1. サンディニスタ革命40周年、迷走するニカラグアはどこへ向かうのか?

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2019年07月17日 (水曜日)

サンディニスタ革命40周年、迷走するニカラグアはどこへ向かうのか?

2019年の7月19日、ニカラグアはサンディニスタ革命40周年をむかえる。ラテンアメリカ史上、もっとも残忍非道な独裁者のひとりアナスタシオ・ソモサを、ニカラグアの人々がFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)と協力して倒した日である。革命の2日前、早朝の闇のなか、ヘリコプターで空港に降り立った独裁者ソモサは、待機している自家用ジェト機へ向かって歩を進め、機に乗り込むと、米国・マイアミへの方角へ飛び立ち、明けがたの空へ消えた。それから2日後、FSLNの部隊が首都マナグアを占拠し、軍事政権の扉を永久に閉じたのである。

それから40年、当時、FSLNのリーダーだったダニエル・オルテガは大統領の座にある。そして、オルテガの妻でやはり革命運動のリーダーだったロサリオ・ムリジョが2年前から副大統領を務めている。夫妻が大統領と副大統領の地位を占めているのだ。一家が国家の要職を独占することを法律が禁止しているわけではないが、これではソモサ一家が国を支配した独裁時代を連想させる。

現地を取材したわけではないので、確証はないが、政府による学生運動の弾圧のニュースが耳に入る。オルテガ大統領らが革命運動を展開していた時代に、自分たちが受けた迫害を今度は、若い世代に向けているのだ。死者も出ているらしい。

 

◆「こんな純粋な革命はほかにない」

わたしは1985年にはじめてニカラグアの地を踏んだ。スペインのフォトジャーナリストで、米国における反戦運動を取材した『Otra Cara de America』(もうひとつのアメリカ)著者、ホセ・モレノ(当時は、写真家ではなかった)の強い勧めで、革命後のニカラグア内戦を取材したのだ。ニカラグア革命についてのホセ・モレノの評価は、「ピュア―な革命」だった。「こんな純粋な革命はほかにない」と繰り返した。彼の度重なる説得に納得して、わたしはニカラグアへ行ったのである。

いざ、現地に到着すると、隣国ホンジュラスから米国が仕掛けた内戦と経済封鎖の影響で、ニカラグアは疲弊していた。しかし、活気に満ちていた。1973年のチリの軍事クーデターの後、チリで禁止されたインティ=イジマニの歌が、大衆市場で流れていた。どこかで聞いた歌だと思っていると、チリのアジェンデ政権の時代に流行った歌だった。

「ぼくたちが連帯の力を結集しなければ、ニカラグアは崩壊するだろう」

アルゼンチンの著名な作家・フリオ・コルタサールが、サンディニスタ革命への国際的な支援を呼びかけたこともある

革命の歓喜の中で涙

わたしは現地でニカラグアの人々から話を聞いた。そのうち、最も印象に残っているのは、「最後の決戦」で死亡したFSLNの戦士・リカルド青年のお父さんの話だった。

リカルドは、元々はキリスト教のボランティア活動にエネルギーを傾ける学生だった。1972年の大地震で首都が崩壊したとき、海外から多額の義援金が贈られたのだが、当時の独裁者は、災害による被害を放置した。義援金を横領したともいわれている。リカルドは、次第に政治に関心をもつようになり、「山へ行く」決意を固める。「山へ行く」とは、「解放戦線のゲリラになる」という意味である。「山」は、新しい価値観の人間を生むゆりかごにほかならない。

1979年、FSLNの部隊が首都へ向かって攻勢をかけた。ある日の夜中に、リカルドのお父さんは、自宅の戸を激しくノックする音に目を覚まされた。お父さんが戸を開けると、見知らぬ男が立っていた。男は、「FSLNの司令官31」と名乗り、リカルドの戦死を告げて立ち去った。

それから3週間後に、FSLNの部隊が首都に入城した。お父さんは、リカルドの死を受け入れることができず、FSLNの戦士の中に息子を探そうと歩き回った。革命の歓喜の中で、涙を流したのである。

◆リカルドの遺書

ニカラグアの首都マナグアの庶民は、隣家の物音が筒抜けの下町に住んでいる。一年を通じて暑いので、戸口も窓も開けっぱなしだ。リカルドの墓は、自宅の玄関前の小さなスペースにある。墓石に、リカルドの詩が刻んであった。

リカルド・ホセ・スー・アギラール
 1979年6月28日
 マサヤ市 ピエドラ・ケマーダにて没

お母さん、私だけがあなたの子どもだと思わないでください。
 戦う仲間はみんなあなたの子です。
 仲間のひとりひとりの姿にぼくの面影を探してください。

 1979年3月25日 リカルド

リカルドが死んだのは革命の4カ月前だから、FSLNが首都へむけて、攻勢をかけていた時期である。いよいよ死を覚悟して書いた遺書である。

「最後の決戦」では、多くの市民がFSLNに協力して街へ繰り出した。FSLNの兵士が、住宅を回って協力を要請すると、最初に10代や20代の若者が路上にでて、バリケードを作ったり、武器を運んだりして、FSLNを支援した。最後はソモサ軍からも、FSLNに武器が流れたという話もある。

1960年代、キューバに家族あずけてニカラグアへ戻り、FSLNを再建したカルロス・フォンセカは、政府軍の捕虜の人権を軽視することを厳しく禁じていた。ソモサ軍といっても兵士は貧しい家のプロレタリアである。彼らを敵にまわさない方針を徹底していたのだ。それがFSLNの支持を広げ、「最後の決戦」での住民の協力に繋がったのである。

リカルドのお父さんは、警察に拘束され、牢獄で夜を過ごしたこともあるという。

「当時、わたしはタクシーの運転手をしていて、スパイ容疑をかけられました。息子がどこにいるのかをあかすまでは、釈放しないとも脅されました。わたしはリカルドがFSLNのメンバーではないかとうすうす気づいていましたが、何も言いませんでした」

◆ニカラグアの民族主義者

サンディニスタという名称は、ニカラグアの民族主義者・アウグスト・セサル・サンディーノに由来する。1930年代に米国海兵隊がニカラグアを占拠したとき、サンディーノは小部隊を結成して、ゲリラ戦を展開し、海兵隊を撤退させた。が、その後、サンディーノは、ソモサ邸でのパーティーに呼び出され、その帰路で暗殺される。遺体は、あらかじめ掘ってあった穴に埋められた。

こうしてソモサ王朝が成立したのである。初期のサンディニスタ民族解放戦線はほとんど壊滅するが、1960年代に入って、カルロス・フォンセカらによって再建される。

ニカラグアの戦いは、世代から世代へ受け継がれた。FSLNの若い戦士をかつてサンディノと一緒に闘った老人たちが支援したり、カソリック教会の神父が、都市部でオルグを担当する戦士をかくまってくれたり、住民の支援を得たピュア―な革命運動を展開してきたのである。

◆ニカラグアはどこへ向かうのか?

そのFSLNの方向が、どこかおかしくなりかけている。青春を犠牲にしたリカルドたちのことを忘れはじめている。ソモサ独裁政権の打倒から40年。輝かしい歴史を持つFSLNはどこへ向かうのだろうか?