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22日に放送された「激震マスメディア」について新聞販売黒書やTWITTERにいくつかの意見が寄せられた。また、知人と直接に意見を交換した。
◇老人VS若者
当然、番組を評価する意見と批判する意見があった。まず、番組を評価する声を紹介しよう。元販売店主の声である。
「直接、『押し紙』問題をテーマとして取り上げることはなかったが、高く評価できると思う。『押し紙』を語らなくても、メディア業界に激震が起こっていることがよく分かった。出演者のうち、テレビ業界と新聞業界の代表は、時代の流れを把握し切れていないという印象を受けた。過去の栄光にすがりついてしまい、いまだに自分たちが世界を牛耳っているような感覚から脱し切れていない。だから危機に立たされていることにも気づいていないかも知れない。NHKがこんな番組を放送するとは思わなかった」
個人のプログにも的確な感想が綴られている。たとえば「さとなお」さんのブログである。(http://www.satonao.com/archives/2010/03/nhk_1.html)
この番組、放送業界・新聞業界の代表と、IT系代表、評論家、学者などの対談で進められたのだが、代表者たち(社会的に偉い方々)の「変化に対して身を守ろうとする姿」「時代の変化を受け入れない態度」などが露わになってしまった。もちろん業界代表としてのポジション・トークもある。でもそれだけではない。映像は怖い。すべてが映ってしまう。いかに取り繕っても、裏側が透けて見えてしまう。
◇議論の前提がフィクションでは・・・
これに対して、番組に批判的な意見の代表格は、「押し紙」問題に正面から取り組まなかったというものだった。わたしも全く同じ感想を抱いた。なぜ、「押し紙」問題を表に出すことが必要なのだろうか?
まず、それは「押し紙」の実態を隠してしまうと、議論の大前提が狂ってしまうからだ。議論の前提(それはジャーナリズム活動の大前提でもあるのだが)とは、客観的な事実を正確に把握することである。すべて事実から出発して、議論を深めるのが鉄則である。
番組の冒頭で、日本の新聞の発行部数が紹介された。しかし、「これには『押し紙』が含まれている」という説明は一切なかった。その結果、嘘の前提に基づいて、議論することになってしまったのである。(1300/1900文字、◇番組の信ぴょう性に赤信号)

「押し紙」問題をどのように扱うかで、メディアの性質が見えてくる。12日にNHKのクローズアップ現在が、「変わる巨大メディア・新聞」を放送した。わたしは視聴しなかったが、新聞販売黒書の読者から、番組を疑問視する声が届いた。
それは「押し紙」問題を完全に隠した上で、新聞を論じているという批判だった。販売店サイドからも同じ声が上がっている。NKHは公共放送の役割を果たしていないのではないかと。
本来であれば、番組を視聴したうえで、番組批評をすべきだが、NHKが「押し紙」問題を報じない事情について若干コメントする。
◇偏向したNHKの報道
クローズアップ現代に「押し紙」問題にが触れなかったことが事実とすれば、番組制作がずさんとしかいいようがない。放送が偏向していると批判されても仕方がないだろう。と、いうのも「押し紙」こそが、日本の新聞社経営を欧米の新聞社経営と区別する著しい特徴であるからだ。
紙面広告の掲載料も、「押し紙」による公称部数のかさ上げで、パブル状態になっている可能性が強い。だから広告の問題と「押し紙」問題は、表裏関係にある。
「押し紙」が排除されると、業界に革命的な変化が起こるのは疑いない。
この問題から視線をそらすのなら、日本の新聞社が直面している問題の本質が隠れてしまう。メディアの役割は真実を伝えることではないだろうか。
改めていうまでもなく、日本の新聞社の経営が悪化している最大の原因は、「押し紙」を維持できなくなってきたことである。「押し紙」によるバブルで、これまで好調な経営を維持してきたのだから、この点を隠してしまうと、まったく真実は伝わらない。
NHKはこのあたりの事情を知らないのだろうか、それとも知っていて一般の人々には知らせないのだろうか?
民間の放送局は、その大半が新聞社の傘下にあるので、「押し紙」問題の報道は容易ではない。それを補うかたちで、雑誌とネットが「押し紙」問題を報じてきた。NHKはどうか? 最も財政に恵まれ、報道の自由が保証されているはずのNHKはどうだろうか?
不思議なことにNHKは、「押し紙」問題を一度も報じたことがない。わたしが把握している限りでは、YC水呑(広島)と読売の裁判について、NHK広島放送局からわたしに問い合わせがあったのがすべてだ。
◇新聞人の年頭所感にも「押し紙」の文字はなし
新聞関係の業界紙には、毎年1月、新聞関係者の年頭所感が掲載される。わたしは毎年、新聞関係者の誰かが「押し紙」問題に言及するのではないかと期待を寄せてきた。しかし、今年もだれ一人として、「押し紙」のことを口にする者がいなかった。
あいかわらず「押し紙」などどこにも存在しないという壮大なフィクションを前提にして、新聞を論じているのだ。
わたしは日本の新聞経営者のメンタリティーがよく理解できない。まず第1に、大問題と正面から向き合うことを避けて、新聞人としてのプライドはないのだろうか。第2に「押し紙」問題を放置しながら、どのようにして自分たちの業界を、あるいは自分たちの将来の生活を守るのつもりなのだろうか。
◇政界にも配慮か?
NHKが「押し紙」問題を報じない理由は、政界とのからみもあるからではないか。新聞社は日本の権力構造の中に「広報部」として組み込まれている。実際、驚くべきことに政界工作に奔走する老人も存在する。(1300/2500文字、◇21世紀の村社会)

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