的である。

 細川内閣の成立に真っ青になった自民党は、社民党と連立を組んで政権を奪還した。これが村山内閣である。以後、自民党もスポンサーである財界の要望に応えて新自由主義の政策に舵を切る。ところが自民党の票田は、地方の中小企業や商店主、それに農家等なので、彼らの権益を脅かす新自由主義の政策を急速に進めると、票田を失うことになりかねない。

 そのために新自由主義へ方向転換したが、構造改革=規制緩和の導入がなかなか進まない。その典型が森善郎内閣である。もたもたしたあげく、メディアのバッシングもあり簡単に辞任に追い込まれた。

  こうした自民党の焦りの中で登場したのが小泉氏だった。小泉氏は情け容赦なく、新自由主義の「改革」を断行する。ところが多くの人々は、この「小泉改革」が新自由主義を目指す改革であるとは認識できなかった。あるいは認識できても、新自由主義の本質がよく分かっていなかったようだ。(TPPが新自由主義の頂点)。

 かくて小泉改革を「新しい改革」と勘違いした。再び日本の国民は「新しさ」に騙されたのである。

  次に多くの人々が騙されたのが民主党による政権交代だった。この時も何か新しい改革が始まるに違いないという幻想が広がった。しかし、現実はどうだろうか?野田内閣は、率先してTPPを導入しようとしている。沖縄の基地問題に関するスタンスも自民党と同じた。

 自民党も民主党も財界をスポンサーとする政党であるから、根本的な部分では政策が変わるはずがない。もちろん枝葉末節の違いはある。しかし、それは本質的な部分ではない。建築でいえば、土台はそのままで、多少のリフォームをしたに過ぎない。
 
 当然、多くの人々が失望した。そこに登場してきたのが、地方政党と呼ばれるものである。名古屋市の例が最初で、今回、大阪市も地方政党である大阪維新の会・橋下氏が圧勝した。多くの人々が、「何か新しいことをやってくれる」と期待したのである。

 ところが皮肉なことに、橋下氏の勝利を受けて、早々と関西財界が歓迎の意を表明した。産経(電子版)には、次のようか記事が掲載された。

 大阪維新圧勝「非常に歓迎」関西経済同友会の大竹代表幹事
 

 自民党、民主党と同様に大阪維新の会のバックにも財界がいるのだ。大阪維新の会が、新自由主義から脱却して資本主義経済を修正する政党であれば、財界が支援を表明するはずがない。つまり大阪維新の会に現状の打開は難しい。改革は、現在の新自由主義の枠を超えることにはならないので、社会変革もあり得ない。

 それにしても93年から数えると20年もの間、日本国民は「奇抜さ」や「新しさ」に騙され続けてきたことになる。そしていまみたび地方政党に騙されようとしている。維新の会が、中央へ進出することは、悪夢に等しい。

 しかし、日本人はなぜこんなに簡単に騙されてしまうのだろうか?。しかも、同じタイプの判断ミスを繰り返すのだろうか?。

 答えは簡単で知らず知らずのうちに、われわれの頭が英雄史観に洗脳されているからだ。英雄史観というのは、英雄や偉人の出現によって、歴史が動くとする思想である。(この対極にあるのが、日本の学校ではマルクスに対する病的な偏見から絶対に教えない史的唯物論である。)

 英雄史観によれば、歴史を動かすのが英雄であるから、たとえば坂本龍馬が100年早く登場していれば、明治維新も100年早く起きていたことになる。このような歴史観は、たとえ中学や高校で歴史の受業を受けなくても、日常生活の中で自然に身についてしまう。

 たとえばNHKが放映している歴史ドラマ『坂の上の雲』は、典型的な英雄史観に基づいたドラマである。多くの人々は、無意識のうちに、英雄が出現すれば歴史が動くと考える。それゆえに橋下、小泉といった奇抜な政治家が登場すると、救世主と錯覚してしまうのだ。

  日本の学校で教えている日本史や世界史が、英雄史観に基づいていることは言うまでもない。そこでは社会がどのように進化していくかが、科学の観点から教えられることはない。歴史的事件を暗記することに主眼が置かれている。だから歴史的な事件がまったくの偶然性に基づいているかのような印象があり、歴史の必然的な流れが理解できない。当然、面白くない。

 フランス革命により人々は社会変革を期待した。しかし、革命は理想どうには進まなかった。フランス革命を推進した人々の政策、あるいは革命の基盤となった思想が啓蒙主義で、史的唯物論に基盤を置いたものではなかったために、現状分析を誤ったのがその要因だと思われる。当時の人々は頭の中で空想した理想が、現実とはかかわりなく、そのまま実現できると勘違いしたのである。

 その意味では、多くの日本人が民主党の理想論に多大な期待を寄せたにもかかわらず、失望させれた状況に類似している。(3800/4800文字)

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 大阪府寝屋川市で「杉並病」が発生しているのをご存知だろうか。プラスチック(ペットボトルを含む)の再処理工場から発生する悪臭をともった有機化学物質が引き金と思われる健康被害が、住民の間に広がっているのだ。

 この問題は現在、工場の操業停止を求める住民訴訟(大阪地裁判決は住民側敗訴)に発展している。

参考:訴状はここをクリック)

  寝屋川市の住民が訴えている症状としては次のようなものが報告されている。

目の異常:瞼が開かない、痛み、涙、かゆみ

喘息
頭痛
湿疹
化学物質に対するアレルギー(過敏症)

◇問題となっている2つの工場
リサイクル・アンド・イコール
  この会社は2003年7月31日に設立された。リサイクルプラスチックを原料としたパレット等の再生製品を製造販売する会社である。

 イコール社は、ワールド・ロジ社の100%子会社である。いわばプラスチック原料を使ったパレットの製造販売を実施するめに設立された会社にほかならない。

北河内4市リサイクル施設組合
 4市組合は2004年に設立された。目的は4市(枚方、寝屋川、四条畷、交野)から発生する廃プラスチックを収集し、分別や圧縮などの作業を行った後、製造業者に引き渡すことである。改めていうまでもなく4市組合(施設)の運営は4市の合同で行われている。

 公的な機関が廃プラスチックを収集・処理して、それを製造業者に渡すのだ。

 ちなみに容器包装リサイクル法(1997年)によると、「分別収集は市町村の責務であるが、分別収集された物の再商品化は特定事業者の責務」(訴状)とされている。地方自治体とリサイクル事業者が、共同で事業を展開する土壌があるのだ。利権が介在するリスクが生じるゆえんである。

 しかし、特定事業者は、事業を行うにあたって日本容器包装リサイクル協会で「再商品化事業者登録」を受けるか、主務大臣の認定を受けなければならない。これがなかなか難しいらしい。

◇2つの廃プラ関連工場
 廃プラスチックの流れを再度整理すると次のようになる。
一般家庭から破棄されたプラスチックが、市町村の手で収集され、プラスチック原料に加工される。

加工されたプラスチック原料を、日本容器包装リサイクル協会が受け入れる。同協会は、「入札により決定(落札)した再商品化事業者に対して廃プら処理を有料委託する。」(訴状)

 寝屋川市のケースで注目すべき点は、「4市施設と本件廃プラ処理施設(以下では「民間施設」という)とが極めて近接して位置しているという点である。つまり、被告イコール社は、郵送料がほとんどかからない分だけ、北河内4市の一部事業組合すなわち被告組合が圧縮梱包した廃プラ圧縮梱包物(被告イコール社にとっては原材料)を極めて低価格で請け負う(入札で極めて低価格の提示をする)ことが可能な仕組みになっているのである」(訴状)

◇樽床氏の秘書へも1500万円
 寝屋川市で公害の発生源になっているとされるワールドロジの子会社と当時の社長個人から、民主党の樽床伸二議員に2005年に多額の献金が行われていた。総額3500万円。このニュースは『毎日新聞』と『しんぶん赤旗』でも報じられた。

 しかし、さらに詳しく調べてみると、やはり05年にイコール社の社長から樽床氏の秘書にも1500万円が献金されていることが官報に掲載された政治資金収支報告書で明らかになった。厳密に言えば、献金先は、「政経フォーラム21(玉木潤一)」である。

  (注:04年6月現在の全衆院議員公設秘書調査リストに玉木氏の名前がある。ただし、献金を受けた05年の肩書は不明)(全文公開)

 21世紀臨調の運営委員に多数の新聞関係者とテレビ関係者が名を連ねている問題は、既報した通りである。政治家でもない一部の人々が、日本を代表する経済人であるからという理由で、あるいは巨大マスコミのメンバーであるからという理由で、日本の政治の方向性を提言し、それをメディアを通じてPRし、世論形成を意図している実態がある。(700/1500文字)

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 最近の政治報道を観察していると、明らかに視点が狂った報道が多い。フリーライターを含む大半のメディア関係者からバッシングされることを覚悟の上で、わたしはあえて言うが、政治勢力の客観的な対立軸の把握が誤っているのだ。

  言葉を換えれば、派閥抗争(身内のケンカ)と権力の移行を目指す戦い(広い意味での社会変革)を混同した報道が後を絶たない。

 その典型的な例は2つある。まず、第一に自民VS民主を政治勢力の対立軸と考える誤りである。わたしは民主党政権が成立したころから、この誤りを繰り返し指摘してきたが、最近の菅内閣の政策を見て、自民党政治と民主党政治は根本的な部分ではほとんど違いがないことに、多くの人々がようやく気づいたのではないだろうか。

 たとえば菅内閣になってから、法人税率が引き下げられたが、これほど露骨に財界に配慮した政策は、自民党の時代にも劣らない。沖縄の米軍基地の問題にしても、結局は、自民党と同じ方向へ行ってしまった。新自由主義の経済政策が、そのまま持続されていることは言うまでもない。

  こうした状況の下で新たに登場してきた視点が、自民党VS小沢一郎、あるいは菅政権VS小沢一郎を政治勢力の対立軸とするものである。あるいは民主党の中で小沢氏の派閥を真の「改革推進派」と捉える見方である。

 こうした視点が間違いであることは、小沢氏が93年に民主党を飛び出した後の奇跡をたどれば、簡単に見破ることができる。現在の格差社会は、新自由主義の経済政策によって生まれたのであるが、その新自由主義を最初に提唱したのは小沢氏である。そしてそれを最終的に完成させたのが小泉純一郎氏である。

(参考:規制緩和・新自由主義の提唱者、小沢一郎氏の『日本改造計画』(1993年刊)を再読する

 これはだれも否定できない客観的な事実であるはずだが、この点には一切ふれずに、小沢氏を改革者としてもちあげる報道が後を絶たない。しかも、残念ながら多くのフリーライターがこの役割を担っている。小沢氏を支援することが、現在の権力構造にメスを入れる作業だと勘違いしているのだ。(1200/2900文字、◇マルクスの説、ウォルフレンの説、◇フリーライターにも責任が)

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 1993年は、小沢一郎氏が自民党を飛び出して、新生党を立ち上げた年である。その後、非自民の連立政権が誕生することになる。

 この時期に小沢氏が執筆した著書に『日本改造計画』(講談社)がある。これは構造改革と新自由主義の導入を論じたものである。

 今、この本を読み返してみると、小沢氏が理想と考えた政策を最終的に小泉首相が断行したという感がますます否定できなくなる。自民党と小沢氏の対立点が曖昧になってくるのである。小沢氏は自民党の保守路線の「鷹派」だったという方が適切ではないか?

 改めて言うまでもなく小泉氏が目指した政策は、「小さな政府」のもとで、規制を撤廃し、経済活動を市場原理にゆだねる思想‐‐新自由主義である。ところが新自由主義を小泉氏よりも先に提唱していたのが小沢氏である。『日本改造計画』は、それを裏付ける著書とも言えるだろう。

◇エピソードが象徴するもの
 『日本改造計画』の冒頭で、小沢氏は米国アリゾナ州のグランド・キャニオンを訪れた時のエピソードを紹介している。大渓谷と対峙した時の光景を、小沢氏は次のように描写している。

 国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見あたらないのである。しかも、大きく突き出た岩の先端には若い男女がすわり、戯れている。私はあたりを見回してみた。注意をうながす人がいないばかりか、立札すら見あたらない。日本だったら柵が施され、「立入厳禁」などの立札があちこちに立てられているはずであり、公園の管理人がどんできて注意するだろう。
 
 このような光景を前に小沢氏は、かりにこれが日本の光景であれば、公園の管理者責任が問われる事態になると想像する。

 だから日本の公園管理当局は、前もって、ありとあらゆる事故防止策を講ずる。いってみれば、行動規制である。観光客は、その規制に従ってさえいれば安全だというわけである。
  大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守るわけである。

 ここで表現されている小沢氏の思想を整理すると次のようになる。

1,規制緩和・新自由主義の提唱
2,自己責任論の提唱
3,親米感情
 

◇新自由主義への賛歌
 この本の中身は、枝葉末節はあるにしろ根本的には規制緩和・新自由主義の導入を提唱したものである。たとえば次のようなくだり。

※いまこそ、われわれは自国の市場開放をテコとして、他国に市場開放を迫るという発想の転換を図らなければならない。

※新しい経済外交は、日本が自ら率先して国内市場を開放し、内外無差別の原則を徹底すべきである。

※(略)日本はもっと国内市場を外に向かって解放すべきである。政府の許認可権を含めて行政権を大幅に削る必要がる。こうして自由主義的な市場経済へより近づくことにより、欧米の地域主義への傾斜に歯止めをかけ、他方ではアジアの地域主義への動きを未然に防止する。

 ちなみに1990年代に入ってから自衛隊の海外派兵が急浮上してくる。日本企業の海外進出に伴う対策にほかならない。表向きは国際貢献ということになっていたが、本質は別にあったようだ。多国籍企業を進出先の国で起きる政変から防衛する体制の構築にあった。

◇小沢氏の思想を小泉氏が継承
 1993年は、バブル経済が崩壊した時期である。当時、小沢氏の『日本改造計画』は、斬新な思想として受け入れられた。それが本当の新しさなのか否かは、たとえばラテンアメリカにおける新自由主義の失敗例などを綿密に検証すればすぐに見破ることも出来たはずだ。しかし、多くの人々がメディアの宣伝に乗って、無批判に非自民の連立政権を受け入れた。

 ただ、皮肉なことに自民党の内部では、小沢氏の論理は必ずしも多くの賛同者を得ることができなかったようだ。かくて小沢氏は自民党を飛び出したのである。

 なぜ、自民党が小沢氏が提唱する規制緩和・新自由主義を受け入れようとはしなかったのだろうか?。答えは簡単で自民党の集票基盤となっている地方の中小企業主や個人経営者にとって、規制緩和・新自由主義の導入が壊滅的な打撃を与えるからである。自由競争になれば、中小企業よりも大企業の方が優位になるのは、論を待つまでもない。

 それゆえに自民党の「抵抗勢力」は、小沢氏とは方向を同じにしなかったのである。

 ところが財界は当然、規制緩和・新自由主義の路線を希望した。規制緩和・新自由主義こそ、彼らがぼろもうけできる体制であったからだ。たとえば企業で働く人々の非正社員化は、規制緩和の典型的な果実である。

  財界は自民党よりも非自民の連立内閣を支援するようになった。

 これに危機感を抱いた自民党は、強引に社会党に接近して政権を奪い返し、遅れながらも規制緩和と新自由主義の導入に踏み出すものの、なかなかドラスチックに政策を押し進めることができない。集票基盤を失うリスクがあったからだ。実際、森善郎首相に象徴されるよに「改革」にもたついたのである。

 そこに彗星の如く登場して情け容赦なく「改革」を断行したのが小泉首相である。

 こんなふうに考えると、小沢氏は現在の格差社会の生み親ともいえる。

 小沢氏が『日本改造計画』の時代から脱皮して、考え方を変えたというのであれば、自分の政策のどこが間違っていたかを国民の前に明らかにすべきだろう。
(全文公開)

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