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 「回答書」が著作物だとする喜田村洋一弁護士の(催告書の)記述は、極めて論拠に乏しい。しかし、回答書が著作物か否かは、裁判の争点にはならなかった。もちろんわたしの弁護団は、争点にするように主張したが、裁判所は受け付けなかった。

  回答書が著作物かどうかを検証するということは、催告書に書かれた内容がデタラメか否かを見極めることである。そして、もし、回答書が著作物ではないとすれば、催告書の内容そのものがウソということになる。

 すでに述べたように回答書は明らかに著作物ではない。つまり裁判所は内容がデタラメの催告書に著作物性があるか否かを裁判の争点にしたのである。

  わたしは裁判所が住民の感覚から乖離していると批判される具体的な根拠を見たような気がした。

◇提訴の大前提がウソだった
  結論から先に言えば、東京地裁は催告書に著作物性はないと判断した。しかし、皮肉なことに、読売の敗訴は催告書に著作物性があるか否かに言及する前に決定したようだ。

  裁判の大詰めになって、ある重大な事実が弁護団によって暴かれたからだ。

 もともとこの裁判は、読売の江崎法務室長がみずから作成した催告書という前提で提訴されたものである。みずから作成した文書であるから、江崎氏に著作権があるという主張だった。ところが裁判の中で、催告書の作成者が江崎氏ではないことが判明したのだ。

  提訴の大前提がウソであることが分かったのだ。

 裁判所は喜田村洋一弁護士か彼の事務所スタッフが催告書を代筆した可能性が高いと認定した。なにを根拠に裁判所はそのような判断を下したのだろうか?

 ひとつの例を挙げれば、喜田村弁護士がマイニュースジャパンに送りつけていた別の催告書の構成や語彙が、わたしに送りつけた催告書と極めて類似していた点である。文章心理学の専門家に鑑定を依頼したわけではないが、素人でも両者が同じ作成者であることが容易に推測できる。

◇裁判そのものが目的
 読売側は、虚偽の事実をでっちあげてわたしを裁判にかけたのである。つまり、裁判、そのものが究極の目的だった可能性が高い。

 事実、読売は著作権裁判を提起した2週間後に、別の裁判をしかけてきた。「黒書」で繰り返し報じてきた名誉毀損裁判である。

 この裁判も地裁ではわたしが勝訴した。高裁の判決は4月27日に下される。

◇武富士事件でも自由事件協会の弁護士が・・・
  フリーライターに対するスラップとしては、古くは武富士の例が有名だ。武富士が4人のフリーライターに対して高額訴訟を提起した事件である。

 このケースで武富士の代理人弁護士を務めたのが弘中惇一郎ら、自由人権協会に所属していた弁護士である。

  武富士の裁判では、訴訟そのものを裁判所が問題視したわけだから、武富士を弁護した弁護士の責任も免れない。ところが裁判の後、責任が検証されたという話を聞いたことがない。

 責任を検証しなかったことが、その後、スラップの多発い繋がった可能性はないだろうか。

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 北海道の十勝毎日新聞・販売店5店が損害賠償と地位保全を求めていた裁判[平成19年(ワ)第285号 販売店契約関係存在確認等請求事件、平成20年(ワ)第34号 損害賠償請求事件]の判決が29日、釧路地方裁判所帯広支部であり、釧路地裁は販売店側の訴えをすべて棄却した。

  原告の販売店は、次の5店舗。

  かちまい北部
 かちまい西部
  かちまい開西 
  かちまい大空
  かちまい自由が丘

  今回判決の対象となったのは、全店の損賠賠償と、かちまい北部の地位保全。

 かちまい北部の地位を裁判所が保全しなかったことを受けて、十勝毎日新聞社は、同店に対する新聞の供給を4月2日でストップする方針だという。(詳細は後日)

■新聞社による販売店つぶし
 このところ販売店が地位保全裁判に敗訴して、廃業に追い込まれるケースが相次いでいる。十勝毎日新聞のケースについては、手元に全資料がないので、コメントは控えるが、裁判所が新聞販売の商取引の仕組みをよく理解せずに判決を下すケースがこのところ相次いでいる。その結果、次々と販売店主が失職に追い込まれている。

 しかも、最高裁で判決が確定しないうちに、強制改廃が断行されている。たとえば昨年の8月には、東京都練馬区の毎日新聞販売店が、地位保全の仮裁判に敗訴し、約10日後に改廃に追い込まれた。

  判決内容を、厳密に検証する必要がありそうだ。新聞の商取引は複雑なので、裁判所が十分に中身を理解しないまま判決を下している可能性も否定できない。(全文公開)

 2月に最高裁で判決が確定した著作権裁判(読売・江崎法務室長VS黒薮)で争点となったのは、読売側がわたしに送りつけた催告書である。この催告書は、2008年の1月に東京地裁からの仮処分命令で削除させられた経緯がある。

 しかし、その後、「本裁判」で判決が覆った。わたしが勝訴し、催告書の掲載が違法ではないことが確定したのだ。

 そこでこのたび、「黒書」で催告書を再公開することにした。催告書の全文は次の通りである。

催告書の全文

◇催告書の解説‐内容自体がデタラメ
 催告書の作成者は、江崎法務室長になっているが、裁判所は作成者を喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)か、彼の事務所スタッフが作成した可能性が極めて高いと認定した。従って本稿では、作成者が喜田村弁護士という前提で話をすすめる。

  催告書の文中にある「回答書」とは、YC広川の訪店に関する次の文書である。

   前略
 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
 当社販売局として、通常の訪店です。
 以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。

 喜田村弁護士は、催告書の中で、上記の「回答書」が著作物だと主張している。しかし著作物と言うからには、著作権法の次の定義を満たさなければならない。

 思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

 誰が解釈しても著作物でないことは明らかである。それにもかかわらず喜田村弁護士は、「回答書」が著作物であると述べ、わたしに回答書の削除を求めてきたのである。しかも、回答書の掲載を「民事上も刑事上も違法な行為」とした上で、次のように宣言したのだ。

 貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を探ることになりますので、この旨を付言します。

◇催告書の送付こそ刑事事件まがい
 喜田村弁護士は、「回答書」が著作物ではないことを本当に知らなかったのだろうか。もし、著作物ではないことを知りながら、著作物と強弁したとすれば、弁護士として不適正な行為ではないだろうか。

 しかも、わたしが催告に応じない場合は、法的な手段を探ると述べているのだ。法的な手段が刑事告訴を含むことは言うまでない。催告書の中で「民事上も刑事上も違法な行為」と述べているからだ。

 法的に根拠のないことを前提に、法的手段を探ると宣告したのだから恫喝とも解釈しうる。

  たとえばビルの所有権がないヤクザが、押しかけてきて立ち退きを要求し、それに応じなければ、刑事事件にすると言われれば、誰だって戸惑うだろう。喜田村弁護士は同じ質のことを新聞販売黒書に対って行ったのである。

 これはたちの悪い言論弾圧以外のなにものでもない。(続)

 2001年に、配達部数6百部弱に過ぎない1店主である真村久三さんが、自称1千万部を発行する読売新聞との裁判に巻き込まれてから10年近い歳月が流れた。

 これまでの判決は、真村さんの6勝0敗。そして2月初旬、読売が判決を不服として保全抗告の申立て手続きを行い、裁判の舞台を福岡地裁から福岡高裁に移しての「第7戦」が決まった。

  集会を写真撮影、裁判所に提出。「押し紙」パンフにいちゃもん。出版活動も批判・・・・(続きはマイニュースジャパン
 

 22日に放送された「激震マスメディア」について新聞販売黒書やTWITTERにいくつかの意見が寄せられた。また、知人と直接に意見を交換した。

◇老人VS若者
 当然、番組を評価する意見と批判する意見があった。まず、番組を評価する声を紹介しよう。元販売店主の声である。

 「直接、『押し紙』問題をテーマとして取り上げることはなかったが、高く評価できると思う。『押し紙』を語らなくても、メディア業界に激震が起こっていることがよく分かった。出演者のうち、テレビ業界と新聞業界の代表は、時代の流れを把握し切れていないという印象を受けた。過去の栄光にすがりついてしまい、いまだに自分たちが世界を牛耳っているような感覚から脱し切れていない。だから危機に立たされていることにも気づいていないかも知れない。NHKがこんな番組を放送するとは思わなかった」

 個人のプログにも的確な感想が綴られている。たとえば「さとなお」さんのブログである。(http://www.satonao.com/archives/2010/03/nhk_1.html

 この番組、放送業界・新聞業界の代表と、IT系代表、評論家、学者などの対談で進められたのだが、代表者たち(社会的に偉い方々)の「変化に対して身を守ろうとする姿」「時代の変化を受け入れない態度」などが露わになってしまった。もちろん業界代表としてのポジション・トークもある。でもそれだけではない。映像は怖い。すべてが映ってしまう。いかに取り繕っても、裏側が透けて見えてしまう。

◇議論の前提がフィクションでは・・・
 これに対して、番組に批判的な意見の代表格は、「押し紙」問題に正面から取り組まなかったというものだった。わたしも全く同じ感想を抱いた。なぜ、「押し紙」問題を表に出すことが必要なのだろうか?

 まず、それは「押し紙」の実態を隠してしまうと、議論の大前提が狂ってしまうからだ。議論の前提(それはジャーナリズム活動の大前提でもあるのだが)とは、客観的な事実を正確に把握することである。すべて事実から出発して、議論を深めるのが鉄則である。
 
 番組の冒頭で、日本の新聞の発行部数が紹介された。しかし、「これには『押し紙』が含まれている」という説明は一切なかった。その結果、嘘の前提に基づいて、議論することになってしまったのである。(1300/1900文字、◇番組の信ぴょう性に赤信号)

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 群馬県草津市で社会保険労務士の事務所を経営する山本和久さんは、約20年前に、新聞奨学生として働いた体験を持つ。山本さんは日大の法学部に通うかたわら、奨学生として働いていた。新学期の開始を前に、山本さんにみずからの奨学生体験を語ってもらった。

◇奨学生に派遣先の決定権はない
・・・・どのような経緯で新聞奨学生になりましたか?

 高校の卒業式をおえて1週間後に上京しました。わたしは、高校時代から下宿して学校に通っていたこともあって、親に経済的な迷惑をかけてしまった負い目がありました。

 そこで大学は親に負担をなるべくかけたくないと考えて奨学生になったのです。学校の進路指導室には、「毎日育英会」の担当者が出入りしていました。この人の熱心な勧誘もあって、わたしは新聞奨学生になる決意をしたのです。

・・・派遣先の販売店は、どのようにして決められましたか?
 上京するとわたしは新宿区にある毎日育英会の事務所を訪れました。新聞奨学生は、育英会の事務所に行ってはじめて、「配属先」が決まるようになっていました。

 わたしはそこで、「キミはA販売店へいきなさい」という「辞令」を受けたのです。その日のうちに、2人の先輩がわたしを迎えにきてくれました。「あとは頼むよ」との一言で、私はA新聞店に連れていかれたのです。

◇勉学と仕事は両立しない
・・・どうような労働を体験しましたか?
 「週休1日」でしたが、1日を完全に休めるわけではありませんでした。朝刊は休みでも、夕刊は配達するのが慣例になっていたからです。

 朝刊配達は、カゼをひこうが親が死のうが休むことは許されませんでした。

 配達には自転車を使いました。タイヤがよくパンクして、近くの自転車屋さんに持って行くのですが、そのたびに店主がイヤミをいうのです。なんでたびたびパンクするのかと。

 毎日あれだけ重い荷物を背負うわけですから無理もありません。バイクは使用禁止でした。なぜならガソリン代を払うのがもったいないからです・・・。しかし、戸田方面を配達していたCさんだけはバイク使用が許されていました。

・・・労働時間の延長は日常茶飯と聞きましたが?
 最も大変だったのは集金と新聞拡販でした。わたしは拡販のノルマはいつも未達成で店主に叱られていました。集金は毎月20日ころから始めて、月内に80%以上をやらないと、奥さんにおこられました。

 いまでこそ、振替が進んで自動引き落としが当たり前になっていますが、あの当時は全戸集金でした。集金のためにお客さんの自宅を訪ねてもいないことがある。

 集金を断られることもありました。結果、前任者などは、自分で購読料を立て替えて、奥さんに納めていました。

 集金はお客さんが指定した時間にあわせていかなければなりません。もちろん無報酬です。配達とあわせると、1日に何時間拘束されるかわかりません。最低賃金法を下回っていたのではないでしょうか?

 店主は、うちの新聞屋ほど待遇のいい新聞屋はないといつもいっていました。でも、Bさんは6年かかっても卒業できませんでした。店主にしてみれば、卒業してくれないほうが労働力が確保できてありがたいのです。

◇風呂は3日に一度
・・・生活環境はどうでしたか?

 部屋に風呂がなくて、みんなで銭湯に行きました。毎日行けばけっこう金もかかる。それで風呂は3日に1回だったと記憶しています。給与は8万円ちょっと。2万くらいが食事代として控除されていました。

 夕食は近所の仕出し屋のおかずを、自社で炊いたご飯と味噌汁でたべます。朝食はヒドイもので、(2400/3400文字、◇販売現場は問題のデパートメント)

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 真村裁判で読売の渡邉恒雄主筆兼会長の尋問が実現するかどうかが福岡でも話題になっている。読売新聞販売店訴訟を支援する会(準備会)が、このところ県内のあちこちで配布しているビラでも、この話題が取り上げられている。

  ビラは、まず次のように真村事件の概要を説明する。
 
 1月15日、福岡地裁は、真村久三さんがYC広川店主としての地位確認をもとめた仮処分の異議審決定で、「(読売新聞社の)販売店契約更新拒絶は無効である」「債務者(読売新聞社)は、本件新聞販売店契約に基づき、債権者(真村さん)に本件販売区域における新聞販売店としての地位を回復させる義務を負っている。」として、真村さん勝利の決定をだしました。

 真村さんは、01年7月の1回目の「契約更新拒絶」で、地裁の仮処分、本訴で地裁、高裁、最高裁、08年7月の2回目の「契約更新拒絶」で、地裁の仮処分、それに今回、それぞれ販売店としての地位が認められ6連勝しました。

 渡邉氏の尋問が不可欠な理由として、ビラは次のように述べている。

 しかし、読売新聞社は判決や決定を守ろうとする姿勢をみせていません。2月2日に、真村さんと弁護団は、判決に対する認識を聞くために渡邉恒雄主筆を証人申請しました。

 読売が司法判断に従わない事情を問うために、真村さんの弁護団は渡邉氏の証人申請をしたという。まさに正当な理由である。

 逆説的に言えば、もし、読売が司法判断に従っていれば、渡邉氏が尋問の対象にされることはなかっただろう。

 住民が司法判断を無視すれば、大問題になるのであるから、新聞社による司法無視はさらに重大だ。裁判所は、証人申請を認めるべきだろう。却下する理由はなにもない。

  渡邉氏は、法廷で読売が司法命令に従わない理由を説明すべきだろう。

◇渡邊氏の批判はタブーなのか?
 わたしは真村裁判の当事者ではないが、取材者として渡邉氏の言動について確認したい点がたくさんある。たとえば、新聞社のトップが政界工作に関与することについて、どのように考えているのかという点である。

 また、警察と新聞社の「協働」をどのように考えているのかという点である。さらには裁判を悪用した言論弾圧についての見解も聞きたい。まさかこれらの事実を把握していなかったとは言えないだろう。

 わたしがかねてから不思議に思っているのは、渡邉氏の言動が新聞業界で受け入れられ、ほとんど批判の対象にはなっていないことである。批判があっても、単発的な「ガス抜き」程度で終わってしまう。

 しかも、業績を讃えて、2007年には渡邉氏に新聞文化賞が贈られているのだ。受賞理由は次のようになっている。

 渡邉恒雄氏は、半世紀余りにわたって新聞記者、新聞経営者として社業に尽くし、新聞界の発展および安定に力を注いだ。

 卓越した経営手腕によって、読売新聞の発展に尽力し、社論の確立に強力なリーダーシップを発揮したほか、日本の文化水準の維持・向上のため活字文化の振興に積極的に取り組み、民主主義社会における新聞の役割を広く社会に浸透させた。

 日本新聞協会長としては、新聞経営の根幹にかかわる再販制度の存続を果たすとともに、21世紀に向け新聞倫理水準の一層の向上をはかるため、新たな新聞倫理綱領を制定した。

 これらの功績は新聞人として高く評価される。
 
 読売が司法判断を無視している事実が明らかになったり、渡邉氏自身の政界工作が発覚した現在、新聞協会は渡邉氏の評価をどう定めるのだろうか。

  渡邉氏の尋問が実現すれば、読売の体質が鮮明に見えてくるかも知れない。(全文公開)

 新聞社と警察の関係について情報が寄せられた。新聞販売店に出入りするある職種の方からの情報提供である。かりにこの人を池田(仮名)さんとする。

  池田さんは、新聞社(地方紙)の販売局員と親しい。その関係で販売店経営を希望する人が、販売局員との仲介を依頼してくるケースがあるという。

  池田さんが、依頼を引き受けて、新聞社の担当員に話をつなぐと、依頼人の詳しい住所や履歴を質問されるのが常だという。身元調査の基礎データにするのが目的だそうだ。

 その身元調査は公安警察に依頼するのが慣行化しているという。店主として採用しない人物としては、組合運動の経験がある者や共産党員などである。頭が切れる人はNGである。

  提供された情報の裏付けを取ったわけではないが、十分にあり得る話だと思う。警察と新聞社の関係は、読売のケースに見られるように、防犯協力会などを介したものだけではなくて、新聞記者が日課としている「察まわり」を通じても構築される。

 日常的に個人情報を収集している公安警察が、新聞人の要請に応じて身元調査に協力しても不思議はない。

◇警察情報がほしいゆえに・・・
  新聞社は、警察と協調関係をつくることで、具体的にどのようなメリットを得るのだろうか。

1、事件についての情報が入手しやすくなる。
 警察の幹部と記者が親密な関係になれば、事件情報の入手が容易になる。

 同時に、このような状況がえん罪事件の温床となる。情報というものは、ほとんどの場合が恣意的な操作で加工されたものであるからだ。記者に情報を解析する能力がなければ、簡単に騙されてしまう。

 警察がある人物を事件の犯人に仕立てあげたいと考えれば、それを前提とした情報だけを公開する。それをメディアが鵜呑みにして報じる。えん罪の大半は、こうして発生するのだ。

2、暴力的な新聞拡販の取り締まりを避けることができる。
  数年前までは、恫喝めいた新聞拡販が堂々と行われていた。それにもかかわらず恫喝行為の取り締まりはほとんど行われていなかった。

  最近はさすがに住民からの批判が多いのか、恫喝めいた拡販の取り締まりが行われるようになっているが、被害者が重傷でも負わない限り、逮捕されることはめったにない。(1500/2500文字、◇ノーヘル、積載オーバー、◇派出所へ新聞を無料投函)

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 新聞の実配部数の立証責任を、「押し紙」の告発者に課するのではなくて、新聞社がみずから公表するのが常識であるという考えを、新聞販売黒書などで表明したところ、新聞関係者が奇妙な論理を持ち出してきた。その新しい論理は、次のようなものだ。

 ・・・・新聞社はすでに実配部数を公にしています。それはABC部数です。自信をもってABC部数が実配部数であると断言できます。

 しかし、現実の問題として、多量の新聞が配達されないまま、販売店の店舗で山積みになり、古紙回収業者のトラックで定期的に回収されているではないか?こんな疑問に対しては、次のように言い逃れる。

 ・・・・新聞社の取引先は新聞販売店です。ですから「実配部数」とは、新聞社が販売店に対して販売している新聞の実数を意味します。

 苦し紛れに発せられた言葉かも知れないが、販売店へ搬入した「押し紙」を含む新聞はすべて課金対象になっていることをみずから認めたのである。と、すれば「押し紙」は、販売店が好んで引き受けているなどとは言えないのでは。
 
◇「実配部数」に勝手は意味づけ
 言葉というものは意味を共有しなければ、コミュニケーションの道具にはなり得ない。「実配部数」の本来の意味は、販売店が実際に読者に課金している部数のことである。発証数とも言われてきた。

 実際、「押し紙」という言葉の対極をなす言葉として、「実配部数」が使われてきたのである。ところが新聞人は「実配部数」の意味を、「卸部数」に置き換えようとしている。

 近い将来に、「押し紙」裁判の準備書面の中でも新聞関係者は、これまでとは異なった意味で「実配部数」という言葉を使うようになるかも知れない。

◇「揚げ足取り」と「へりくつ」の連続
  しかし、このような「揚げ足取り」による言い逃れは、今回が初めてではない。よく知られている滑稽な例としては、「押し紙」の存在を否定するときの次のような「へりくつ」がある。(1200/1900文字、◇新聞人に特有の論理)

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 山陽新聞の元店主が撮影した折込チラシ回収の場面は衝撃を与える。Youtubeにアップされてから、すでに再生回数が4000回を超えている。再生回数が増えていくにつれて、いつどのような形でこの問題にメスが入るのかと考えることが多くなった。

 一般の人が同じことをやれば、即刻、逮捕される。しかし、新聞社は何をやっても責任を問われない。しかも、「押し紙」や折込チラシ詐欺の報道がタブーになっている。

 実に不思議な現象である。この事実そのものがニュースである。

 ビデオのタイトルは、「山陽新聞折込詐欺の実態」

             (参考:広告主リスト

◇農家の倉庫が集積場に
 ビデオは、古紙回収業者が販売店から折込チラシが入った段ボールを次々と運び出し、トラックに積み込んでいく場面から始まる。荷台が段ボールで一杯になると、青のビニールシートで覆われた。覆面である。

 第2の場面は、段ボールの集積場。農家の倉庫を改造して一時的な保管場所に宛てているように見受けられる。

 この集積場にトラックが到着すると、運転手がみずからフォークリフトを使って段ボールをトラックの荷台から下していく。

 元店主は折込チラシの破棄ルートを、集積場まで突き止めた。それから先は分からない。一説によると、瀬戸大橋を渡って香川県へ行っているのではないかという情報もある。

 香川県坂出市に大王製紙という山陽新聞社の株主会社があるので、事情を説明して折込チラシの水増し分を受け入れているのかどうかを尋ねたことがある。答えは、受け入れていないとのことだった。

 いずれにしても最終的な折込チラシの「墓場」がどこにあるのかは分からない。山陽新聞社は、みずからそれを公表すべきだろう。

 わたしはこの映像を見るたびに、ジャーナリズムとは何かという問題を考えざるを得ない。それは2つの理由による。

 まず、折込チラシを破棄しているのが、新聞社という重い事実である。ジャーナリズム企業が事件の当事者であるとなれば、当然、ジャーナリズムとは何かという問題が浮上してくる。

  第2に、元店主にカメラ歴がない事実である。ずぶの素人である。素人がプロよりもジャーナリスティックな画像を撮影しているのだ。当然、ジャーナリストの資質とは何かという問いが生まれてくる。

 テレビ局へ行けば、30年も40年ものカメラ歴を持つひとがたくさんいる。長期に渡ってカメラを操作しても撮影できない場面を、素人が簡単に撮影してしまったのである。(1600/2400文字、◇携帯・基地局問題でも素晴らしい映像が)

 「YAHOO!百科事典」は、メディアリテラシーを次のように説明している。

  新聞やテレビなどの内容をきちんと読みとりマスメディアの本質や影響について幅広い知識を身につけ、批判的な見方を養い、メディアそのものを創造できる能力のこと。イギリスやオーストラリアなどの英語圏では、内容を読み解き、制作も手がけるメディア教育がさかんである。

日本でもメディアリテラシーの重要性が教育界で叫ばれるようになり、新聞を使った授業などが行われている。メディアリテラシーが充実すると、メディアの実情がわかる消費者がふえ、マスメディア側の立場を危うくするが、マルチメディア時代には不可欠なものである。

 要するにメディアの本質を見抜く作業のことである。巷には情報が氾濫している。が、そのすべてが事実ではない。

 たとえ事実であっても、情報を公にする行為の背後に、世論誘導の意図が見え隠れする。

◇権力構造の力学
 最近、小沢バッシングとそれに対する批判が渦巻いている。主に新聞が小沢バッシングの先陣を切っているわけだが、これに対峙する側は、小沢バッシングそのもを批判して、その背景にあるものを見落としているように感じる。

  わたしは小沢バッシングそのものが新聞報道の第1目的ではないと思う。それよりも民主党のイメージダウンをはかることで、急激に斜陽してきた自民党の勢力挽回を助けたいという意図があるように感じられる。

 もちろん新聞が意図的に世論誘導のイニシアチブを取っているのか、それとも国家権力(検察)の策に新聞がはまったのかは不明だが、客観的に見たとき、小沢バッシングにより、自民と民主のバランスを回復する力が働いていることだけは疑いない。

 このような権力構造の力学は過去にも働いたことがある。ここ数年を振り返ると、まず、小泉劇場(自民の応援)があった。次に政権交代(民主の応援)。さらに小沢バッシング(自民の応援)というふうに。

◇メディアリテラシーと下部構造を把握
 わたしはメディア(新聞)を読み解くためには、その下部構造を把握することが不可欠だと考えている。新聞の紙面だけを読んも、その背景にあるものは見えてこない。このあたりの認識が弱いのが日本のメディアリテラシーの弱点かも知れない。

  新聞批評といえば、紙面だけをその他の事柄から切り離して行う作業であると勘違いしている人も少なくない。実際、新聞研究者は新聞社の下部構造を重点的に検証する作業に積極的とはいえない。(1600/2800文字、◇新聞紙面の約50%は広告、財界(広告主)の要望とメディア)

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 7日に東京新宿区のプラスワンでシンポジウム、「新聞が絶対に書けない貧困ビジネス」が開かれた。会場発言から興味深いものを幾つか紹介したい。

◇「奨学生制度は職業安定法44条に抵触するのでは」
  社会保険労務士の方から、奨学生制度は職業安定法44条に抵触するのではないかとの指摘があった。44条は次のように述べている。

第44条 何人も、次条に規定する場合を除くほか、労働者供給事業を行い、又はその労働者供給事業を行う者から供給される労働者を自らの指揮命令の下に労働させてはならない。

第45条 労働組合等が、厚生労働大臣の許可を受けた場合は、無料の労働者供給事業を行うことができる。

 新聞奨学生は各社の奨学会に登録されている。奨学会は、登録した学生を新聞販売店に送り込む。送り込まれた学生は、販売店の指導下で業務に励む。

 と、言うことは奨学会は、奨学生をかき集めて、パートの販売労働者を販売店に派遣していることになる。しかし、各販売店の業務には一切タッチしない。

  本当に職業安定法44条に抵触するのか否かは、慎重に検討する必要がある。しかし、極めて疑わしいことだけは確かだ。

 ちなみに新聞奨学生が重宝がられるのは、活力がある人が多い上に、店主の裁量でどうにでも扱えるからだ。

 通常、新聞配達員の配達料は部数に応じて決められる。ところが奨学生は月給制なので、200部配達する人も、300部配達する人も原則として同じ給料。それゆえに過重労働になるケースがままある。

 しかも、奨学金に縛られて、少なくとも1年間は退職できない。

◇新聞人が言論妨害の指示
  販売店関係者から「黒薮からの取材には応じないように」との指示が出ているとの発言もあった。(1300/2000文字、◇販売店に「当たり」「はずれ」が)

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 読売新聞(3月5日)に聖教新聞社の全面広告が出ている。広告で扱われているのは、おもに池田大作氏の著作物である。小説『新・人間革命』のほか、随筆集や詩集。同氏は著作物の分野も広い。

  余談になるがたしか先月、池田大作氏とフィデル(カストロ)のツーショットを使った広告が某紙に出ていた。キューバ革命の指導者と宗教団体の指導者では格違いなので、不自然な印象を受けた。

  さて、新聞広告で最も多いのは書籍広告である。その意味では『新・人間革命』の広告が新聞に掲載されても不思議はないが、問題は新聞に全面広告を出稿して本当に広告効果があるのかという疑問である。

  最近、出版社の関係者から、新聞に広告を出しても、ほとんど効果がないという話を頻繁に聞くようになった。

 「かつては朝日新聞に広告を出せば、それなりに効果がありました。ですから広告料金として100万円を支払っても、定期的に広告を出稿していました。ところがこのごろはほとんど広告効果がありません」

 広告効果がなくなった理由として、新聞が読まれていないとの見方が一般的だ。「押し紙」でABC部数を維持しているだけで、実際は配達されていない新聞がかなりの量になっているのではないかと考え始めている出版人が多い。

◇出版業界は新聞社に実配部数を公表させるべき
  広告効果がなくなった原因が、実配部数の減少にあるとすれば、出版社だけではなくて、広告主の多くが新聞広告に不信感を持ち始めていることになる。彼らが新聞の正確な実配部数を知りたがっていることは言うまでもない。

 が、対策は意外に簡単かも知れない。業界団体がイニシアチブを取って、新聞各社に実配部数の公表を求めるのだ。もちろん実配部数を公表するか否かは新聞社の自由だが、公表しない新聞社に対しては広告を出稿しない方針にすれば、新聞社は実配部数を公開せざるを得ない。

 ドラスチックな方法かも知れないが、そもそもビジネスの一般常識からすれば、実配部数が分からない媒体に広告を掲載するのは無謀だ。たとえば400万部の実配部数があると思って出稿したところ、実際は150万部しかなけれ
ば、営業戦略が狂ってしまう。(1200/1900文字、◇自分に関心のない分野の広告は素通り)

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 7日(日)に「新聞が絶対に書けない貧困ビジネス」と題するシンポジウムが開かれる。以下、案内です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イベント概要
◆日時:2010年3月7日(日)OPEN13:00 START13:30
◆入場料:学生500円(要学生証提示)/一般 前売り1000円 当日1200円
◆会場:新宿ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2)
  (MAP http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/access.html
 

◆パネリスト:
岡村 稔(新宿一般労働組合書記次長)
加藤 健(新聞労連書記)
黒薮 哲哉(フリージャーナリスト)
他新聞奨学生OB・OG、現役新聞奨学生など(予定)
 

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 真村事件を「人権問題」として認識する人々が増えている。この事件は、新聞販売黒書でも繰り返し報じてきたように、2001年に読売がYC広川の店主・真村久三さんに対して、営業・配達地域の一部返上を申し入れたことに端を発している。

 真村久三さんは、当然、読売の申し入れを断った。その後、読売は真村さんに改廃を通知。両者の間で本格的な裁判が始まった。原告と被告は次の通りである。

原告:真村久三
被告:読売新聞西部本社

◇真村事件の概要
  福岡地裁小倉支部が真村さんの地位を仮に保全した後、地裁判決は2006年に、高裁判決は2007年に下され、いずれも真村さんが完全勝訴した。さらに2007年の12月には、最高裁が高裁判決を認定して、真村さんの勝訴が確定する。店主としての地位が保全されたのだ。

  本来であれば、司法判断が下されたこの時点で事件は解決していたはずだ。

 ところが、その約半年後に読売はYC広川への新聞の供給を一方的に止めた。最高裁が真村さんの地位を認定しているにもかかわらず、読売は真村さんを失職に追い込んだのである。

 当然、真村さんは再び地位保全を求めて仮処分命令を申し立てた。これ以外にどんな選択肢もなかった。福岡地裁も真村さんの訴えを認めて、読売に地位保全と新聞の供給再開を命じた。ところが読売はこの命令を踏み倒したのである。

 そこで裁判所は読売に対して1日につき3万円の間接強制金(制裁金)を真村さんに支払うように命じる。(間接強制金については、命令に従っている)

  その後、読売の申し立てに従って異議審が行われたが、裁判所は再び読売に対して、真村さんを復職させ、YC広川へ新聞の供給を再開するように命令を下した。が、読売はこの命令も無視。さらに保全抗告を申し立てたのである。

 従って真村さんは、現在も地位保全をめぐる係争の渦中にある。

 こんなふうに読売は敗訴しても、次々と司法手続きを踏んで真村さんに対抗してきた。裁判は2001年から続いており、これまで真村さんの6連勝、読売の6連敗である。

◇大新聞社VS1個人
 弁護団を除いてなんの後ろ盾もない1個人に対して、世界最大の新聞社が延々(2001~)と攻勢をかけている事実は重大だ。ある意味では地位保全の是非よりも、こちらの方が憂慮すべき事態である。

 もし、攻撃を仕掛けているのが一般の企業、たとえばサラ金業者であれば、まだ、うなずける。「あの企業であればやりかねない」という評価があるからだ。

  しかし、ジャーナリズムの旗を掲げた大新聞社が何年にも渡って1個人と「がっぷりよつ」に組み合って、相手を失職させようとしているとなれば、日本の新聞ジャーナリズムの信用問題に発展する。渡邉恒雄主筆の新聞文化賞受賞はなんであったのかという疑問すらも生じてくるのだ。

 ちなみに真村さんに対する読売の方針は、裁判の持続だけではない。YC広川を「死に店」扱いにしたり、販売店への補助金を差別的に部分カットするなどの策も取っていた。さらに販売店にとって不可欠なセールス団の派遣も店主会により中止された。

 つまり読売は真村さんを失職させるためならば、司法判断の無視をも厭わず、公然とした差別まで容認してきたのである。

  ちなみに最高裁が真村さんの地位を保全する決定を下した後の2度目の解任理由として、真村さんがわたしに情報を提供したという内容も含まれている。読売が言及したのは、最高裁で判決が確定した後、真村さんが読売に対して起こした損害賠償裁判である。読売の準備書面は、わたしへの情報提供について次のように述べている。

提訴日に「My News Japan」に原告の訴状が公開され、原告本人のコメントや写真までも掲載されていたことからすると、原告が用意周到に、記事を執筆した自称フリージャーナリスト・黒薮哲哉(以下「黒薮」という)と共働し、事前に公表の準備をしていたこと、原告が被告を攻撃する意思を有していたことは明らかである。

 報道を重視するメディア企業とは思えない記述である。

◇読売の方針を誰がサポートか?
 参考までに読売の方針をサポートしている代理人弁護士の名前も明記しておこう。

喜田村洋一弁護士自由人権協会代表理事)
近藤真弁護士
その他2名

 自由人権協会に対しては、近々に公開質問状を提出する予定。

◇真村事件における3つの異常
 さて、真村事件に対して、最近、人権問題ではないかとの声が上がっている。4日、わたしはTwitterで次の情報を発信した。

YC広川の真村裁判:読売が保全抗告。真村さんに対する攻勢は、2001年から続いている。裁判で負けても負けても、読売は裁判で対抗してくる。真村さんの支援者からは、「人権問題では」との声も。現在、読売の6連敗。

 これを受け、司法関係者も含めて数人の方が、「リツイート」して下さった。なぜ、人権問題なのだろうか?

 わたしの意見になるが、まず、第1にそれは長期に渡る個人攻撃であるからだ。2001年に始まった係争であるから、実質、8年から9年の長期間に渡る。

 しかも、裁判によって、真村さんはかなり生活を破壊されている。特に経済的な損害が大きいようだ。

  第2に攻撃している者が、世界最大の新聞社という点である。極めて異例といわなければならない。たとえば『ニューヨーク・タイムズ』では、絶対に起こり得ない事態だ。

 読売はジャーナリズム企業であるから、「真村憎し」であれば、ペンの力で真村さんを社会から排除すればいいわけだが、読売は裁判という方針を取ってきた。事件が公になるのを嫌ったのが原因かも知れない。

  第3に読売が司法命令に従っていない事実である。裁判所は繰り返し、YC広川への新聞の供給再開を命じているのに、読売はそれに従っていない。

◇新聞社のレベルを露呈した真村事件
 わたしが不思議に感じるのは、真村事件に対して、なぜ、新聞人は沈黙を守っているのかという点である。読売の新聞記者に対して、ジャーナリズムの精神を発揮しろというのは酷だが、他社の記者であれば、取材して告発することもできるはずだ。

 まさか事件を知らないということはないだろう。週刊新潮やマイニュースジャパンはこの事件を繰り返し報じている。

 新聞ジャーナリズムが機能しなくなったとよく言われるが、真村事件を黙殺するところに、日本の新聞社のレベルがよく現れているのではないだろうか。ジャーナリズム企業でありながら、自分たちの足元の問題に対して、何の声も上がらないのは異常だ。

 ちなみにネット上、特にTwitterでは、新聞社に対する批判が高まっている。

◇すべてを記録・保管・公開
 読売が真村さんに対する攻撃を止めないのであれば、広告主や住民、人権擁護団体、政党に協力を求めるよりほかに選択肢がなくなる。それでもかわまないというのであれば、同じ方針を貫けばいい。新聞販売黒書は、裁判資料も含め、すべてを記録・保管していく。当然、資料の公開も前提になる。(4600文字、全文公開)

 最新メディアのひとつであるTwitterの影響力はどの程度なのだろうか。昨日、下記の記述を発信したところ、原口総務大臣から「リツイート」があった。

 「リツイート」とは、「他のユーザーのツイート(つぶやき)を引用形式で自分のアカウントから発信すること」だ。


 pomtrypiwi @kharaguchi RT @kuroyabu: 総務省は新聞社に公共広告を出稿する条件として、新聞社が実配部数を公表することを義務付けるべきではないか。ABC部数は「押し紙」を含んでいるので信用できない。実配部数の公表を拒否した社に対しては、公共広告を出稿しないことを原則に。

 原口大臣が上記の記述を「リツイート」したということは、記述を読んだということである。原口大臣が本当に行動を起こすか注目したい。

◇「押し紙」報道のメディアは?
  Twitterを始めたきっかけは、ネットの影響力を調べるのがひとつの目的だった。周知のように「押し紙」問題は、紙媒体ではなかなか取り上げられない。

 一部の週刊誌と単行本は細々とこの問題に取り組んできたが、新聞はいうまでもなく、テレビもラジオも「押し紙」をタブー視して報道しない。

  と、なれば「押し紙」を報じる方法を考えなければならない。最初にわたしが着手したのは、HP「新聞販売黒書」だった。しかし、あまり影響力はなかった。

 読売の江崎法務室長が著作権裁判を仕掛けてきた2008年2月ごろは、せいぜい1日のアクセス数が500~600件だった。読売から2件目の裁判を仕掛けられた後は、裁判そのものが話題になったこともあって増えた。しかし、アクセスを解析してみると、「リピーター」が大半だった。

 Twitterを開始してからは、「新聞販売黒書」のアクセスが急激に増えてきた。しかも、新規の読者が多い。

  Twitterそのものの影響力は、正確には把握できないが、「押し紙」で検察して書き込みを読む限り、かなりの人が興味を持っているような印象を受ける。

  新聞販売黒書に「コメント欄」を設けてほしいという要望がよくあるが、現在の時点ではできない。マナーが悪い人が多いからだ。新聞についての意見がある方は、Twitterに登録すれば、自分の責任で発言できる。

◇公共広告の出稿は実配部数の公開を条件に
 ちなみに新聞社に対して実配部数の公表を求める発想は、対読売の「押し紙」裁判(読売VS新潮社)の中で浮上した。読売の喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)が、わたしに対して、読売の「押し紙」が30~40%存在することの真実性、あるいは相当性の立証を求めたことが引き金である。(1600/2300文字、◇国民は公取委を「やる気がない」と評価)

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 NIEをご存じだろうか。NIEとはNews in educationの略である。学校教育の中で新聞を普及させる運動で、日本新聞協会がイニシアチブを取ってきた。

 その甲斐があったのか、新学習指導要領に学校の授業で新聞の利用が明記された。

  これと類似した運動に、日販協が推進している「すべての教室へ新聞を」運動がある。俗に「すべ教」。『日販協月報』(2010年1月)によると、「すべ教」運動の実施校が昨年の12月で1563校になったという。

 さらに日販協は、教育界への新聞のアピール活動をさまざまな形で実施している。たとえば『日販協月報』(2010年2月)に次のような記述がある。

 次いで新聞普及に向けた取り組みでは、高橋会長から提案が出された。

 「現在、『新聞力・再発見』試読キャンペーンを進めているが効果はいまひとつとの報告が上がっている。そこで第2弾を企画した。元NHK記者でニュースキャスターの池上彰氏の著作『小学校から「新聞」を読む子は大きく伸びる!』(すばる舎刊)を受けて、『新聞は学力を高めるもう1つの教材』とのキーワードを掲げ、教育に密着したキャンペーンで効果向上を図っていきたい」と提案した。

  新聞の教育効果を重点的にアピールしたリーフレットの制作、販売店掲示用のポスター制作などを検討しているとし、さらに意見を集約し内容も詰めていきたいとした。

◇政治献金を受けてきた中川顧問
 今年は「国民読書年」である。この運動を中心になって推進しているのが、新聞社と親密な関係にある活字文化議員連盟(会長は、民主党の山岡賢次氏、顧問は中川秀直氏)である。

 同議員連盟の中川顧問は、長年にわたって新聞業界から政治献金を受けてきた。「国民読書年」の運動は、新聞離れが進む中で苦境に陥っている新聞業界の意向を受けて、スタートしたと解釈しても大きな誤りはないだろう。

 しかも、この運動に再販制度など新聞業界の既得権益を守る運動が連動している。たとえば新聞文化賞の受賞者で、「発行部数」世界1位を誇る読売の主筆であり、会長でもある渡邉恒雄氏は1月27日に開かれた新春懇話会で次のように述べている。

 「活字文化への消費税率は上げるべきではないし、再販制度も守っていかなければならない。国民読書年の今年、新聞業界と出版業界が手をつなぎ、議員連盟とも協力して活字文化向上のための活動を行っていきたい」(『新聞情報』)

 読書指導そのものはなにも悪いことではないが、「国民読書年」は少なくとも2点、大きな問題を孕んでいる。

◇本質は新聞ビジネス
 まず、第1にこの運動には、国家を巻き込んだ新聞社の営業戦略の側面も感じられ、既得権を守る運動と解釈できることだ。多様な文化人を運動に引き込むことで、ビジネスという本質的な部分をカモフラージュしているに過ぎない。

  新聞業界と政界が癒着しているから、このようなキャンペーンが可能になるのだ。2006年の上半期に新聞人らが政界と結託して展開した特殊指定を守る運動と同程度に悪質だ。

◇新聞は文化的遺産ではない  
 第2の問題点として、何を根拠にして新聞を読む事と読解力の向上を結び付けているのかという疑問である。科学的な根拠に乏しいのだ。新聞を毎日読めば、読解力が向上するかも知れないという漠然とした教育観しかない。

 改めて言うまでもなく教育の目的は、人類の文化遺産を後世に伝えることである。従ってテキストに採用する教材も、ある程度の評価が定まったものでなければならない。当然、こうした教材は、繰り返し読むに価するものだ。

 ところが新聞の文章には2度、3度と読み返す価値はない。慣用句が多く使われているので、日本語の語感を養う上でもふさわしくない。それどころか慣用句に頼るようになり、自分の言葉で表現する能力を摘み取ってしまうかも知れない。

 わたしは筋力が発展途上にある幼児に、パーベルを使ったウエイト・トレーニングを課すような、恐ろしさを感じる。(2400/3000文字)

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 日本折込広告協議会が毎日更新している折込定数(折込チラシの適正枚数)が、ABC部数を超えている地域がいくつかある。改めて言うまでもなく、折込定数がABC部数を上回った場合、たとえ1部たりとも「押し紙」がなくても、チラシが水増し状態になる。広告主の被害がより大きくなる可能性が生じる。

  単純な例を引いて説明すれば、次のようなケースである。

折込定数:1500枚
ABC部数:1000部

 この場合、チラシを折り込む新聞が1000部しか搬入されていないのに、折込チラシが1500枚搬入される。「押し紙」がなくても、500枚のチラシが過剰になってしまう。もちろん広告主は過剰になったチラシの分まで、代金を支払わされている。

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あぶない!あなたのそばの携帯基地局
ゴーストライター
堂々と「押し紙」を回収。「押し紙」世界一。
新聞販売黒書の主宰者・黒薮哲哉の著書紹介
配達されずに破棄される折込チラシ
 
 
 
 
 
 
 
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