1. M君暴行事件の控訴審判決に関する私見、暴行を止めるためにM君を暴行したとする不自然な認定

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2018年11月07日 (水曜日)

M君暴行事件の控訴審判決に関する私見、暴行を止めるためにM君を暴行したとする不自然な認定

10月19日に大阪高裁が下したM君暴行事件の控訴審判決は次の通りである。()内は地裁判決。

・A氏の賠償額は113万7,640円(AおよびCは原告に対し、79万9,740円)

・B氏の賠償額は1万円

・Cに対する請求は棄却(AおよびCは原告に対し、79万9,740円))

その他の請求は棄却された。
判決の評価については、判決後、「M君控訴審判決報告集会」のレポートがある。次のURLを参考にしてほしい。

「M君控訴審判決報告集会」

 


◇裁判所は共謀性はないと判断したが・・

筆者の個人的な感想は次の2点である。

【1】この事件については、鹿砦社が『カウンターと暴力の病理』など5冊の本を出版している。綿密な調査報道である。ところがこれらの本でえぐり出されている事実が裁判の判決の中では、ほとんど反映されていない。そのことに筆者は驚いた。重要な事実の詳細を視野のそとにおいたまま判決を下したとしかいいようがない。

たとえば『ヘイトと暴力の連鎖』の中に、加害者3人がM君に宛てた謝罪文が掲載されている。被告のひとり、李信恵氏は謝罪文の中で、M君の胸ぐらを掴むなど、暴力を振ったことは認めていないが、「反省の気持ちを表すためにツイッターもフェイスブックも中止しました。また、新規での講演を引き受けないことにしました」などと反省の気持ち綴り、最後に「本当に申し訳ありませんでした」と結んでいる。

この謝罪文は、自筆の原文をそのまま掲載するかたちをとっているので、李氏のものであることは間違いない。ところが判決は、李氏に対しては何の責任も問うていないのだ。李氏が原告となる反ヘイト裁判の口頭弁論が終わったのちの会食の流れの中で起きた事件であり、李氏が謝罪文まで書いているのに、
李氏は事件とは無関係と認定したのである。当然、これでは事件の性質を示す有力な証拠(たとえば謝罪文)と判決文の整合性がない。

 

【2】さらに判決に見られる論理の破綻にも言及しておきたい。賠償金1万円の支払いを命じられたB氏に関する事実認定とその解釈である。次の箇所だ。

1審被告Bは、話合いの中で1審被告Aに対し、これ以上1審原告に暴行をしないように泣きながら訴え、1審原告が再び本件店舗の外に出てきた際も、1審被告Aの暴行を止めるため1審原告の頬を平手で叩き、1審被告Aに「もう殴ることないです。」と述べ・・・

これが裁判所の事実認定なのだが、赤文字の部分の論理が破綻していないか。暴行を止めることを目的として、被害者を暴行することは、特殊な文化や価値観の影響下におかれている場合は例外として、常識的にはありえない。

外形的な事実を基準に物事を判断するのであれば、A氏による暴行に、B氏も荷担したと解釈するのが自然だ。M君の頬を叩いたのが1回だけだったとはいえ、M君にダメージを与えたわけだから暴行に荷担したと考えるのが普通の解釈だろう。「もう殴ることないです」と言ったとしても、その真意は分からない。裁判所がB氏の心理まで読みとれるはずがない。ジョークだった可能性だってあるのだ。また、叩いたあと自責の念にかられ、「もう殴ることないです」と取って付けたように言ったのかも知れない。飲酒していたかどかは分からないが、思考が混乱していた可能性もある。暴力を振るった後に、発せられた「もう殴ることないです」をもって、A氏の暴行を止めようとしたと認定するにはかなり無理がある。

この事件では、少なくとも3人の加害者が謝罪文をM君に送っている。A氏、B氏、それに李氏である。このうちA氏とB氏は、暴力を振るった。既に述べたように李氏も事件に対する反省の意を示した。

ところが反ヘイト裁判後の一連の流れの中で起きた共謀性のある事件にはあたらないという判決が下ったのである。共謀を認定しないために、裁判所は、暴力を止めるために暴力を振るったという不自然きわまりない認定をでっち上げたのではないだろうか。