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『週刊新潮』に掲載された「押し紙」、つまり新聞の部数偽装を調査報道した記事が名誉毀損にあたるとして、読売が2009年7月に執筆者と発行元を訴えた裁判が、クライマックスに近づいている。執筆者の黒薮哲哉氏と新潮社に対して計約5500万円の損害賠償支払いを求めたものだ。読売は「押し紙」の存在を全面的に否定しているが、新潮社側は、かなりの証拠を提出している。読売が「押し紙」を否定する根拠はいったい何なのか。(続きはマイニュースジャパン)

週刊新潮とわたしが読売から訴えられた名誉毀損裁判の口頭弁論が5月11日の午前10時から開かれる。
日時:5月11日 午前10時
場所:東京地裁 526号法廷
事件番号:平成21年(ワ)23459号〔東京地裁で閲覧可能〕
この裁判で読売の喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)らは、YCに「押し紙」は一切存在しないと主張している。また、最新の準備書面では、魚住昭氏の『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社)の記述の一部を取り上げて批判している。
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ちなみにこの裁判の争点は、読売が販売店に無駄な新聞を押しつけていたか否かではない。販売店に過剰になった新聞(公式にはこれを「押し紙」という)がどの程度あったのかが争点である。「押し紙」の責任が新聞社にあろうが、販売店にあろうが、そんなことは関係がない。
わたしが問題にしたのは、無駄な新聞によって、広告主が被害を被っている事実である。(全文公開)

フリージャーナリストの黒薮哲哉氏が個人で運営するウェブサイト「新聞販売黒書」上での記述が名誉毀損にあたるとして、読売新聞社とその社員ら3人が2230万円の支払いを求めていた裁判で、東京高裁は27日、フリージャーナリスト側の勝訴を言い渡した。
これで、読売が黒薮氏に対して嫌がらせ的に起こしている裁判は5連敗となり、巨大新聞が裁判制度を悪用して高額訴訟を仕掛けても、フリージャーナリスト1人の言論を抹殺することは許されないことが確認された。「揚げ足取りの論法に司法がNOを突き付けた」と述べる黒薮氏が手記を寄せた。(続きはマイニュースジャパン)

読売新聞西部本社などが新聞販売黒書の記事に対して2230万円の賠償を求めた名誉毀損裁判の控訴審で、27日午後、東京高裁は読売の控訴を棄却した。詳細は、近々にマイニュースジャパンで。

「回答書」が著作物だとする喜田村洋一弁護士の(催告書の)記述は、極めて論拠に乏しい。しかし、回答書が著作物か否かは、裁判の争点にはならなかった。もちろんわたしの弁護団は、争点にするように主張したが、裁判所は受け付けなかった。
回答書が著作物かどうかを検証するということは、催告書に書かれた内容がデタラメか否かを見極めることである。そして、もし、回答書が著作物ではないとすれば、催告書の内容そのものがウソということになる。
すでに述べたように回答書は明らかに著作物ではない。つまり裁判所は内容がデタラメの催告書に著作物性があるか否かを裁判の争点にしたのである。
わたしは裁判所が住民の感覚から乖離していると批判される具体的な根拠を見たような気がした。
◇提訴の大前提がウソだった
結論から先に言えば、東京地裁は催告書に著作物性はないと判断した。しかし、皮肉なことに、読売の敗訴は催告書に著作物性があるか否かに言及する前に決定したようだ。
裁判の大詰めになって、ある重大な事実が弁護団によって暴かれたからだ。
もともとこの裁判は、読売の江崎法務室長がみずから作成した催告書という前提で提訴されたものである。みずから作成した文書であるから、江崎氏に著作権があるという主張だった。ところが裁判の中で、催告書の作成者が江崎氏ではないことが判明したのだ。
提訴の大前提がウソであることが分かったのだ。
裁判所は喜田村洋一弁護士か彼の事務所スタッフが催告書を代筆した可能性が高いと認定した。なにを根拠に裁判所はそのような判断を下したのだろうか?(1100/2100文字、◇裁判そのものが目的、◇武富士事件でも自由人権協会の弁護士が・・・)

2月に最高裁で判決が確定した著作権裁判(読売・江崎法務室長VS黒薮)で争点となったのは、読売側がわたしに送りつけた催告書である。この催告書は、2008年の1月に東京地裁からの仮処分命令で削除させられた経緯がある。
しかし、その後、「本裁判」で判決が覆った。わたしが勝訴し、催告書の掲載が違法ではないことが確定したのだ。
そこでこのたび、「黒書」で催告書を再公開することにした。催告書の全文は次の通りである。
(催告書の全文)
◇催告書の解説‐内容自体がデタラメ
催告書の作成者は、江崎法務室長になっているが、裁判所は作成者を喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)か、彼の事務所スタッフが作成した可能性が極めて高いと認定した。従って本稿では、作成者が喜田村弁護士という前提で話をすすめる。
催告書の文中にある「回答書」とは、YC広川の訪店に関する次の文書である。
前略
読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
当社販売局として、通常の訪店です。
以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。
喜田村弁護士は、催告書の中で、上記の「回答書」が著作物だと主張している。しかし著作物と言うからには、著作権法の次の定義を満たさなければならない。
思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
誰が解釈しても著作物でないことは明らかである。それにもかかわらず喜田村弁護士は、「回答書」が著作物であると述べ、わたしに回答書の削除を求めてきたのである。しかも、回答書の掲載を「民事上も刑事上も違法な行為」とした上で、次のように宣言したのだ。
貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を探ることになりますので、この旨を付言します。
◇催告書の送付こそ刑事事件まがい
喜田村弁護士は、「回答書」が著作物ではないことを本当に知らなかったのだろうか。もし、著作物ではないことを知りながら、著作物と強弁したとすれば、弁護士として不適正な行為ではないだろうか。(1700/2200文字)

読売新聞社がわたしに対して提訴していた名誉毀損裁判(請求額2230万円)の控訴審第1回口頭弁論が、13時30分から東京高裁で開かれた。読売は、江崎法務室長の本人尋問を申請していたが、裁判所はこれを認めなかった。
裁判は結審し、判決は4月27日の13時15分に東京高裁511号法廷で言い渡される。
原告・被告の準備書面や陳述書は、東京高裁でだれでも閲覧することができる。(身分証明書と印鑑が必要)事件番号は「平成21年(ネ)第5834」。

既報したように著作権裁判は、読売(厳密には読売の江崎徹志法務室長)の上告受理申立書を最高裁が不受理にした結果、わたしの勝訴が確定した。勝因は、出版関係者と販売店主、友人・知人の支援、それに弁護団の戦略が正しかったことである。
新聞販売黒書に勝訴確定の速報を出したのち、ずいぶんたくさんの人々からお祝いのメッセージや感想をいただいた。なかには「恫喝まがいの文書(催告書)を送りつけた行為は、刑事事件まがい」との厳しい声もあった。
刑事事件まがいか否かは、専門家が判断することで、わたしには分からないが、「刑事」という言葉を聞いた時、ある暗い記憶が脳裏によみがえった。
江崎氏がわたしに送りつけた催告書(作成者は喜田村洋一弁護士か彼の事務所のスタッフが作成した可能性が高いと認定された)の中で、わたしに対する刑事告訴がほのめかされていた記憶である。催告書には、次の1文がある。以下に書写してみよう。
貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。
催告書の全文は、3月に公開する予定。
◇新聞社の体質・本質が露呈した
さて、ある新聞関係者(OBの方)から電話で貴重な意見をいただいた。この人と話しながら、わたしは対読売裁判を客観的に見る新しい視点を発見した。
現在進行している対読売裁判(真村訴訟、平山訴訟等を含む)は、単なる「押し紙」の有無、催告書が著作物であるか否か、あるいは地位保全の是非を問うだけの裁判ではない。
それよりも重大視しなければならない視点は、日本を代表するジャーナリズム企業が、1ライターに対して虚偽の事実を前提に裁判を起こしたり、約8000万円もの損害賠償を請求したり、さらには1店主に対して司法命令を堂々と踏み倒してはばからない事実である。
これは日本のメディア界が検証しなければならない問題だ。
ちなみに真村裁判の原告である真村さんは、2001年から読売との係争に巻き込まれており、裁判の判決で6連勝するも、強引に失職させられている。この人権問題を新聞ジャーナリズムは報じたことがない。
OBの方は、わたしの裁判や真村裁判によって、日本の新聞ジャーナリズムの本質・体質が露呈されてしまったと語った。新聞社=正義の嘘が暴かれたというのだ。一般企業ではなくて、ジャーナリズム企業の大変な横暴さが明らかになったのだ。
「残念ながら、大変な事件であるのに、大半のメディア関係者はそのことに気づいていません。ある意味では、今が新聞ジャーナリズムの大問題にメスを入れるタイミングだと思います」
◇ジャーナリズムが存在しない日本の不幸
ジャーナリズムの役割は政治や社会を監視することである。ところが日本の新聞ジャーナリズムは、権力機構の「広報宣伝部」の役割を果たしている。権力構造に組み込まれていると言っても過言ではない。
「広報宣伝部」であるがゆえに、巨大部数により影響力を強める必要がある。その結果、部数至上主義が必然になる。多量の景品を使ったり、時には恫喝で新聞の部数を増やすことが当たり前に行われる。
新聞社の編集部門と販売部門は、別ものとよく言われるが、わたしは一体化していると思う。「広報宣伝部」にとって巨大部数は必要不可欠の要素である。巨大部数を持ってはじめて、世論誘導が可能になるからだ。
わたしや真村さんがなぜ、狙い撃ちにされてきたのか?答えは単純で、「広報宣伝部」の急所である巨大部数を問題にしたからにほかならない。まさに急所にふれたのだ。
読売はわたしが展開してきた新聞批判の言論を、裁判を悪用して消そうとした。1000万部のメディアがあれば、言論でわたしを消すこともできるはずだが、それにもかかわらず、次々と裁判にかける方法を選んだのだ。恐らくは論争に自身がないので、裁判であれば失敗することなく、確実に反対言論を消せると考えたのではないか。
著作権裁判が終わった今、巨大部数の危険性がはっきりと見えてきた。(2700/2700文字、全文公開)

負けても負けてもやめない読売新聞社のジャーナリスト個人に対する訴訟攻撃は、武富士やオリコンを凌ぐ悪質性を帯びてきた。ほとんど架空の理由をでっちあげて訴訟を仕掛ける手法で、読売側が2年前に提訴した件は、2010年2月18日、最高裁が上告受理申立を不受理とし、ジャーナリスト側の勝訴が確定したばかり。
これら一連の3件の訴訟は読売による「一連一体」の言論弾圧であるとして、ジャーナリスト側は弁護士報酬や慰謝料など5,628万円の損害を請求し、読売側を提訴。その裁判がこのほど始動した。原告のジャーナリスト・黒薮氏が手記を寄せた。(続きはマイニュースジャパン)


読売VS週刊新潮の「押し紙」裁判の第4回口頭弁論が1月19日(火)に開かれる。日時などは次の通りである。
日時:1月19日 午前10時
場所:東京地裁 526号法廷
この裁判はわたしも被告になっているので、ここでの主張は控えて争点についてのみ解説したい。2009年7月9日付けの読売は、わたしと週刊新潮を訴えた理由を次のように説明している。
(略)
新潮社は、週刊新潮6月11日号(同月4日発行)に掲載した新聞業界をめぐる記事の中で、「配達先がなく、闇から闇へ消えていく新聞を、業界では“押し紙”と呼ぶ」としたうえで、「読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があり、年間では360億円が“不正な”収入ということになる」などと報じた。
読売は上記「」中の記述が事実ではなく、「報道機関としての社会的評価を著しく傷つけられた」として裁判を提起したのである。
◇「事実の摘示」と「推測」を混同
しかし、読売のこの記事は、読者を誤って誘導しかねない大きな問題を孕んでいる。まず第一に、「」で囲んだ「読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があり、年間では360億円が“不正な”収入ということになる」という記述が、あたかもわたしのオリジナル文のような誤解を与える。「」内はわたしのオリジナルではない。
実際、わたし自身も、このような記述を書いた覚えはなく、不思議に感じながら原文を読み返したほどだ。わたしはこの部分を、次のように書いたのである。読者には読売記事の引用とオリジナルの違いを読み取ってほしい。
(滋賀県内の主要都市で「押し紙」調査をした滋賀クロスメディアが、読売の「押し紙」率を18・4%と発表したのを受けての評論である。)
しかし、読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があると筆者は見ている。実際、久留米市のYC経営者と読売新聞との訴訟で明らかになったケースでは、約50%だった。読売新聞が豪言する“1000万部”は、かなり怪しい。(略)
(略)
これら4紙(黒薮注:朝、読み、毎、産経)の“押し紙”部数は、801万部。新聞の販売収入は概ね新聞社と販売店が折中であるから、毎月の購読料を1部3000円と仮定すると、新聞社の収入は1500円。これに“押し紙部数”を掛けると約120億円になる。年間では1440億円。単純に4等分しても、1社平均で実に360億円が“不正な”収入ということになるのだ。
読売記事とわたしのオリジナルの文章を読み比べると、明らかに意味が異なる。読売新聞に掲載された記述は、事実を摘示するものであり、わたしのオリジナルの文章は、推定の記述である。2つの意味を区別できないようであれば、読解力に問題がある。少なくとも一般の読者が普通の読み方をした場合は、意味の違いを把握するはずだ。
つまり読売は推定の記述を、あたかも事実の摘示であるかのように見せかけて、読売の紙面でわたしを攻撃してきたのである。さすがに訴状には、オリジナルをそのまま引用しているが、「1000万部」読者の目にふれるのは、むしろ記事の方である。
司法関係者の間には、推定も事実の摘示も大きな違いはないという意見もあるそうだが、両者を混同すると、言論活動の幅が極端に狭まる。第一、推定と摘示では、意味そのものが異なる。
もちろん推定の記述に対する名誉毀損裁判が、憲法21条の精神に反することは言うまでもない。第21条は;
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
推測の記述を法廷に持ち込むことは、言論人(編集者、作家、ライター、ジャーナリスト)にとっては、迷惑このうえない行為にほかならない。
訴状を作成したのは、喜田村洋一弁護士(自由人権協会・代表理事)と藤原家康弁護士である。請求額は約5500万円。
喜田村弁護士は、読売の法務室長がわたを訴えた著作権裁判では、問題となった催告書の作成者を偽って裁判を提起した。
◇ネットで喜田村氏ら作成の準備書面の公開が理想
すでに東京地裁には、「押し紙」の証拠が多量に提出されている。「押し紙」を運搬する写真も多量に含まれている。読者には、ぜひ、東京地裁で裁判資料を閲覧して、両者の主張を読み比べてほしい。
事件番号は、「平成21年(ワ)第23459号 謝罪広告等請求事件」(2500/3100文字◇新聞社は、みずから「実配部数」の公表を)

12月21日はなんの日かごぞんじだろうか?。2年前、すなわち2007年のこの日は、読売新聞社の江崎法務室長と自由人権協会の代表理事で弁護士の喜田村洋一氏が、「協働・協力」して、黒薮に恫喝まがいの催告書を送りつけてきた日である。
催告書の内容は、これまで繰り返し新聞販売黒書で伝えてきたが、言論の自由にかかわる大問題なので、再度、内容を伝えておきたい。
催告書で彼らが突き付けた要求は、新聞販売黒書に掲載した下記の文書を、削除せよというものだった。そして、要求に応じない場合は、法的手段を取ることも辞さない旨を伝えてきたのである。しかも、法的手段の中身が刑事告訴であることもほのめかしていた。
前略
読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
当社販売局として、通常の訪店です。
以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。
削除を求める理由としては、この文書が江崎氏の著作物であるからなどというものだった。しかし、著作権法でいう著作物とは、次の定義を満たさなければならない。
思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
だれが判断しても江崎氏の文書は、著作物の定義には当てはまらない。しかも、この文章の削除を求めた催告書は、実は江崎氏が執筆したものではなくて、喜田村弁護士か彼のスタッフが執筆した可能性が高い、と後に東京地裁と東京高裁が認定したのである。
(ちなみに裁判では、江崎氏の最初の文書ではなくて、催告書の削除を求めてきた。内容そのものに問題があったからではないかという見方もある)
◇誰が誹謗中傷の張本人なのか?
その後、江崎氏が所属する読売は、わたしに対して2件の名誉毀損裁判を起こした。計3件の裁判で、原告の代理人に就任したのが、喜田村洋一弁護士だった。
さらに喜田村弁護士は、真村裁判や平山裁判(いずれも福岡の販売店訴訟)でも、読売の代理人を務めて、読売の販売政策をサポートしてきた。真村裁判の準備書面の中では、黒薮と真村氏に対する根拠のない批判を繰り返している。たとえば、次の文書である。
加えて、(真村さんが)別件訴訟を提起した2008年5月29日、インターネット上のウェブサイト「My News Japan」に、被告を誹謗中傷する記事とあわせて、訴状が掲載されたが(乙18)、この時点では、被告には訴状は送達すらされていなかった。被告は、外部メディアを通じて、原告による別件訴訟提起の事実を知らせたのである。
提訴日に「My News Japan」に原告の訴状が公開され、原告本人のコメントや写真までも掲載されていたことからすると、原告が用意周到に、記事を執筆した自称フリージャーナリスト・黒薮哲哉(以下「黒薮」という)と共働し、事前に公表の準備をしていたこと、原告が被告を攻撃する意思を有していたことは明らかである。
◇喜田村弁護士が全文掲載を非難
さて催告書が焦点になった著作権裁判で、原告側(江崎氏)が問題とした事柄のひとつに、わたしが催告書の全文を掲載したことがある。たとえば2009年1月28日に行われた本人尋問で、この点をめぐって喜田村弁護士と黒薮の間に、次のようなやりとりがあった。
喜田村:例えば、催告書の全文掲載ではなくて、読売新聞社の法務室長から回答書の掲載を削除せよという催告書が届いたということを報じるたけでは不十分なんでしょうか。
黒薮:不十分ですね。(2400/5200文字)

読売新聞社が新聞販売黒書を訴えた名誉毀損裁判の控訴審(東京高裁)の日程が決まった。
日時:2010年2月25日、13時30分
場所:東京高裁 511号法廷
ところでこの裁判の読売側代理人を務めてきた喜田村洋一弁護士(自由人権協会の代表理事)が代理人を降板された。降板の理由は不明。
喜田村洋一弁護士は、対読売の係争が始まった2008年の初頭から、わたしの取材対象だった。既に刻んだ足跡は消えないので、最後まで代理人を務めてほしかった。喜田村氏が書いた準備書面(東京地裁で閲覧可能、[平成20年(ワ)第4874号])だけでは十分とは言えない。
取材対象にした理由のうち、直接裁判に関係しているものに限定して、ここで紹介しておきたい。読者が、読売とわたしの係争を理解する手がかりになるからだ。
◇武富士から読売へ
現在、わたしは読売(あるいは、読売新聞社の社員個人)を相手に3件の裁判を闘っている。著作権裁判と2件の名誉毀損裁判である。読売
から請求されている金額は、約8000万円。武富士裁判のケースと同様に高額になった。
喜田村弁護士は、これら3つの裁判で、読売の代理人を務めてきた人物である。過去に薬害エイズ事件の被告・安部英被告や、ロス疑惑事件の三浦和義被告を無罪にした弁護士としても知られている。もっとも、これらの事件については、ジャーナリズムの視点から再検証すべきではないかとの声が、かなりあるようだが。
◇著作権裁判
著作権裁判では、読売の江崎法務室長がわたしにメールで送付した催告書が焦点になった。催告書を新聞販売黒書に掲載したところ、江崎氏が削除を求めて仮処分命令を申し立て、後に提訴に及んだのである。
判決では、催告書の作成者は喜田村弁護士か、彼のスタッフである可能性が高いと認定された。東京地裁も東京高裁も同様の判断を示した。つまり催告書の作成者を江崎氏と偽って、裁判を起こしていたのだ。
しかし、わたしがこの裁判でより関心を寄せていたのは、催告書の掲載をめぐる法的根拠よりも、催告書の内容そのものだった。書かれていた内容が暗い好奇心を喚起し、無関心ではいられなくなったのだ。
催告書の内容は、新聞販売黒書からある文書を削除するようわたしに求めたものだった。ある文書とは、読売の江崎法務室長が販売店経営者の代理人弁護士に宛てた文書だった。
前略
読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
当社販売局として、通常の訪店です。
以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。
催告書は、この文書が江崎氏の著作物であること、従ってわたしに公表権はなく、削除しなければならない旨を主張していた。しかも、要求に応じないのであれば、法的な対抗策も辞さないというのだった。刑事裁判をも仄めかしてきたのである。わたしは脅されているのではないかと思った。
◇著作権法でいう著作物とは
しかし、著作権法でいう著作物には、一定の定義があって、巷に氾濫している不特定多数の文書すべてに該当するわけではない。その定義とは、次の通りである。
思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
著作権法の定義に照らし合わせると、江崎氏の文書は誰が読んでも著作物とは判断できない。ところが喜田村弁護士は、催告書の中で堂々と江崎氏の文書が著作物だと述べているのだ。(催告書は、最高裁で決着が着いて、裁判が終わってから始まる検証で公開する)。
わたしは弁護士や研究者、ジャーナリストなど50名ぐらいの人々に、江崎氏の文書を示して、「著作物だと思うか?」と質問してみた。しかし、著作物だと思うと答えた人はいなかった。
かりに喜田村弁護士が、江崎氏の文書が著作物ではないと知りながら、著作物だというフィクションを前提に、わたしを訴える可能性を示唆したとすれば、恫喝行為ということにならないだろうか。このような疑問があるので、わたしは喜田村弁護士を取材対象にしたのだ。
裁判は現在、最高裁が舞台になっている。最高裁がどのような判断を示そうが、裁判の引き金となった江崎氏による販売店経営者宛ての文書が、著作物ではないとすれば、喜田村弁護は内容がでたらめの催告書を作成したことになる。そして江崎氏がそれをわたしに送付したのである。目的は、言論抑圧だった可能性が強い。
東京地裁は、怪文書とも解釈しうる催告書を新聞販売黒書から削除すべきか否かを1年に渡って検証したのである。もちろんわたしの弁護団は、江崎氏の文書そのものを最初から問題視していた。
このような事実経過を、喜田村氏が代表理事を務める自由人権協会や読売が所属する日本新聞協会は、どのように考えるのだろうか?特に自由人権協会は見解を示すべきだろう。
余談になるが、武富士の代理人を務めたメンバーの中にも、自由人権協会所属の弁護士がいたように記憶している。
◇名誉毀損裁判①、弁護士費用200万円を請求
名誉毀損裁判①については、高裁の段階に入ったところなので、この場で自分の主張を展開することは控える。ただ、請求された金額と提訴に至るプロセスについて、重要な事実を明記しておきたい。
わたしは読売から、2330万円を要求されているが、その請求額が妥当と言えるのか、疑問を抱いている。法人に対する請求額ならともかく、読売は個人に対してこれだけの大金を請求してきたのである。読売社員の1・5年分ぐらいの額ではないか。
喜田村弁護士は、この点について、読売にどのようなアドバイスを行ったのだろうか?あるいはそこに被告の人権に対する配慮はあったのだろうか?請求額の中には、弁護士費用として200万円も含まれている。これは喜田村弁護士の取り分である。それを示す記述を訴状から引用しておこう。
原告らは、本訴の追行を弁護士に委任したが、その弁護士費用の相当額は本件不法行為と相当因果関係にある損害として、被告が負担すべきものである。その金額は、本訴の難易度や消費すべき時間などを勘定すれば原告一人当り50万円(合計200万円)が相当である。
ちなみに原告は次の4者である。
読売新聞西部本社(小島敦)、江崎徹志、長脇正裕、池本光男
裁判に至るプロセスは双方の話し合いが決裂して、提訴に至ったというものではない。読売は、名誉を毀損されたとする記事の訂正を求めることもなければ、わたしが提供した反論権を行使することもなく、さらには仮処分命令の申し立ても行わずに、いきなり高額訴訟を提起したのある。ウエブサイトの記事であるから、訂正には5分もかからないはずなのだが。
わたしは読売が「誤り」が訂正されることを望んでいたのかすら、疑わざるをえなかった。裁判を提起した場合、第1回の口頭弁論まで45日ぐらいの日数を要するのだが。
この点についても、喜田村弁護士が読売に対してどのようなアドバイスを行ったのかを知りたい。(この裁判の地裁判決は、黒薮の勝訴)。
◇名誉毀損裁判2 推論に対する名誉毀損
第3の訴訟は、わたしが『週刊新潮』に執筆した記事をめぐるものである。訴えられたのは、わたしと新潮社である。
この裁判についても地裁の段階なので、わたしの主張はこの場では公開しないが、出版関係者に重大な影響を及ぼす領域に限定して論評する。(4800/6400文字)

さいたま地裁で争われた名誉棄損裁判で16日に敗訴した読売新聞が東京高裁に控訴したようだ。この裁判は読売と3人の社員が、新聞販売黒書の記事で名誉を毀損されたとして2230万円の損害賠償を求めたもの。
読売の控訴は想定内で特にコメントはない。ただ、対抗策とて、広告主への支援要請、住民運動の立ち上げなどを実施したいと考えている。
ちなみに読売側の代理人は、自由人権協会理事の喜田村洋一弁護士である。

名誉棄損裁判の判決についての報告と私見をマイニュースジャパンに掲載した。裁判の終わりは、通過点に過ぎない。今後は
著作権裁判とあわせて、裁判にかかわった読売関係者の責任を追及することになる。当然、読売の渡邉恒雄会長の指示があった
かどうかも焦点になる。たとえ指示していなくても、監督責任は免れない。

ここひと月の間に2つの裁判に勝訴した。まず、9月16日に著作権裁判の高裁判決があり、完全勝訴した。10月16日には、名誉毀損裁判で勝訴した。(名誉毀損裁判については、数日中に、マイ・ニュース・ジャパンで詳細を報告する予定。)
■自分なりに勝因を考えてみた。まず、第1の要素として、出版労連など支援団体や個人が法廷の傍聴席を埋めてくれたことである。傍聴席を埋めることで、裁判官も真剣になる。いわば傍聴者は裁判のオブザーバーの役割を果たす。
■第2の要素として、弁護団が強力だったことだ。それは準備書面を読めばよくわかる。読売側(喜田村洋一弁護士)の準備書面と比較して、

読売新聞西部本社と同社の法務室長など3人の社員が黒薮に対して総額2230万円の賠償を求めた名誉毀損裁判の判決が16日に埼玉地裁であり、片野悟好裁判長は読売側の訴えを棄却した。主文は次の通りである。
1、原告らの請求をいずれも棄却する。
2、裁判費用は原告らの負担とする。
詳細は後日。

10月16日は、いよいよ名誉毀損裁判の判決だ。(午後1時10分、埼玉地裁105号法廷)。
これまでわたしは読売から3件の裁判を仕掛けられているが、最近、これらの裁判の本質が見えてきた。これらの裁判は、言論の自由と抑圧の問題と深い関わりをもっている。判決の影響を受けるのは、わたしだけではない。もし、わたしが敗訴すれば、出版業界全体が

言論・表現の自由を抑制する動きが顕著になっている。推論に対して名誉毀損の裁判を提起する動きはその典型だ。改めて言うまでもなく、わたし自身が読売の「押し紙」率を推定したことに対して、読売が提起した対『新潮』の裁判のことである。
元木昌彦氏の『週刊誌は死なず』(朝日新書)で、意外な記述に出会った。読売の代理人・喜田村洋一弁護士の発言を引用した部分である。
なぜ真実性なり真実と信じるに足りる相当の理由を報道機関が負わなきゃいけないのかというと、名誉毀損の報道は虚偽であるという推定があるからです。報道の自由、表現の自由を抱えている憲法のもとで、報道が間違いであると推定されること自体、全く反憲法的な話だと思います。
元木氏の引用であるから、オリジナルの全文を読めば、異なった意味になるのかも知れないが、

著作権裁判の高裁敗訴を受けて読売新聞社の江崎法務室長は、9月28日付けで、最高裁判所へ上告受理申立を行った。
上告には、2つのタイプがある。通常、「上告」という場合は、憲法問題を孕んでいるかどうかに基づいて受理の可否を判断する。
これに対して「上告受理申立」は、過去の判例に照らし合わせて受理の可否を判断する。高裁判決が過去の判例と著しくかけ離れている場合などに受理される可能性があるらしい。




















