1. ラテンアメリカ

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2018年06月16日 (土曜日)

チェ・ゲバラ生誕90年

2018年6月14日は、チェ・ゲバラの生誕90年である。ゲバラは1928年、アルゼンチンのロサリオ市で生まれた。ブエノスアイレス大学の医学部を卒業した後、ラテンアメリカを放浪。中米グアテマラで、当時、進行していたリベラル右派による改革に感銘を受けた。「グアテマラの春」と呼ばれる時代である。

1954年に、改革を進めていたグアテマラ政府が、農地改革の中で米国の多国籍企業UFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)の土地に手を付けたとたんにCIAの謀略による軍事クーデターが起きた。

ゲバラはメキシコへ逃れた。そこで亡命中のフィデル・カストロらと出逢う。軍事訓練を受けた後、12人乗りのクルーザー「グランマ号」に82人が乗り込み、キューバへ潜入した。

次の記事は、2017年07月08日に掲載したバックナンバーである。

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2018年04月10日 (火曜日)

中米グアテマラの「ヒトラー」、リオス・モントが死す、先住民族に対するジェノサイドで2013年には禁固80年の実刑

中米グアテマラの(元)独裁者、リオス・モントが、4月1日に亡くなった。91歳だった。リオス・モントの名前は、日本ではほとんど知られていないが、中央アメリカでは、「グアテマラのヒトラー」として人々の記憶に刻まれている。1982年にクーデターで大統領に就任すると、先住民族に対するジェノサイド(皆殺し作戦)を繰り返した人物である。

1996年に内戦が終わった後、グアテマラでは急速に民主化が進み、戦争犯罪の検証が始まった。リオス・モントは起訴され、2013年に禁固80年の実刑判決を受けた。しかし、憲法裁判所が再審の決定を下し、再審が続いていた。

憲法裁判所が再審を決めたのは、内戦の和平に至るプロセスで、旧軍人に対する恩赦が和平の条件になっていたためである。リオス・モントだけが法廷で裁かれることに、再考を促したのである。

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2017年10月23日 (月曜日)

詩人パブロ・ネルーダの死因、国際調査委員会が毒殺だった可能性を示唆するDNA鑑定を発表、浮上したピノチェットの新犯罪

複数の海外メディアによると、チリのノーベル賞詩人で『大いなる歌』などの詩集で知られるパブロ・ネルーダの死因を調査していた国際委員会は、20日、ネルーダがピノチェット支配下の軍部に毒殺されていた強い可能性を裏付ける調査結果を発表した。

国際調査委員会は、6カ国16人の科学者で構成されている。

ネルーダは、1973年9月11日の軍事クーデターの後、精神的なショックから持病の前立腺ガンを悪化(悪液質)させ、9月23日に病死したというのがこれまでの定説だった。容態が悪くなり病院へ搬送された後、軍医がネルーダに注射した後、急激に症状が悪化したというネルーダの運転手の証言を根拠とする毒殺説もあったが、調査は行われていなかった。

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2017年10月10日 (火曜日)

チェ・ゲバラ没50年、世界各地で歴史を記憶に留め、継承する試み

チェ・ゲバラがボリビアの山中で処刑されてから、10月9日で50年になった。キューバやボリビアをはじめ世界各地で、チェ・ゲバラが歩んだ足跡を記憶に留めるためのさまざまな催しが行われた。

ボリビアのモラレス大統領は、ツイッターでも、「チェ・ゲバラの死から50年。人類の平等や解放といった難しい戦いに対峙する時、ゲバラの記憶は若い世代に受け継がれている。」というメッセージを発表した。(■出典)

日本のメディアも、ゲバラの没50年を盛んに報じている。映画「エルネスト」も上映されている。8月には、ゲバラの写真展も開かれた。

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2017年09月12日 (火曜日)

チリの軍事クーデターから44年、米軍が繰り返してきた他国への軍事介入の典型

チリの軍事クーデターから9月11日で44年が過ぎた。「9・11」といえば、米国の同時多発テロの日として知られているが、もうひとつの「9・11」と呼ばれるのがチリの軍事クーデターである。

この事件は米国CIAが、当時、チリで成立した左派政権を軍事クーデターで倒し、その後、ピノチェットによる軍政を敷いたというものである。

1970年、チリの大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選して、社会党、共産党、キリスト教民主党のUP(人民連合)が成立した。これは世界ではじめて、選挙によって成立した社会主義をめざす政権だった。日本の共産党や社民党が政権を取っても、現段階で社会主義をめざすことは絶対にあり得ないが、アジェンデ政権は最初から社会主義を目指したのだ。

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2017年09月07日 (木曜日)

半世紀を超えたコロンビア内戦が終わる、世界を変える決意とは何か?

コロンビアのELN(民族解放軍)と政府が、5日、停戦に合意した。コロンビアには、複数の反政府ゲリラがあったが、今回の停戦合意により半世紀を超えたコロンビア内戦は完全に終わる。

これに先だつ2016年8月には、FARC-EP(コロンビア革命軍 - 人民軍)と政府の間で和平が実現していた。FARC-EPは合法政党に生まれかわり、すでに元戦士の社会復帰も始まっている。去る8月には、キューバによる国際支援により、FARC-EPの元戦士ら200人が、医学留学のためにハバナへ旅立った。医師を目指す若ものたちである。(写真左)

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2017年08月10日 (木曜日)

写真展『写真家 チェ・ゲバラが見た世界』、遺跡への関心はパブロ・ネルーダの影響か?

『写真家 チェ・ゲバラが見た世界』と題する写真展が東京・目黒区の恵比寿ガーデンプレイスで、27日までの予定で始まった。主催は、テレビ東京とInterFM897。そしてキューバ大使館が後援している。

筆者は、写真家としてのゲバラという認識をまったく持っていなかった。そのためにどんな写真を撮影していたのか好奇心にかられ、写真展の初日にあたる昨日(9日)、会場へ足を運んだ。

結論を先に言えば、まったくの素人が撮った下手くそな写真ばかりだった。チェ・ゲバラは写真家ではない。彼は、革命家であり、文筆家であり、国際主義者である。

このような企画は、実際の中身よりも、権威で物事を評価する傾向がある日本でしか成立しえない。チェ・ゲバラという名前を伏せて、展示された写真だけを見れば、来場者たちは、「なぜこんな平凡な写真が展示されているのか?」と不思議に思うに違いない。

ただ、ゲバラの人間性に関心のある人にとっては、興味深い側面もある。

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2017年07月20日 (木曜日)

ニカラグア革命38年、多国籍企業の海外での活動と「日本軍」の海外派兵の関係を考える

中米ニカラグアは、7月19日に革命から38年をむかえた。フランスの人々が1789年7月14日のフランス革命を祝うように、ニカラグアの人々は、7月19日を盛大に祝う。2日前の17日には、「歓喜の日」も設けられている。

これは、当時、ニカラグアを支配していた独裁者ソモサが、早朝、自家用ジェットでマイアミへ亡命した日である。明け方の空に独裁者が永遠に消えたのだ。ソモサ一族は、約43年に渡りニカラグアの政治から軍、それに産業までを支配していた。ラテンアメリカの歴史の中でも、最も非道な独裁者のひとりである。

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2017年07月08日 (土曜日)

チェ・ゲバラ没50年、プレンサラティナが写真特集

今年はチェ・ゲバラが没して50年にあたる。医師、文筆家、革命家、そして国際主義者。1967年10月8日、ボリビアのアンデス山脈にあるチューロ渓谷の戦闘で捕えられ、翌日、銃殺刑に処された。

このところキューバのプレンサラティナ(紙)が連日、同紙が撮影し保存しているゲバラの写真を掲載している。これまで筆者がほとんど見たことのない写真ばかりである。

冒頭の写真は、オスバルド・ドルティコス大統領(大統領職1959年~1976)とカストロ首相が米国の銀行を国有化するための書類にサインする場に立ち会っているゲバラである。

(毎日更新)写真特集

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2017年03月18日 (土曜日)

中米エルサルバドルのロメロ大司教の暗殺から37年、内戦の発端を記録した動画

中米エルサルバドルのロメロ大司教が亡くなって、3月24日で37年になる。ロメロ大司教は、軍部が幅をきかせ、人間としての最低の生活権すらも奪われていたエルサルバドル民衆の声を代弁する人だった。常に貧しい人々の側に立っていた。

そのために政府は言うまでもなく、カトリック教会の上層部内でも批判の対象となった。ミサの場では、公然とエルサルバドル軍による暴力を非難した。いわるゆ「解放の神学」の先駆的な実践者である。

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2017年02月12日 (日曜日)

メキシコの芸術家が壁画にこだわる理由、「ギャラリーに入れない貧しい人々に絵をみてほしい」、日本で唯一のラテンアメリカ専門誌『中南米マガジン』

日系ブラジル人のアイドル、壁画を描いて政治的な主張を展開するメキシコのアーティスト集団、キューバ音楽をテーマとした映画の制作記録。

『中南米マガジン』は、日本に在住する中南米の人々の生活と、ラテンアメリカの話題を網羅する日本で唯一の中南米をテーマとした季刊誌だ。

最新号には、『「おとぎの国」の革命家集団 ASARO』と題する山越英嗣さんの写真ルポが掲載されている。メキシコのオアハカ市は、観光地としても有名だが、街角の壁画でも知られるようになっている。

壁画で描かれているのは、たとえば「粗末な帽子をかぶった農民が、スーツ姿にシルクハットをかぶり丸々と太った政治家を、手にした山刀で突き刺している過激な内容」である。

 

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2017年01月03日 (火曜日)

キューバ革命の終わりと、航海を続けるグランマ号

1月1日、キューバは58回目の革命記念日をむかえた。今年はフィデル・カストロなき革命記念日だ。また、この日は、中米エルサルバドルの内戦が終結して25回目の記念日でもある。

前者については、当然、わたしには記憶がないが、後者については鮮明に覚えている。当時、わたしはメキシコシティーに在住していた。露店で元旦の朝刊『ホルナダ』を買ったところ、第一面に大きな見出しが、「エルサルバドル内戦終わる」と出ていた。FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の兵士たちが抱き合って喜んでいる写真が掲載されていた。1992年のことである。

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2016年09月12日 (月曜日)

チリの軍事クーデターから43年、映像ジャーナリズムの最高傑作『チリ潜入記』

チリの軍事クーデターから、43年が過ぎた。

ラテンアメリカの諸紙によると、クーデターで亡くなった「サルバドール・アジェンデ元大統領と1973年の軍事クーデターを記憶するための儀式、オマージュ、それに祈念行事が9月11日に各地で行われた」(チリの国営新聞『LaNacion』)

1970年にチリは、大統領選挙で社会党のサルバドール・アジェンデが当選して、社会党、共産党、キリスト教民主党の連立政権(UP)が成立した。これは世界史上ではじめて、選挙によって成立した社会主義をめざす政権だった。

しかし、米国のニクソン政権は、チリに多国籍企業が進出していることなどから、アジェンデ政権に猛反発して、経済封鎖などさまざまな策略をめぐらせる。資本家の〈ストライキ〉まで起こり、チリ経済は混乱に陥った。

しかし、1973年の総選挙でUPが勝利して合法的にアジェンデ政権を倒せないことが明らかになると、米国CIAがピノチェット将軍と共謀して、軍事クーデターを断行。アジェンデ政権の支持者に銃弾が襲い掛かった。国立サッカースタジアムでは、連行されてきた多くの人々が命を落とした。歌手のビクトル・ハラも銃弾に倒れたひとりである。

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