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沖縄・宜野湾市の市長選挙をめぐり、沖縄防衛局長が宜野湾市に住む同局の職員やその親族を集めて、「講和」を行っていた問題が発覚した。
宜野湾市の市長選は、2月5日に告示される。現在、自民と公明が推薦する自民党県議の佐喜真淳氏(47)と社民、共産、社会大衆党が推薦する元市長の伊波洋一氏(60)が立候補を表明している。
こうした状況の下で、共産党の赤嶺政賢議員が、31日の国会質問で、沖縄防衛局が職員の身うちで宜野湾市に在住する住民のリストを作成させ、「講和」を聴衆させた事実が暴露された。
この事件を伝える新聞記事を読んで、わたしは違和感をもった。たとえば、読売は次のように報じている。
米軍普天間飛行場を抱える沖縄県の宜野湾(ぎのわん)市長選(2月12日投開票)をめぐり、防衛省沖縄防衛局の真部(まなべ)朗(ろう)局長(54)が、同市に住む同局職員と親族に関するリストを作り、市長選への投票を呼びかけていたことが31日、明らかになった。[2月1日 3時3分]
防衛省沖縄防衛局の真部(まなべ)朗(ろう)局長が、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市長選(12日投開票)への投票を呼びかける講話をした問題で、同省は2日午前の衆院予算委員会理事会に提出した調査報告書で、呼びかけは真部氏の発案だったとした上で、真部氏や出席者からの聞き取りをもとに作成した講話要旨を公表した。[2月2日、11時56分]
防衛省沖縄防衛局の真部(まなべ)朗(ろう)局長が、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市長選(12日投開票)への投票を呼びかける講話をした問題で、田中防衛相は2日午後、国会内で真部氏から直接事情を聴取した。[14時8分配信]
これら記事を読む限りでは、選挙管理委員会の長でもなんでもない真部朗局長が市長選の投票率を上げるための講和を開いたという意味になる。常識的にはそうとしか解釈できない。
しかし、真実は異なる。(1300/2000文字)

『週刊朝日』の緊急増刊として発行された『朝日ジャーナル』が「政治の未来図」という特集を組んでいる。冒頭インタビューに読売新聞社の会長兼主筆、元日本新聞協会会長、2007年度の新聞文化賞受賞者の渡邉恒雄氏が登場して、自論を展開している。
■「市民」という概念は、ヨーロッパでブルジョアジーが力をつけ、絶対王制に反抗して発言権を高めようとした頃の言葉で、現代の日本で政治を語る際に普遍性をもった言葉として成り立つかどうかは疑問です。
■中曽根内閣は売上税で失敗したけど、消費税の導入にも一応、唾をつけた。あのとき売上税を通してれば、今ごろ消費税は10%で、財政はこんなに悪化してないですよ。
■消費税ってものがなかったら、日本の財政はもう破綻しているね。
■原発のストレステストと並行して、安全が確認されたものからどんどん再稼働しないと日本中が電力不足になり、産業の空洞化が始まります。企業が次々に、法人税が安くて、電力が豊富な国へ逃げまよ。
■僕はむしろ、絶対安全な原発を日本でつくって、中国に輸出したらいいと思う。日本製を使ってくれよと。おたくの原発は危ないよと。
■総理になる前から僕は(野田さんを)支持してるんだ。自民党の下手な人よりも野田さんのほうがいいですよ。
まるで現在の二大政党制の下で進んでいる政策は、個々の政策を見れば多少の問題はあるが根本的にはさして悪くはないと言わんばかりの発言内容である。しかも、明らかに事実の認識が間違っていると思われるものも含まれている。
たとえば消費税についての発言である。あたかも消費税が日本の財政を救済するかのような発言だが、次のような見方もある。斎藤貴男著『消費税のカラクリ』(講談社)の書評を引用してみよう。
〈消費者は自らが消費税を負担しているつもりでいる。ところが法律上、納税義務者は事業者すなわち個人事業者や法人であって、消費者ではない〉(43ページ)
事業者は〈事業の業績とは何の関係もなく、大赤字だろうが〉税務署に消費税を納めなければならない。しかし、〈不況ゆえに激化した市場競争にあって、いわゆる「価格に消費税を転嫁できない」事業者が激増した〉と斎藤氏はいう。
不況で仕事が減り、事業者間の競争が厳しくなるなか、下請け、孫請けの中小・零細の事業者は、元請け業者から消費税以上の値引きを迫られ、一方で商品やサービスの価格に消費税を転嫁できず、結果として赤字を強いられる。それでも消費税は納めなければならない。資金繰りに行き詰まり、滞納を重ねて差し押さえにあい、自殺に追い込まれる事業者も出てくる。
それに対して、大企業は消費税導入によって利益を得た。消費税を財源として法人税減税がなされただけではない。輸出戻し税制度によって、輸出企業が仕入れのために支払った消費税分はほとんどが還付されるという。
それにしても『朝日ジャーナル』の変節は情けない。
◆木を見て森を見ない山口教授の認識方法
渡邉氏に続いて、北海道大学の山口二郎教授が「政治的意思のない民主党が抱いてきた大きな錯覚とは」と題する評論を寄稿している。
結論を先にいえば、これも個々の政策を評論して、民主党政権には多少の欠点はあるが、基本的には評価できるというものである。(2100/3300文字)

1日付け読売新聞は、「特別面」に「中学教科書にも新聞」という見出しの記事を掲載している。漢字にはすべてルビが付いてる。おそらく子供も理解できるように配慮した結果である。
実際、この記事はNIE(newspaper in education、教育の中に新聞を運動)について述べたものである。リードは次の通り。
新学習指導要領により、中学校で新聞を活用する学習(NIE)が来年度から全面的に始まります。新しい中学教科書にも新聞を使った単元が入ります。どんな内容なのか、どのような授業が行われるのか、紹介しましょう。
紙面に登場してNIEについて説明しているのは、なんと文部科学省視学官の三好仁司氏である。
来年度からの教科書は、面白い。新聞やテレビ、ネットなどメディアの特性や違いを学んだうえで、各社の新聞記事を比べたり、資料として使ったりと、実際の紙面を具体的に題材にすることで、興味を引き出す工夫が随所に見られます。
◇国策としてのNIE
文部科学省視学官が日刊紙に登場して、NIEのPRを展開していること自体を、問題視する意見もあるかも知れない。文科省の方針を新聞がそのまま紹介しているわけだから、読売が「広報紙」の役割を果たしているともいえる。
NIE自体はかなり前からあったが、なぜ、今の時期にNIEの推進役として文科省が前面に出てきたのだろうか。2つの答えが想定できる。
まず、第1は全体的に児童の読解力が低下しているから、新聞を通じて、能力の向上を目指そうという意図である。
新聞社が経営難にあるために、国策として新聞を教育現場へ持ち込むことで、新聞社に利益をもたらそうという意図である。もちろんこれは推測の域を出ないが、文科省がバックアップしてNIEが広がることで、新聞社の販売収入が大幅に増えることだけは間違いない。
かくて両者の関係は一層親密になる。
◇子供にバーベルを使った筋トレは危険
NIEには児童にとって、どのような弊害が生じる危険性があるのだろうか?(1300/2200文字)

9月19日に明治公園(東京都)で「さよなら原発集会」が開催された。 朝日新聞や共同通信の報道によると、参加者は約6万人。一方、読売は「3万人以上」と伝えた。両者の間で大きな数字の乖離が生じた。
6万人という数字は、主催者の発表である。一方、3万人は警視庁の発表である。情報源をどこに求めるかで、報道内容は大きく異なってくる。
また、読売が社会面で1段記事の扱いにしたのに対して、東京新聞や朝日新聞など多くの新聞は第1面で報じた。
つまり客観報道は幻想にすぎない。報道する側の観点で記事の内容や扱いが大きく異なってくる。
こんなことはわたしがわざわざ指摘するまでもなく常識である。ところが読売は客観報道の「神話」をいまだに過信しているようだ。
わたしの手元に読売の代理人で、読売の販売政策をサポートしている近藤真弁護士らが客観報道に言及した文書がある。喜田村洋一弁護士に対する懲戒請求申立に対する「弁明書」の中の一文で、次のように述べている。(700/2100文字、◇原発を推進してきた正力松太郎)

読売新聞が5回に渡って「環境過敏症」と題する特集を組んだ。これは低周波音や携帯電磁波による公害などを取り上げたものである。
5回の連載のうち第3回に紹介された沖縄県のケースと第4回に紹介された宮崎県延岡市のケースは、わたしも昨年の春に取材をして、自分の単行本『危ない!あなたのそばの携帯基地局』や、マイニュースジャパンの記事に反映させた。
記事に誤った記述があるわけではない。電磁波の「安全」を強調しているわけでもない。しかし、記事には欠点がある。肝心の電磁波公害の加害者が匿名になっている点だ。
ちなみに沖縄県のケースで匿名になっている電話会社は沖縄セルラーである。延岡市のケースは、KDDIである。後者のケースでは、基地局の撤去を求める住民たちに対して誠意を見せないKDDIの姿勢が大きな問題になった。
住民たちは、単に健康被害に悩まされるようになったからだけではなくて、KDDIに怒って訴訟に踏み切ったのである。ところが記事はこのような経緯には一切ふれていない。
次のような記述を読者はどう受け止めるだろうか?
同市大貫町の3階建てマンション屋上にアンテナ3本が立ったのは06年秋。間もなく周辺300メートルの範囲で住民に体調不良が多発した。
(記事の全文http://bit.ly/piqtKf)
非生物であるアンテナは自分で立つわけではない。だれかが意図して立てたのである。それゆえに住民との間にトラブルが起こったのであるから、次のように書くのが原則だ。
KDDIが同市大貫町の3階建てマンション屋上にアンテナ3本を建てたのは06年秋。間もなく周辺300メートルの範囲で住民に体調不良が多発した。
こんな「カレッジ・ペーパ」並みの初歩ミスを犯しているのだ。それともKDDIに配慮して匿名にした可能性もあるが。
ちなみに「過敏症」という言葉は、被害者の間では、差別用語ではないかという議論もある。実際、電磁波は「環境ホルモン」の一種であるから、だれでも被害(シングル・ヒット)を受ける可能性がある。(全文公開)

数日前からある人物の逮捕劇が話題を呼んでいる。話題の引き金となったのは、読売などが記事化した次の事件である。
東京・銀座の路上で車上荒らしをしたとして、警視庁築地署が、福島第一原子力発電所の事故に関する東京電力の会見に「ネイビー通信」記者を自称して出席していた住所不定、無職田代裕治容疑者(36)を窃盗の疑いで現行犯逮捕していたことが同署幹部への取材でわかった。逮捕は6月21日。
同署幹部によると、田代容疑者は6月21日朝、東京都中央区銀座の路上で、駐車中の無施錠の車の助手席にあった定期入れからSuica(スイカ)1枚を盗んだ疑い。車の所有者の男性(33)が車を物色していた田代容疑者をその場で取り押さえた。
田代容疑者はネットカフェで寝泊まりしていたといい、逮捕時の所持金は約1000円だった。「交通費が欲しかった」と容疑を認めているという。(2011年7月1日11時27分 読売新聞)
記事を要約すると、記者会見の場で東電を追及していた「ネイビー通信」の田代祐治記者が6月21日に、SUICAを1枚盗んだ疑いで逮捕されたというものである。
◇記事を選択する眼
日常の中で発生する事件は尽きない。無数の事件の中から、公益性のあるニュースを選択して報道するのが、新聞の役割である。もちろんこれは一般論であるが、一応の道理はあるといえよう。(1100/3500文字、◇記事にする価値はあるのか?、◇田代さん暴行事件)

国際癌研究機関(WHOの下部組織)が、携帯電磁波の発ガン性を警告する見解を発表したことを報じた『読売新聞』(6月1日、電子版)の中で、癌とコーヒーの関係に関する次の記述がある。
(略)
ただ、今回の評価では、携帯電話使用と発がんの因果関係は5段階の分類で3番目と、コーヒーの摂取やガソリンの排ガス吸引などと同じレベルとされた。因果関係が最も確かなレベルに分類されている喫煙などと比べると不確かな部分が多い。
国際がん研究機関は、昨年5月には「携帯電話の使用が脳腫瘍にかかる危険性を増やすとは認められない」との調査結果を発表していた。今回はこれを修正した格好だが、「携帯電話を使えばがんにかかるということを意味するものではない」と改めて強調している。
これら2つの記述のうち最初の記述について、信ぴょう性を検証した。「黒書」の読者から提供があったWHOの文書を点検したところ、コーヒーが発癌リスクに関する5段階評価の「3」に指定されているのは事実であることが判明した。ただ、読売記事にある「不確かな部分が多い」という記述は、正確とは言えない。
WHO文書は、次のようになっている。(700/1400文字)

このところ新聞関係者の感性がおかしくなっていると感じることがままある。たとえば京都大学の入試で発覚したカンニング事件の報道では、高校の新聞グラブによる学内新聞が、取るに足らない話題をさも大げさに1面トップで報じた時に感じるような滑稽さを味わった。
この事件は周知の通り、試験中に試験問題を携帯電話でヤフーの質問投稿欄に送信して、返信されてきた答を回答欄に記入したものである。
犯人の予備校生が逮捕されたのは、3月3日。翌4日の朝刊各紙は、1面でこのニュースを報じた。わたしがチェックした朝日と読売では、1面のトップ記事になっていた。
が、冷静に考えたとき、カンニング程度の事件を1面のトップ記事にすること自体が異常ではないか?わたしは編集者の感性を疑ってしまった。欧米の新聞ではまずありえないことだ。
しかも、この日、自宅のポストには、朝日新聞の見本紙が無料で投函されたのである。(600/2500、◇恐るべきエリート意識、◇ワイドショーの感覚)

自民党が政権の座を明け渡して、政権交代が実現した時、自民党の応援団は別として、政権交代を否定的な観点から報じたメディアはほとんど存在しなかった。少なくとも形の上では、民意によって初めて政権が交代した現象を高く評価したのである。あたかも民主主義が成熟した成果のように。
小沢氏が高い評価をうけるのも、政権交代の立役者との見方があるからだ。
わたしも当初は、民主党の果たした役割をある程度評価した。しかし、冷静に考えると、この政権交代は意外に「くせもの」かも知れない。
10年後の政治学者は、民主党による政権交代を、2大政党制への布石だったと位置付ける可能性もある。さらにメディアが連動して、自民と民主の議席バランスを取るために、それをバックアップしたと解釈するかも知れない。
最近、議員定数削減の問題をよく耳にするようになった。表向きの理由は、予算の無駄づかいをなくすことである。しかし、本当の理由は、2大政党制をより確かなものにすることにあるのではないか。(600/1100文字)

最近のメディア報道でどこかおかしいと感じるのは、小沢一郎氏をめぐる報道だ。新聞による小沢バッシングが不当だというのではない。それとは逆に小沢氏を正義の代表のように持ち上げて擁護する側の論理である。
小沢氏とは一体、何者か?政権交代を成し遂げた正義派の英雄なのだろうか?彼が首相になれば、日本は変わるのだろうか。答えはNOだ。絶対に変わることはあり得ない。
小沢氏の本質を知るためには、1990年代までさかのぼらなくてはならない。具体的には1993年の連立政権成立にいたる過程を検証する必要がある。
◇自民党内部で構造改革を提唱した小沢
日本経済を破綻させた原因が、小泉氏が断行した規制緩和・構造改革にあることは万人が認めるところである。「小泉改革」で格差社会が現れた。しかし、彼はなぜドラスチックな改革を断行することになったのろうか?
元々、最初に規制緩和・構造改革を唱えたのは小沢氏だった。それは経済のグローバル化の中で、日本の財界が望んだ経済政策だった。当時、自民党員であった小沢は、党内で構造改革を主張したのである。
しかし、構造改革を進めれば、自民党の有力な票田となってきた自営業者の自民党離れを招くことになる。そのために自民党の抵抗勢力は、構造改革へと一気に突き進むことには消極的だった。
そこので財界は小沢氏を支持。小沢氏は1993年の政変で細川内閣を誕生させ、自民党を下野に追いやったのである。このあたりの事情について、政治学者で一橋大学の渡辺治教授は、『構造改革の時代』で次のように書いている。
(自民党が)政権の座から滑り落ちた直後、財界は「無情」にも、それまで毎年行ってきた、120億円にのぼる自民党への献金斡旋を中止してしまった。自民党は青くなった。自民党はなりふり構わず社会党と組んで、村山政権を樹立し政権の座に返り咲くとともに、「構造改革」の推進に踏み切ることによって転向を表明した。こうして、自民党は「構造改革」推進政治へと舵を切ったのである。
しかし、村山富市氏の後に首相となった橋本、小渕、森の各首相も「構造改革」推進にもたついた。おそらく票田を失うことを懸念したのである。そこに彗星の如く登場して、情け容赦なく「構造改革」を断行したのが小泉氏である。
◇自民と民主、中身は同じ
つまり小沢氏の考え方は、自民党よりも財界よりなのだ。(1400/2200文字)

6月16日付けの日経新聞の1面トップに「携帯基地局を大幅増設」というタイトルの記事が掲載されている。リードは次の通りである。
NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯電話3社は2010年度に基地局を大幅増設する。3社の基地局は簡易型も含め前年度末比10万局増の約30万局となる。
スマートフォン(多機能携帯電話)の普及で通信量が急増。一部で通信しにくくなる問題があるほか、年末にはより大容量の次世代サービスが始まる。携帯各社の顧客獲得競争はエリアの拡大から品質の向上にシフトしており、顧客の利便性向上にもつながる。
リードに続いて約80行の記事が掲載されている。しかし、基地局から発せられる電磁波の危険性を指摘する記述はどこにもない。
かりにわたしが日経新聞の編集長であれば、関連記事として、電磁波の危険性を指摘する記事も掲載する。さらに基地局設置をストップさせるために、電話会社を批判する大キャンペーンを展開するが。それがジャーナリストの普通の感覚であるはずだ。
ところが日本の新聞人は・・・・・・(700/1700文字、◇報道できない基地局問題、◇「押し紙」問題と電磁波問題)

米軍の普天間基地移設問題で移設候補地になっている徳之島で、18日に1万5000人規模の反対集会が開かれた。このニュースは、新聞・テレビでも取り上げられた。
島の人口2万5000人。そのうちの1万5000人が集会に参加したというから、島民の大半が移設に反対したということである。
14日に東京・日比谷で開かれた米軍基地撤廃を求める集会を黙殺した新聞・テレビであるが、今回は大きく報じた。報じざるを得なかったと言っても過言ではない。世論をまったく無視すると、言論機関としての信用にかかわるからだ。
島民の大半が基地に「NO」を突き付けたことで、移設は極めて難しくなった。鳩山内閣は苦しい立場に追い込まれた。もし、これが戦前であれば、特高警察や軍隊が出動して、集会を鎮圧したのではないか。
戦後の時期であっても、このような集会は、やはり機動隊が出動したのではないか。ちょうど学生運動を鎮圧したように。ところが18日の徳之島では、治安部隊はなにも出来なかった。警察との関係が深い読売新聞ですら、集会のニュースを報じたのである。
◇イラクで軍事作戦に失敗、ラテンアメリカの「変革」
今世紀に入ってから顕著になっている世界的な潮流は、非軍事と住民運動の台頭である。イラク戦争の失敗やラテンアメリカの「変革」がその典型であるが、その傾向は徳之島のケースでも見られた。
日本のメディア報道に接していると、日本は混迷の時代へと逆戻りしているような印象を受けるが、それが部分的には事実である反面、ながいスタンスで見ると 住民意識は着実に進化している。当たり前の事として、「NO」の意思表示ができるようになったのだ。
新聞・テレビは国際情勢を分析する中で、日本の現状を認識すべきだろう。国際ニュースを通じて学んだことが、国内ニュースの分析に生かされていない。
国内報道と国際報道がばらばらだ。だから分かりにくい。
まもなく自民は言うまでもなく、民主党も住民からそっぽを向かれるようになるだろう。
沖縄でも徳之島でも、大半の住民が基地を迷惑がっているということは、撤廃しか解決策がないということである。ところが民主も自民も撤廃ではなくて、移設を目指している。政治家の感覚も民意と乖離している。(1500/2300文字、◇電話会社、かつてはカードマンを動員)

新聞とテレビは速報を命としたメディアである。新聞の紙面、あるいはテレビの画面に現れるニュースは、なんの疑いもなく重要ニュースとして受け入れられる。
事実、新聞人がインターネットによるニュース配信を批判するときに、ネットでは重要ニュースがランク付けされていないことをやり玉にあげる。ランク付けがないので、どのニュースが重要なのか、「教養に乏しい一般読者」には判断できないというのだ。
このような論理は、言葉を換えれば、新聞人が重要ニュースのランク付をして国民に知らせているから、これらの媒体は国民にとって不可欠なジャーナリズムということになる。
かつて新聞研究者の新井直之氏は、『ジャーナリズム』(東洋経済新報社)の中で次のように述べた。
新聞社や放送局の性格を見ていくためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批判するときに欠くことができない視点は、『どのような記事を載せているか』ではなく、『どのような記事を載せていないか』なのである。
◇報じられなかった4・14中央集会
4月14日、東京の日比谷野外音楽堂で「沖縄県民と連帯し、普天間基地の即時・無条件撤去を求める4・14中央集会」が開かれた。参加者は5000人。集会の後、デモ行進も行われたという。
この中央集会を開いた人々の基地についてのスタンスはあくまで「基地撤去」である。しかし、自民党も民主党も、「撤去」ではなくて、「移転」を基本的なスタンスにしている。
つまりこの中央集会は、政府と自民党の方針に真っ向から「NO」を突き付ける集会だった。
◇「基地撤去」も重要な選択肢
翌、15日の朝刊を見て、わたしは唖然とした。中央紙は、この大きな集会についての記事を1行も載せていなかった。地方紙は確認できなかったが、インターネットで調べた限りは、やはりどこも報じていない。
報じたのは、政党機関紙の「しんぶん赤旗」だけだった。が、「しんぶん赤旗」が報じるのは、共産党の政策から見て当たり前のことであるから、特に評価には値しない。
問題は、一般紙とテレビが報じなかったことである。わたしは沖縄関係のテーマでは対馬丸事件を取材したことがあるが、その時の感触では、米軍基地の撤去を求める人がかなり多かった。つまり基地の撤去を求める人々は、圧倒的多数ではないにしろ、少なくとも一定の世論を形成しているのだ。
と、すれば4・14集会は、報道しなければならなかった。「基地撤去」も重要な選択肢のひとつであるからだ。
◇権力構造の一部
メディアはなぜ、4・14集会を報じなかったのだろうか?。答えは簡単で、基地の撤去を希望している人が多い事実が広まると、政府の方針がとん挫するからだ。
日本の新聞・テレビが権力構造に組み込まれていることが、4・14集会が報道されなかった事実を通じて明確になった。
新聞人たちが学校教育の現場へ持ち込もうとしている新聞は、内容そのものがかなり政府よりに偏向していると言わなければならない。(全文公開)

「YAHOO!百科事典」は、メディアリテラシーを次のように説明している。
新聞やテレビなどの内容をきちんと読みとりマスメディアの本質や影響について幅広い知識を身につけ、批判的な見方を養い、メディアそのものを創造できる能力のこと。イギリスやオーストラリアなどの英語圏では、内容を読み解き、制作も手がけるメディア教育がさかんである。
日本でもメディアリテラシーの重要性が教育界で叫ばれるようになり、新聞を使った授業などが行われている。メディアリテラシーが充実すると、メディアの実情がわかる消費者がふえ、マスメディア側の立場を危うくするが、マルチメディア時代には不可欠なものである。
要するにメディアの本質を見抜く作業のことである。巷には情報が氾濫している。が、そのすべてが事実ではない。
たとえ事実であっても、情報を公にする行為の背後に、世論誘導の意図が見え隠れする。
◇権力構造の力学
最近、小沢バッシングとそれに対する批判が渦巻いている。主に新聞が小沢バッシングの先陣を切っているわけだが、これに対峙する側は、小沢バッシングそのもを批判して、その背景にあるものを見落としているように感じる。
わたしは小沢バッシングそのものが新聞報道の第1目的ではないと思う。それよりも民主党のイメージダウンをはかることで、急激に斜陽してきた自民党の勢力挽回を助けたいという意図があるように感じられる。
もちろん新聞が意図的に世論誘導のイニシアチブを取っているのか、それとも国家権力(検察)の策に新聞がはまったのかは不明だが、客観的に見たとき、小沢バッシングにより、自民と民主のバランスを回復する力が働いていることだけは疑いない。
このような権力構造の力学は過去にも働いたことがある。ここ数年を振り返ると、まず、小泉劇場(自民の応援)があった。次に政権交代(民主の応援)。さらに小沢バッシング(自民の応援)というふうに。
◇メディアリテラシーと下部構造を把握
わたしはメディア(新聞)を読み解くためには、その下部構造を把握することが不可欠だと考えている。新聞の紙面だけを読んも、その背景にあるものは見えてこない。このあたりの認識が弱いのが日本のメディアリテラシーの弱点かも知れない。
新聞批評といえば、紙面だけをその他の事柄から切り離して行う作業であると勘違いしている人も少なくない。実際、新聞研究者は新聞社の下部構造を重点的に検証する作業に積極的とはいえない。(1600/2800文字、◇新聞紙面の約50%は広告、財界(広告主)の要望とメディア)

2月7付け読売新聞の1面に、戦闘服姿の2人の父親が子供を腕に抱き抱え、別れを告げている写真が掲載されている。カリブ海のハイチにPKO活動に向かう自衛隊員の姿である。キャプションは大文字で、「行ってきます」。
同日の社説は、「自衛隊の活動の幅を広げたい」。
読売は改憲論で知られている。彼らがPKOを論じるとき、欠落している重大な視点がある。それは海外派兵の究極の目的にはふれずに、建前論を展開していることである。
◇真実は多国籍企業の防衛
自衛隊の海外派兵の問題は、わたしが記憶する限り、1990年代になってから取りざたされるようになった。当時、日本企業が盛んに生産の拠点を日本から海外の発展途上国へ移していた。わたし自身もメキシコでそのお手伝いをしたことがある。
海外派兵の真の目的は、海外へ進出した多国籍企業を政変から防衛することである。読売の社説は、このあたりの視点が抜け落ちているのだ。
発展途上国では、欧米並の民主主義が確立されていないところが多い。そのために政情が不安定な場合がままある。多国籍企業にとって、最も大きな懸念材料は、予期せぬ政変である。せっかく人件費や材料費が安い海外へ生産の拠点を移したのに政変が起きて、新政府により最低賃金が底上げされたら、海外進出のもくろみが狂ってしまう。
このような状況になったときに、国際貢献を口実として、自衛隊を現地に派兵して、「治安を回復する」のが海外派兵の真の目的である。そのためにPKO活動で派兵の既成事実を重ねているのだ。
◇ラテンアメリカに見る米軍の介入
海外派兵と多国籍企業の関係を考える場合、ラテンアメリカにおける米国の軍事介入に焦点をあてると分かりやすい。派兵の本質が見えてくる。年代順に米軍による軍事介入(軍事訓練の指導も含む)とCIAによる介入を追ってみよう。
■1954年 グアテマラ
■1961年 キューバ
■1964年 ブラジル
■1965年 ドミニカ共和国
■1971年 ボリビア
■1973年 チリ
■1979年~ニカラグア内戦
■1980年~エルサルバドル内戦
■1983年 グレナダ
■1989年 パナマ
■2002年 コロンビア
現在も米軍によるコロンビア介入の兆しがあるが、今世紀に入ってからは、かつてのように露骨な軍事介入は出来なくなっている。民主主義が成熟してきたからである。非軍事の世界的な流れが顕著になってきたのだ。
◇防衛するものは多国籍企業の権益
なぜ、米軍やCIAがラテンアメリカ投入されてきたのだろうか。個々のケースで事情は異なるにしても、基本的な考え方として、多国籍企業がラテンアメリカを自国の裏庭にしてきた事情がる。その裏庭で「政変」が起きると米軍やCIAが出動して、それを鎮圧する構図があった。
たとえば1954年にCIAが起こしたグアテマラのクーデター。当時のグアテマラは、民主的なかたちで資本主義を発展させることを基調とした政権だった。しかし、政府が農地改革の中で、米国のUFC(ユナイテッド・フルーツ・カンパニー)の農地に手をつけたとたんに、クーデターで倒された。
その後、グアテマラは反政府ゲリラとの間で30年を超える内戦に突入する。クーデターの直後、ニクソン(後に大統領)は、「グアテマラに民主主義が戻った」と発言している。
1973年のチリの軍事クーデターも、多国籍企業の権益と深くかかわっている。チリは銅の産出国である。その銅山を所有すのは、米国の多国籍企業だった。70年に社会党と共産党を中心とする人民連合が成立すると、アジェンデ政権は、銅山を国有化した。
CIAが関与した軍事クーデターが起こったのは73年の9月11日である。人民連合の支援者は殺害されり、亡命を余儀なくされた。
アジェンデ大統領は自殺した。その後に成立したのは、ピノチェト将軍による軍事政権だった。(ちなみにピノチェトは、晩年になってから、人権侵害などで裁判攻めにされた。妥当な対抗策といえよう)
80年代のニカラグアへの軍事介入は、直接多国籍企業の権益とは関係ないが、(ただ、運河の建設を巡る米国利権説はある)構図としては同じである。ニカラグアは、独裁者ソモサ一家の独壇場だった。ソモサは米国を後ろ盾として、ニカラグアの政治から、経済・軍事に至るまで約40年に渡って私物化していた。その見返りに安価なコーヒーなどがニカラグアから米国へ輸出された。
さらに米国がニカラグア革命に介入したのは、民族自決運動の波が中米全体に広がって米国のフルーツ会社などの権益を侵すことを懸念した事情もあったようだ。
いずれにしても自国の権益を守るために米軍の投入が行われてきたのである。これが歴史の事実である。米軍と日本の自衛隊の関係について考察するとき、これらの事実を無視することはできない。
◇読売社説は低レベル
新聞が海外派兵を国際協力であると「宣伝」すると、国民は異論を唱えにくい。国際協力そのものを否定する理由はどこにもないからだ。こうして日本の自衛隊は、海外派兵の既成事実を積み重ねていく。そして日本企業の進出先で政変が起こったときは、米軍と一緒に「治安維持」のために現地に赴くのだ。
このあたりの危険性を指摘するのが、新聞ジャーナリズムの役割だと思うのだが、読売にその資質はないようだ。(3800/3800、全文公開)

『読売新聞』(12月4日)の社説は、葛飾ビラ配布事件の最高裁判決を取り上げている。この社説は、論理に破たんが生じている。書かれた内容を評価する以前に、論理そのものに矛盾があるのだ。
◇葛飾ビラ配布事件
葛飾ビラ配布事件というのは、東京・葛飾区の僧侶で共産党員の荒川庸生さんが、「ビラ・チラシ禁止」の張り紙があるマンションに立ち入って、共産党のビラをポスティングしていたところ、住民が警察に通報し、駆けつけてきた警官が荒川さんを逮捕した事件である。東京地裁は荒川さんに無罪を言い渡したが、高裁で罰金5万円の有罪。最高裁も高裁判決を支持した。
この最高裁の判断について読売は、「過去の判例に沿った妥当な判断といえる」と主張する。ところがこの文脈に続いて、突如として先行する文章を頭から否定する一文が来る。
ただ、「ビラ・チラシ禁止」などと表示した集合住宅での配布行為に、広く刑事罰を科すというのは、現実的ではない。
「広く刑事罰を科すというのは、現実的ではない」のであれば、罰金5万円の刑罰をかした最高裁の判断は誤っているということにならないだろうか。それよりほかの意味に解釈することはできない。これでは、最高裁の判断を支持しているのか、批判しているのかさっぱり分からない。
◇『君命も受けざる所あり』
新聞文化賞の受賞者で読売の主筆である渡邉恒雄氏の『君命も受けざる所あり』(日経新聞)にも、意味がよく通じない文脈が見受けられる。

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