


- 日経新聞 (1)
- 販売店訴訟 (1)
- テレビ業界 (2)
- 経理・帳簿 (2)
- 裁判・朝日 (2)
- 言論活動の妨害 (2)
- 販売正常化 (2)
- 電子新聞へ (2)
- インターネット (3)
- ケータイ基地局公害(KDDI関連) (3)
- 公取委 (3)
- 巨大部数と世論誘導 (3)
- 新聞の発行部数 (3)
- 新聞セールス・チーム (3)
- 新聞奨学生 (3)
- 書評・出版物の紹介 (3)
- 渡邉恒雄批判 (3)
- 紙面広告 (3)
- エッセイ (4)
- 政治献金 (4)
- 公共広告・折込チラシ (5)
- 山陽新聞のチラシ問題 (5)
- 新聞業界の政界工作 (5)
- 新聞紙面の批評 (6)
- 新聞社と警察の関係 (7)
- ラテンアメリカ (8)
- 裁判・毎日 (9)
- 告知・連絡 (17)
- 裁判・読売 (18)
- 新聞社の経営難 (19)
- 「押し紙」の実態 (21)
- 裁判・黒薮 (23)
- 携帯電話の基地局問題 (39)



読売新聞社が新聞販売黒書を訴えた名誉毀損裁判の控訴審(東京高裁)の日程が決まった。
日時:2010年2月25日、13時30分
場所:東京高裁 511号法廷
ところでこの裁判の読売側代理人を務めてきた喜田村洋一弁護士(自由人権協会の代表理事)が代理人を降板された。降板の理由は不明。
喜田村洋一弁護士は、対読売の係争が始まった2008年の初頭から、わたしの取材対象だった。既に刻んだ足跡は消えないので、最後まで代理人を務めてほしかった。喜田村氏が書いた準備書面(東京地裁で閲覧可能、[平成20年(ワ)第4874号])だけでは十分とは言えない。
取材対象にした理由のうち、直接裁判に関係しているものに限定して、ここで紹介しておきたい。読者が、読売とわたしの係争を理解する手がかりになるからだ。
◇武富士から読売へ
現在、わたしは読売(あるいは、読売新聞社の社員個人)を相手に3件の裁判を闘っている。著作権裁判と2件の名誉毀損裁判である。読売
から請求されている金額は、約8000万円。武富士裁判のケースと同様に高額になった。
喜田村弁護士は、これら3つの裁判で、読売の代理人を務めてきた人物である。過去に薬害エイズ事件の被告・安部英被告や、ロス疑惑事件の三浦和義被告を無罪にした弁護士としても知られている。もっとも、これらの事件については、ジャーナリズムの視点から再検証すべきではないかとの声が、かなりあるようだが。
◇著作権裁判
著作権裁判では、読売の江崎法務室長がわたしにメールで送付した催告書が焦点になった。催告書を新聞販売黒書に掲載したところ、江崎氏が削除を求めて仮処分命令を申し立て、後に提訴に及んだのである。
判決では、催告書の作成者は喜田村弁護士か、彼のスタッフである可能性が高いと認定された。東京地裁も東京高裁も同様の判断を示した。つまり催告書の作成者を江崎氏と偽って、裁判を起こしていたのだ。
しかし、わたしがこの裁判でより関心を寄せていたのは、催告書の掲載をめぐる法的根拠よりも、催告書の内容そのものだった。書かれていた内容が暗い好奇心を喚起し、無関心ではいられなくなったのだ。
催告書の内容は、新聞販売黒書からある文書を削除するようわたしに求めたものだった。ある文書とは、読売の江崎法務室長が販売店経営者の代理人弁護士に宛てた文書だった。
前略
読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
当社販売局として、通常の訪店です。
以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。
催告書は、この文書が江崎氏の著作物であること、従ってわたしに公表権はなく、削除しなければならない旨を主張していた。しかも、要求に応じないのであれば、法的な対抗策も辞さないというのだった。刑事裁判をも仄めかしてきたのである。わたしは脅されているのではないかと思った。
◇著作権法でいう著作物とは
しかし、著作権法でいう著作物には、一定の定義があって、巷に氾濫している不特定多数の文書すべてに該当するわけではない。その定義とは、次の通りである。
思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
著作権法の定義に照らし合わせると、江崎氏の文書は誰が読んでも著作物とは判断できない。ところが喜田村弁護士は、催告書の中で堂々と江崎氏の文書が著作物だと述べているのだ。(催告書は、最高裁で決着が着いて、裁判が終わってから始まる検証で公開する)。
わたしは弁護士や研究者、ジャーナリストなど50名ぐらいの人々に、江崎氏の文書を示して、「著作物だと思うか?」と質問してみた。しかし、著作物だと思うと答えた人はいなかった。
かりに喜田村弁護士が、江崎氏の文書が著作物ではないと知りながら、著作物だというフィクションを前提に、わたしを訴える可能性を示唆したとすれば、恫喝行為ということにならないだろうか。このような疑問があるので、わたしは喜田村弁護士を取材対象にしたのだ。
裁判は現在、最高裁が舞台になっている。最高裁がどのような判断を示そうが、裁判の引き金となった江崎氏による販売店経営者宛ての文書が、著作物ではないとすれば、喜田村弁護は内容がでたらめの催告書を作成したことになる。そして江崎氏がそれをわたしに送付したのである。目的は、言論抑圧だった可能性が強い。
東京地裁は、怪文書とも解釈しうる催告書を新聞販売黒書から削除すべきか否かを1年に渡って検証したのである。もちろんわたしの弁護団は、江崎氏の文書そのものを最初から問題視していた。
このような事実経過を、喜田村氏が代表理事を務める自由人権協会や読売が所属する日本新聞協会は、どのように考えるのだろうか?特に自由人権協会は見解を示すべきだろう。
余談になるが、武富士の代理人を務めたメンバーの中にも、自由人権協会所属の弁護士がいたように記憶している。
◇名誉毀損裁判①、弁護士費用200万円を請求
名誉毀損裁判①については、高裁の段階に入ったところなので、この場で自分の主張を展開することは控える。ただ、請求された金額と提訴に至るプロセスについて、重要な事実を明記しておきたい。
わたしは読売から、2330万円を要求されているが、その請求額が妥当と言えるのか、疑問を抱いている。法人に対する請求額ならともかく、読売は個人に対してこれだけの大金を請求してきたのである。読売社員の1・5年分ぐらいの額ではないか。
喜田村弁護士は、この点について、読売にどのようなアドバイスを行ったのだろうか?あるいはそこに被告の人権に対する配慮はあったのだろうか?請求額の中には、弁護士費用として200万円も含まれている。これは喜田村弁護士の取り分である。それを示す記述を訴状から引用しておこう。
原告らは、本訴の追行を弁護士に委任したが、その弁護士費用の相当額は本件不法行為と相当因果関係にある損害として、被告が負担すべきものである。その金額は、本訴の難易度や消費すべき時間などを勘定すれば原告一人当り50万円(合計200万円)が相当である。
ちなみに原告は次の4者である。
読売新聞西部本社(小島敦)、江崎徹志、長脇正裕、池本光男
裁判に至るプロセスは双方の話し合いが決裂して、提訴に至ったというものではない。読売は、名誉を毀損されたとする記事の訂正を求めることもなければ、わたしが提供した反論権を行使することもなく、さらには仮処分命令の申し立ても行わずに、いきなり高額訴訟を提起したのある。ウエブサイトの記事であるから、訂正には5分もかからないはずなのだが。
わたしは読売が「誤り」が訂正されることを望んでいたのかすら、疑わざるをえなかった。裁判を提起した場合、第1回の口頭弁論まで45日ぐらいの日数を要するのだが。
この点についても、喜田村弁護士が読売に対してどのようなアドバイスを行ったのかを知りたい。(この裁判の地裁判決は、黒薮の勝訴)。
◇名誉毀損裁判2 推論に対する名誉毀損
第3の訴訟は、わたしが『週刊新潮』に執筆した記事をめぐるものである。訴えられたのは、わたしと新潮社である。
この裁判についても地裁の段階なので、わたしの主張はこの場では公開しないが、出版関係者に重大な影響を及ぼす領域に限定して論評する。(4800/6400文字)
読売が問題としているのは、わたしが読売の「押し紙」率を30%~40%と推察した記述である。つまり推論・評論の記述に対して、名誉毀損を主張しているのだ。
念のために補足するが、わたしは読売の「押し紙」率が30%~40%あるという事実を指摘したわけではない。自分の取材を根拠に推論したのである。
かりに評論活動の中で推論が名誉毀損の対象になるのであれば、「・・・と思う」という表現も、許されなくなる。たとえば、「A社は、かなりの債務を累積していると思う」と、コメントすることもリスクを背負う。それが言論活動を束縛することは言うまでもない。
改めて言うまでもなく、この裁判で読売の代理人を務めているのも喜田村弁護士である。請求額は5500万円である。
◇出版業界へ及ぼす影響
こんなふに3件の裁判を再確認してみると、いずれも出版関係者にとって無関心ではいられない訴訟であることが分かる。読売勝訴の判例ができれば、それが出版業界へ及ぼす影響は計り知れない。
まず、著作権裁判でわたしが敗訴すれば、内部文書の公表が制限される判例になりかねない。催告書のようなものが、公表できないとなれば、内部文書の暴露を伴う調査報道に支障をきたすことは言うまでもない。
名誉毀損裁判①でわたしが敗訴すれば、フリーライターの言論が抑制されてしまう恐れがある。高額訴訟がフリーライターにとって、言論の自由の壁になっていることは言うまでもない。
さらに名誉毀損裁判②で、わたしと新潮社が敗訴すれば、推論の記述が抑制されてしまう危険性がある。推論が不在になった文書が、いかに味気ないかは、役所の公文書を見れば、一目瞭然だ。疑惑が報道できなくなれば、ジャーナリズム活動の意味がなくなる。
◇言論の自由の死活にかかわる
わたしが理解できないのは、なぜ、自由人権協会の代表理事を務める喜田村弁護が、言論活動に著しく負の影響を与えかねない3件の裁判にかかわってきたかという点である。3件の裁判は、言論の自由の死活にかかわる。
さらに3件の裁判の原告が、読売新聞社(著作権裁判は、読売社員)という巨大な言論機関である事実も見逃せない。彼らに言論の自由についての認識があるのかどうか理解に苦しむ。それとも言論の自由を謳歌できるのは、自分たち新聞人だけで十分だと考えているのだろうか。
もし、そうであれば、3件の裁判は、社会病理の視点からも取材しなければならないだろう。

















