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新聞販売黒書やブログなどでたびたび登場する真村事件とは何か?体系だった記述が少ないためか、時々、わたしのところに問い合わせがある。
真村事件とは、概略すれば、読売新聞社によるYC広川の強制改廃の通告に端を発した一連の係争のことである。YC広川の元店主・真村久三さんは、読売からの改
廃通告に抗して、地位保全裁判を提起して、地裁、高裁、最高裁と勝ち進んだ。
2007年12月に、最高裁が真村さんの地位保全を認めたことで、事件は落着したかに思えた。ところがその半年後に読売は、YC広川への新聞の供給を一方的にストップ。真村さんは、廃業に追い込まれた。
同時に真村さんは、再び地位保全の裁判(仮裁判と本裁判)を提起せざるを得ない立場に追い込まれた。最初の提訴が2001年であるから、真村さんが裁判に巻き込まれてからすでに8年の歳月が流れている。
この事件は、単なる新聞販売店に対する理不尽な攻撃という定義では十分とはいえない。なんの後ろ盾も持たないひとりの店主を、ジャーナリズム企業が延々と攻撃し続けたという観点からすると、メディア史上でもまれな人権侵害事件である。新聞人の汚点である。
読売の代理人弁護士を務めてきたのは、自由人権協会の代表理事を務める喜田村洋一弁護士らである。本来であれば、人権擁護団体である自由人権協会が真村事件のような人権問題に取り組むべきはずだが。
(写真参照:『新聞販売の闇と闘う』(真村久三、江上武幸著、花伝社刊)
◇真村さんの前歴
真村さんは、もともと自動車学校の教官として生計を立てていた。しかし、自宅を新築したことや、かねてから個人事業を営みたいという希望を持っていたこともあって、40歳を過ぎたころ、新聞業界に転職した。
YC店で「研修」を受けた後、YC広川の経営権を買い取り、新聞販売業に船出したのである。業界の慣行にあまりこだわらない経営が効をそうしたのか、営業成績は抜群で、「残紙」もほとんどなかった。
当初は、読売新聞社も、真村さんの手腕を高く評価していたらしい。実際、真村さんが中心になって、新しいタイプの新聞セールス団を結成する計画もあったようだ。
◇第1次真村裁判
問題の発端になったのは、筑後地区で勢力を持つ、ある大物店主の野望だった。この人物は、筑後地区にあるYCの経営権を次々と自分のものにしていった。読売もそれを支援した。
こうした状況の中で、真村さんのYCもターゲットになった。最初、読売から営業地域の部分返上を要請された。真村さんはこれを拒否。この時点から読売と真村さんの関係は悪化していく。
2001年の10月、真村さんは、自分と同じようにターゲットにされたYC店主2人と一緒に、読売新聞社に対して、地位保全の裁判を提起した。当時の販売店訴訟は、販売店側が勝訴する判例は皆無に近かった。
ところが真村さんが、読売との商取引に関する資料をほとんど保管していたこと、弁護団が極めて優秀だったこと、インターネットにより事件を公にできたことが重なって、
地裁での勝訴を皮切りに、最高裁でも勝訴した。
特に福岡高裁の判決は、真村さん側の主張をほぼそのまま認めるという画期的なものだった。とうとう司法が、新聞販売問題を解決する道を切り開いのである。
◇第2次真村裁判
最高裁が真村さんの地位を保全した約半年後、2008年の7月、すでに述べたように読売はYC広川に対して、新聞の供給を一方的にストップした。最高裁が真村さんの地位を保全しているのに、それを無視するかのようなやり方が、販売店主の間に大きな反発を呼び起こしたことはいうまでもない。
YC広川を強引につぶした理由として、読売が持ち出してきた理由は、いずれも説得力に乏しいものだった。たとえば、真村さんの営業成績が悪いという理由。たしかに裁判が始まった後、真村さんが、実配部数をかなり減らしたことは事実である。
しかし、読売は係争を機にYC広川を「死に店」扱いにして、ほとんどの販売店支援を打ち切ったのである。もちろん、販売店にとって必要不可欠な、セールス団の派遣も受けられないままだった。
最高裁の決定の後、読売に対して、損害賠償の訴訟を提起したというのも改廃理由のひとつである。この裁判の被告には、渡邉恒雄氏も含まれている。改めて言うまでもなく、係争により失われた時間と経済的な損失の賠償を求めるのは、当然の権利である。
さらに笑い話になるが、わたしに情報提供をしていたからという理由もあった。日本国憲法を理解している者では、まず、ありえない発想である。メディア関係者からは、「自分の首を絞める行為」との声も上がっている。
◇1月中にも判決
新聞の供給をストップされた後、真村さんは、ただちに地位保全の仮処分申請を裁判所に申請した。これが第2次真村裁判の開始である。
地裁では、真村さんが勝訴した。裁判所は読売に対して、YC広川に新聞の供給を再開するように命じた。ところが読売は、これを無視。その結果、1日につき3万円の間接強制金(制裁金)を支払うように裁判所から命じられた。
これに対して読売は、裁判所に異議を申し立てた。その(仮裁判)異議審の判決は、1月中にも下される見通しだ。 (3200/3200全文公開)

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