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群馬県草津市で社会保険労務士の事務所を経営する山本和久さんは、約20年前に、新聞奨学生として働いた体験を持つ。山本さんは日大の法学部に通うかたわら、奨学生として働いていた。新学期の開始を前に、山本さんにみずからの奨学生体験を語ってもらった。
◇奨学生に派遣先の決定権はない
・・・・どのような経緯で新聞奨学生になりましたか?
高校の卒業式をおえて1週間後に上京しました。わたしは、高校時代から下宿して学校に通っていたこともあって、親に経済的な迷惑をかけてしまった負い目がありました。
そこで大学は親に負担をなるべくかけたくないと考えて奨学生になったのです。学校の進路指導室には、「毎日育英会」の担当者が出入りしていました。この人の熱心な勧誘もあって、わたしは新聞奨学生になる決意をしたのです。
・・・派遣先の販売店は、どのようにして決められましたか?
上京するとわたしは新宿区にある毎日育英会の事務所を訪れました。新聞奨学生は、育英会の事務所に行ってはじめて、「配属先」が決まるようになっていました。
わたしはそこで、「キミはA販売店へいきなさい」という「辞令」を受けたのです。その日のうちに、2人の先輩がわたしを迎えにきてくれました。「あとは頼むよ」との一言で、私はA新聞店に連れていかれたのです。
◇勉学と仕事は両立しない
・・・どうような労働を体験しましたか?
「週休1日」でしたが、1日を完全に休めるわけではありませんでした。朝刊は休みでも、夕刊は配達するのが慣例になっていたからです。
朝刊配達は、カゼをひこうが親が死のうが休むことは許されませんでした。
配達には自転車を使いました。タイヤがよくパンクして、近くの自転車屋さんに持って行くのですが、そのたびに店主がイヤミをいうのです。なんでたびたびパンクするのかと。
毎日あれだけ重い荷物を背負うわけですから無理もありません。バイクは使用禁止でした。なぜならガソリン代を払うのがもったいないからです・・・。しかし、戸田方面を配達していたCさんだけはバイク使用が許されていました。
・・・労働時間の延長は日常茶飯と聞きましたが?
最も大変だったのは集金と新聞拡販でした。わたしは拡販のノルマはいつも未達成で店主に叱られていました。集金は毎月20日ころから始めて、月内に80%以上をやらないと、奥さんにおこられました。
いまでこそ、振替が進んで自動引き落としが当たり前になっていますが、あの当時は全戸集金でした。集金のためにお客さんの自宅を訪ねてもいないことがある。
集金を断られることもありました。結果、前任者などは、自分で購読料を立て替えて、奥さんに納めていました。
集金はお客さんが指定した時間にあわせていかなければなりません。もちろん無報酬です。配達とあわせると、1日に何時間拘束されるかわかりません。最低賃金法を下回っていたのではないでしょうか?
店主は、うちの新聞屋ほど待遇のいい新聞屋はないといつもいっていました。でも、Bさんは6年かかっても卒業できませんでした。店主にしてみれば、卒業してくれないほうが労働力が確保できてありがたいのです。
◇風呂は3日に一度
・・・生活環境はどうでしたか?
部屋に風呂がなくて、みんなで銭湯に行きました。毎日行けばけっこう金もかかる。それで風呂は3日に1回だったと記憶しています。給与は8万円ちょっと。2万くらいが食事代として控除されていました。
夕食は近所の仕出し屋のおかずを、自社で炊いたご飯と味噌汁でたべます。朝食はヒドイもので、(2400/3400文字、◇販売現場は問題のデパートメント)

7日に東京新宿区のプラスワンでシンポジウム、「新聞が絶対に書けない貧困ビジネス」が開かれた。会場発言から興味深いものを幾つか紹介したい。
◇「奨学生制度は職業安定法44条に抵触するのでは」
社会保険労務士の方から、奨学生制度は職業安定法44条に抵触するのではないかとの指摘があった。44条は次のように述べている。
第44条 何人も、次条に規定する場合を除くほか、労働者供給事業を行い、又はその労働者供給事業を行う者から供給される労働者を自らの指揮命令の下に労働させてはならない。
第45条 労働組合等が、厚生労働大臣の許可を受けた場合は、無料の労働者供給事業を行うことができる。
新聞奨学生は各社の奨学会に登録されている。奨学会は、登録した学生を新聞販売店に送り込む。送り込まれた学生は、販売店の指導下で業務に励む。
と、言うことは奨学会は、奨学生をかき集めて、パートの販売労働者を販売店に派遣していることになる。しかし、各販売店の業務には一切タッチしない。
本当に職業安定法44条に抵触するのか否かは、慎重に検討する必要がある。しかし、極めて疑わしいことだけは確かだ。
ちなみに新聞奨学生が重宝がられるのは、活力がある人が多い上に、店主の裁量でどうにでも扱えるからだ。
通常、新聞配達員の配達料は部数に応じて決められる。ところが奨学生は月給制なので、200部配達する人も、300部配達する人も原則として同じ給料。それゆえに過重労働になるケースがままある。
しかも、奨学金に縛られて、少なくとも1年間は退職できない。
◇新聞人が言論妨害の指示
販売店関係者から「黒薮からの取材には応じないように」との指示が出ているとの発言もあった。(1300/2000文字、◇販売店に「当たり」「はずれ」が)


かつて新聞社といえば、花形産業の代表格だった。社員の給料は高く、ひとたび入社すれば豊かな生活が生涯にわたって約束されていた。村の寄り合いでは、村長、警察、新聞記者が上座を占めた時代もあった。
一方、新聞販売の現場は昔から問題が山積してきた。社会問題のデパートと言っても過言ではない。ジャーナリズムの光が完全に遮断されているのがその原因と言えよう。
通常、深刻な社会問題があるところに記者の眼が惹きつけられるはずだが、新聞販売の現場だけは例外だ。
販売現場の社会問題とは具体的には、「押し紙」(偽装部数)、販売局の不正経理、新聞拡張団と暴力団の癒着、政界との「情交」、警察との協働、販売労働者の劣悪な労働条件などである。
最近、外国人の新聞奨学生に海外のブローカーが介在していることも判明した。新宿の大久保にたこ部屋(マンションの一室)があるという情報を得ている。
新聞社の方針により、最も被害を受けているのは新聞奨学生と言っても過言ではない。彼らは、新聞業界の中でどのようなポジションに置かれ、どのように「利用」されているのだろうか。
◇販売労働者の低賃金
新聞販売店で働く人々の給料が極めて低いことは、周知の事実である。待遇は新聞社の系統によってもかなり異なるが、わたしが知る限り大半は年収300万円以下である。
待遇が悪いのは、「押し紙」などで販売店の経営が圧迫されているからである。これが原因となって、さまざまな諸問題を誘発している。
たとえば労働条件が悪いので優秀な人材が販売店に定着しない。その結果、販売店は履歴書を持参して面接に来たひとをだれでも採用する傾向がある。人手がなければ、新聞を配達できないからだ。
従業員の定着率が低いだけであればまだしも、新しく採用した人物の中に犯罪者や前科者が紛れ込んだりする。その結果、新聞拡販のときに、恫喝などが発生する場合がままある。近畿圏のある店主さんが言う。
「出来ることなら優秀な人を採用したいですよ。しかし、深夜労働を含む上に待遇が悪いですから、優秀な人はなかなか来ません。どの販売店も同じ悩みを持っています」
こうした業界事情の下で、重宝がられてきたのが新聞奨学生である。働きながら勉強をしようという人たちだから、もともと真面目な人が多い。仕事にも熱心だ。その上、賃金が安い。さらに奨学会に学費を負担してもらっているので、途中で退職することができない。
俗に言う読売「上村過労死事件」は、こうした状況の下で起こった。
1990年12月4日、読売・調布サービスセンターで働いていた上村修一さんは、仕事中に小脳出血で倒れ、搬送先の病院で亡くなった。
事件から3年後の1993年、上村さんの両親は読売新聞社や読売育英奨学会などを相手取って6900万円の損害賠償を求める訴えを起こした。
裁判そのものは和解で決着したが、この裁判を通して、新聞奨学生の劣悪な労働環境がクローズアップされたのである。
◇手取額が6万円
わたしの手元に、一枚の給料明細がある。毎日新聞○○販売所(荒川区)で働く奨学生のものである。これまで販売関係者の給料明細を何枚か入手してきたが、以下に紹介するものは、最も給料が低い例である。(2000/3100文字、◇著しい賃金格差)




















