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メディアが警察のPRを展開するケースが増えている。
12月20日に放送されたTBS「密着警察24時」は、恐ろしいドキュメントだ。明らかに警察が撮影したと思われる画像をたれ流して、警官の活躍ぶりを描いている。彼らを冷静沈着な善人、あるいは市民の模範生として描き出しているのだ。
12月21日には、TBSに続いてテレビ朝日も警官のドキュメントを放送した。年末の飲酒運転を取り締まる警官に密着して、飲酒運転で免停になるケースなどを紹介している。警官は、泥酔いした市民に対しても礼儀正しく、親切だと言いたいようだ。
12月22日付けの読売新聞は、小中学生の作文コンクール「わたしのまちのおまわりさん」の受賞作品を掲載している。このコンクールは読売などの主催で、警察庁や文部科学省などが後援している。
このうち内閣総理大臣賞に選ばれた作品のタイトルは、小学校低学年の部が「ありがとう おまわりさん」。小学校高学年の部は、「わたしたちのおまわりさん」である。
このうち前者は、東日本大震災の被災地の小学生が書いた作品で、震災で壊滅状態になった町に、たくさんの「おまわりさん」がやってきて、てきぱきと仕事をこなす姿を見て、感謝の気持ちを養ったという内容である。
後者は、交通事故の聞き取り調査をうけた作者が、「おまわりさん」がいかに心が温かい人々であったかを描いている。
これら警官をテーマにした作品を視聴したり読んだりして、わたしは病的に制作者の視野が狭いと感じた。もちろん子どもの作文に関しては、審査員の側に責任があるのだが。
そもそも映像作品や文芸作品(ルポ、作文、小説など)の面白さは、既存の価値観をはみだして、新しい要素を発見することである。警官のもっとも一般的でステレオタイプな人間像は、規律、親切、奉仕の精神、等で表現できそうだが、こんなことはわざわざ書かなくても誰もが分かり切ったことだ。
それゆえに被災地に警官がやってきて住民に対して親切に振る舞った体験を読んでも、警官についての新しい側面はなにも見えない。過去に形作られたイメージや概念の再生産にすぎない。
夏目漱石の『坊っちゃん』が高い評価を受けているのは、教員が絶対的な権威を振りかざしていた明治時代に、教頭や校長を時代遅れの人間として描いた点である。それだけ漱石の感覚が進んでいた証である。漱石がヨーロッパを見たから、明治時代の教員たちが古臭い感覚の持ち主に感じられたのではないか。
(1600/2700文字)

巨人の球団代表兼GMの清武氏の内部告発が波紋を広げている。特に清武氏が25日の記者会見で明らかにする新事実とは何かに注目が集まっている。
一部に「押し紙」ではないかという情報がある。新聞社の最大のコンプライアンス違反といえば、「押し紙」と「折込詐欺」であるからだ。
これを逆説的に考えれば、「押し紙」(読売は残紙と呼ぶ)を内部告発しないのであれば、今回の「反乱」も結局は、「コップの中の嵐」だったということになりかねない。読売は痛痒を感じないだろう。(3001000/文字、◇ワイドショー化した報道)

薬害エイズ裁判で、検察側証人として法廷に立った元福島医科大の助教授・内田立身氏の『真実を直視する』の中に興味深い記述がある。証人尋問の前に、安部英医師の弁護団の一人から事前の接触があったというのだ。
証言の日時が決定した2002年の暮れ、安部医師の弁護団の1人から電話があった。
わたしが控訴審の証人に立つ予定になっていることを知り、事前に面談してほしいというのであった。わたしは安部医師が行った非加熱製剤を使い続ける医療が誤りであったという立場から証言するのであるから、安部医師の弁護士と面談すること自体納得がいかなかった。敵に自分の手の内を見せる必要があるのかと思ったのだ。そこで丁寧にお断りをした。
ところがその弁護士は、その後も手紙や電話で何度も面談を申し入れてくる。 公判をスムーズに進め、1日で終わらせるために事前の面談が必要だといわれたが、正直なところ、わたしは相手の真意がよく分からなかった。(500/1000文字)

先月の13日に行われた対読売裁判(被告は新潮社と黒薮)で、読売の喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)は、わたしが「黒書」で原審判決を批判したことを批判した。次のくだりである。
黒薮氏は、自らの取材ないし執筆に問題があったとは全く認識していないようです。それどころか、逆に、法廷外で、インターネットを利用するなどして、原審裁判所を始めとして、根拠のない非難を裁判所に浴びせ続けています。
たとえば、原審の3人の裁判官の実名を挙げた上で、「3人の判事は、証拠として提出された書籍を全部読んでいない可能性が高い。新聞社のビジネスモデルを理解しないまま、判決を下したようだ」と決めつけ、あるいは、原審判決について、「結論を先に決めた判決であるから、書籍に裏付けがないと判断した具体的な理由を一行も記述できないのではないだろうか?」と非難しています。
この意見陳述の中で特に注意してほしいのは、「原審の3人の裁判官の実名を挙げた上で、」という箇所である。裁判官の実名をあげた上で、原審判決を批判したことを問題にしているのだ。
読者は判決を下した裁判官の名前をわたしが明らかにしたことを、どう考えるだろうか?裁判官の名前は匿名にすべきなのだろうか?
結論を先に言えば、わたしは報道に際して裁判官の名前は常に実名にすべきだと考えている。理由は簡単で、裁判官は一般市民が絶対に持ちえない特別な権限を国家から与えられているからだ。当然、判決には並みならぬ責任が伴う。
(900/1500文字)

文藝春秋社から出版された『ユニクロ帝国の光と影』(横田増生著)に対して、ユニクロが、37箇所に及ぶ名誉毀損があるなどとして、2億2千万円の損害賠償と出版差し止め、そして発行済み書籍の回収まで求めた裁判を起こしてから、4カ月。ユニクロは訴状を提供し取材に答えるなど正面突破の構えだが、文春側は取材にも応じず萎縮している。
『ユニクロ栄えて国滅ぶ』など批判的な論文を繰り返し掲載してきた『文藝春秋』はすっかり大人しくなり、高額裁判による口止め効果は抜群に表れた。一方、提訴後に柳井社長に『アエラ』表紙を飾らせた朝日新聞には、“ご褒美”として9月だけでユニクロ全面広告を7面も出稿。今回の訴訟では弁護士に6千万円もの成功報酬を積んでいることも分かった。読者は大手メディアがカネの力でコントロールされていることにどこまで気づいているのか。実態をリポートする。(続きはマイニュースジャパン)

さらに渡邊恒雄氏は、みずからの健康状態にも言及している。
私は依然、事実上の最高責任者として残りますが、八十五歳という高齢を考え、実務は白石興二郎君に、グループ・東京本社の代表取締役社長を任せることにしました。(略)
販売担当の宮本友丘君は東京本社副社長に昇格、私の直轄下で、東西の販売政策を指揮してもらいます。
内山君の病気のこともあるので八十五歳という最高齢で、事実上の最高責任者であるわたしの健康状態について報告しておきます。
今月、慈恵医大病院で、世界的な血管外科の大家として知られる大木隆生先生に、全身の内臓検査をしてもらいました。その検査結果の一部を読みます。
これは大木教授より読売診療所の近藤所長にあてられた報告書です。
「渡辺さんは、息切れなどの症状もなく、極めて健脚です。血液検査については、r-GTが少々上っている以外、異常はありません。肝機能は極めて正常です。
次に、心電図と脈波検査を行いました。血圧は正常、閉塞性動脈硬化症がなく、脚の血流が良好です。(略)
最も素晴らしいことは、八十五歳と高齢であるにも関わらず、脳に委縮が全く見られないことです。人間にとって肝心な脳、心臓、腎臓、肝臓が全て六十歳代と思えるほどの若々しさです。
東京慈恵医科大学外科学教授血管外科 大木隆生
読売診療所 近藤和興先生御待史」
以上が目下の私の健康状態なので、新社屋が完成する年、つまり米寿までは持ちこたえるでしょう。この世には小生が早く往生することを願っている人も少なくないようですが、その人達は失望されても仕方がないことです。(全文公開)

渡邊恒雄(読売新聞社の主筆で元新聞協会会長、新聞協会が選ぶ新聞文化賞の受賞者)会長のあいさつのうち読売新聞の収入に言及した部分である。
過去十年間の読売新聞の決算報告をもとに数字を申上げれば、この十年不況で日本経済が停滞し、また新聞外のメディア、特に電子メディアの普及等もあり、販売部数が減少したことは事実であります。
しかし、二〇〇二年三月期と、二〇一一年三月期の十年間の読売新聞の収入を申上げると、販売収入は二千六百四十九億円から九六・六一%の二千五百六十億円に減少、その落ち込み幅は三・三九%に過ぎません。その間のABC部数は千十五・二万部から、九八・七四%の千二・四万部に減少、落ち込み幅は十年不況の中で僅か一・二六%であります。
それに対し、景気をもっとも敏感に反映する広告収入は、千五百六・九億円から五三・一六%の八百一・二億円に減少、落ち込み幅は四六・八四%にも達します。
渡邊氏の発言を整理する次のようになる。
【販売収入】
2002年:2649億円
2011年:2560億円
【ABC部数】
2002年:1015万部
2011年:1002万部
【広告収入】
2002年:1507億円
2011年: 801億円 (1000/1500文字、◇ABCが微減で、広告収入が激減の理由)

臨時ニュース
十勝毎日新聞と販売店の間で争われていた地位保全裁判の控訴審判決が、29日にあり、販売店が逆転勝訴した。
(参考記事)毎日JP:地位確認訴訟:販売店契約拒否は無効
地方紙には司法のメスが入り始めた。しかし、国家権力と親密な関係にある中央紙は、無法地帯のままである。

『新聞研究往来』が7月8日に開かれた読売七日会・東京読売会の合同総会での渡邊恒雄会長(主筆で新聞協会が選ぶ新聞文化賞受賞者)の挨拶を紹介している。渡邊氏は、対新潮社(+黒薮)の「押し紙」裁判での読売の勝訴、原発推進の必要性、読売の黒字経営、それにみずから健康状態などに言及しいている。興味深い内容なので紹介したい。
◇対新潮社の「押し紙」裁判
「押し紙」問題については、渡邊氏もよほど気になっているのか、あいさつの前半で次のように述べている。
さて、震災後の五月二十六日に、読売新聞が週刊新潮の無責任なデマについて提訴した名誉棄損訴訟に対して賠償金の支払いを命ずる判決が出て、全面勝訴しました。
この新潮報道では、二〇〇九年六月十一日号で、「新聞業界最大のタブー´押し紙を斬る′」というタイトルで、「読売一八%、朝日三四%、毎日五七%が配られずに捨てられていた」と断定しております。判決では「読売新聞においては′押し紙´が存在すると推察することもできない」として、新潮報道が全面否定されました。
新聞が二割、三割、五割以上もの紙を配らずに捨てるというような不合理な無駄をしていれば、用紙代、印刷代、輸送費及び人件費の消耗で直ちに倒産しているでしょう。
◇宮本友丘副社長も「押し紙」を全面否定
ちなみに読売の宮本友丘副社長(当時は専務)も、証人尋問の中で読売の「押し紙」を全面否定している。尋問調書から引用してみよう。
喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。
宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。
喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。
宮本:はい。
喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。
宮本:はい。
(略)
喜田村:被告の側では、押し紙というものがあるんだということの御主張なんですけれども、なぜその押し紙が出てくるのかということについて、読売新聞社が販売店に対してノルマを課すと。そうすると販売店はノルマを達成しないと改廃されてしまうと。そうすると販売店のほうでは読者がいない紙であっても注文をして、結局これが押し紙になっていくんだと、こんなような御主張になっているんですけれども、読売新聞社においてそのようなノルマの押しつけ、あるいはノルマが未達成だということによってお店が改廃されるということはあるんでしょうか。
宮本:今まで1件もございません。(続く)
◇読売、広告主に販売部数も公表
ちなみに読売は、広告主に示す販売部数のデータも公表している。その数字はABC部数とほとんど変わらない。この数字が正しいとすれば、YCに搬入される新聞の大半が販売されていることになる。
http://adv.yomiuri.co.jp/yomiuri/busu/busu01a.html
(全文公開)

6月21日に逮捕されたフリー記者の田代祐治さんの起訴が決まったらしい。裁判は8月に始まるという。田代さんに関して次のようなことが分かった。
※現在も東京築地署に拘留されている。
※家宅捜索が行われた。
※スイカの窃盗は本人が認めている。
※車上あらしはやっていない。
※前科はない。
(参考記事)
東電会見出入り禁止 「ネイビー通信」の自称記者を車上荒らしで逮捕
(400/1400文字、◇拡張団による田代さん暴行事件)

本当に電力は不足しているのか?
日本には火力発発電所が2877ヵ所ある。これに対して原発は17ヵ所。もう少し厳密に比較するために、電力会社が所有する発電所だけを対象に比較すると、次のようになる。内閣統計局による2008年度のデータである。(160/1500文字)

首都圏が混乱に陥っている。理由は東北関東大震災で発電所がダメージを受けたことを理由に、東電が「計画停電」に踏み切ったことである。
わたしはこの「計画停電」についてある疑念を抱いている。もちろん単なる疑念であるから、確証はない。
結論を先に言えば、東電は電力が不足しているという「宣伝」を展開することで、原発がダウンすれば都市機能がパニックに陥るという暗黙のメッセージを送っているのではないかという疑いである。と、言うのも今回の原発事故で、国民の間に原発を容認しない空気が広がり、今後の原発推進が難しくなるからだ。
こうした状況の下で、国民が電力不足で引き起こされるパニックを体験すれば、原発を容認せざるを得なくなる。
以下、わたしの推測の根拠を示そう。
まず、複数の発電所が機能不全に陥っているとはいえ、地震に直撃された地域では、電力が使えなくなっている事実である。被災地で電力の供給がストップしているわけだから、相対的に電力の使用量も減るはずだ。発電所もダメージを受けたが、電力の需要も減っているのだ。(700/1300文字)

小沢一郎氏の何を評価するのか?
この質問を黒書とTWITTERの読者に投げかけたところ、次のような回答があった。全て匿名で紹介する。
■僕も小沢さんは保守新自由主義者と思います。なのに、左派の僕から見てもまともに見えてしまうほど、他がひどいのですよぉぉ。。
■約束を守ろうとする姿勢です。
■確かに小沢一郎氏が異常なまでに支持されている事に疑問も感じる。しかし、不当に彼が弾圧されようとしている状態も疑問。政治家のみならず、全ての人は少なからずウラがあるものかと。。。国と国民にとってベストではなくベターな選択は何なのか?そのベターを選べないのかと、、
■是非、明日の報道2001を見て小沢氏の話を聞いて下さい
■すみません。こちらの方が良かったかもしれません.http://iwakamiyasumi.com/
■小沢氏の人間関係に対する巧みさだろうね。よく言えば包容力がある、て言えるんじゃないかな。転校生がすぐその環境になれてリーダーになっていくやつと仲間外れになるパターンに似てるよね。転校する度に経験値を上げていく感じかな。そんなところがどこに行ってもリーダーになれる素養じゃないかな。政治家は政策で大きくなるんじゃないよ、きっと。それが日本人だよ。勝手な言い分ですいません。
■私なりの小沢氏への評価は、
戦後の自民党政権の米国従属からの日本の自立を進めていける唯一の政治家であるからではないかと思っている。
小泉氏は日本を完全に米国の属国化し、それにより大手マスコミからも評価を受けた政治家であるが、小沢氏は逆に日本の自立をしようとしたために米国によって政治生命を絶たれようとした。
米国は検察やマスコミを利用し、小沢氏を追い落とし、権力を剥ぎ取ることを行った。
それと並行して、民主党内の親米議員を利用し、民主党内を分裂させ、小沢氏のもくろむ日本の自立を防いだ。
鳩山氏が辞任したのも、菅氏が寝返ったのも、米国からの脅しがあったのだろう。
また、小沢氏は記者クラブの解放もしようとしたが、大手マスコミは既得権益を手放したくないため、こぞって、ありもしない「政治と金」問題で、小沢氏のイメージを悪化させ、世論操作をした。
大手マスコミは押し紙問題もそうであるが、日本にとって一番の悪の根源であると思われる。
(医療を崩壊させたのも大手マスコミが大きな原因でしょう。)
現時点で、米国から真の意味で独立を勝ち取れるのは、小沢氏以外にはいないであろうと思う。
◇小沢氏の批判
否定論も1件寄せられた。次の意見である。
■あんなのは第二自民党に過ぎません。お説のとおり1993年に構造改革を提唱した本をみな忘れてしまったようで。また、本の中で有名なグランドキャニオンの柵のくだりは、官僚に嘘を教えられたのを書いたという説もあります。
一部のメディアが小沢氏をバッシングして、逆に一部のメディアが小沢氏を賞賛している構図は、「自民党VS元自民党」の争いを想像させる。争いといっても、真剣勝負ではない。「肘があたった」、「肘をあてられた」程度の争いにすぎない。
こうしたメディアの操作のもとで自民党に不満を抱く人々が、小沢支持にまわる。その結果、看板は異なり中身は同じという現象が起こる。結局、なにひとつ時代は変化しない。自民党から民主党へ政権が移行した時と同じ現象が起きるだろう。(2700/5000文字◇『週刊朝日』の誤り、◇海外派兵と財界の関係)

7月11日に投票が行われた参議院議員選挙は、自民党が議席を伸ばして、民主党が議席を失い、結果として両党の議席バランスが修正される方向性が生まれた。正直なところ、予想したとおりの結果になった。2大政党制の確立へ向けて、布石が固まるかたちになった。
わたしは最近の政界の動きやメディアによる政治報道には、うさん臭さを感じてきた。物事の全体像を視野に入れずに、枝葉末節を捉えた議論に終始しているような印象を受けてきた。
極端な例が小沢問題である。公権力は、小沢を失脚させようという意図など最初から持っていなかったのではないか。小沢をバッシングすることで、自民党と民主党の議席バランスを取ろうとしていただけのことではいか。
有権者は見事に「猿芝居」に騙された。
「猿芝居」を演じることが現在の新自由主義を維持するための最も簡単で確実な方法であるからだ。このあたりのカラクリを日本のメディアは暴かない。メディア自身が分かっていないわけだから、暴露のしようもないが。
今回の参議院議員選挙の結果を最も歓迎しているのは、恐らく財界である。自民党か民主党のどちらかが政権の座にいる限り、彼らの権益が脅かされることはまずありえないからだ。(800/1100文字)

真村裁判がまもなく終盤にさしかかる。真村さんと読売のあいだで係争が始まってから、約10年。わたしが取材をはじめたのは、2005年であるから、すでに6年も真村事件を取材していることになる。
読売はこれまで真村さんを失職させようと、弁護士だけでも述べ10人近くを投入してきた。その中には、ロス疑惑の三浦和義被告や薬害エイズ裁判の安部英被告を無罪にした喜田村洋一弁護士も含まれている。(400/1800文字、◇米国によるニカラグア攻撃に類似、◇深刻な社会病理)

4月25日に沖縄県読谷村で、普天間基地の撤去を求める9万人規模の集会が開かれた。新聞各社はこのニュースを第1面で報じた。しかも、大きなカラー写真を使った紙面が目立った。
沖縄の基地問題を新聞各社が報じたことは、歓迎すべき傾向であるが、米軍基地の問題について、新聞関係者がどれだけ深い認識を持っているのかは未知数だ。問題の本質がよく分かっていない人も多いのではないか。
世論が基地反対の方向へ動いている事実が顕著になってきたから、9万人集会を大きく報じた可能性がある。つまり世論への迎合。報道のカメレオン化。あるいは新聞販売を意識して、世論に媚びたのである。
もちろん米軍基地に反対するスタンスで報道を続けていた社もあるが。改めて言うまでもなく、その典型は沖縄のメディアである。
驚くべきことに、改憲論を唱えたり、海外派兵を主張し、安保条約を容認してきた読売新聞までが、9万人集会を大きく報じていた。正直なところわたしは、みっともないと思った。新聞社としての信念がないと思った。(700/1700文字)

新聞社の「押し紙」問題と、携帯電話の基地局問題を通じて、日本の深刻な社会病理を感じている。
「押し紙」問題の背景にあるのは、部数至上主義である。結果、高価な景品を使ったり、時には「恫喝」を繰り返して新聞の購読契約を取り付ける手口が、長いあいだ放置されてきた。部数を延ばすことで、販売収入だけではなくて、広告収入をも増やそうというのが、新聞社の経営方針である。
本来、ジャーナリズムは真実を伝えることを命としているが、日本の新聞社は、ビジネスの方により熱心だ。どこか歪んでいる。
一方、電話会社は、携帯ビジネスに奔走して、携帯電話の基地局がもたらす健康被害のリスクをほとんどかえりみない。トラブルになっている地域の住民に話を聞いてみると、自分たちが知らないうちに、基地局が設置されていたというケースが目立つ。
抗議すると電話会社は、携帯電話の利便性ばかりを強調するという。しかし、住民の中には、「携帯など、通じなくてもかまわない」という人も少なくない。
実は、わたしも数年前に埼玉県朝霞市の自宅のすぐ真上に、基地局を設置されかけたことがある。ドコモとAUだった。ドコモには、「取材」もした。すると1通の手紙が送られてきた。内容は、今後の取材を拒否するというものだった。
おかしなことに、この手紙を読売が裁判に利用した。黒薮がいい加減な取材しかしていない証拠として裁判所へ提出したのだ。もちろん読売から、わたしに対し、この件に関して取材の申し込みはなかった。
その後、わたしはドコモとAUに、住民に迷惑をかけたことを謝罪するように申し入れたが、いまだに謝罪していない。まったく反省していない証である。
実際、ドコモはその後、わたしの住居から300メートルほど離れた、埼玉土建労働組合のビルの上にアンテナを立てた。さらに2キロほど遠方に、大きな鉄塔が2本立った。(この2本の鉄塔の所有者は確認していない。)
◇現在の「エコノミック・アニマル」
かつて日本人は東南アジアの人々から、「エコノミック・アニマル」と呼ばれた。が、それは過去のことではないようだ。
新聞社にしても、電話会社にしても、企業の収益を伸ばすためには、手段を選ばなくなっている。わたしや真村久三氏に対する読売の裁判攻撃は、その具体的な実例ではないか。
住民の合意を得ないまま携帯電話の基地局を建てる電話会社の姿勢も、常識を逸しているとしかいいようがない。それが将来、どのような健康上のリスクを発生させるか想像できないのだ。会社の方針となれば、簡単に良心を捨ててしまうのが当たり前になっている。
◇善悪を判断する能力を失った
このようなメンタリティーの人々が増えている下で、徴兵制が導入されたら、日本は一気に戦争に突き進む可能性がある。
どのようなプロセスを経て、日本人のかなりの人々が自分の頭で物事の善悪を判断する能力を失ったのだろうか。結論を先に言えば、それは受験体制ではないかと思う。1960年代の中教審「期待される人間像」あたりからおかしくなっていったのではないか。
受験は、教師の説明を鵜呑みにして暗記できる生徒が有利になる。疑問を挟む者は排除される。ある教師がこんな話をしていた。
「自衛隊員や警察官の子供はたいてい学校の成績がいいんです。なぜだか分かりますか?。生まれた時から、目上の人に従順に行動するようにしつけられているからです」
つまり従順な人々の中からエリート層が生まれるのだ。そのエリート層が新聞社や電話会社に就職する。その結果、どのような悲劇が起こっているからは、すでに述べた通りである。
もちろんすべてのエリート層が同じコースをたどるわけではない。なかには知的な力を使って、立派な仕事をしている人もいる。。
◇「スタンピード現象」
故・斉藤茂男氏がよく「スタンピード現象」という言葉を使われていた。これは野生動物の行動を表現する言葉である。
キリンやシマウマなどの野生動物は群れをなして生活する。群れの先頭が東へ駆け出せば、群れ全体が一斉に同じ方向へ駆け出す。先頭が方向転換して西へかじを切れば、群れ全体が西へ向かう。
新聞社や電話会社の実態の中に深い闇が見えてくる。(全文公開)

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