


- 日経新聞 (1)
- 販売店訴訟 (1)
- テレビ業界 (2)
- 経理・帳簿 (2)
- 裁判・朝日 (2)
- 言論活動の妨害 (2)
- 販売正常化 (2)
- 電子新聞へ (2)
- インターネット (3)
- ケータイ基地局公害(KDDI関連) (3)
- 公取委 (3)
- 巨大部数と世論誘導 (3)
- 新聞の発行部数 (3)
- 新聞セールス・チーム (3)
- 新聞奨学生 (3)
- 書評・出版物の紹介 (3)
- 渡邉恒雄批判 (3)
- 紙面広告 (3)
- エッセイ (4)
- 政治献金 (4)
- 公共広告・折込チラシ (5)
- 山陽新聞のチラシ問題 (5)
- 新聞業界の政界工作 (5)
- 新聞紙面の批評 (6)
- 新聞社と警察の関係 (7)
- ラテンアメリカ (8)
- 裁判・毎日 (9)
- 告知・連絡 (17)
- 裁判・読売 (18)
- 新聞社の経営難 (19)
- 「押し紙」の実態 (21)
- 裁判・黒薮 (23)
- 携帯電話の基地局問題 (39)

横浜市港北区、大倉山付近には起伏の多い住宅街が広がっている。丘の斜面にマンションや民家がへばりつくように立っている。石畳の坂を登り切ると、遠方で曇り空と接した横浜の街が広がっていた。
◇携帯アンテナと共存
緑屋根のマンションが眼下に見えた。屋上の携帯電話アンテナ。まるで電話会社のために、アンテナの設置場所が設けられたような印象がある。
このマンションに住む山本(仮名)さんに、屋上を視察させてもらった。
携帯電話のアンテナは3本。電線を通す4本のパイプが走り、増幅器を経由して地下に降りている。さらにパイプは地下から箱状の基地局本体につながっている。
隣接するマンションにも2本の携帯電話アンテナが立っている。さらに、表通りを挟んだ向かいのビルに1本立。まさにマンションの住民は電磁波が人体に与える影響を測定する「モルモット」状態に置かれている。
◇まだ安全は確認されていない
携帯電話アンテナから発せられる電磁波(マイクロ波)がもたらす健康リスクは欧米では常識になっているが、日本ではメディアがほとんど報じないこともあって、あまり知られていない。
現在、普及している第3世代携帯電話に使われる電波は、高周波と低周波を組み合わせたもので、「変調電磁波」と呼ばれている。
「変調電磁波」の健康リスクとは具体的に何か?結論から先に言えば、それはこのような電磁波が携帯電話に使われるようになって、まだ歴史が短く、そのために安全が証明されていないことである。
携帯電話から発せられる電磁波が安全だとする説は、「変調電磁波」が登場する以前の古い研究データに基づいたものである。従って「変調電磁波」が安全か危険かは、「変調電磁波」を使った実験をしない限り知ることができない。
電磁波が人体に与える影響を測定するためには、かなりの時間を要する。化学反応を観察するようなわけにはいかない。常識的に考えて少なくとも数年の歳月を要する。だから現在の段階では、「変調電磁波」が安全だという保証はまったくない。ところが海外で行われた疫学調査で、危険を示すデータが出始めている。
2004年にイスラエルで行われた調査では、携帯電話基地局の周辺で、ガン発生率が4.15倍(女性に限れば10.5倍!)という結果が明らかになった。
◇秘書が高圧線近くの自宅を売却
山本さんは、仕事の関係で米国に25年滞在した。米国では電磁波の危険性は、日本とは比較にならないほど認識されている。
たとえばカリフォルニア州のアーバイン市では、民家から300メート以内に携帯電話・基地局を設置することが、条例で禁止されている。高圧電線の下は、グリーンベルトと呼ばれ、民家の建設を禁止して、緑のまま放置する。それが常識になっている。山本さんが言う。
「わたしの秘書をしていた女性が、まもなく生まれてくる子供のために、送電線の近くにあった自宅を売り払って、安全な場所に引っ越しました。1990年代のことでした」
会社を退職したあと、日本に戻ってくると自宅マンションの屋上に基地局のアンテナを建てる計画が持ち上がっていた。設置に反対したが、住民の反応は鈍かった。反対運動に発展する前に、アンテナが設置されてしまった。
それから1月後には、体調に異変をきたした。昼間から耐え難い眠気を催したり、耳鳴りに悩まされるようになる。鼻血が出たこともあるという。他の住民も健康被害を訴えるようになった。
36年にマンションを購入した時は、新居を終の棲家にする予定だった。しかし、長い米国滞在を終えて戻ってくると、携帯電話の基地局問題が待っていたのである。平穏な生活は夢物語となった。(全文公開。携帯電話の基地局問題を取材しています。情報提供は:03-3976-6012まで)

読売新聞社がわたしに対して提訴していた名誉毀損裁判(請求額2230万円)の控訴審第1回口頭弁論が、13時30分から東京高裁で開かれた。読売は、江崎法務室長の本人尋問を申請していたが、裁判所はこれを認めなかった。
裁判は結審し、判決は4月27日の13時15分に東京高裁511号法廷で言い渡される。
原告・被告の準備書面や陳述書は、東京高裁でだれでも閲覧することができる。(身分証明書と印鑑が必要)事件番号は「平成21年(ネ)第5834」。

2月下旬から3月初旬にかけて、黒薮が関係する裁判とイベントの予定は次のとおり。
■名誉毀損裁判1(読売VS黒薮)
日時:2月25日 13時30分
場所:東京高裁511号法廷
名誉毀損裁判1はさいたま地裁から東京高裁に移る。その第1回口頭弁論。戦略上、「黒書」での主張は控えるが、率直な気持ちは次のとおりである。
「名誉毀損で2230万円請求の是非を裁判所に求めるのであれば、まず、司法制度を尊重してほしい。具体的には虚偽の事実に基づいてわたしを裁判にかけるなど事件まがいのことをしたり、司法命令を踏み倒したりするようでは、司法制度を利用する資格がないのではないか?」
なお、読売側の代理人弁護士が変更になった。喜田村洋一弁護士に代わって次の4氏が、読売の代理人に就任した。
升本善郎弁護士
宮澤昭介弁護士
稲垣勝之弁護士
金子剛大弁護士
準備書面の閲覧は東京高裁で可能。事件番号は「平成21年(ネ)第5834」。
■名誉毀損裁判2(読売VS新潮社+黒薮)
日時:3月2日 10時
場所:東京地裁526号法廷
準備書面の閲覧は東京地裁で可能。事件番号は「平成21年(ワ)第23459号)。大量の「押し紙」の証拠(写真を含む)が提出されている。なるべく多くの人々に双方の主張の違いを知ってほしい。
■新聞奨学生イベントvol1
新聞が絶対に書けない貧困ビジネス
-新聞奨学生制度の実態と「売るヤクザ」からの脱出大作戦!-
日時:2010年3月7日(日)OPEN13:00 START13:30
入場料:学生500円(要学生証提示)/一般 前売り1000円 当日1200円
会場:新宿ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2)
(MAP http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/access.html)
パネリスト:
岡村 稔(新宿一般労働組合書記次長)
加藤 健(新聞労連書記)
黒薮 哲哉(フリージャーナリスト)
他新聞奨学生OB・OG、現役新聞奨学生など(予定)
コーディネーター:村澤 潤平(新聞奨学生SOSネットワーク)
主催:新聞奨学生SOSネットワーク
後援:あっ!とおどろく放送局
予約フォーム
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/reservation/
お問い合わせ
メール:syogakusei110@gmail.com
ブログ:http://syogakusei110.blog32.fc2.com/
(全文公開)

全国読売防犯協会をご存じだろうか。同協会のホームページは、これは「各地の読売新聞販売店(YC)が地域の犯罪防止にひと役買おうと作ったボランティア団体」である。設立の目的として、次の3点を明記している。
■「防犯は販売店業務の一環」と明確に位置づけ、所長・従業員の意識を高める
■警察・自治体など外部との窓口を一本化し、連携を強化する
■販売店の足並みをそろえ、本格的な防犯活動を広範に展開する
設立の引き金となったのは、「2003年 2月 読売新聞の紙面で「治安再生」企画スタート」したことである。従って、設立の背景に読売新聞社の合意があったことは容易に想像できる。販売店は原則として発行本社の指導下に置かれているからだ。
協会の本部は、「黒書」でも既報したように、読売新聞東京本社の内部に設置されている。この本部では、警察OBを中心としたスタッフが在籍している。(スタッフの個人名と略歴は、ここをクリック)
◇都道府県警察と覚え書き
なぜ、ジャーナリズム企業と警察の「協働」が問題なのか、わたしなりの意見を述べる前に、2004年の設立から、現在までに、読売防犯協力会と覚え書きを交わした警察と日付を紹介しておこう。これも同協会のホームページから得た情報である。
高知県警 2005年11月2日
福井県警 2005年11月9日
香川県警 2005年12月9日
岡山県警 2005年12月14日
警視庁 2005年12月26日
鳥取県警 2005年12月28日
愛媛県警 2006年1月16日
徳島県警 2006年1月31日
群馬県警 2006年2月14日
島根県警 2006年2月21日
宮城県警 2006年2月27日
静岡県警 2006年3月3日
広島県警 2006年3月13日
兵庫県警 2006年3月15日
栃木県警 2006年3月23日
和歌山県警 2006年5月1日
滋賀県警 2006年6月7日
福岡県警 2006年6月7日
山口県警 2006年6月12日
長崎県警 2006年6月13日
茨城県警 2006年6月14日
宮崎県警 2006年6月19日
熊本県警 2006年6月29日
京都府警 2006年6月30日
鹿児島県警 2006年7月6日
千葉県警 2006年7月12日
山梨県警 2006年7月12日
大分県警 2006年7月18日
長野県警 2006年7月31日
福島県警 2006年8月1日
佐賀県警 2006年8月1日
大阪府警 2006年8月4日
青森県警 2006年8月11日
秋田県警 2006年8月31日
神奈川県警 2006年9月1日
埼玉県警 2006年9月14日
山形県警 2006年9月27日
富山県警 2006年9月29日
岩手県警 2006年10月2日
石川県警 2006年10月10日
愛知県警 2006年10月16日
岐阜県警 2006年10月17日
奈良県警 2006年10月17日
北海道警 2006年10月19日
沖縄県警 2008年6月12日
改めて覚え書きを交わした警察組織のリストを前にすると、「1000万部」の巨大メディアと警察組織が、極めて広範囲でかかわりをもっていることが再認識できる。
◇警察との協働が危険な理由
防犯活動に異論を唱える者はいない。それゆえに両者の関係を批判する視点は発見しにくいかも知れない。わたしが「危険」と考える根拠は、幾つかある。(2700/4100文字、◇グアテマラ軍と自衛団、◇「支持政党は?宗教は?」)

既報したように著作権裁判は、読売(厳密には読売の江崎徹志法務室長)の上告受理申立書を最高裁が不受理にした結果、わたしの勝訴が確定した。勝因は、出版関係者と販売店主、友人・知人の支援、それに弁護団の戦略が正しかったことである。
新聞販売黒書に勝訴確定の速報を出したのち、ずいぶんたくさんの人々からお祝いのメッセージや感想をいただいた。なかには「恫喝まがいの文書(催告書)を送りつけた行為は、刑事事件まがい」との厳しい声もあった。
刑事事件まがいか否かは、専門家が判断することで、わたしには分からないが、「刑事」という言葉を聞いた時、ある暗い記憶が脳裏によみがえった。
江崎氏がわたしに送りつけた催告書(作成者は喜田村洋一弁護士か彼の事務所のスタッフが作成した可能性が高いと認定された)の中で、わたしに対する刑事告訴がほのめかされていた記憶である。催告書には、次の1文がある。以下に書写してみよう。
貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。
催告書の全文は、3月に公開する予定。
◇新聞社の体質・本質が露呈した
さて、ある新聞関係者(OBの方)から電話で貴重な意見をいただいた。この人と話しながら、わたしは対読売裁判を客観的に見る新しい視点を発見した。
現在進行している対読売裁判(真村訴訟、平山訴訟等を含む)は、単なる「押し紙」の有無、催告書が著作物であるか否か、あるいは地位保全の是非を問うだけの裁判ではない。
それよりも重大視しなければならない視点は、日本を代表するジャーナリズム企業が、1ライターに対して虚偽の事実を前提に裁判を起こしたり、約8000万円もの損害賠償を請求したり、さらには1店主に対して司法命令を堂々と踏み倒してはばからない事実である。
これは日本のメディア界が検証しなければならない問題だ。
ちなみに真村裁判の原告である真村さんは、2001年から読売との係争に巻き込まれており、裁判の判決で6連勝するも、強引に失職させられている。この人権問題を新聞ジャーナリズムは報じたことがない。
OBの方は、わたしの裁判や真村裁判によって、日本の新聞ジャーナリズムの本質・体質が露呈されてしまったと語った。新聞社=正義の嘘が暴かれたというのだ。一般企業ではなくて、ジャーナリズム企業の大変な横暴さが明らかになったのだ。
「残念ながら、大変な事件であるのに、大半のメディア関係者はそのことに気づいていません。ある意味では、今が新聞ジャーナリズムの大問題にメスを入れるタイミングだと思います」
◇ジャーナリズムが存在しない日本の不幸
ジャーナリズムの役割は政治や社会を監視することである。ところが日本の新聞ジャーナリズムは、権力機構の「広報宣伝部」の役割を果たしている。権力構造に組み込まれていると言っても過言ではない。
「広報宣伝部」であるがゆえに、巨大部数により影響力を強める必要がある。その結果、部数至上主義が必然になる。多量の景品を使ったり、時には恫喝で新聞の部数を増やすことが当たり前に行われる。
新聞社の編集部門と販売部門は、別ものとよく言われるが、わたしは一体化していると思う。「広報宣伝部」にとって巨大部数は必要不可欠の要素である。巨大部数を持ってはじめて、世論誘導が可能になるからだ。
わたしや真村さんがなぜ、狙い撃ちにされてきたのか?答えは単純で、「広報宣伝部」の急所である巨大部数を問題にしたからにほかならない。まさに急所にふれたのだ。
読売はわたしが展開してきた新聞批判の言論を、裁判を悪用して消そうとした。1000万部のメディアがあれば、言論でわたしを消すこともできるはずだが、それにもかかわらず、次々と裁判にかける方法を選んだのだ。恐らくは論争に自身がないので、裁判であれば失敗することなく、確実に反対言論を消せると考えたのではないか。
著作権裁判が終わった今、巨大部数の危険性がはっきりと見えてきた。(2700/2700文字、全文公開)

2月21日(日)の読売新聞に、「記事+広告」が掲載されている。「記事+広告」とは、記事と同じページに記事に関連した広告を掲載するものを言う。その結果、記事が広告効果を強める働きをする。
これでは記事そのものの信ぴょう性が半減してしまう。「提灯記事」の疑惑が生じて読むに価しない。活字離れの原因になっていると言っても過言ではない。今回、読売に掲載された「記事+広告」の概要は次の通りである。
記事のテーマ:国民読書年のフォーラムを扱った記事で、斎藤孝氏の講演とパネル討論の内容を紹介している。パネラーは次の人々。
肥田美代子(文字・活字文化推進機構理事長、衆議院議員)
奥泉光(小説家)
水越さくえ(セブン&アイ出版社長)
長井好弘(読売新聞東京本社編集委員)
広告主:文部科学省、日本製紙、王子製紙、大王製紙、その他
◇本音は活字文化よりも企業の繁栄
読書の重要性に異論を唱える者はほとんどいないだろう。それゆえに批判の対象にはなりにくい記事である。しかし、「記事+広告」の背景から、見過ごせないさまざまな側面が見えてくる。
まず、国民読書年を定めた第1目的が、新聞社や製紙会社など活字に関連した企業を繁栄させることにあると推測できる。繁栄を実現するために、文部科学省を巻き込んでキャンペーンを張り、その上、広告まで掲載してもらっているのだ。建前が「活字文化の繁栄」で、本音は「企業の繁栄」である。だからうさん臭く感じるのだ。
実際、「フォーラム宣言文」には、次のように新聞の「宣伝」が入っている。
(略)本や新聞などの活字文化は考える力や想像力はもちろん、言葉の力や人を慈しむ心もはぐくんでくれます。(略)
◇実配部数を公表させる必要性
改めて言うまでもなく、文部科学省の広告は、税金で制作されている。と、なれば新聞に広告を出稿する場合、新聞社に実配部数を公表させなければならない。(1400/2900文字、◇活字離れの原因は出版物の劣化、◇異常な行動はエリート方が多い)

負けても負けてもやめない読売新聞社のジャーナリスト個人に対する訴訟攻撃は、武富士やオリコンを凌ぐ悪質性を帯びてきた。ほとんど架空の理由をでっちあげて訴訟を仕掛ける手法で、読売側が2年前に提訴した件は、2010年2月18日、最高裁が上告受理申立を不受理とし、ジャーナリスト側の勝訴が確定したばかり。
これら一連の3件の訴訟は読売による「一連一体」の言論弾圧であるとして、ジャーナリスト側は弁護士報酬や慰謝料など5,628万円の損害を請求し、読売側を提訴。その裁判がこのほど始動した。原告のジャーナリスト・黒薮氏が手記を寄せた。(続きはマイニュースジャパン)


『週刊東洋経済』(2月20日号)が、「新聞・テレビ断末魔」という特集を組んでいる。新聞業界とテレビ業界を襲っている不況の嵐に焦点をあてたものだ。
掲載されている記事の中に、毎日の朝比奈社長へのインタビューがある。
◇朝比奈社長、「押し紙」を否定
・・・・・今の毎日の部数370万部は実読者数と乖離しているのでは?
この質問に対して、朝比奈社長が答える。
朝比奈:販売店が注文した部数をお届けしており、それがABC部数だ。
深い考えもなく不透明な部数について弁解したつもりかも知れないが、販売関係者の失笑をかいそうな発言である。朝比奈社長は、本当に販売店が自分の意思で注文部数を決めていると思っているのだろうか?
新聞販売店には、自分で注文部数を決める権限がない。たとえ希望する注文枚数を担当員に伝えても、それが認められるとは限らない。
たとえば、毎日新聞・箕面販売所の「押し紙」裁判の中で、販売店主に注文部数を決める権限がないことを示す毎日側の文書が明らかになった。
毎日の代理人弁護士が提出した準備書面の中の記述である。店主が570部の減部数を申し出た際に、毎日の担当員がどう対処したかを述べたものだ。これは「押し紙」政策の証拠とも言えるだろう。
かつ、被告担当者において、570部もの減数は、「折込広告の収入」の大幅な減少を招くとともに、補助金の一部につき支給ができなくなることを説明し、販売店の経営が維持できなくなるのではないかとの懸念まで示すも、それでも構わないとの、原告の認識を得た上で、ならばやむなしと応じたものの、残念ながら、平成20年12月末日をもって、原告は新聞販売店を廃業・終了するに至っているところである。
570部を減部数すれば、折込チラシの収入が減る上に、補助金カットの対象になり、かえって販売店の経営を悪化させるので、思いとどまるようにアドバイスした旨を記述ているのだ。
この記述からも推測できるように、結局、新聞の注文部数は新聞社が決めているのである。(1300/2700文字、◇苦境に立たされる毎日新聞販売店、◇販売網が消え始めた、◇専売店制度が裏目に出る)


かつて新聞社といえば、花形産業の代表格だった。社員の給料は高く、ひとたび入社すれば豊かな生活が生涯にわたって約束されていた。村の寄り合いでは、村長、警察、新聞記者が上座を占めた時代もあった。
一方、新聞販売の現場は昔から問題が山積してきた。社会問題のデパートと言っても過言ではない。ジャーナリズムの光が完全に遮断されているのがその原因と言えよう。
通常、深刻な社会問題があるところに記者の眼が惹きつけられるはずだが、新聞販売の現場だけは例外だ。
販売現場の社会問題とは具体的には、「押し紙」(偽装部数)、販売局の不正経理、新聞拡張団と暴力団の癒着、政界との「情交」、警察との協働、販売労働者の劣悪な労働条件などである。
最近、外国人の新聞奨学生に海外のブローカーが介在していることも判明した。新宿の大久保にたこ部屋(マンションの一室)があるという情報を得ている。
新聞社の方針により、最も被害を受けているのは新聞奨学生と言っても過言ではない。彼らは、新聞業界の中でどのようなポジションに置かれ、どのように「利用」されているのだろうか。
◇販売労働者の低賃金
新聞販売店で働く人々の給料が極めて低いことは、周知の事実である。待遇は新聞社の系統によってもかなり異なるが、わたしが知る限り大半は年収300万円以下である。
待遇が悪いのは、「押し紙」などで販売店の経営が圧迫されているからである。これが原因となって、さまざまな諸問題を誘発している。
たとえば労働条件が悪いので優秀な人材が販売店に定着しない。その結果、販売店は履歴書を持参して面接に来たひとをだれでも採用する傾向がある。人手がなければ、新聞を配達できないからだ。
従業員の定着率が低いだけであればまだしも、新しく採用した人物の中に犯罪者や前科者が紛れ込んだりする。その結果、新聞拡販のときに、恫喝などが発生する場合がままある。近畿圏のある店主さんが言う。
「出来ることなら優秀な人を採用したいですよ。しかし、深夜労働を含む上に待遇が悪いですから、優秀な人はなかなか来ません。どの販売店も同じ悩みを持っています」
こうした業界事情の下で、重宝がられてきたのが新聞奨学生である。働きながら勉強をしようという人たちだから、もともと真面目な人が多い。仕事にも熱心だ。その上、賃金が安い。さらに奨学会に学費を負担してもらっているので、途中で退職することができない。
俗に言う読売「上村過労死事件」は、こうした状況の下で起こった。
1990年12月4日、読売・調布サービスセンターで働いていた上村修一さんは、仕事中に小脳出血で倒れ、搬送先の病院で亡くなった。
事件から3年後の1993年、上村さんの両親は読売新聞社や読売育英奨学会などを相手取って6900万円の損害賠償を求める訴えを起こした。
裁判そのものは和解で決着したが、この裁判を通して、新聞奨学生の劣悪な労働環境がクローズアップされたのである。
◇手取額が6万円
わたしの手元に、一枚の給料明細がある。毎日新聞○○販売所(荒川区)で働く奨学生のものである。これまで販売関係者の給料明細を何枚か入手してきたが、以下に紹介するものは、最も給料が低い例である。(2000/3100文字、◇著しい賃金格差)

ABC部数についての誤解が広がっているようだ。ABC部数は、新聞の発行部数を示すデータであるが、大半の人々は「発行部数」=「実配部数」と勘違いしている。
と、言うのも常識的に考えれば、過剰な部数を印刷すれば経費の無駄づかいになるので、実配部数になるべく近い部数を発行するのが常識という先入観があるからだ。常識的にはそれがビジネスのマネージメントである。
しかし、日本の新聞業界には「押し紙」の慣行がある。新聞関係者は、「押し紙」の存在を全面否定しているが、少なくとも過剰な新聞が販売店に溢れ、場合によっては「押し紙」小屋が建設され、残紙を定期的に古紙業者が回収していることは、周知の事実になっている。
と、すれば「発行部数」=「実配部数」ではない。両者は異なり、はなはだしいケースになると、発行部数の7割が非「実配部数」になっていた例もある。
◇ABC部数は実配部数
ABC部数は、紙面広告の営業の際に重要なツールになる。クライアントの大半は、ABC部数は実配部数であると信じて疑わないので、広告の掲載紙を選択する場合、発行部数を重要な選択基準にする。
このような原理が部数至上主義を引き起こすひとつの要因になってきた。巨大部数の王国を築きあげることで、広告営業を優位に展開できるのだ。そのために、恫喝による新聞拡販も正当化される。
が、繰り返しになるが、そのABC部数は実配部数ではない。
◇新聞社がみずから実配部数の公開を
先日、発足した「全国『押し紙』ネットワーク」のひとつの目標は、新聞社に対して、みずから実配部数の公表を求めることである。しかし、新聞社は「押し紙」は絶対に存在しないと断言しているわけだから、そう簡単に実配部数を公表するとは思えない。
そこで具体的な対策として浮上してくるのは、新聞に広報紙を折り込んだり、公共広告を出稿している官庁や地方自治体を通じて、新聞社に実配部数を公表させることである。拒否した新聞社については、広報紙と公共広告の出稿を凍結する。
このような手続きを踏んでおけば、広報紙と公共広告の適正な配布方法をめぐる住民訴訟も提起できるのではないか?
冷静に考えれば分かることだが、新聞社は公共広告や広報紙を「もっとよこせ」と要求(08年)したのだから、まず自ら実配部数を公表すべきである。実配部数を秘密して、広告をよこせと言うのはおかしい。
◇読売VS週刊新潮(+黒薮)
余談になるが、新聞社に実配部数を公表させるという発想は、読売VS週刊新潮(+黒薮)の裁判の中で生まれた。読売の喜田村洋一弁護士がわたしに対して、読売新聞の3割から4割が「押し紙」であることの真実性、あるいは相当性を立証するように求めたからである。
本来、道義的な面から部数の実態を明らかにしなければならないのは、広報紙や公共広告による収入を得ている新聞社の側ではないだろうか。なぜ、納税者の側が新聞の発行部数を調査・検証する責任を負うのか、まったくわけが分からない。(1600/2500
文字、◇公共の広報紙破棄の具体例)

新聞販売店の係争を支援すると同時に、新聞社に対して新聞の実配部数の公表を求めるネットワークが発足した。名称は、『全国「押し紙」ネットワーク』。代表は毎日懇話会の名誉会員で、元販売店主の高屋肇さん(写真右の人物)。事務局は当面のあいだ黒薮(新聞販売黒書)が担当する。
発足のきっかけとなったのは、次の2つの出来事である。
まず、YC広川の元店主・真村久三と読売の係争。真村氏は2001年から、地位保全などをめぐり読売との係争に巻き込まれている。裁判所の判決は、すでに6回にも及び、すべて真村さん勝訴である。
裁判所は読売に対して、YC広川へ新聞の供給を再開するように司法命令を下している。しかし、読売はこれを無視。その結果、真村さんは裁判を続けざるを得ない状況に追い込まれている。
ひとりの店主に対して延々と執拗な攻撃を続ける状況。これは単なる地位保全をめぐる係争ではなくて、人権問題ではないかという声が支援者の間からあがるようになった。
しかし、係争に巻き込まれた販売店主で抑圧されているのは真村さんだけではない。係争になると精神的にも経済的にも窮地に追い込まれてしまうケースがままる。そのことは、読売との間で4件の裁判を戦っているわたし自身の実体験でもある。
そこで住民運動によって、係争中の店主らを支えようというのが会を発足させた動機である。
発足のきっかけになった第2の出来事は、読売VS週刊新潮(+黒薮)の裁判である。黒薮が読売の「押し紙」を30%~40%と推定したところ、読売が名誉毀損で約5500万円の損害賠償を請求してきた。
裁判の中で、読売は黒薮に対して、読売の「押し紙」が30%~40%あるという推測の真実性、あるいは相当性を立証するように求めてきた。
しかし、実配部数を公表する責任は読売の側にあるのではないかという意見も少なからずある。と、言うのも読売新聞には公共広告が掲載されているからだ。実配部数が不透明な媒体に、公共広告を出稿すること自体問題ではないだろうか。
ところが日本の裁判制度では、真実性、あるいは相当性の立証責任は、被告側にあるらしい。と、なれば住民運動で新聞各社に実配部数を公表するように求めるべきではないかという声があがったのである。
販売店の諸問題の元凶になっているのは、「押し紙」である。今、必要なのは、部数の透明化にほかならない。
たまた読売が関係した2つの出来事が、全国「押し紙」ネットワーク発足の引き金になったが、 改めて言うまでもなく、読売に対抗するためのネットワークではない。新聞社の系統を問わずに、係争中の販売店主支援と、部数の透明化を目標とした活動を展開していく。
◇高屋肇さんのあいさつ
皆様は「押し紙」という言葉をご存じでしょうか。「押し紙」とは新聞社が新聞販売店に搬入する過剰な新聞を意味します。たとえば販売店が1000部しか新聞を配達していないのに、新聞社が1500部を販売店に搬入したとすれば、差異の500部が「押し紙」という計算になります。もちろん新聞社はこの500部についても卸代金を徴収しています。
日本全国で毎朝、新聞販売店に搬入される新聞の総部数は約4500万部。しかし、実際に配達されている新聞は、全体の6割とも7割とも言われています。言葉をかえれば、3割から4割は捨てられている計算になります。これを部数にすると、1350万部から1800万部にもなります。
わたしは1997年に毎日新聞販売店を廃業するまで、約半世紀に渡って新聞業界に身を置いてきました。1980年代の初頭に、国会で新聞販売の諸問題が取り上げられた時期には、国会議員に「押し紙」に関するデータを提供したりもしました。
しかし、新聞社は、その後も「押し紙」政策を改めることはありませんでした。それどころか「押し紙」政策の徹底しました。それにより、「押し紙」で新聞販売店が被る被害は、年々、深刻になっていきました。
新聞離れが進むなか、2009年の現在では、搬入される新聞の5割が「押し紙」というケースも決して珍しくはありません。
さらに問題なのは、「押し紙」と一緒に折込チラシも破棄されていることです。販売店に搬入される折込チラシの枚数は、原則として新聞の総部数に準じるために、広告主が自主的に発注枚数を減らさない限り、「押し紙」に相応する枚数が水増し状態になります。
これは歴然とした詐欺行為ですが、もちろんこのようなカラクリは、新聞業界の秘密として、広告主には知らされていません。
さらに新聞社は「押し紙」により、新聞の公表部数をかさ上げして、紙面広告の媒体価値をも高めます。紙面広告の価格は、公表部数に大きく影響されるからにほかなりません。
改めて言うまでもなく、新聞社はジャーナリズムの旗を掲げたメディア企業です。そのジャーナリズムの職能集団が「押し紙」や折込チラシの水増し行為を行っているわけですから、見過ごせない大問題です。もちろん新聞社の闇を、新聞記者が報じることはありません。その結果、「押し紙」は知られざる大問題になっているのです。
新聞社には、経営上の汚点があるわけですから、公権力の腐敗を追及するにも限界があります。本気で追及すれば、逆に新聞社が詐欺や独禁法違反のかどで取り締まりの対象にされかねないからです。日本の新聞ジャーナリズムが弱腰なのも、このあたりに真の原因があるのではないでしょうか。
「全国『押し紙』ネット」は、「押し紙」や折込チラシの水増し問題を一般住民に知らせることを目的として、新聞販売店の関係者を中心に結成した組織です。メディアが「押し紙」問題を報じないのであれば、住民運動の力で不正な商慣行を世に問う必要があるでしょう。(全文公開)

新聞紙面の構成は、基本的には記事と広告から成り立っている。両者の割合は、ほぼ均等になっている。意外に気づいていないが、40ページの朝刊の場合、約20ページは広告で占められている。
最近、広告と連動した記事が目立つようになった。記事で読者の関心を引きつけておいて、それに関連した商品を広告で宣伝するパターンである。典型例を紹介しよう。
2月11日付けの読売新聞である。同紙は、バンクーバー・オリンピックを前に全面4ページを割いたオリンピック特集を組んだ。
まず、最初のページに「熱い冬 さあ開幕」という見出。この面では今回のオリンピックの特徴を手短に紹介している。ごくありふれた記事である。
2ページと3ページには、見開きで競技のテレビ放送のスケジュールが掲載されている。3ページの下部には、オリンピックと連動した「がんばれニッポン」の広告。広告主は全農である。
4ページには、日本選手が出場する競技の一覧表が掲載されている。
問題があるのは、このオリンピック特集に続くページに、上村愛子(モーグルの選手)の顔写真を使った全面広告が掲載されていることだ。広告主は、日清オイリオグループ株式会社。キャッチコピーは次のようになっている。
あなたが燃えると、日本が燃える。
毎日の食事。日本中からの声援。そのすべてを勝負のチカラに変える日へ。日清オイリオは健康オイルで、決勝へ挑む上村選手の食事・栄養サポートを行っています。
その上村選手は、14日付け読売新聞の第1面に顔写真と付きで登場した。見出しは、
モーグル 上村きょう登場
こうなれば新聞全体が日清オイリオ広告のような印象を受けてしまう。
◇出版社、「広告を出してあげている」
記事と広告の連動は、わたしがこれまで発見した例としては、他に次のようなものがある。裁判員制度の記事+裁判員制度の広告。展覧会等の記事+展覧会等の広告。駅伝やマラソンの記事+広告。さらに医療関係の記事+医療メーカーの広告もあったように記憶している。
ちなみに書評+広告も同じ部類だ。その結果、あまり完成度の高くない本が書評でもちあげられることもある。新聞社は国民読書年を宣伝するのであれば、まず書評+広告を自粛すべきだろう。
ただ、知り合いの出版関係者に新聞広告の効果について尋ねてみると、口をそろえてこんなふうに言う。
「以前は効果がありましたが、最近はほとんど効果はありません」
唯一の例外は、朝日新聞。朝日の書評で取り上げられた書籍は、比較的よく売れるそうだ。活字好きの人が朝日新聞を購読する傾向があるからだろう。
しかし、朝日新聞であっても広告効果については、他紙とあまり代わらないという声が多い。それにもかかわらず広告を出稿するのは、単なる慣行らしい。
ある出版関係者は、「広告を出してあげているだけですよ」と話す。(1700/2300文字、◇朝日に三菱重工の全面広告)

新聞業界から山本一太議員へ2004年から08年までの5年間で、約3000万円の政治献金が行われていた問題をTwitterで発信したところ、ネット上で話題になった。この問題はもともと昨年の11月にマイニュースジャパンで公にしたものである。
◇欠点が多い政治資金収支報告書
現在、わたしは新聞業界と深い関係にある議員の政治資金収支報告書を順番に調べている。総務省が管轄する収支報告書は、ネットでアクセスできるので、手間はかからないが、都道府県の選挙管理委員会が管轄するものを入手するには、若干の手続きを必要とする。
現在、数人の国会議員の収支報告書(県選管)を入手している。結論から先に言えば、これらの収支報告書は記入の仕方がおおまかで、政治献金をした者の名前がかならずしも記されているわけではない。
隠れ蓑になっているのが、政治資金を集めることを目的としたパーティやセミナーの類である。参加した個人や団体の数が記されているだけで、名前までは特定できないようになっている。これではまったく政治資金収支報告書の意味がない。
たとえば3万円のパーティ券をある業界団体の会員100が個人として購入した場合、300万円の献金になるが、この数字の構成要素は収支報告書の上では、どこにも現れてこない。
具体例を紹介しよう。2008年(平成20年)10月7日、東京プリンスホテルの2Fマグノリアホールで「高市早苗さんを激励する会」が開催された。この会で主催者が得た収入は、1454万9790円である。
ところがパーティーに参加した者の人名や団体名は記されていない。記されているのは、「対価の支払いをした者の数」だけだ。それによると、
個人:129
法人その他の団体:169
政治団体:16
また同年12月13日には、シェラトン都ホテル大阪4F大和の間で「高市早苗さんを激励する会『アフタヌーン・セミナー』」が開かれている。この会で主催者が得た収入は、1467万円である。「対価の支払いをした者の数」は次の通りである。
個人:108
法人その他の団体:206
政治団体:15
このような政治資金収支報告書では、あまり意味がない。
ちなみに総務省が管轄する政治資金収支報告書のうち、日販協政治連盟が申告したものには、高市氏への献金として30万円が記録されている。詳細は、
9月19日:20万円
12月8日:10万円
◇新聞1部につき1円の献金
新聞業界が政界へ献金を始めた時期を正確に特定することはできないが、わたしが知る限り、90年代の初頭に「一円募金」と呼ばれる献金活動が行われていた。
これは新聞販売店が扱っている新聞の部数に応じて献金を要請するものである。新聞1部に付き1円である。従って1000部扱っている店は1000円。2000部扱っている店は2000円の負担になる。
1円募金の主催者は、日販協(日本新聞販売協会)だった。93年3月31日付けの『日販協月報』は、1円募金について次のように述べている。(2000/2900文字、◇日販協政治連盟の設立)

ドードー鳥は、マダガスカル沖のモーリシャス島を生息地にしていた鳥である。
1507年に発見されてから、わずか100年ほどで絶滅した。
絶滅の原因は人間が持ち込んだ家畜とされている。つまり外部から隔離されていた島に人間が入植したことで変化した環境に順応できなかったことが、絶滅を招いたのである。
ドードー鳥絶滅のエピソードは、進化の重要性を論じるときに、しばしば引用されるようだ。
◇紙面広告からネット広告へ
現在、日本の広告業界は激変に見舞われている。新聞広告がどんどん衰退し、それに代わってインターネットを利用した広告が主要な位置を占めるようになってきたのだ。しかも、最近ではTWITTERを利用した企業宣伝まで始まっている。
TWITTERは使用料が無料で、しかも、宣伝効果が大きいので、経費の節減という観点からも、極めて有望な宣伝媒体だ。
TWITTERに先だってすでに台頭している媒体としては、インターネット広告がある。インターネット広告の強みは、アクセス解析ができることだ。
現在は、データーをベースとした科学の時代である。プロ野球から医学、ビジネスまで、データーに頼る時代である。データが戦略を練る上で、不可欠な要素になっている。
インターネットの広告の場合、具体的にどの時間帯にどのような商品(ページ)が閲覧の対象になっているのかを解析できる。スーパーなどのレジでは、バーコードを読み取っているが、これもデータとして蓄積され、消費者行動を分析する材料として使われる。
こうした状況の下で、ITはビジネスに不可欠な要素になっている。
それとは対照的に新聞の紙面広告は、現在のビジネスの下では役に立たなくなりつつある。第1に広告効果が科学的に判定できない。第2にコストだけは、インターネット広告に比べて比較にならないほど高い。第3に新聞は中高年しか読まない傾向がある。
◇紙面広告のスポンサーは・・
2月7日付けの読売新聞は、最近の広告業界の動向を反映しているのか、ある顕著な現象が見られた。(1300/2900文字、◇「押し紙」政策の破綻)

2月7付け読売新聞の1面に、戦闘服姿の2人の父親が子供を腕に抱き抱え、別れを告げている写真が掲載されている。カリブ海のハイチにPKO活動に向かう自衛隊員の姿である。キャプションは大文字で、「行ってきます」。
同日の社説は、「自衛隊の活動の幅を広げたい」。
読売は改憲論で知られている。彼らがPKOを論じるとき、欠落している重大な視点がある。それは海外派兵の究極の目的にはふれずに、建前論を展開していることである。
◇真実は多国籍企業の防衛
自衛隊の海外派兵の問題は、わたしが記憶する限り、1990年代になってから取りざたされるようになった。当時、日本企業が盛んに生産の拠点を日本から海外の発展途上国へ移していた。わたし自身もメキシコでそのお手伝いをしたことがある。
海外派兵の真の目的は、海外へ進出した多国籍企業を政変から防衛することである。読売の社説は、このあたりの視点が抜け落ちているのだ。
発展途上国では、欧米並の民主主義が確立されていないところが多い。そのために政情が不安定な場合がままある。多国籍企業にとって、最も大きな懸念材料は、予期せぬ政変である。せっかく人件費や材料費が安い海外へ生産の拠点を移したのに政変が起きて、新政府により最低賃金が底上げされたら、海外進出のもくろみが狂ってしまう。
このような状況になったときに、国際貢献を口実として、自衛隊を現地に派兵して、「治安を回復する」のが海外派兵の真の目的である。そのためにPKO活動で派兵の既成事実を重ねているのだ。
◇ラテンアメリカに見る米軍の介入
海外派兵と多国籍企業の関係を考える場合、ラテンアメリカにおける米国の軍事介入に焦点をあてると分かりやすい。派兵の本質が見えてくる。年代順に米軍による軍事介入(軍事訓練の指導も含む)とCIAによる介入を追ってみよう。
■1954年 グアテマラ
■1961年 キューバ
■1964年 ブラジル
■1965年 ドミニカ共和国
■1971年 ボリビア
■1973年 チリ
■1979年~ニカラグア内戦
■1980年~エルサルバドル内戦
■1983年 グレナダ
■1989年 パナマ
■2002年 コロンビア
現在も米軍によるコロンビア介入の兆しがあるが、今世紀に入ってからは、かつてのように露骨な軍事介入は出来なくなっている。民主主義が成熟してきたからである。非軍事の世界的な流れが顕著になってきたのだ。
◇防衛するものは多国籍企業の権益
なぜ、米軍やCIAがラテンアメリカ投入されてきたのだろうか。個々のケースで事情は異なるにしても、基本的な考え方として、多国籍企業がラテンアメリカを自国の裏庭にしてきた事情がる。その裏庭で「政変」が起きると米軍やCIAが出動して、それを鎮圧する構図があった。
たとえば1954年にCIAが起こしたグアテマラのクーデター。当時のグアテマラは、民主的なかたちで資本主義を発展させることを基調とした政権だった。しかし、政府が農地改革の中で、米国のUFC(ユナイテッド・フルーツ・カンパニー)の農地に手をつけたとたんに、クーデターで倒された。
その後、グアテマラは反政府ゲリラとの間で30年を超える内戦に突入する。クーデターの直後、ニクソン(後に大統領)は、「グアテマラに民主主義が戻った」と発言している。
1973年のチリの軍事クーデターも、多国籍企業の権益と深くかかわっている。チリは銅の産出国である。その銅山を所有すのは、米国の多国籍企業だった。70年に社会党と共産党を中心とする人民連合が成立すると、アジェンデ政権は、銅山を国有化した。
CIAが関与した軍事クーデターが起こったのは73年の9月11日である。人民連合の支援者は殺害されり、亡命を余儀なくされた。
アジェンデ大統領は自殺した。その後に成立したのは、ピノチェト将軍による軍事政権だった。(ちなみにピノチェトは、晩年になってから、人権侵害などで裁判攻めにされた。妥当な対抗策といえよう)
80年代のニカラグアへの軍事介入は、直接多国籍企業の権益とは関係ないが、(ただ、運河の建設を巡る米国利権説はある)構図としては同じである。ニカラグアは、独裁者ソモサ一家の独壇場だった。ソモサは米国を後ろ盾として、ニカラグアの政治から、経済・軍事に至るまで約40年に渡って私物化していた。その見返りに安価なコーヒーなどがニカラグアから米国へ輸出された。
さらに米国がニカラグア革命に介入したのは、民族自決運動の波が中米全体に広がって米国のフルーツ会社などの権益を侵すことを懸念した事情もあったようだ。
いずれにしても自国の権益を守るために米軍の投入が行われてきたのである。これが歴史の事実である。米軍と日本の自衛隊の関係について考察するとき、これらの事実を無視することはできない。
◇読売社説は低レベル
新聞が海外派兵を国際協力であると「宣伝」すると、国民は異論を唱えにくい。国際協力そのものを否定する理由はどこにもないからだ。こうして日本の自衛隊は、海外派兵の既成事実を積み重ねていく。そして日本企業の進出先で政変が起こったときは、米軍と一緒に「治安維持」のために現地に赴くのだ。
このあたりの危険性を指摘するのが、新聞ジャーナリズムの役割だと思うのだが、読売にその資質はないようだ。(3800/3800、全文公開)

真村裁判は、尋問へ向けた手続きに入った。この裁判は、2001年から読売との係争に巻き込まれて、自店を「死に
店」にされたり、新聞セールス団の派遣をストップするなどの嫌がらせなどで、経済的にも精神的にも損害を受けた真村久三さんが、2008年に読売新聞社などを相手に、約9200万円の損害賠償を求めたものである。
これに先立つ地位保全裁判は、2007年12月、最高裁で真村さんの地位が認定された。しかし、半年後に読売は真村さんの店を一方的に改廃した。
現在、真村さんは第2次の地位保全裁判と損賠賠償裁判(2つの裁判は統合されている)を戦っている。
◇渡邉恒雄主筆・会長への尋問は実現するか?
2月2日、福岡地裁で行われた口頭弁論で、真村さんの弁護団は、次の4人の尋問を裁判所に申請した。
①杉山力氏
②渡邉恒雄氏
③真村直美氏
④真村久三氏
このうち最も注目されるのは、渡邉恒雄氏が法廷に立つことになるかどうかである。改めて言うまでもなく、渡邉氏は、読売の主筆・会長で、実質的に読売の最高実力者である。さらに新聞文化賞の受賞者で、日本の新聞業界の手綱を執ってきた人物である。
原告側がなぜ渡邉氏の尋問を申請したのかは、わたしの推測の域を出ないが、真村事件の背景にある読売新聞社の経営理念を検証することが主目的ではないか。
たとえば渡邉氏は1991年7月に「販売第一主義」を宣言した張本人である。この「販売第一主義」が、真村さんら読売の意にそぐわない店主を一方的に切り捨てる結果を生んだ可能性はないのか?あるいは「販売第一主義」が販売店に過剰な新聞を搬入する思想的な根拠になっていないか?
さらに最高裁が真村さんの地位を保全したにもかかわらず、半年後に新聞の供給を一方的に止めた事実と、読売の経営方針がどうかかわっているのかも解明されなければならない。
新聞販売黒書で繰り返し述べてきたように、裁判所が読売に対して、真村さん経営のYC広川へ新聞を供給するように司法命令を下しているにもかかわらず、読売はそれに従っていない。こうした読売の方針に、同社の最高責任者である渡邉氏が、どのような形の指示を出していたのかも解明されなければならない。
わたしは個人的に渡邉氏が司法についてどのように考えているのかを知りたい。興味がある。と、言うのも読売はわたしに対しても、3件の裁判を提起しているからだ。
◇司法命令拒否に関する質問状
読売が司法命令に従わない問題は、わたし自身の取材テーマでもある。読売にもこの点について書面で質問してみたが、「係争中」を理由に返答はできないとのことだった。
以下、参考までにわたしが読売西部本社の広報宣伝部へFAXした質問状を紹介したい。(2000/2600文字)【事件番号は「平成20年(ワ)第3139号 損害賠償請求事件」、福岡地裁で裁判資料の閲覧可能】

民主党の小沢一郎幹事長の政治資金問題がマスコミを賑している。わたしはこの件に関して、世論誘導の可能性を感じている。あくまで仮説という前提で推論を展開してみたい。
2月7日付の朝日、読売、毎日の各紙は、申し合わせたように政治に関する世論調査の結果を1面のトップで報じた。中央紙だけではなくて、東京新聞も共同通信による世論調査の結果を掲載している。
わたしは東京に住んでいるので、地方紙の紙面は現時点では確認できないが、東京新聞と同様に共同通信の配信記事を載せているのではないかと推測する。仮にそれが当を得た予測とすれば、日本全国で発行される約4500万部の新聞の大半が、1面でほぼ同じ内容を伝えたことになる。
さらに新聞社とテレビ局は系列化しているので、世論調査の結果はテレビでも報じられる可能性が大きい。かくて大半の日本人は、なんらかのかたちで世論調査の情報に接することになった。
◇世論誘導「自民か、民主か?」
小沢氏の進退に関する世論調査の結果を集約すると、小沢氏は辞任すべきだという世論が大勢を占めたようだ。それが大きく報じられた。参考までに調査結果を伝える朝、読、毎、それに東京(共同)の見出しを引用してみよう。
朝日:「小沢幹事長辞任を」68%
読売:小沢幹事長「辞任を」74%
毎日:不起訴でも「辞任を」69%
東京:「小沢氏辞任を」72%
それにしてもなぜ同じ日に、同じような世論調査の結果を発表したのだろうか?とても偶然とは思えない。
◇小沢氏は元自民党の構造改革推進派
新聞関係者が自覚しているか否かは別として、わたしは小沢氏に対するバッシングには、日本の権力構造全体がかかわっていると推測している。小沢氏をバッシングすることで、自民党と民主党のバランスを取り戻そうという意図があるのではないか?。だから小沢氏は逮捕されなかった。検察は最初から逮捕するつもりもなかったのでは。
小沢氏の政治資金問題を考えるとき、大きな背景として自民党の衰退と民主党の躍進という状況がある。この両党は、新聞報道により対立しているかのように描かれていても、基本的には自民党の右派と左派ぐらいの違いしかない。日本の財界は、両党をコントロールすることによって、2大政党制を維持しようとしているようだ。
自民党と小沢氏の同一性を的確に指摘した記述を紹介しよう。一ツ橋大学の渡辺治教授が、1993年の小沢氏による「政変」について述べたくだりである。
財界が要求する、農村や都市自営業に対する保護を取り外し自由競争に任せる道は、自民党議員の支持基盤の縮小・喪失をもたらすものであるだけに、(黒薮注:自民党は)おいそれと財界の要求(黒薮注:構造改革のこと)を受け入れるわけにはいかなかったのである。
そこで、業を煮やした財界は、自民党内の小沢一郎ら改革推進派に肩入れをして、一九九三年の政変をもたらした。政変による政権の座からの転落と細川政権が実現した「政治改革」によって、自民党は転向を余儀なくされたのであった。
政権の座から滑り落ちた直後、財界は「無情」にも、それまで毎年行ってきた、一二〇億円にのぼる自民党への献金斡旋を中止してしまった。自民党は青くなった。
自民党はなりふりかまわず社会党と組んで、村山政権を樹立し政権の座に返り咲くとともに、「構造改革」の推進に踏み切ることによって転向を表明した。こうして、自民党は「構造改革」推進政治へと舵を切ったのである。
(『構造改革政治の時代』花伝社)
ところが自民党は、構造改革にもたついた。森首相に至っては、メディアからさんざにバカにされ、無能のイメージを刻印された。そこに彗星のごとく登場して情け容赦なく構造改革を断行したのが小泉首相である。新聞もそれを支援した。
こんなふうに考えると、小沢氏の方針は、根本的には自民党の路線と同じだ。
小沢氏が最初に提唱したことを、小泉氏が実現したのだから、「対立」どころの構図ではない。小沢氏は、自民党よりも財貨よりともいえる。
むろん民主党の中には、リベラルな議員もいるが、小沢氏が幹事長に座っている事実は、この党の性格を象徴しているのではないか。
◇巨大部数による世論誘導
日本の権力構造の構成員は、小沢氏を排除したいわけではない。二大政党制を維持することで、ぼろもうけが出来る現在の体制の延命を図るために、小沢氏の政治資金問題を持ち出して、自民党とのバランスを取った可能性の方が高い。
第1に不自然なのは、問題となっている政治資金問題は、2004年から07年ごろにかけての案件である。今になって問題にしたこと自体がおかしい。
第2に世論調査の結果発表日が、同じなのが不自然だ。
第3に、世論調査の質問が「自民か、民主か?」といった設定になっている。(共同の調査項目は、現時点では確認できない)これは意図的な質問設定ではないか?
「自民か、民主か?」と言った対句の表現を使うと、第三者の存在が薄れる特徴がある。これは文章心理学でも確認されている原理である。
世論調査の質問設定を見ただけで、二大政党制への世論誘導の意図が見え見えだ。権力構造の一部である新聞社が、世論誘導に協力したところで不思議はない。あるいは検察の策略に引っかかった?。
メディアによる洗脳の流れは、「小泉劇場」(自民の応援)、「政権交代」(民主の応援)、「小沢バッシング」(自民の応援)というかたちになっている。
小沢氏に関係した疑惑そのものはすべて解明されるのが望ましいが、小沢氏をめぐる一連の動きの背景に、2大政党制により現在の権力構造を維持しようとする大きな力が働いている可能性がある。
新聞の情報を鵜呑みにしていると、洗脳されてしまう。新聞の横並び報道に裏には、想像以上に大きな意図が隠されている可能性がある。 (3800/3800文字、全文公開)

折込チラシの一世帯あたりの配布枚数が前年割れを続けるなか、新聞社が偽装部数(押し紙)を販売店に買い取らせてABC部数をかさ上げし広告収入を得るビジネスモデルが崩壊しつつある。
毎日新聞は、販売網の崩壊を想定し、朝比奈社長が有料の電子新聞を意識した発言をするようになった。だが、課金に耐えうる商品は持ち合わせていない。ジャーナリズム活動によって成長したわけではなく、セールス団による異常な拡販活動と押し紙によって巨大化してきた組織だからだ。
電子新聞の契約を、洗剤などの景品で釣って獲得できるはずがなく、電子新聞にはチラシを折り込むこともできない。既存新聞社には、いばらの道しか残されていない。(続きはマイニュースジャパン)

福岡地裁がYC広川へ新聞の供給を再開するように命じた仮処分命令を、読売が無視していることに批判が広がっている。ジャーナリズム企業による司法蹂躙(じゅうりん)が憂慮すべき事態であることは言うまでもない。一般企業に、司法命令を無視した前例はあるのだろうか?
新聞各紙が厳しく批判した司法無視の有名な例としては、プリンスホテルのケースがある。
◇プリンスホテルの事件
これは、日教組がプリンスホテルで教研集会を開催する段取りを取っていたところ、右翼からの圧力に屈してホテル側が、07年11月、一方的に契約を解約した事件。日教組は仮処分申請を申したて、東京地裁も東京高裁もプリンスホテルに対して施設を使用させるように命じた。しかし、プリンスホテルは司法命令に従わなかった。
その後、日教組はプリンスホテルなどを相手取って、約2億9000万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。東京地裁は、09年7月にプリンスホテルに対して請求額の全額支払いと全国紙への謝罪広告掲載を命じた。
司法命令に従わない代わりに、間接強制金(制裁金)を支払えば、それですむのであれば、資産家は自分の独断で何をやってもいいことになりかねない。読売は、まずYC広川への新聞供給を再開すべきではないだろうか。その上で裁判を続けるのが社会通念である。
◇延べ3度の司法無視
最初に福岡地裁が読売に対して、YC広川へ新聞の供給を再開するように命じたのは、08年の11月だった。しかし、読売はこれに従わなかった。2度目の命令は、10年の1月だった。読売はこの時も命令に従わなかった。
さらに2008年3月のYC久留米文化センター前の改廃事件でも、裁判所が新聞の供給を命じる仮処分命令を出したが、読売はそれに従わなかった。もっとも異議審では、命令が取り下げられているが、本来であれば、一旦、新聞供給を再開した上で、裁判を続けなければならなかった。
ジャーナリズム企業がなぜ、司法のルールを守らないのかま理解に苦しむ。
「自分たちは選ばれた特別な存在」という意識がどこかにあるのか?プリンスホテルの司法判断無視を批判した新聞各社は、読売の方針については、批判どころか、何も書かない。ろくに報道もしない。
さらにわたしが疑問に思うのは、読売の代理人弁護士が、読売の法務関係者にどのようなアドバイスを行ったのかという点である。(1300/2200文字、◇教育現場に読売新聞は不適切)

新聞販売黒書で既報したように読売は、真村さんの地位を保全した福岡地裁の決定を不服として、福岡高裁へ保全抗告を申し立てる手続きに入ったようだ。
ごく普通の法的手段のようにも思えるが、一連の真村裁判(地位保全)には見過ごせないもうひとつの側面がある。
しかし、この点に言及する前に、手短に真村裁判の足跡を振り返ってみよう。
◇真村さんの地位保全裁判の経緯
真村さんが読売から改廃通告を受けて、地位保全の本裁判を提起したのは2001年である。福岡地裁久留米支部で地位が保全されたのは、2006年9月。その後、福岡高裁でも勝訴。さらに2007年の12月に最高裁が、福岡高裁の判決を認定するかたちで係争に終止符を打った。
重大問題はそれから発生した。最高裁の決定から、わずか半年後の7月31日、読売は真村さんとの商契約を一方的に破棄。YC広川への新聞の供給をストップしたのである。
そこで真村さんは再び地位保全の裁判を起こさざるを得なくなった。まず、緊急措置として、YC広川への新聞の供給を再開するように仮処分命令を福岡地裁に申し立てた。福岡地裁は、これを認めて、2008年11月に読売に対して新聞の供給命令を出した。
ところが読売はこれを無視。そこで裁判所は読売に対して、1日に3万円の間接強制金(制裁金)を課した。
読売は裁判所に異議を申し立てた。異議審は約1年を要して、2010年の1月15日に判決が下された。それはYC広川への新聞の供給を再開するように厳命する内容だった。これにより裁判所は2度も読売に対して、新聞の供給再開を命じたことになる。
ところが読売は再び司法命令を無視。1月末になって、内容証明郵便で真村さんの弁護団に福岡高裁で保全抗告の手続きを取る旨を伝えてきた。もちろんYC広川への新聞の供給を再開するつもりはないことも紙面に明記されていた。
◇司法を踏みにじる
読売が司法命令に従わないことに対して、批判が広がっている。読売の方針の何が問題なのか?原告弁護団の江上武幸弁護士は、次のように話す。
「読売は、裁判所から2度にわたり真村さんの販売店に新聞の供給を再開するよう命じられたにもかかわらず、それに従うことを拒否する旨の回答をしてきました。読売の論法は、高裁に不服申立を行うので、真村さんに新聞の供給を命じた仮処分命令には従わないというものです。
しかし、これは読売の身勝手な屁理屈といわざるを得ません。例え、裁判所の仮処分決定に不服があっても、決定が出た以上それに従うのは当然の義務です。読売は、先頃、東京地裁が日教組にホテルの会場の使用を認めるよう命じた件で、ホテル側がその命令に従わなかった問題について、そのホテルの取った行動を法治国家にあるまじき身勝手な行動であると厳しく批判しました。
外部に対しては厳しく批判したのと同じ問題でも、自分の場合は許されるとでもいうのでしょうか。
間接強制金を払いさえすれば、裁判所の仮処分命令には従わなくともかまわないといった読売の身勝手な行動は、裁判所の権威をおとしめ法治国家の基盤を危うくするものです。法治国家の最低のルールさえ守ろうとしない読売には、国民からの厳しい批判が避けられないでしょう」(2000/2900、◇まず新聞の供給再開を、◇新聞協会は問題を放置)

真村裁判の仮処分申請異議審で先月15日に敗訴した読売が、福岡高裁に保全抗告を申し立てることが分かった。これで真村裁判は継続になる見込み。
先の判決で福岡地裁は、読売に対して真村さん経営のYC広川への新聞供給を再開するように命じていた。




















