ジャーナリズム企業が起こした大問題、著作権裁判を終えて (全文公開)

 既報したように著作権裁判は、読売(厳密には読売の江崎徹志法務室長)の上告受理申立書を最高裁が不受理にした結果、わたしの勝訴が確定した。勝因は、出版関係者と販売店主、友人・知人の支援、それに弁護団の戦略が正しかったことである。

 新聞販売黒書に勝訴確定の速報を出したのち、ずいぶんたくさんの人々からお祝いのメッセージや感想をいただいた。なかには「恫喝まがいの文書(催告書)を送りつけた行為は、刑事事件まがい」との厳しい声もあった。

 刑事事件まがいか否かは、専門家が判断することで、わたしには分からないが、「刑事」という言葉を聞いた時、ある暗い記憶が脳裏によみがえった。

 江崎氏がわたしに送りつけた催告書(作成者は喜田村洋一弁護士か彼の事務所のスタッフが作成した可能性が高いと認定された)の中で、わたしに対する刑事告訴がほのめかされていた記憶である。催告書には、次の1文がある。以下に書写してみよう。

 貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 催告書の全文は、3月に公開する予定。
 
◇新聞社の体質・本質が露呈した
 さて、ある新聞関係者(OBの方)から電話で貴重な意見をいただいた。この人と話しながら、わたしは対読売裁判を客観的に見る新しい視点を発見した。

 現在進行している対読売裁判(真村訴訟、平山訴訟等を含む)は、単なる「押し紙」の有無、催告書が著作物であるか否か、あるいは地位保全の是非を問うだけの裁判ではない。

 それよりも重大視しなければならない視点は、日本を代表するジャーナリズム企業が、1ライターに対して虚偽の事実を前提に裁判を起こしたり、約8000万円もの損害賠償を請求したり、さらには1店主に対して司法命令を堂々と踏み倒してはばからない事実である。

  これは日本のメディア界が検証しなければならない問題だ。

 ちなみに真村裁判の原告である真村さんは、2001年から読売との係争に巻き込まれており、裁判の判決で6連勝するも、強引に失職させられている。この人権問題を新聞ジャーナリズムは報じたことがない。

 OBの方は、わたしの裁判や真村裁判によって、日本の新聞ジャーナリズムの本質・体質が露呈されてしまったと語った。新聞社=正義の嘘が暴かれたというのだ。一般企業ではなくて、ジャーナリズム企業の大変な横暴さが明らかになったのだ。

「残念ながら、大変な事件であるのに、大半のメディア関係者はそのことに気づいていません。ある意味では、今が新聞ジャーナリズムの大問題にメスを入れるタイミングだと思います」

◇ジャーナリズムが存在しない日本の不幸
 ジャーナリズムの役割は政治や社会を監視することである。ところが日本の新聞ジャーナリズムは、権力機構の「広報宣伝部」の役割を果たしている。権力構造に組み込まれていると言っても過言ではない。

 「広報宣伝部」であるがゆえに、巨大部数により影響力を強める必要がある。その結果、部数至上主義が必然になる。多量の景品を使ったり、時には恫喝で新聞の部数を増やすことが当たり前に行われる。

 新聞社の編集部門と販売部門は、別ものとよく言われるが、わたしは一体化していると思う。「広報宣伝部」にとって巨大部数は必要不可欠の要素である。巨大部数を持ってはじめて、世論誘導が可能になるからだ。

  わたしや真村さんがなぜ、狙い撃ちにされてきたのか?答えは単純で、「広報宣伝部」の急所である巨大部数を問題にしたからにほかならない。まさに急所にふれたのだ。

 読売はわたしが展開してきた新聞批判の言論を、裁判を悪用して消そうとした。1000万部のメディアがあれば、言論でわたしを消すこともできるはずだが、それにもかかわらず、次々と裁判にかける方法を選んだのだ。恐らくは論争に自身がないので、裁判であれば失敗することなく、確実に反対言論を消せると考えたのではないか。

 著作権裁判が終わった今、巨大部数の危険性がはっきりと見えてきた。(2700/2700文字、全文公開)

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ゴーストライター
堂々と「押し紙」を回収。「押し紙」世界一。
新聞販売黒書の主宰者・黒薮哲哉の著書紹介
配達されずに破棄される折込チラシ
 
 
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