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「押し紙」問題と言論妨害を考える集い。
◆日時:3月1日(木)18:30~
◆会場:文京シビックセンター5C会議室
(地下鉄「後楽園」駅・「春日」駅徒歩1分・裏面地図参照)
◆内容:
弁護団報告 (福岡で始まった販売店訴訟から黒薮裁判までの流れ)
ジャーナリスト黒薮哲哉氏[出版労連・出版ネッツ]報告
毎日新聞・関町販売所元所長・石橋護氏[全印総連・合同支部]報告
◆主催:出版労連、全印総連
なお、この報告会は、岩上安身責任編集 - IWJ Independent Web Journalで実況生中継されます。
【全文公開】


読売VS新潮(+黒薮)の名誉毀損裁判の判決が、28日の午後、東京高裁で言い渡され、読売が全面勝訴した。判決内容については、ジャーナリズムの検証を経たのちに、何らかのかたちで見解を表明したい。
結果として、「押し紙」は1部も存在しないとする読売の主張に裁判所が太鼓判を押したかたちになった。残念なのは、ペンで「押し紙」問題について論争する機会がなかったことである。わざわざ司法に判断をお願いしなくても、言論の問題は、ジャーナリズムの土俵で決着を着けるのが道理である。
今後、住民運動や労働運動の団体と共闘する方向でこの問題を追及していきたい。上告についても検討する。
「押し紙」が1部も存在しないという司法判断なので、今後は、広範な人々に呼び掛けて、この司法判断が事実かどうかを監視・検証していきたい。
また、ジャーナリズムによる検証の過程で、裁判官に対する公開質問状も視野に入れて対処したい。それを実現できるのがジャーナリズムである。裁判官には人を裁く特権が与えられているのだから、裁かれた者が質問する権限を有するのは当然だ。もっとも今のところ誰も着手していないが。
【全文公開】

読売(渡邉恒雄主筆兼会長)が23日から26日まで4回に渡って「誰も助けてくれない」という連載記事を掲載した。これは長崎ストーカー事件を題材にして、警察の対応の遅れを指摘したルポルタージュである。
長崎ストーカー事件とは、読売の解説によると次のような事件である。
長崎県西海市の山下誠さん方で昨年12月16日、妻の美都子さん、母の久江さんが刺され、翌日、筒井郷太容疑者が長崎市内で見つかり、逮捕された。筒井容疑者は三女に対するストーカー行為を続けており、凶行は、山下さんと三次が2か月近くにわたって、警察に対応を求めているさなかだった。
参考までのいくつかの見出しを紹介してみよう。
「3警察署 SOS放置」
「警察に失望の連続」
「訴え2か月『まだ逮捕できない』
「ストーカーの『過去』軽視」
「3県警 犯罪歴情報生かせず」
「たらい回し他県警も批判」
「ストーカー対策 熱意に差」(900/2000文字)

『告発の行方2』(鹿砦社)が書店で発売になった。昨年に発売になった「1」に続いて、喜田村洋一自由人権協会・代表理事に対する弁護士懲戒請求につてのルポルタージュを掲載してもらった。タイトルは、『弁護士倫理に「時効」はない』。
【全体の内容】
1.岩波書店に出版社としての独立性はあるのか?~“<佐藤優現象>批判”の社員に解雇をちらつかせる左派出版社
2.争議の末、物言わぬ社員ばかりとなった「反差別の砦」明石書店~明石書店は組合員をイジメ抜いて組合消滅に追い込んだ
3.弁護士倫理に「時効」はない~読売新聞社との裁判をめぐって
4.労働組合もハゲタカだった? 京品ホテル争議の?末~争議を指導した東京ユニオンとホテル従業員との対立
5.浅野健一教授を狙った黒い陰謀と同志社大学の無責任体制~文春裁判全面勝利から対渡辺裁判へ
次に引用するのは、『弁護士倫理に「時効」はない』の書きだし部分。
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長らく取材してきたYC(読売新聞販売店)の元店主の死を知ったのは、二〇一一年の十一月十九日の夜だった。おりしも読売ジャイアンツの人事をめぐる騒動が勃発した後の時期で、渡邉体制崩壊の予感が漂いはじめていた。ジャイアンツの清武英利代表と渡邉恒雄会長の相互が「訴えてやる」と相手をけん制する異常事態が発生していたのである。
そんなとき私のもとに平山春雄さんの訃報が飛び込んできた。享年五十六だった。
平山さんは、半年前に癌と診断され、闘病の甲斐なく力尽きたのである。
病床で読売ジャイアンツのスキャンダルを伝えるテレビニュースを視聴したかどうかは不明だが、もし耳に入っていたならば、こんなふうに呟いたに違いない。
「やっぱり読売は裁判に固執している」
平山さんにとって、「読売と裁判」の話題は一種特別な意味を持っていた。みずからが読売との法廷闘争に巻き込まれていたからである。
読売ジャイアンツの騒動の発端は、清武氏が文部科学省で記者会見を開き、ヘッドコーチの人事をめぐって渡邉恒雄会長を批判する声明を発表したことである。
声明によると、内部告発の発端は、ジャイアンツの一軍ヘッドコーチ・岡崎郁氏の留任が首脳陣の合意で決定していたにもかかわらず、契約書の二日前になって、渡邉氏が独断でOBの江川卓氏を起用するように要求したことである。
さらに当時、不祥事が取り沙汰されていた大王製紙やオリンパスのコンプライアンス違反と、渡邉氏のコンプライアンス違反を同列に扱う見解も示した。
これに対して渡邉氏は談話を発表した。その中で渡邉氏は、早くも次のように訴訟を匂わせた。
私が大王製紙やオリンパスの経営者と並ぶコンプライアンス違反をしているとあるが、両者のケースは巨額の金額の私物化や経理の不正操作に関する刑事犯罪事案で、巨人軍の人事問題とは次元が異なる。同列に扱うのは読売新聞社、巨人軍、私個人に対する著しい名誉毀損で謝罪を求める。
提訴するとは述べていないが、通常、提訴の前段階では、「名誉毀損で謝罪を求める」といった警告を発することが多い。しかし、先に提訴を宣言したのは清武氏の方だった。渡邉氏もこれに負けじと、次のように応戦する。
「こっちが法廷に持っていくよ。一〇人の最高級の弁護士を用意している。法廷なら我が方の 最も得意とするところだ。俺は法廷闘争で負けたことがない」(2300/3500文字)

苫米地英人著『洗脳広告代理店・電通』(サイゾー)は、日本で大メディアを使った洗脳や世論誘導が昔から行われてきた事実を暴いている。その中心的な存在が電通である。広告に依存したビジネスモデルを採用してきた新聞とテレビは、特に洗脳の道具になってきたようだ。
また、電通自身も偽装部数で新聞の紙面広告やCMの媒体価値が上がれば、利益を得る仕組みになっている。
本書の内容は広範囲にわたっているので、特に重要なものを順に紹介しよう。
■GHQは日本に「周到な洗脳プログラム」を導入した。
これは「検閲という消極的な手法ではなく、日本人の考え方そのものを変えようとする、まさに積極的な洗脳プログラム」だった。
プログラムの目的は、「戦争での悲惨な体験や敗戦の責任を、米英ではなくて、旧日本政府や旧日本軍へ向けさせる」ことだった。
具体的な内容は、「太平洋戦争史」という新聞連載や「真相はこうだ」というNHKのラジオ番組など。
苫米地氏によると、洗脳の役割を果たしたのが、メディアの権益を牛耳っている電通だという。
■小泉元首相による世論誘導
この計画は広告のコンサルタント会社・スリード社を使っておこなわれた。(900/2500文字)

エルサルバドル内戦を記録した動画紹介の続きである。前回は、6部構成のうちの4部と6部を紹介した。今回は1部と2部。
順番が逆になったが、1部と2部は、なぜ、ラテンアメリカでは前世紀までゲリラ活動があったのかを物語っている。各パートには、次
のタイトルが付いている。
1回:革命の武装闘争
2回:エルサルバドルの解放戦線
わたしがこの映像記録の存在を知ったのは昨年末である。残念ながら全体のタイトルは不明。見落としている可能性もあるが、現時点では分からない。
誤解をさけるためにあらかじめ断っておくが、わたしは武装闘争を無条件に肯定しているわけではない。
同時に、戦争は「両者とも悪」という考えも持っていない。
本当の暴力とは何か、あるいは1980年代に西側メディアが報じていたように中米の解放戦線はテロリストだったのかを考えるために、この映像記録を紹介するのである。
1部:革命の武装闘争
エルサルバドルでは1980年から内戦になった。(終結は92年)。このドキュメントの撮影が始まった1983年には、死者がすでに4万人に達していた。解放戦線は解放区を増やして、首都サンサルバドルを含む都市部でも攻勢を強めていた。
首都から徒歩で数時間の距離(30キロ)の地点にある解放区・グァサパは、
解放戦線にとって首都をターゲットにした戦略上の重要地点である。解放戦線は攻撃して、解放区へ引き返す「ヒット・アンド・ラン」の戦術を展開している。
解放戦線のMFNL(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)という呼び方は、1932年に起きた農民たちによる武装蜂起のリーダー・ファラブンド・マルティに由来している。農民の反乱を軍は鎮圧。マルティを射殺し、3万人の農民を虐殺した。この事件はスペイン語の虐殺を意味する「マタンサ」をそのまま固有名詞にして、「マタンサ」と呼ばれる。
反乱が鎮圧された後、約50年に渡って軍事政権が続いた。しかし、FMLNのメンバーたちは年齢層が若く、マタンサの事を直接知らない。
しかし、ひとりだけそれを知っている老兵がいる。この地区で最高齢のゲリラである61歳のマクダレイノである。彼は子供のころに自分のお爺さんが、武装蜂起するのを見ている。
マクダレイノはFMLNに加わるに際して、ロメロ大司教に相談している。
「わたしはロメロ大司教の所へ行って、『解放闘争に参加することは誤りでしょうか?』と尋ねた。すると『いいえ』という返事が変えてきのです。『かりに自分も子供たちも空腹で死にかけていれば、闘争に加わっても罪にはなりません。農民たちが抑圧されているのは明らかです。』と、言われた。そこでわたしは闘争に加わったのです」
解放戦線が1980年に農民たちを組織しはじめたとき、教会の牧師たちも一緒に活動した。このような活動をした牧師は、政府軍に射殺された。
(一時期、宗教関係者に対する軍の暴力が大きな問題になったことがある。)
解放区では農業、医療、教育が組織的に進められた。解放戦線の戦士は2000人であるが、住民たちが彼らを支援しているのである。支援がなければ、解放戦線は存続しえない。
武器の調達に重要な役割を果たしているのが、ホンジュラスとの国境に位置するキポリトという村である。ここからグァサパなど、他の解放区へ武器が分配される。キポリトでは軍事訓練も行われる。
キポリトには、一旦、戦争難民としてホンジュラスの側に避難しようとしたが、軍の迎え撃ちにあって逃げてきた人々も多い。150人の避難民が命を落とした事件もある。その時、頭に銃弾を撃ち込まれた妊婦もいた。
2部:エルサルバドルの解放戦線
なぜ、内戦になったのかが記録されている。
冒頭に登場する人物は、キポリトにおける解放戦線のリーダーである。彼の名前はラモン。医者でもある。
ラモンは、1968年に国立大学の医学部に入学した。医学部を選んだのは、医療活動が最も人道的な仕事だと考えたからだ。しかし、貧しい人々にもっと奉仕するには、全生活を解放闘争に捧げることだと思うようになった。ラモン自身が農家の出身だった。
1978年にラモンは医者になることを断念した。医学部の最終学年までこぎつけていたが、革命に身を捧げる必要を感じて解放戦線に加わったのである。
ラモンがたどった道は、同世代にFMLNのメンバーがたどった道でもある。
50年に渡った軍事政権を打倒する運動がエルサルバドル全土で広がった。(これはおそらく1979年のニカラグア革命の影響が大きい)。しかし、軍部の「殺人部隊」が、デモ隊などに発砲を繰り返すようになる。(カウント:1:59)
こうした状況の下で軍部の若手が無血クーデターを起こした。米国政府はただちにこれを承認して、大規模な軍事援助をはじめた。新政府は農地改革や自由選挙などの改革を約束したが、軍の一部と大地主の猛反対でまったく実行できなかった。それどころか軍部のテロがエスカレートして、手の付けようがなくなってしまった。
このような状況下で、住民に圧倒的な影響力を持つロメロ大司教が大聖堂でのミサで公然と米国による軍事援助を批判。軍命令に従わないように政府軍兵士に呼びかけた。
それから1日もしないうちにロメロ大司教は軍部に射殺される。
決定的な内戦の引き金になったのは、大聖堂で行われたロメロ大司教の告別式に集まってきた群衆に軍が襲いかかったことである。(カウント3:50)
その後、軍によるテロが全土に広がる。解放戦線の本拠地という理由で、軍部が国立大学を占拠して、多数の学生や職員を殺害した。大学も閉鎖。
ラモンたちは、武装闘争以外に選択肢がないことを自覚する。
大半の戦士はキポリト地区で軍事訓練を受けて、全国の解放区へ配置される。
多くの農民たちも解放戦線に加わったが、それは軍のテロから自分や家族を守るためである。
キポリト地区では、文盲教育や政治についての学習も始まった。講師をつとめるのは元大学生。女性兵士も多い。【全文公開】

情報収集は警察の重要任務になっているようだ。
かつては交番の巡査が町を巡回しながら、住民の個人情報を集めていた。そして「危険人物」がいれば、監視対象にしていた。
戦時中は「隣組」の制度で、住民が住民を監視した。(200/2000文字、◇秘密保全法と新聞販売網)


昨年の末から、「押し紙」裁判の総検証を始めている。その中から、これまでに裁判所から下された判決のうち、もっとも杜撰(ずさん)な判決を紹介しよう。
産経新聞・東浅草販売店の近藤忠志店主が2005年に起こした「押し紙」裁判である。結果は近藤氏の敗訴。判決文の総枚数が4ページ。判決理由を述べた「当裁判所の判断」の記述は、たった21行である。
判決を下したのは、東京地裁民事1部の中久保朱美裁判官である。「押し紙」問題とは何かをまったく理解しないまま判断を下した疑惑が残る。
以下、この判決の誤りを検証してみよう。(400/1700文字)

出版労連と全印総連は、3月1日に文京シビックセンターで、「『押し紙』問題と言論妨害を考える集い」を開く。詳細は次の通り。
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◆日時:3月1日(木)18:30~
◆会場:文京シビックセンター5C会議室
(地下鉄「後楽園」駅・「春日」駅徒歩1分・裏面地図参照)
◆内容:
福岡弁護団報告
ジャーナリスト黒薮哲哉氏(出版労連・出版ネッツ)報告
毎日新聞・関町販売所元所長・石橋護氏(全印総連・合同支部)報告
◆主催:出版労連、全印総連
最高裁判所は昨年の12月に、読売新聞社が出版ネッツの黒薮哲哉氏に対して提起した名誉毀損裁判の口頭弁論を3月2日に開くことを決めました。
この裁判は、黒薮氏が読売新聞販売店の改廃事件について書いた個人ブログの記事に対して、読売が2230万円の損害賠償を求めて2008年3月に提訴したものです。さいたま地裁で開かれた第1審は黒薮氏の勝訴でした。続いて東京高裁で行われた控訴審でも黒薮氏が勝ちました。
通常、民事裁判において地裁と高裁で勝利をおさめた場合、最高裁で判決が翻ることはほとんどありません。ところがこの裁判では、最高裁が黒薮氏を敗訴させ、読売を勝訴させることを前提に、口頭弁論の開催を決めました。
黒薮氏は、この裁判の他にも1年半の短期間に、読売から3件もの裁判を起こされました。その背景にあるのは、黒薮氏が闇商法と言われる読売の「押し紙」問題を告発してきた事情です。
「押し紙」とは、新聞社が新聞販売店に対して買い取りを要求するノルマ部数のことです。たとえば読者が1000人しかいない販売店に対して、1500部を送りつければ500部が「押し紙」です。この500部についても、販売店は新聞の卸代金を請求されます。
それが原因で販売店の経営が悪化して、「押し紙」の損害賠償を求める訴訟も多発しております。黒薮氏は、こうした問題を報じてきたために、読売からマークされるようになり、次々と3件の裁判を仕掛けられたのです。
これは裁判を悪用した言論弾圧・言論妨害にほかなりません。最高裁で読売の逆転勝訴を許すようなことがあれば、フリーライターは著しく言論活動の制約を受けることになりかねません。
「『押し紙』問題と言論妨害を考える集い」では、黒薮氏をサポートしてきた弁護団が福岡から上京して発言されます。当日は、福岡における凄まじい「押し紙」問題と新聞販売店に対する人権侵害の実態を報告していただくと同時に、黒薮氏の裁判が言論の自由にとってどのような意味を持っているのかを考えます。
また、現在、東京で全印総連の支援を得て「押し紙」裁判を闘っている毎日新聞・関町販売所の元所長・石橋護氏がみずから体験した「押し紙」被害について語ります。石橋氏には、「押し紙」を断ったために店をつぶされた体験があります。【全文公開】

今世紀に入ってから退官した最高裁判事30人のその後を調査したところ、半数が弁護士事務所や企業、それに大学などに天下っていることが分かった。大学はよしとして、問題なのは、前職が弁護士でないにもかかわらず弁護士事務所へ天下りした4人を含む、TMI総合法律事務所など特定の弁護士事務所と最高裁との関係で、これでは公正な判決は到底、期待できない。また、下級裁判所の判事や検事などその他の司法官僚の中にも、弁護士事務所に天下りする例が多数みられたほか、逆に弁護士事務所から官庁へ多くの弁護士が出向していることも判明した。司法制度改革で先にやらねばならないのは、法律事務所と裁判所の癒着の温床を一掃する作業であろう。(続きはマイニュースジャパン)

チリの独裁者・ピノチェト将軍(写真)といえば、晩年、それもよぼよぼになってから裁判による「報復」を受け、法廷に立たされたことで有名だ。
ピノチェトは、1973年の軍事クーデターでアジェンデ政権を倒して政権についた。軍人でありながら、政界に強い影響力を持ち、自らが大統領に就任してワンマンぶりを発揮した。
反体制派の殺害はもとより、歯向かう者を次々と軍事裁判にかけたり、言論弾圧を繰り返すなどその悪名を世界に馳せた。側近たちもイエスマンに徹して、批判する者はだれもいない。その結果、1990年に政権の座を去るまで、27年に渡って同じ地位に留まり続け、人権侵害を繰り返したのである。
その一方で、新自由主義を導入して「チリの奇跡」などと言わしめるなど、自国の繁栄をPRした。
ピノチェトに対する「報復」が始まったのは、1998年になってからである。ピノチェトは83歳だった。83歳になってから、過去にやってしまった事を問われるとは、本人も想像もしなかったのではないか。最初に腰をあげたのは、スペインだった。
ピノチェトは病気療養のために、チリからイギリスへ渡った。ところがスペインの司法当局がその情報をキャッチして、イギリスへ渡りピノチェトを逮捕したのである。容疑は、軍事政権時代にチリ在住のスペイン人を弾圧したことである。
しかし、イギリス政府がピノチェトの帰国を認めたために、スペインで法廷に立たされる最悪の事態だけは免れた。
ところがチリに帰国した後、2000年になって今度はチリの市民団体がピノチェトを刑事告発した。これを受けて、裁判所はピノチェトを殺人と誘拐で起訴したのである。ピノチェト85歳である。
翌年、裁判所は「痴呆」を理由に裁判を却下した。しかし、2004年になって再告発される。ピノチェト89歳。結局、最後は健康を害して裁判も中止。チリの住民に最悪の独裁者の烙印を押されたままこの世を去ったのである。
これら一連の経緯を見ながら、わたしが思い出したのは、1987年にメキシコへ移住する直前のことである。それはメキシコ人の友人が執拗に念を押した一言だ。その友人はこんな風に言った。
「絶対に人前で他人を辱めるような行為をしてはいけないよ。まして暴力など振るったら、何年かかっても絶対に『報復』されるから。ラテンアメリカでは、これだけは絶対に守らなければいけないよ」
ピノチェトに対するチリ人の反撃を見ると、ラテン人の気質がよくわかる。ちなみに1980年代の初頭に、戦線を布告することなく秘密戦争を展開したアルゼンチンの将軍らも、後日、法廷に立たされている。ニカラグアの独裁者ソモサは、最後は亡命先のパラグアイで暗殺された。
メキシコの作家・ファン・ルルフォの短編小説集『燃える平原』(白馬書房)に収録された『殺さねえでくれ』という作品には、こうしたラテン人の気質が描かれている。舞台は、メキシコの貧しい山村。干ばつで牧草も満足に育たない。策で仕切られた2つの牧場。牛が策を乗り越えて、隣の牧場の草を食べたことが引き金になり、隣人が隣人を殺してしまう。殺した方は、復讐におびえながら後世を送る。
そして老齢でよぼよぼになったころに、殺した男の息子に捕まってしまう。息子が男に言う。
「父は、鉈でめった切りにされたあげく、ヤリで腹を突き刺されて殺されたな。(略)おれもなるべく忘れようとした。だけど、忘れようとしても、どうしても忘れられないことがあった。それは、あんなことをしたやつが、まだこの世に生きていて、腐った魂で永遠の命を夢見ているということだ。」
結局、この老人は殺害され、遺体が男の息子に引き渡される。
このようなラテン人の気質をどう解釈すべきなのだろうか?
ファン・ルルフォ:1918年、メキシコ生まれ。生涯でたった2冊の著書『燃える平原』『ペドロ・バラモ』(岩波)を出版して、世界的な名声を得た。【全文公開】

日本新聞協会は、2011年、「ミニコミ紙を使った地域情報・防犯情報の提供」に尽くしたとして、読売センター夕張中央の所長・高橋勇治氏に地域貢献賞を贈っている。(写真:日本新聞協会・秋山会長)
また、2009年には、読売防犯協力会に対して、同じく地域貢献賞を贈っている。警察と協働して、「ミニコミ紙を使った地域情報・防犯情報」を提供したことを評価したのだ。
しかし、警察と新聞販売店の協働を進めているのは、YC(読売新聞販売店)だけではない。驚くべきことに日本新聞協会そのものが警察と販売店の協働を奨励している事実があるのだ。(500/1700文字)

TWITTERで警察OBが読売新聞東京本社内で働いている問題を取り上げたところ、「黒書」宛てに、この件について詳しく教えてほしいとの問い合わせがあった。ジャーナリズム企業が警察と協働していることが信じがたいと言わんばかりの反応だった。
読売といえば、渡邉会長が次々と裁判を仕掛けるなど、司法に強く依存しているイメージが強いが、実は警察との関係はもっと濃密と言っても過言ではない。
それは読売の元社主・正力松太郎氏が戦前の言論弾圧・言論妨害の実働部隊・特高警察の出身という歴史的な事実を見るだけで想像できる。
読売新聞社のHPによると、読売グループの中に全国読売防犯協力会という組織がある。警察OBを受け容れているのは、この組織である。
現在、全国読売防犯協力会で、次の警察OBが働いている。
佐藤福次郎参与 :岩手県生まれ。警視庁鑑識課員、野方署刑事組織犯罪対策課長などを歴任し、2007年4月から現職。柔道5段。
柏田榮文参与 : 宮崎県生まれ。警視庁捜査第二課員、築地署生活安全課長などを歴任し、2008年4月から現職。趣味はゴルフ。
鍋倉光昭参与 : 鹿児島県生まれ。機動捜査隊・鑑識課・警視庁光が丘署刑事・組織犯罪対策課長などを歴任し、2011年4月1日から現職。趣味は家庭菜園。
髙橋稔北海道支社参与: 北海道長万部町生まれ。北海道警察機動隊長、岩内署長などを歴任し、2008年4月から現職。趣味はジョギング、ゴルフ。
髙嶋光生西部本社参与: 福岡県久留米生まれ。福岡県警察学校教官、監察官室係長を歴任し、福岡空港警察署地域課長として地域活動に従事した。2009年4月から現職。趣味はマラソン、登山、サッカー。平成元年いぶすきマラソン(フルマラソン)に出場。3時間12分台で完走。
植村繁久参与:鹿児島県生まれ。交通捜査課、大阪府西堺署交通課長、交通部審理官などを歴任し、2011年4月1日から現職。趣味は魚釣り。
全国読売防犯協力会が覚書を交わしているのは、次の警察である。数字は、覚書を交わした日付。
高知県警 2005年11月2日
福井県警 2005年11月9日
香川県警 2005年12月9日
岡山県警 2005年12月14日
警視庁 2005年12月26日
鳥取県警 2005年12月28日
愛媛県警 2006年1月16日
徳島県警 2006年1月31日
群馬県警 2006年2月14日
島根県警 2006年2月21日
宮城県警 2006年2月27日
静岡県警 2006年3月3日
広島県警 2006年3月13日
兵庫県警 2006年3月15日
栃木県警 2006年3月23日
和歌山県警 2006年5月1日
滋賀県警 2006年6月7日
福岡県警 2006年6月7日
山口県警 2006年6月12日
長崎県警 2006年6月13日
茨城県警 2006年6月14日
宮崎県警 2006年6月19日
熊本県警 2006年6月29日
京都府警 2006年6月30日
鹿児島県警 2006年7月6日
千葉県警 2006年7月12日
山梨県警 2006年7月12日
大分県警 2006年7月18日
長野県警 2006年7月31日
福島県警 2006年8月1日
佐賀県警 2006年8月1日
大阪府警 2006年8月4日
青森県警 2006年8月11日
秋田県警 2006年8月31日
神奈川県警 2006年9月1日
埼玉県警 2006年9月14日
山形県警 2006年9月27日
富山県警 2006年9月29日
岩手県警 2006年10月2日
石川県警 2006年10月10日
三重県警 2006年10月10日
愛知県警 2006年10月16日
岐阜県警 2006年10月17日
奈良県警 2006年10月17日
北海道警 2006年10月19日
新潟県警※ 2003年3月26日
沖縄県警 2008年6月12日
◇警察、行政、自治会の繋がりを重視
具体的な活動は、警察の協力下で、読売新聞販売店(YC)を通じた防犯に取り組むことである。読売防犯協力会のHPによると、活動の骨子は次の通りである。
(1)配達・集金時に街の様子に目を配り、不審人物などを積極的に通報する
(2)警察署・交番と連携し、折り込みチラシやミニコミ紙などで防犯情報を発信する
(3)「こども110番の家」に登録、独居高齢者を見守るなど弱者の安全確保に努める
(4)警察、行政、自治会などとのつながりを深め、地域に防犯活動の輪を広げる
このような活動は、警察にしてみれば、YCを通じて情報を入手する結果を生みかねない。YCを通じて町のどこにどのような人が住んでいるかを把握することも可能になる。
住民の安全を守ることそのものは非難されるべきことではない。しかし、それが警察の情報収集に悪用されれば大変なことになる。このあたりの対策は出来ているのだろうか?
◇グアテマラの「民間自衛パトロール」の例
中米グアテマラの内戦(1960年~1996年)中に、軍による民間人を利用した極めて狡猾な戦術が取られたことがある。1982年、リオス・モント大統領(冒頭写真)の下で、「民間自衛パトロール」が組織されたのだ。
これは民間人が銃を持って住民を「警備」するシステムである。協力しなければ、解放戦線のシンパと見なされて危険が及ぶ。つまり民間人の手でなかば強制的に、解放戦線のシンパを摘発させるシステムが構築されたのだ。
このグアテマラの「民間自衛パトロール」と読売防犯協力会の活動を同列に考えることはできない。時代も、国も異なる。しかし、民間人を警察組織に組み込んでいく戦術は共通している。それは昔から世界のあちこちで行われてきた方法でもある。
それにしても、1000万部を誇るジャーナリズム企業がこれでいいのだろうか。【全文公開】

このビデオ・ドキュメンタリーは、1982年に米国の映像ジャーナリスト4人が中米エルサルバドルのFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)の支配区に入って、FMLNサイドから内戦を記録したもの。6部構成のうち、今回、紹介するのは4部と6部。
エルサルバドル内戦(1980年~92年)は、米国の全面支援を受けたエルサルバドル政府軍と、FMLNの間で繰り広げられた。政府軍が住民に銃を向けるなど、中米紛争の中でも、最も残忍な戦争とも言われている。
貴重な歴史の記録である。巨大な権力に正面から対峙する勇気が感動を呼ぶ作品だ。
[4部] FMLNの解放区でボランティアとして働く米国人の医師が登場する。かれはベトナム戦争にパイロットとして参加したが、途中で侵略行為の誤りを認識して職務を拒否し、そのまま除隊された過去がある。その後、医師になりカリフォルニア州の病院に勤務しながら、戦争難民を救援するボランティア活動に参加する。そこで戦争難民を通じて、エルサルバドルで起こっていることを知り、医師としてエルサルバドルへ向かう。
政府軍の暗号による通信をキャッチ。FSLNのリーダーが、暗号を解説。
軍事訓練の様子。
ゲリラ式の結婚式。
「6部」FSLNの軍事作戦を記録した部分。なまなましい戦闘の場面を撮影している。最後の部分に、このフィルムを撮影した18カ月の間に知りあった戦士の多くが、その後、戦死したり行方不明になったことを語り、彼らを記憶に留めるために、フレッシュバックの画像に名前が刻まれる。【全文公開】

沖縄・宜野湾市の市長選挙をめぐり、沖縄防衛局長が宜野湾市に住む同局の職員やその親族を集めて、「講和」を行っていた問題が発覚した。
宜野湾市の市長選は、2月5日に告示される。現在、自民と公明が推薦する自民党県議の佐喜真淳氏(47)と社民、共産、社会大衆党が推薦する元市長の伊波洋一氏(60)が立候補を表明している。
こうした状況の下で、共産党の赤嶺政賢議員が、31日の国会質問で、沖縄防衛局が職員の身うちで宜野湾市に在住する住民のリストを作成させ、「講和」を聴衆させた事実が暴露された。
この事件を伝える新聞記事を読んで、わたしは違和感をもった。たとえば、読売は次のように報じている。
米軍普天間飛行場を抱える沖縄県の宜野湾(ぎのわん)市長選(2月12日投開票)をめぐり、防衛省沖縄防衛局の真部(まなべ)朗(ろう)局長(54)が、同市に住む同局職員と親族に関するリストを作り、市長選への投票を呼びかけていたことが31日、明らかになった。[2月1日 3時3分]
防衛省沖縄防衛局の真部(まなべ)朗(ろう)局長が、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市長選(12日投開票)への投票を呼びかける講話をした問題で、同省は2日午前の衆院予算委員会理事会に提出した調査報告書で、呼びかけは真部氏の発案だったとした上で、真部氏や出席者からの聞き取りをもとに作成した講話要旨を公表した。[2月2日、11時56分]
防衛省沖縄防衛局の真部(まなべ)朗(ろう)局長が、沖縄県宜野湾(ぎのわん)市長選(12日投開票)への投票を呼びかける講話をした問題で、田中防衛相は2日午後、国会内で真部氏から直接事情を聴取した。[14時8分配信]
これら記事を読む限りでは、選挙管理委員会の長でもなんでもない真部朗局長が市長選の投票率を上げるための講和を開いたという意味になる。常識的にはそうとしか解釈できない。
しかし、真実は異なる。(1300/2000文字)

福岡県の太宰府市で、携帯基地局の設置をめぐる深刻な問題が進行している。
昨年の12月15日に、携帯基地局を設置する際に住民説明会を開催することなどを電話会社に義務付けた条例が可決されたにもかかわらず、井上保廣市長が拒否権を発動して、継続審議に逆戻りさせたのだ。
最初の裁決では、賛成10、反対7だった。再可決には、3分の2の賛成が必要となるので、現在の段階では条例制定は難しい状況になっている。
このほど携帯電磁波の問題に取り組んできた地元の門田直樹市議がブログを開設した。
このブログには事件の経緯が詳細に記録されている。また、事件に関する新聞記事も網羅されている。
門田議員と携帯電磁波問題の出会いは、2004年にさかのぼる。
平成16年3月のある日ふと窓の外に目をやると約30mくらい先の宅地の庭にアンテナらしきものが立っている。アマチュア無線にしてはデカすぎるからいわゆる携帯電話の基地局かなと思っていたところ電話が鳴りました。
近くの人で「いきなり電波塔が建ったから調べてくれ!」、これが私と携帯基地局問題の出会いでした。
幸いにこの問題は、基地局の地権者の努力で解決した。ところがその後も門田議員が基地局問題から解放されることはなかった。
たとえば太宰府東小学校のすぐ近くにNTTドコモが設置した基地局が原因とみられる健康被害の問題が浮上した。(これについては、読売が企業名を匿名にして報じている)。大学の専門家が児童を対象とした健康調査を実施したところ、3階建ての校舎の上の階ほど、健康被害を訴える児童が多いことが判明した。
こうした状況の下で、門田議員ら議会も動きはじめる。
9月24日に議員発議で条例案を提出後、議員全員で構成する携帯電話中継基地局問題特別委員会が設置され、3回の審議を経て12月15日の委員会で賛成多数で可決されました。
審議の内容ですが第1回目と第2回目はほとんど逐条解説で、第3回目に少し質問が出ました。3回目では継続審査を求める動議が出ましたが賛成少数で否決。
その後文言の一部を修正した案を、賛成10、反対7で可決しました。
特筆すべきはこの特別委員会での審議の中で、条例そのものに対する反対意見は一つもなかったことです。
ところが井上市長は、条例の可決に対して拒否権を発動したのだ。
この問題に関しては、地元の新聞(朝日、毎日、西日本)も熱心に報道している。もちろん、これらの新聞社は電話会社の名前も公表している。
「黒書」も今後の推移を見守っていきたい。【全文公開】

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