新聞の発行部数は、ABC部数として公表されているが、実配部数は闇の中に隠されている。しかし、広告主が知りたい肝心なものは、実配部数の方である。

 「押し紙」が含まれている発行部数を知ったところで、商戦略には何の役にも立たないからだ。実配部数を正確に把握して、初めて広報戦略を立案できるのだ。

 しかし、新聞社はみずから実配部数を公表するつもりはないようだ。たとえば読売VS週刊新潮(+黒薮)の裁判の中でも、読売の喜田村洋一弁護士は、「押し紙」が3割から4割あるというわたしの推論を、被告側が立証するように求めている。

  確かに日本の名誉毀損裁判では、被告の側に真実性、あるいは相当性の立証責任が生じるらしい。(米国の司法ルールとは逆)。

 しかし、新聞社がみずから実配部数を明確化しなければ、広告主は広告効果を予測しようがない。また、広告料金が適正なのか、不適正なのかも判断もできない。

 最近、紙面広告の需要が急落していると聞くが、広告主の立場からすれば、実配部数が明確になっていない新聞への広告出稿は高いリスクを負うからではないだろうか。

 特に不況の下では、無駄な広告費を削ることを原則にしている企業が多く、広告詐欺のリスクを避けようとする力が働いているようだ。

◇新聞人が猛抗議
 現在、内閣府関連の広報紙は新聞折込の形で配布されている。新聞販売店に卸される広報紙の総数は、現在、3600万部である。これに対してABC部数は約4500万部。内閣府は「押し紙」の存在を推測してこのような数字を設定したものと思われる。

 ちなみに2008年3月より以前、広報紙の配布枚数は、3000万部だった。この数字が3600万部に改まったのは、新聞人たちが「広報紙が足らない、もっとよこせ」と猛抗議したのが発端だった。

 これに応えるかたちで、内閣府は折込定数を3600万部に改めた経緯がある。

◇プロセスを誤った政府広報
 しかし、内閣府は折込定数を3600万部に改める前に、実施しなければならない大切な事を忘れていたのではないか。それは新聞の実配部数をみずから公表するように、新聞社を厳しく指導することである。(1300/2200文字、◇偽の読者名と偽の住所がパソコンに)

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 読売の渡邊恒雄会長は、同社の販売政策にどの程度かかわってきたのだろうか?。業界紙などの報道によると、渡邉氏は現在の経済状況の下でも、「読売1000万部」の堅持を呼び掛けているようだ。

◇「渡辺社長の販売第一主義」
 高齢とはいえ読売のトップが販売政策を指導することになんら不思議はないが、販売店サイドから苦情がわたしの耳に入っているのも事実である。その大半は、いくら渡邉氏の指示とはいえ、新聞離れの時勢で現状の部数を維持するのは至難の業だというのだ。

 渡邉氏と販売政策のかかわりを、『読売新聞百二十年史』を手がかりに検証してみよう。『読売新聞百二十年史』の583ページに、渡辺氏と新聞販売政策の関係を示す記述がある。見出しは、「渡辺社長の販売第一主義」である。

 九一年七月八、九の両日、東京読売会と読売七日会の平成三年度総会が東京・紀尾井町のホテル・ニューオータニで開かれた。務台名誉会長の逝去に伴い本社の経営陣が新しい体制になってから初めての販売総会で、あいさつに立った渡辺恒雄社長は、

紙面と社論に自信を示すと同時に「これからは販売第一主義を採る」と宣言、言論の自由を守るため、労務難に直面している宅配制度の維持に全力をあげる方針を明らかにした。

 渡邉氏が読売の販売第一主義を決定した事実が記録されている。渡辺氏が打ち出した方針は、販売関係者にも大きな影響を及ぼしたようだ。『読売新聞百二十年史』には、次のような記述がある。

 「販売第一主義」の表明は販売の第一線に携わるYSCの人々の間に大きな反響を呼んだ。販売総会での渡辺社長のあいさつを受けて、酒井通友・東京読売会会長は「務台名誉会長を亡くし、失意のどん底にあったが、本社は電光石火の速さで新たな指導体制を確立した。

これは、いかなる危機にも動じない務台イズムの継承を内外に知らしめたと言え、誠に心強い。『販売第一主義』を聞いて、ありがたいと思うとともに責任の重さを痛感している」と述べた。

また川合勝田・読売七日会会長は「販売が重要だとおっしゃる渡辺社長の言葉に対し、われわれは心機一転やらなければならない」と決意を示した。

◇部数を力に政界へ
 渡邉氏が販売第一主義を採用したのは、部数を力に、読売の影響力を強める意図があったからかも知れない。事実、渡邉氏はその後、改憲論を打ち出したり、政治家との関係を密にするようになる。(1300/2300文字◇販売政策で人生を狂わされた店主も

 YC小笹の「押し紙」裁判で福岡高裁は、元店主の請求を棄却した。

 判決の趣旨をかみ砕いていえば、次のようになる。

 補助金等で店主が「押し紙」により被る損害を相殺すれば、『押し紙』でABCをかさ上げしても司法は関知しない

 恐るべきことに、「押し紙」を容認したのである。一般の市民の常識では考えられない判決である。今後、海外の識者をも含めて判決文を検証する必要がある。

 この裁判では、YCの店舗に「押し紙」(新聞関係者の表現を借りると「積み紙」、あるいは「残紙」。一般的には過剰になった新聞全般を指して「押し紙」と呼ぶ)があったが、補助金の支給などが行われていたので、「押し紙」によって元店主が損害を受けたとは言えないというのが裁判所の判断である。

 判決文の次の記述が、「押し紙」裁判の難しさを象徴している。

 しかし、新聞購入契約における購入部数は販売店(控訴人)と新聞社(被控訴人)との間で決められるものであるから、仮に当該販売店担当地区の購読者数が折込広告料の料金の基礎となるもので、

被控訴人が対外的に発表する購読者数が実数よりも多数であることが、折込広告に係る契約の効力に影響を与えるものであったとしても、そのことが直ちに控訴人と被控訴人間の新聞購入契約の効力に影響を与えるものではないから、控訴人の主張は採用できない。

◇「押し紙」問題と正面から対峙せず
 「押し紙」により、ABC部数が不透明になっても、それは販売店と新聞社の商取引とは無関係であるから、司法が判決する対象にはならないと言っているのだ。

 しかし、経済面の損得だけを判断基準として採用すれば、「押し紙」により新聞社がABC部数をごまかしても、補助金の支給などにより販売店に損害さえ与えなければ、許容範囲ということになってしまう。

 「押し紙」をしても店主に損害を与えなければ裁判所は、関知しないということになる。社会通念上、このような論理は受け入れられるものではない。恐ろしい判決である。

  繰り返しになるが判決は、「押し紙」裁判でありながら、「押し紙」政策そのものについての言及を避け、「押し紙」と補助金等による相殺関係を対象とした収支の「損得」が検証の中心になっている。わたしは肝心な点がタブー視されているような印象を受けた。

 私見になるが、結局、「押し紙」問題にメスを入れるためには、新聞のビジネスモデルそのものに問題があることを立証する必要があるのではないだろうか。そのためには、店主が集団で訴訟を起こすことが、今後、鍵になりそうな気がする。

 「押し紙」政策が普遍的なものであるこを裁判所に理解してもらうためには、集団訴訟が有効だ。個々の販売店が「押し紙」裁判を起こしても、「押し紙」による収支の損得計算に終始してしまう恐れがあるからだ。「押し紙」政策の普遍性を、裁判所に理解してもらうためには、被害を受けた販売店の数量が必要。

 ただ、現在の新聞のビジネスモデルを法的な観点から見た場合、どこに違法性があるのかも検証しなければならない。(判決文は、なんからの形でネット公表予定)

◇毎日・箕面販売所の「押し紙」裁判
 2007年5月に毎日新聞・箕面販売所(大阪府)の元店主が提起した「押し紙」裁判の本人尋問が、大阪地裁で1月25日の午後おこなわれた。法廷に立ったのは、原告の元店主と毎日の2人の社員。

 元店主は、平成1年に新聞(「押し紙」を含む)の仕入れ代金を支払うために、自宅のマンションを売却したことなどを証言した。

  裁判官から「押し紙」の保管場所について質問を受けると、店舗の奥にあった炊事場を改良して「押し紙」置き場にしていたことを証言した。

  また、毎日の「押し紙」政策の決定的な証拠とも言える減部数を求めた内容証明郵便の作成過程については、従業員の女性に口頭筆記をしてもらって、作成したと答えた。元店主は、3通の内容証明郵便を毎日社に送付している。

  毎日社員に対する尋問では、毎日独特の「注文部数」の決定方法などが鮮明に浮かび上がった。毎日は「注文部数」を、販売店との話し合いで決定するという。

 つまり最終的な「注文部数」の決定権は、販売店の側ではなくて、社に握られていることがはっきりとした。「押し紙」政策が客観的に存在することを裏づけたとも言えるだろう。

◇元店主の勝訴は、ほぼ確定
 尋問が終了した後、裁判官は原告と被告の双方に最後の和解案を提案した。原告代理人弁護士によると、和解案は毎日が元店主に和解金として1500万円を支払うという内容。

 これまで裁判所が提示していた和解金の額は1900万円であるから、400万円の減額になった。

 原告と被告は、裁判所の和解案を持ち帰り2月22日に回答する。和解が決裂した場合は、4月26日に判決が言い渡される。判決になった場合は、元店主が勝訴する可能性が圧倒的に高い。

 本人尋問の詳細は、調書が作成された後に新聞販売黒書で詳しく紹介する。以下、わたしの感想である。

 「注文部数」とは文字通り、商店が品物を発注する際に仕入先に明示する仕入れ数量である。当然、商店の側に注文数量を決定する権限がある。これが普通の商取引である。

 ところが毎日新聞の商取引では、注文部数を決める権限が必ずしも販売店側にあるわけではないことが、尋問で明らかになった。

 毎日の場合、「注文部数」は、販売店と本社の話し合いで決めるという。箕面販売所の店主から内容証明で提出された減部数の要求に応じなかったのは、元店主が発証数など店の経営状況を判断するためのデータを提出しなかったからだという。そのために実配部数が確認できなかったから、減部数に応じなかったという。

 しかし、実配部数を把握していなかったという主張に対しては、裁判官も疑問を呈していた。

 さまざまな口実はあるにしろ、毎日新聞の場合、販売店が減部数を申し出ても無条件に受け入れられるとは限らないことが尋問で明らかになった。種々の条件を考慮して、最終的に「注文部数」は毎日の側が決めていることが明らかになった。

  言葉を変えれば、毎日の店主は自分の判断で「注文部数」を決める権限を持っていないことになる。

 法廷における毎日の狙いは、「押し紙」政策を否認することよりも、賠償額を減らすことに置かれているような印象を受けた。そのためなのか、「押し紙」裁判にもかかわらず、元店主の経営がいかにずさんであったかを強調してみせた。

 たとえば店の電話を自動転送にしていなかったとか。購読料の自動振り替えのシステムを構築していなかったとか。順路帳の管理がずさん。店主会への不参加。営業成績が悪い等。これらは新聞社が常套としている販売店攻撃である。

 本人尋問を要求したのは、毎日側であるそうだが、尋問を通じて、毎日新聞の「押し紙」政策が一層鮮明になった。(4200/4200文字、全文公開)

 YC小笹の「押し紙」の損害賠償裁判控訴審で、福岡高裁は26日、元店主の訴えを棄却した。

 詳細は、後日。

 YC小笹の「押し紙」裁判の判決が、26日(火)の13時、福岡高裁で言い渡される。「押し紙」が社会問題になる状況下での判決だけに、裁判所の判断が注目される。

  「押し紙」とは、販売店で過剰になっている新聞を意味する。残紙とも言われる。「押し紙」は販売店サイドの語彙で、新聞社の側は「積み紙」という言葉を使うことがある。

 しかし、一般の読者に両者の区別はなく、「押し紙」が一般的になっている。


  改めて言うまでもなく、「押し紙」という言葉は、不要な新聞を販売店が好んで買い取るはずがないという評論に基づいた表現である。

◇1970年代の「押し紙」
 日本で初めて「押し紙」問題が浮上したのは、1970年代の中盤である。77年に日本新聞販売協会が全国の販売店を対象に残紙の調査を行った。その結果、1店あたり搬入部数の8・3%が「押し紙」であることが判明した。

  1980年代になって、北田資料が発掘された。これは読売新聞・鶴舞直売所の北田敬一さんが、自店の内部資料を公開したものである。その中に「押し紙」のデータも含まれていた。たとえば、1980年1月のデータは次のようになっている。

 搬入部数:1100部
 実配部数: 608部
「押し紙」:  492部

  1981年から85年にかけて、共産党、公明党、社会党が新聞販売問題についての質問を計15回行った。北田資料も国会に持ち込まれ、大問題になった。(950/3600文字、◇沈黙の90年代、◇「押し紙」が50%、◇毎日の140万部水増し、◇読売3店、約40%~50%

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 毎日新聞・箕面販売所の元店主が提起した「押し紙」裁判の本人尋問が1月25日(月)に、大阪地裁で開かれる。日時、場所は次の通り。

日時:1月25日(月) 13:30分

場所:大阪地裁 1008号法廷(本館10F)

 この裁判は2007年5月に、元店主が「押し紙」で損害を被ったとして6300万円の賠償を求めて提訴したもの。「押し紙」を断った証拠が書面で残っており、請求が認められる可能性が強い。

  25日の尋問では、元店主が毎日の「押し紙」の実態や販売政策につて証言するものと思われる。

 毎日新聞の販売店から新聞販売黒書に対して、救済を求める声が急増しており、「押し紙」裁判で勝訴の判例が出来た場合、たとえ改廃されても、損害賠償への道が開ける。その意味では、販売店にとっては注目度の高い裁判である。

 

 読売新聞とYC広川の店主・真村久三さんとの間で延々と続いてきた係争に、6度目の司法判断が下った。福岡地裁は1月15日、真村さんの新聞販売店主としての地位を認定した。驚くべきことに6度目の認定で、裁判をすること自体が目的と思われても仕方がない。読売は8年にわたって、負けても負けても、これでもかと言わんばかりに異議審や控訴審などを繰り返し、真村さんを失職させようとしてきた。(続きはマイニュースジャパン
 

  原口総務大臣がメディアのあり方についての考え方を示した。『SankeiBiz』の記事を引用してみよう。

 原口一博総務相は19日の閣議後の記者会見で、「新聞と放送を同一資本が支配するのは言論の多様性にとって問題」と述べ、新聞社からテレビ局への出資を制限する「クロスオーナーシップ規制」の導入の検討を進める考えを示した。

 原口総務相は「巨大な資本が新聞、テレビ、ラジオも統合すれば資本の思惑で言論が一色になってしまう。現行のルールが機能しているか検証し見直しを検討したい」として、現状の規制では不十分との認識を示した。(略)

  日本メディアの最大の問題点は、少数の大メディアが新聞と放送を系列化して政府広報の役割を果たしていることである。具体的には、次のような構図になっている。

 朝日→テレビ朝日→多数のローカル局

  毎日→TBS→多数のローカル局

  読売→日本テレビ→多数のローカル局

 産経→フジテレビ→多数のローカル局

  日系→テレビ東京→多数のローカル局

     NHK→多数のローカル局

◇幅をきかす政界フィクサー
 上の図から見えてくるのは、上流に位置するメディアにあたる中央紙やキー局が得る情報が、下流にも影響を及ぼし、日本の世論形成に大きな影響力を及ぼす構造になっている実態だ。しかも、情報の大半は記者クラブを通じたものである。まるで戦時下のメディアのようだ。これほどジャーナリズムが機能していない国も珍しい。

 新聞業界やテレビ業界は政治家など権力者にとっては、格好の宣伝媒体である。それゆえに両者の癒着が進み、メディア業界出身のフィクサーが政界でも幅をきかせるという信じがたい状況も生まれている。が、誰も異議を唱えない。(1400/3000文字、◇新聞特殊指定と電波利権、◇メディアは権力構造の一部、◇専門性重視の時代

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 JR武蔵野線は、神奈川県北部から東京都多摩地区と埼玉県南部を経て千葉県西部を結ぶ路線である。その武蔵野線に平行して走る高圧電線。光の乏しい空。鉛色の雲の下にそびえ立つ鉄塔の腕が、重量感のある電線を支えて延々と続いている。冬の風が鉄塔に衝突すると、口笛のような摩擦音が風を切って伝ってくる。

  さいたま市南区も武蔵野線と高圧電線の通り道になっている。

◇高圧電線と白血病
  池田(仮名)さんの自宅は2階建てなので、電線が垂れ下がってきて屋根に接触しそうな印象がある。高圧線の軌道から家屋までの距離は、1メートル。池田さんは、頭上から電磁波のシャワーを浴び続けて来たことになる。

 ちなみに送電線から放出される電磁波は、低周波である。これに対して、携帯電話の基地局から発せられるのは、高周波と低周波の変調電磁波だ。

  スウェーデンでは、20年を超える歳月をかけて高圧電線の付近に住む人々を対象とした疫学調査が行われた。その結果、白血病の発症率が高いことが明らかになった。白血病と高圧電線から発せられる電磁波に因果関係があることは、ほぼ定説となりつつある。

  しかし、池田さんが電磁波の危険性を知ったのは、自宅を建築した後だった。ある日、電磁波問題についての学習会のチラシがポストに投函されたので、奥さんと一緒に集まりに参加した。そこで初めて電磁波が人体に及ぼすリスクを知ったのである。

「このあたりは50年ぐらい前までは、田んぼと畑ばかりでしたが、市が区画整理をして宅地を売り出したのです。ですから昔からこの地に住んでいるひとはほとんどいません」

  池田(仮名)さんも、この振興住宅地へ移り住んだ一人である。池田さんは、奥さんの実家が所有していた土地を贈与で譲り受けて、そこに家を立てた。そして設計士として働き、昨年、定年をむかえたのである。

◇自宅の移転を考えたが・・・・
 10年前に家を建て替えるときに、別の場所への移転も考えたという。しかし、奥さんの実家から譲りうけた土地という事情もあって、移転には踏み切れなかった。親戚に電磁波の危険性を説明しても、

「国が安全だと言っているから、問題ない」

 と、撥ねつけられた。隣近所に電磁波の話をしても、重大問題としては受け止めてもらえない。このような態度の根底には、おそらく2つの心理が働いている。人体にリスクがあると言われると不安にはなるが、現在、自分が住んでいる家を捨てて、別の土地へ引っ越すだけの経済的な余裕がない。そこで高圧線のことを忘れようとするのだ。当然、電磁波について語りたくない。

 欧米の人々の視点では、高圧電線の下に民家が立ち、住民が住んでいること自体が異常なのだ。実際、WHOの職員が来日して、高圧電線と住居の共存に仰天したという話もある。

 池田さん自身も、高圧線と自分の健康について質問されるのは、あまり好きではないという。それでもこんな話を打ち明けてくれた。(1200/2800文字、◇基地局問題にはふれたくない)

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 『新聞通信』(1月14日)が読売新聞社の今年の年賀詞交換会における渡邉恒雄会長のあいさつを大きく紹介している。同紙によると、渡邉会長は、「世界最大部数を誇る1000万部を死守して新年を迎えたことは非常にうれしい」と述べている。

 この1000万部が発行部数なのか、それとも実配部数なのかには言及していない。実はこの点が最も肝心なのだが。

  新聞は公器を自称しているわけだから、みずから実配部数を明らかにするのが筋だろう。発行部数しか公表しないのは筋違いだ。

◇渡邉氏は世界情勢を読みまちがえている
 さて、渡邉氏はあいさつの中で日本の政治状況にも言及して自論を展開している。たとえば鳩山内閣の評価については次のように述べる。

 読売VS週刊新潮の「押し紙」裁判の第4回口頭弁論が1月19日(火)に開かれる。日時などは次の通りである。

日時:1月19日 午前10時

場所:東京地裁 526号法廷

 この裁判はわたしも被告になっているので、ここでの主張は控えて争点についてのみ解説したい。2009年7月9日付けの読売は、わたしと週刊新潮を訴えた理由を次のように説明している。

(略) 
 新潮社は、週刊新潮6月11日号(同月4日発行)に掲載した新聞業界をめぐる記事の中で、「配達先がなく、闇から闇へ消えていく新聞を、業界では“押し紙”と呼ぶ」としたうえで、「読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があり、年間では360億円が“不正な”収入ということになる」などと報じた。

 読売は上記「」中の記述が事実ではなく、「報道機関としての社会的評価を著しく傷つけられた」として裁判を提起したのである。

◇「事実の摘示」と「推測」を混同
 しかし、読売のこの記事は、読者を誤って誘導しかねない大きな問題を孕んでいる。まず第一に、「」で囲んだ「読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があり、年間では360億円が“不正な”収入ということになる」という記述が、あたかもわたしのオリジナル文のような誤解を与える。「」内はわたしのオリジナルではない。

 実際、わたし自身も、このような記述を書いた覚えはなく、不思議に感じながら原文を読み返したほどだ。わたしはこの部分を、次のように書いたのである。読者には読売記事の引用とオリジナルの違いを読み取ってほしい。

 (滋賀県内の主要都市で「押し紙」調査をした滋賀クロスメディアが、読売の「押し紙」率を18・4%と発表したのを受けての評論である。)

 しかし、読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があると筆者は見ている。実際、久留米市のYC経営者と読売新聞との訴訟で明らかになったケースでは、約50%だった。読売新聞が豪言する“1000万部”は、かなり怪しい。(略)

 (略)
  これら4紙(黒薮注:朝、読み、毎、産経)の“押し紙”部数は、801万部。新聞の販売収入は概ね新聞社と販売店が折中であるから、毎月の購読料を1部3000円と仮定すると、新聞社の収入は1500円。これに“押し紙部数”を掛けると約120億円になる。年間では1440億円。単純に4等分しても、1社平均で実に360億円が“不正な”収入ということになるのだ。

 読売記事とわたしのオリジナルの文章を読み比べると、明らかに意味が異なる。読売新聞に掲載された記述は、事実を摘示するものであり、わたしのオリジナルの文章は、推定の記述である。2つの意味を区別できないようであれば、読解力に問題がある。少なくとも一般の読者が普通の読み方をした場合は、意味の違いを把握するはずだ。

 つまり読売は推定の記述を、あたかも事実の摘示であるかのように見せかけて、読売の紙面でわたしを攻撃してきたのである。さすがに訴状には、オリジナルをそのまま引用しているが、「1000万部」読者の目にふれるのは、むしろ記事の方である。

 司法関係者の間には、推定も事実の摘示も大きな違いはないという意見もあるそうだが、両者を混同すると、言論活動の幅が極端に狭まる。第一、推定と摘示では、意味そのものが異なる。

 もちろん推定の記述に対する名誉毀損裁判が、憲法21条の精神に反することは言うまでもない。第21条は

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

  推測の記述を法廷に持ち込むことは、言論人(編集者、作家、ライター、ジャーナリスト)にとっては、迷惑このうえない行為にほかならない。

 訴状を作成したのは、喜田村洋一弁護士(自由人権協会・代表理事)と藤原家康弁護士である。請求額は約5500万円。

 喜田村弁護士は、読売の法務室長がわたを訴えた著作権裁判では、問題となった催告書の作成者を偽って裁判を提起した。

◇ネットで喜田村氏ら作成の準備書面の公開が理想
 すでに東京地裁には、「押し紙」の証拠が多量に提出されている。「押し紙」を運搬する写真も多量に含まれている。読者には、ぜひ、東京地裁で裁判資料を閲覧して、両者の主張を読み比べてほしい。

  事件番号は、「平成21年(ワ)第23459号 謝罪広告等請求事件」(2500/3100文字◇新聞社は、みずから「実配部数」の公表を)

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 21世紀に入って10年。2001年の「9・11」の後、日本の新聞とテレビは、21世紀が戦争と憎しみの世紀であるかのようなプロパガンダを流し続けてきた。しかし、事実は異なる。第3世界が急激に台頭してきて、武力で他国の民族自決権を踏みつぶす戦術が通用しなくなっているのだ。実際、イラクでもアフガニスタンでも、米国の軍事作戦は破綻した。
  この時代に海外派兵を唱えている日本の新聞社は、頭を冷やすべきではないか?
  ¡Latinoamerica unida y libre del imperialismo!

 「押し紙」問題をどのように扱うかで、メディアの性質が見えてくる。12日にNHKのクローズアップ現在が、「変わる巨大メディア・新聞」を放送した。わたしは視聴しなかったが、新聞販売黒書の読者から、番組を疑問視する声が届いた。

 それは「押し紙」問題を完全に隠した上で、新聞を論じているという批判だった。販売店サイドからも同じ声が上がっている。NKHは公共放送の役割を果たしていないのではないかと。

 本来であれば、番組を視聴したうえで、番組批評をすべきだが、NHKが「押し紙」問題を報じない事情について若干コメントする。

◇偏向したNHKの報道
 クローズアップ現代に「押し紙」問題にが触れなかったことが事実とすれば、番組制作がずさんとしかいいようがない。放送が偏向していると批判されても仕方がないだろう。と、いうのも「押し紙」こそが、日本の新聞社経営を欧米の新聞社経営と区別する著しい特徴であるからだ。

 紙面広告の掲載料も、「押し紙」による公称部数のかさ上げで、パブル状態になっている可能性が強い。だから広告の問題と「押し紙」問題は、表裏関係にある。

  「押し紙」が排除されると、業界に革命的な変化が起こるのは疑いない。

  この問題から視線をそらすのなら、日本の新聞社が直面している問題の本質が隠れてしまう。メディアの役割は真実を伝えることではないだろうか。

 改めていうまでもなく、日本の新聞社の経営が悪化している最大の原因は、「押し紙」を維持できなくなってきたことである。「押し紙」によるバブルで、これまで好調な経営を維持してきたのだから、この点を隠してしまうと、まったく真実は伝わらない。

 NHKはこのあたりの事情を知らないのだろうか、それとも知っていて一般の人々には知らせないのだろうか?

  民間の放送局は、その大半が新聞社の傘下にあるので、「押し紙」問題の報道は容易ではない。それを補うかたちで、雑誌とネットが「押し紙」問題を報じてきた。NHKはどうか? 最も財政に恵まれ、報道の自由が保証されているはずのNHKはどうだろうか?

 不思議なことにNHKは、「押し紙」問題を一度も報じたことがない。わたしが把握している限りでは、YC水呑(広島)と読売の裁判について、NHK広島放送局からわたしに問い合わせがあったのがすべてだ。

◇新聞人の年頭所感にも「押し紙」の文字はなし
 新聞関係の業界紙には、毎年1月、新聞関係者の年頭所感が掲載される。わたしは毎年、新聞関係者の誰かが「押し紙」問題に言及するのではないかと期待を寄せてきた。しかし、今年もだれ一人として、「押し紙」のことを口にする者がいなかった。

 あいかわらず「押し紙」などどこにも存在しないという壮大なフィクションを前提にして、新聞を論じているのだ。
 
  わたしは日本の新聞経営者のメンタリティーがよく理解できない。まず第1に、大問題と正面から向き合うことを避けて、新聞人としてのプライドはないのだろうか。第2に「押し紙」問題を放置しながら、どのようにして自分たちの業界を、あるいは自分たちの将来の生活を守るのつもりなのだろうか。

◇政界にも配慮か? 
 NHKが「押し紙」問題を報じない理由は、政界とのからみもあるからではないか。新聞社は日本の権力構造の中に「広報部」として組み込まれている。実際、驚くべきことに政界工作に奔走する老人も存在する。(1300/2500文字、◇21世紀の村社会

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 YC小笹(福岡市)が提起した「押し紙」裁判の判決(福岡高裁)が、今月26日に福岡高裁で下される。この裁判は、2006年10月に同店の元店主が、「押し紙」で損害を被ったとして、読売に対して3457万円の支払いを請求したものである。地裁では読売が勝訴した。

  元店主は1998年5月から2003年4月までの5年間、YC小笹を経営したあと、自主的に廃業した。驚くべきことに、前任者から経営を引き継いだ時点で、すでに「押し紙」があった。つまり「押し紙」も前任者から引き継いだのである。

  開業の時点で、読売は2330部をYC小笹に搬入したが、このうちの約1000部が「押し紙」だった。このような異常は、同年の11月まで続いた。

  読売もこの事実を認めている。ただし、次のような主張をしている。

 (略)本件において、原告によるYC小笹店の営業継続後、約6ヶ月に渡って必要最小限度を超えた部数の予備紙が供給されていた事については、原告と被告との間の合意に基づくものであり、そこには強要なり権利の濫用という要素はない。

 広告主が激怒しかねない論理である。

 読売の主張に対して、原告の元店主は、次のような主張する。前任者が残した「押し紙」を読売が整理することを前提に、YC小笹の経営を引き受けたにもかかわらず、約束が守られなかった。

 この裁判でも、自由人権協会の代表理事・喜田村洋一弁護士が読売の販売政策をサポートしている。もちろん「押し紙」も否定している。 

◇真村裁判の高裁判例の影響は?
 この裁判で注目すべき点は、読売による優越的地位の濫用を認定した真村裁判の高裁判例が、どのような影響を及ぼすのかという点である。高裁判例は、たとえば、読売の販売政策について、次のように述べている。

 読売は、一方では定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方がないところである。

 新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙をもとめ減紙を極端に嫌う読売の方針があり、それは読売の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

 真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、読売の利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないというべきである。

◇YC小笹が勝訴すれば・・・・
 原告の店主が勝訴した場合は、「押し紙」訴訟が全国に広がる可能性がある。現在の新聞販売業界には、集団訴訟にも発展しかねない客観的な条件がそろっているからだ。

  最近、販売店主とコンタクトを取る機会が増えているが、大半の店主が「押し紙」の負担に苦しんでいる。借金をして、新聞社に新聞代金を支払っている店主もいる。

 異常な実態に比較して、訴訟の件数が少ないのはなぜか?わたしが聞き出した範囲では、次のような事情があるようだ。

1、勝訴の確率が低い

2、時間を要し、資金が必要

3、強制改廃に対する警戒

 わたしは裁判を無条件に奨励する者ではないが、次の点も考える必要があるのではないか。このまま何もしなければ、結局、借金まみれになって、廃業に追い込まれる可能性があるのでは?(2200/2200文字、全文公開

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 携帯電話の基地局の設置は、どのような手順で行われるのだろうか。最近取材したひとつの例を紹介しよう。(人名等はすべて匿名にする)。

◇住民に通知なし
  T市の郊外にA社が鉄塔型の基地局を設置したケースである。JRの駅から、バスで20分ほど郊外に出ると、起伏の多い農業地帯が広がる。防風林の中に民家が立ち並ぶ小高い丘が、海の中の群島のように点在している。その防風林の上に灰色の鉄塔が頭部を突き出している。

「あれはソフトバンクの鉄塔です。あの塔のすぐ近くに、B社が別の鉄塔を建てようとして、反対運動がおこったのです」

  住民の池沢さんが話してくれた。
 問題の発端は、池沢さんの自宅から80メートルほど離れた荒地に、B社が鉄塔を建てようとしたことである。池沢さんが携帯基地局の設置計画を知った糸口は、ある日、自宅近くの荒地が更地になっているのに気付いたことだった。

 この土地を所有する地主に問い合わせたところ、B社が鉄塔を立てるという。池沢さんは、携帯電話から発せられる電磁波が、身体に有害という話を聞いたことがあった。ただ、漠然とした話で、最初はあまり気にかけなかったという。

 ところが地主が携帯基地局は、高圧線よりも安全だと言ったことで、かえって不安を喚起された。高圧線の側に住む人々が白血病にかかるリスクが高いのであれば、携帯電話の基地局から発せられる電磁波も、なんらかの人的影響を及ぼさないとは限らないのではないか?

 そこでインターネットで基地局から発せられる電磁波について調べた。その結果、「変調電磁波」の危険性を指摘する記述が次々と見つかったのである。事実を知るにつれて、恐怖感が募った。

 鉄塔工事を請け負っている会社に電話で、安全性について問い合わせた。すると担当社員が池沢さんの自宅へやってきた。

「鉄塔はどこにでも立っているものなので、危険はありませんと、繰り返し言われました。電話の通信状態もよくなると・・」

  なぜ、事前に説明に来なかったのかを問いただすと、鉄塔を立てる地点から40メートル以内の範囲は、説明を義務付けられているが、40メートルをこえると説明の必要がないと言われた。この「40メートル」は、鉄塔の高さを想定していると思われる。

 つまり塔が倒壊した時、その影響を受ける土地の持ち主に対してだけ説明が義務づけられているのだ。(電磁波に関する考察はない)

 確かに鉄塔の設置予定地点から池田さんの自宅までは、40メートル以上の距離があるが、池沢さんの畑は40メートル以内に位置していた。

 この点を説明すると、会社は池沢さんの畑から40メートルの範囲に入らない地点に設置場所を変えた。が、このころには同じ地域の人々にチラシなどを通じて、携帯基地局がもたらすリスクを知らせていたので、鉄塔を見上げる位置にある家の住人が猛反対した。

  結局、設置地点は次々と移動した。直近の住民がことごとく反対したからだ。自宅と鉄塔が隣り合わせになることなど、誰も望まない。

  とうとう最後に電話会社は、集落から離れた場所(と言っても80メートル付近に民家と牛舎がある)に、囲いを作って住民の視線をさえぎり、塔の土台を作った。そしてたった1日半で鉄塔を立てたのである。

◇九州では、裁判で住民運動を弾圧
 このケースでは、強引に鉄塔を立てたような印象があるが、わたしが以前に取材したケースと比較すると、皮肉なことにもっとも「誠意ある」プロセスを踏んだケースである。たとえば九州では、鉄塔の建設に反対する住民を仮裁判にかけることで、住民運動を弾圧した例もある。 

  最近、裁判を提起することで言論や住民運動を封じる会社が増えているが、携帯電話の基地局設置をめぐる係争も例外ではない。有無を言わさずに基地局を設置して、携帯電話ビジネスを推し進める例が後を絶たない。(2300/2800文字、◇朝日はKDDIと提携)

【基地局問題についての情報を集めています。連絡先:03-3976-6012  xxmwg240@ybb.ne.jp

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 携帯電話の電磁波問題といえば、主として携帯電話の受話器が発する電磁波が脳腫瘍のリスクを高める問題が取りざたされてきた。この問題は、なかり多くの人々が認識している。しかし、携帯電話の電磁波問題には、もうひとつ別の領域がある。

 携帯電話の基地局から発せられる電磁波が、基地局周辺の住民にもたらすリスクである。具体的には、

1、電磁波が人体に及ぼすリスク

2、基地局周辺の地価が暴落するリスク

 

 電磁波とは直接関係のないリスクとしては、

3、基地局のアンテナが落下、あるいは倒壊するリスク

4、基地局のアンテナが落雷を誘発するリスク

5、基地局の重量が建物の耐震強度に与えるリスク

 携帯電話・基地局のアンテナは市街地では、おもに高いビルの屋上に設置されていることが多い。巨大なツノのようなアンテナが立っているので、視線をビルの屋上に走らせるとだれでも識別できる。

 一方、人口が密集していない地域では、40メートル程度の鉄塔を立てて、その上にアンテナを設置することが多い。これも郊外へ足を運べば、比較的容易に発見できる。ちなみに、わたしの住居からは、遠方に3つの鉄塔を観察することができる。

◇高圧電線と白血病
 改めて言うまでもなく、携帯電話の基地局からは、携帯電話の通信に必要な電磁波が放出されている。電磁波が健康被害を及ぼすリスクがあると書けば、根拠のない奇論を展開しているように受け止められるかも知れないが、電磁波が人体になんらかの影響を及ぼすという考えは、欧米では常識になっている。

 電磁波による健康被害といば、高圧電線の近くに住む住民に白血病の発症率が高いことが比較的よく知られている。たとえばマイニュースジャパンの「電磁波&鉄塔の街・門真 『白血病死者18人調査』から10年、今も変わらぬ風景」と題する記事のリードは次のように言う。

  関西各地に電力を供給するため、関西電力の古川橋変電所が位置する大阪・門真市。住宅やマンションの上を7万7000ボルト、15万4000ボルトの高圧送電線が走り、巨大な鉄塔が墓標のように並ぶ「鉄塔の街」である。「電磁波4mG以上で小児白血病が2倍以上」の報告もある中、鉄塔の真下の保育園では、電磁波測定器は『36.1mG』を指した。10年前には自治会長の個人調査で白血病死者が18人いると報告された地域を、カメラ片手に歩いた。

 高圧電線と白血病の関係は、ほぼ否定できない状況になっている。住民の間にもそれなりの認識が広がっている。

◇基地局周辺の住民は「モルモット」
  現在の携帯電話は、第3世代携帯電話である。
 第3世代携帯電話には、マイクロ波(電子レンジなどと同タイプの電磁波)に極低周波の信号を混ぜた「変調電磁波」が使用されている。このような電磁波は、人類史上かつて存在しなかった。

 基地局から発せられる「変調電磁波」は、高圧線による電磁波と同様に、人体になんらかの影響を及ぼしているのだろうか。結論から言えば、現在の段階では不明な部分が多く、危険なのか、それとも安全なかの結論を出すまでには至っていない。なぜ、結論が出ていないのだろうか?

 答えは簡単で、携帯電話の基地局から現在発せられている第3世代携帯電話に使う電磁波は、使用が本格化してからの使用期間が短いからだ。当然、危険か安全かの研究も今世紀に入ってから本格化した。従って結論を出すまでには時間がかかる。ある程度の歳月を経なければ、危険なのか安全なのかも分からない。

 時間が経過しなければ、問題が浮上しないのが公害なのだ。そのことは、水俣病でも、じん肺、でもアスベストでも周知となっている。

  その意味では、携帯電話・基地局周辺の住民は、現在、なにも知らされないまま、「モルモット」状態に置かれていると言っても過言ではない。

 携帯電話の基地局問題が欧米で問題になっているのは、最近になって携帯電話の基地局の周辺で、健康被害が発生しているという疫学調査の結果がようやく出始めたからである。

  たとえば日本ジャーナリスト会議のブログで、高峰真弁護士は海外での疫学調査の結果を紹介している。「企業による人体実験を許してはいけない」と題する記事から引用してみよう。

 近年、携帯電話と中継基地局の間で送受信される電磁波に健康被害の危険が存在するという研究結果が続々と発表されている。例えば、2004年にイスラエルで行われた調査によれば、携帯電話基地局周辺では、ガン発生率が4.15倍(女性に限れば10.5倍!)になるという驚くべき結果が発表されている。

◇役所は電話会社に理解 
 かりに携帯電話の「変調電磁波」が人体に影響を及ぼすとすれば、これから10年先、あるいは20年先になって、大問題になる可能性がある。(3100/3900文字)

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 昨年末から今年にかけて、新聞販売黒書へ情報提供が相次いでいる。新聞業界の行き詰まり、あるいは新聞社による販売政策の失敗を象徴するかのような現象だ。2010年度に新聞社の倒産が発生しそうな気配がある。

 提供される情報は、ほぼ類型化されている。同じ販売政策のもとで販売店は事業を展開しているわけだから、同じような問題が発生してもなんの不思議もない。現在の「末期症状」は起こるべきして、起こった。

◇「押し紙」付きの引き継ぎ
 ある中央紙の店主からは、店主の引き継ぎについて、次のような情報提供があった。この新聞社は、かつては新しい店主が販売店の経営に着手するときは、前任者が残した「押し紙」を整理してからスタートさせていた。ところが最近は、「押し紙」付きでスタートしているという。

  たとえば前任の店主が1000部の「押し紙」を背負って、販売店を改廃されたとする。この場合、従来であれば、1000部の「押し紙」を排除して、「押し紙」がない状態から、経営を始めていた。

 その後、新聞拡販のノルマを課して、目標達成に不足した部数を「押し紙」として買い取らせる。こうして新聞社は、「押し紙」を増やし、不正に紙面広告の価格を吊り上げていく。そして「押し紙」が1000部ぐらいに達すると、「虚偽報告」を理由に店主の首を切る。同時に、「押し紙」を整理して、新し店主を配属する。

 ところが最近は、上記の例でいえば、1000部の「押し紙」をそのまま新任の店主に引き継がせるのが、半ば当たり前になっているという。そのために店主の引き受け手がないらしい。

交通事故を起こしても執行猶予 
  担当のスキャンダルについての情報も入っている。10年以上も前の話になるが、ある新聞社の担当員が飲酒運転で事故を起こした。道路を歩いていた夫婦と子供をはねて、1人を死亡させた。(1100/2300文字、◇「残金を払えないのであれば、自廃せよ!」、◇海外ブローカーと外国人奨学生

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 1979年のニカラグア革命の映像、「われらがアメリカ」。アメリカという言葉は、日本では米国を意味するが、ラテンアメリカでは、南北アメリカを意味する。

 動画の最後で演説しているのは、サンディニスタ民族解放戦線の幹部・トマス・ボルヘ。「わたしは世界に訴える、わたしは北アメリカ人民に訴える、ここでわれわれの涙が流れている。ここでわれわれの血が流れている」

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 新聞販売黒書やブログなどでたびたび登場する真村事件とは何か?体系だった記述が少ないためか、時々、わたしのところに問い合わせがある。

 真村事件とは、概略すれば、読売新聞社によるYC広川の強制改廃の通告に端を発した一連の係争のことである。YC広川の元店主・真村久三さんは、読売からの改廃通告に抗して、地位保全裁判を提起して、地裁、高裁、最高裁と勝ち進んだ。

 2007年12月に、最高裁が真村さんの地位保全を認めたことで、事件は落着したかに思えた。ところがその半年後に読売は、YC広川への新聞の供給を一方的にストップ。真村さんは、廃業に追い込まれた。

 同時に真村さんは、再び地位保全の裁判(仮裁判と本裁判)を提起せざるを得ない立場に追い込まれた。最初の提訴が2001年であるから、真村さんが裁判に巻き込まれてからすでに8年の歳月が流れている。

  この事件は、単なる新聞販売店に対する理不尽な攻撃という定義では十分とはいえない。なんの後ろ盾も持たないひとりの店主を、ジャーナリズム企業が延々と攻撃し続けたという観点からすると、メディア史上でもまれな人権侵害事件である。新聞人の汚点である。

 読売の代理人弁護士を務めてきたのは、自由人権協会の代表理事を務める喜田村洋一弁護士らである。本来であれば、人権擁護団体である自由人権協会が真村事件のような人権問題に取り組むべきはずだが。

(写真参照:『新聞販売の闇と闘う』(真村久三、江上武幸著、花伝社刊)

◇真村さんの前歴
 真村さんは、もともと自動車学校の教官として生計を立てていた。しかし、自宅を新築したことや、かねてから個人事業を営みたいという希望を持っていたこともあって、40歳を過ぎたころ、新聞業界に転職した。

 YC店で「研修」を受けた後、YC広川の経営権を買い取り、新聞販売業に船出したのである。業界の慣行にあまりこだわらない経営が効をそうしたのか、営業成績は抜群で、「残紙」もほとんどなかった。

 当初は、読売新聞社も、真村さんの手腕を高く評価していたらしい。実際、真村さんが中心になって、新しいタイプの新聞セールス団を結成する計画もあったようだ。

◇第1次真村裁判
 問題の発端になったのは、筑後地区で勢力を持つ、ある大物店主の野望だった。この人物は、筑後地区にあるYCの経営権を次々と自分のものにしていった。読売もそれを支援した。

 こうした状況の中で、真村さんのYCもターゲットになった。最初、読売から営業地域の部分返上を要請された。真村さんはこれを拒否。この時点から読売と真村さんの関係は悪化していく。

 2001年の10月、真村さんは、自分と同じようにターゲットにされたYC店主2人と一緒に、読売新聞社に対して、地位保全の裁判を提起した。当時の販売店訴訟は、販売店側が勝訴する判例は皆無に近かった。

 ところが真村さんが、読売との商取引に関する資料をほとんど保管していたこと、弁護団が極めて優秀だったこと、インターネットにより事件を公にできたことが重なって、
地裁での勝訴を皮切りに、最高裁でも勝訴した。

 特に福岡高裁の判決は、真村さん側の主張をほぼそのまま認めるという画期的なものだった。とうとう司法が、新聞販売問題を解決する道を切り開いのである。

◇第2次真村裁判
 最高裁が真村さんの地位を保全した約半年後、2008年の7月、すでに述べたように読売はYC広川に対して、新聞の供給を一方的にストップした。最高裁が真村さんの地位を保全しているのに、それを無視するかのようなやり方が、販売店主の間に大きな反発を呼び起こしたことはいうまでもない。

 YC広川を強引につぶした理由として、読売が持ち出してきた理由は、いずれも説得力に乏しいものだった。たとえば、真村さんの営業成績が悪いという理由。たしかに裁判が始まった後、真村さんが、実配部数をかなり減らしたことは事実である。

 しかし、読売は係争を機にYC広川を「死に店」扱いにして、ほとんどの販売店支援を打ち切ったのである。もちろん、販売店にとって必要不可欠な、セールス団の派遣も受けられないままだった。

 最高裁の決定の後、読売に対して、損害賠償の訴訟を提起したというのも改廃理由のひとつである。この裁判の被告には、渡邉恒雄氏も含まれている。改めて言うまでもなく、係争により失われた時間と経済的な損失の賠償を求めるのは、当然の権利である。

 さらに笑い話になるが、わたしに情報提供をしていたからという理由もあった。日本国憲法を理解している者では、まず、ありえない発想である。メディア関係者からは、「自分の首を絞める行為」との声も上がっている。

◇1月中にも判決
 新聞の供給をストップされた後、真村さんは、ただちに地位保全の仮処分申請を裁判所に申請した。これが第2次真村裁判の開始である。

 地裁では、真村さんが勝訴した。裁判所は読売に対して、YC広川に新聞の供給を再開するように命じた。ところが読売は、これを無視。その結果、1日につき3万円の間接強制金(制裁金)を支払うように裁判所から命じられた。

 これに対して読売は、裁判所に異議を申し立てた。その(仮裁判)異議審の判決は、1月中にも下される見通しだ。 (3200/3200全文公開)

 共同通信との提携問題や深刻さを増す「押し紙」問題に揺れる毎日新聞社の朝比奈豊社長が、『新聞通信』(1月1日)のインタビューで、苦しい胸の内を語っている。

 わたしが「苦しい胸の内」と感じたのは、同社の経営難を隠しながらも、言葉の端々に本音が見え隠れしているからだ。

 人員整理は言うまでもなく、ネットの優位性まで認める発言内容になっている。

 

◇本当は経営難
  中央紙の中では、毎日の経営が最も深刻ではないかという見方が巷に広がっている。実際、ここ数年、経営悪化のバロメータとも言える「押し紙」問題を隠し切れなくなっている。

 わたしが取材してきた販売店の場合は、いずれも「押し紙」率が5割近くに達している。最も顕著な例としては、新聞販売黒書でたびたび報じてきた豊中販売所と蛍ヶ池販売所(いずれも大阪府)で、改廃時、「押し紙」率が7割に達していた。

 都内・練馬区の毎日販売店の元店主も、現在、「押し紙」裁判の準備を進めている。この店が提訴すると、連鎖的に次々と訴訟が起きる可能性もある。

 こうした状況の下で、毎日の販売政策について、朝比奈社長は次のように述べている。

 朝比奈:(略)新規読者を増やすことは大切ですが、購読を止める人をどれだけ減らせるかを考えることの方が効率的ではないでしょうか。その知恵を絞っていくのが今後の戦略です。

 「守りの姿勢」に入っていることを認めているのだ。これが本音の部分とすれば、建前の部分は、次の質疑に的確に表れている。

・・・経営的にも部数にこだわらない部分も出てきたということでしょうか。


朝比奈:部数にこだわらないということではありません。毎日新聞の約380万部の部数に対し、やはり400万部にこだわり、部数を増やす意欲がなければだめだと考えています。

 発言内容に矛盾が生じている。おびただしい「押し紙」の証拠があるにもかかわらず、建前上は400万部を公言せざるを得ないようだ。公表部数の減少は、紙面広告の媒体価値を押し下げ、経営難に拍車をかけるからだ。


◇記者もリストラか?
 共同通信や地方紙との提携案を発表した際に、朝比奈社長はリストラは意中にないと発言しているが、インタビューを読む限りでは、人員整理が明確に視野に入っているような印象を受ける。例えば次の発言である。

朝比奈:(略)現在の厳しい経営環境下では、やはり新聞社全体としての要員もスリム化するしかありません。しかし、(1500/3000文字、◇ネットの優位性も認める)

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  『新聞通信』(1月1日)に、おもな新聞関係者の年頭所感やインタビューが掲載されている。このうち日本新聞協会の会長で、読売新聞グループ本社・代表取締役社長の内山斉氏の発言を取り上げてみよう。

 内山氏は同紙の1面冒頭に、新聞協会の会長として年頭所感を寄稿している。また、読売新聞グループ本社・代表取締役社長として、2面と3面の見開きスペースの単独インタビューにも応じている。

 これら2本の記事を読んで感じたのは、いかにして新聞社経営を進めるべきかに話の基軸があり、ジャーナリズムの視点がほとんど不在になっていることである。紙面の質を高めるよりも、営業戦略の上でさまざまな「小細工」を施すことで、新聞社の苦境を克服しようとしているように感じた。

  「読売1000万部」については、「140周年に向け、1000万部を堅持していただきたいと考えています」とも述べている。いまだに巨大部数に固執しているのだ。

 新聞社経営における重大問題である「押し紙」についての言及は一言もない。抜本的にメスを入れなければ、ならない最大級の問題を避けて通っているのだ。

 九州の(業界全体)の販売正常化の実態につていは、「野放し状態だったのでしよう」と述べている。

◇読者の個人情報を把握
 「読者管理」について、内山氏は読者の個人情報の収集を重要視しているようだ。

・・・・読者管理システムを導入した場合、どのように新聞販売に生かしていくとお考えですか。
内山:それはお客さんの属性を知ることです。たとえばA店では2000部を扱っていたとします。その読者の半数がサラリーマン家庭であり、しかもその年代はどうなっているのか、残りが自営業であるならば、その業種は何か、というようなことです。お客さんのデータが集まれば、その地域での販売戦略を具体的に考えることができます。

内山:(略)ある地方の自動車販売の会社では、市内の各家庭の詳細なデータを集めており、家庭状況から、所有する車の種類などを把握し、買い換え時などの営業に活用しています。これを新聞販売に置き換えた場合、販売店のエリア情報が数値化されれば、きめ細かい読者対策ができるわけです。

 こうした方針のもとで新聞社を経営した場合、読者のニーズに沿った紙面作りになる可能性が極めて高い。それがジャーナリズムとはほど遠い行為であることはいうまでない。読売は、単なる情報産業としての生き残りを目指しているようにも感じる。

 さらに読者の個人情報を組織的に把握する行為は、別の危険な側面も伴うことがある。個人情報が警察関係者に流れる可能性である。読売の内部には、読売防犯協力会という警察OBを中心としたグループが座を占めている。しかも、新聞社は販売店の帳簿を閲覧する権限を持っているので、読者の個人情報が公安関係者に流れないという絶対の保証はない。

◇教育界をビジネスに利用
・・・・新しい学習指導要領に「新聞の活用」という文言が入りました。秋田で行われた新聞販売フォーラムでも、販売現場での期待感について話が出ました。読売新聞では何か具体的な構想などは考えていますか。(1800/3000文字・◇折込チラシの営業に販売店が協力◇「クーポン広告」も登場)

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ゴーストライター
堂々と「押し紙」を回収。「押し紙」世界一。
新聞販売黒書の主宰者・黒薮哲哉の著書紹介
配達されずに破棄される折込チラシ
 
 
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