1. M君事件の控訴審判決、エルネスト金氏に対して賠償金113万円、最高裁事務総局による「報告事件」の疑惑も

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2018年10月23日 (火曜日)

M君事件の控訴審判決、エルネスト金氏に対して賠償金113万円、最高裁事務総局による「報告事件」の疑惑も

メディア黒書でたびたび報じてきたM君事件の控訴審判決が19日に、大阪高裁であった。エルネスト金氏に対して賠償金113万円の支払いを命じたことを除いて、その他の請求は棄却された。賠償金の額は若干増えた。

詳細については、判決文を読んでから改めて論評するが、恐るべき判決である。延々とM君を殴り続け、現場にいた「仲間」もそれを放置して、瀕死の重傷を負わせながら、エルネスト金氏を除いて責任を問われなかったことになる。

筆者は、この裁判は、「報告事件」ではないかと推測している。大阪高裁の元判事で現在は弁護士の生田暉雄氏が著した『最高裁に「安保法」違憲判決を出させる方法』(三五館)によると、裁判所の内輪で「報告事件」と呼ばれている事件が存在するらしい。これは最高裁事務総局が暗黙のうちに判決の方向付けをする事件のことで、提訴しても最初から勝ち目がない。いわば原告をペテンにかけている裁判のことである。

「報告事件」に指定されると書記官など裁判所の職員が、裁判の経過を最高裁事務総局に報告する。そして国策にそぐわない判決がでそうな雲行きになると、判事を交代させるなどして、判決の結果を方向づけてしまうのだ。いわば軍事裁判と同じレベルのことが水面下では進行しているのである。

 

◇言論抑圧の国策と整合

なぜ、M君の裁判が報告事件の可能性があるのかといえば、次のような推測が成り立つ。広義しばき隊などが展開する「反差別運動」を逆手に取れば、言論を抑圧する体制を構築しやすいからだ。現に東京都では、デモが著しく規制されるようになっている。4箇所あったデモの出発点(公園)が、1箇所に規制されてしまった。

特定秘密保護法や共謀罪法の成立に象徴されるように、政府は言論の自由を抑圧する国策を打ち出している。その方向性と整合するように、「反差別運動」が暴徒化するのを放置し、言論を規制する法整備の口実にする構図になっている。

差別を肯定する人間はほとんどいない。それゆえに「反差別運動」を客観的に把握して、負の側面を指摘し、批判することは、世論の激しい反発を受けるリスクを伴う。その不安が、M君事件では、著名人らの「沈黙」という形で浮彫になった。いちいち名前はあげないが、音声記録まで残っているこの事件について、「知らぬ」、「そんな事件はなかった」としらを切る者が後をたたなかったのだ。

野党の中には、広義しばき隊のシンパも多く、それが野党共闘の調和を乱したくないという心理にさせるのか、共産党までが事件を黙殺するという信じがたい状況が生まれた。そのために共産党は、多くの支持者を失った。

 

◇鹿砦社の調査報道

この事件を本格的に取材したのは、鹿砦社の取材班だった。これまでに5冊の本を出版している。典型的な調査報道で、事件の全容を解明した。小さな出版社が、これだけ綿密な調査報道を手がけた例は、筆者が知る限りでは、他にない。しかも、M君の裁判を支援する徹底ぶりだった。

ところがその鹿砦社に対しても、著名な人々が相当口汚い罵倒を浴びせ続けた。その一方で鹿砦社の活動に感謝している人々も増えている。たとえば筆者が、『紙の爆弾』にオリンピック選手村の建設予定地(都有地)の不正取引疑惑の記事を書いたところ、東京都庁のOBらで組織している住民運動が、ミニコミ紙で『紙の爆弾』を紹介した。他にこの事件を取りあげるメディアがないからだ。住民運動に注目されるのは名誉なことである。数こそ少ないが、物事を正しく評価している人々もいるのだ。

M君の事件を通して、筆者は、日本の民主主義の牛歩ぶりを痛感する。司法も、メディアも、市民運動もどこかおかしくなっている。