M君暴行事件を「なかったこと」にする動きが顕著に、本当に事件は無かったのか?〈2〉辛淑玉氏の手紙が示す事件の概要
しばき隊のメンバーが大阪市の北新地で起こした大学院生M君に対する暴力事件。連載の第1回では、事件を起こしたしばき隊のリーダーE氏の代理人である神原元・自由法曹団常任幹事が展開してきたリンチはなかったとする主張に全く根拠がないことを指摘した。それは組織的に事件を隠蔽しようとする一連の動きと整合している。
たとえば事件が、ヘイトスピーチ規制法の成立に障害となることを警戒した師岡康子弁護士は、M君とEの共通の知人にメールを送って、裏工作を依頼した。それが逆に事件の裏付けとなった。
事件は、多くの識者たちの耳に入っていたのである。入っていながら、大半の人は知らぬ風を装っていたのである。
連載〈1〉の全文は次のとおりである。
M君暴行事件を「なかったこと」にする動きが顕著に、本当に事件は無かったのか?〈1〉事実の凝視
◆辛淑玉氏の手紙
改めて言うまでもなく、この事件が周知の事実として多くの人々に認識されていたことを示す証拠は、師岡弁護士のメール以外にもある。たとえば、社会活動家の辛淑玉(シンスゴ)氏が、みずからの知人たちに送付した「M君リンチ事件に関わった友人たちへ」と題する手紙がある。この手紙は、図らずも事件に関する情報が水面下で広がっていた状況を示している。
「長文になりますが、読んでください。
昨年12月17日未明のMさんリンチ事件を、私は今年の1月10日に広島で知りました。講演会の会場で、「関西のカウンター内でテロがあったんですか?」というような軽い質問からでした。その日のうちにカウンターの一人から連絡をいただいて断片的な状況を知り、その後、その方を通して、被害者Mさんの状態の確認をしました。
そういう状況なので、私は、今回の経緯に関して、知っていることは大変少ないです。それを踏まえた上で、私の思いを手紙に書くことにしました。
私の手元には、被害者Mさんの写真と、そのときに録音されたテープがあります。
このテープを聞いて、私は泣きました。泣き続けました。
写真を見て、胸がはりさけそうでした。
これはリンチです。
まごくことなき犯罪です。
酒を飲んだ流れで、深夜に彼を呼び出し、一時間もの間殴り続け、鼻を骨折させ、顔面を損傷し、血だらけになったMさんを放置したまま宴会を続けている。その音声は、狂気のようでした。泣きながら殴り続けたであろうEさんの声、そして、止めに入ってはいるが、止めきれない●ちゃん。その間に信恵(注:活動家でジャーナリストの李信恵氏のこと)の声がこだまして、悪夢ではないかと思うほどでした。
その後、多くの方が、告訴するのをやめさせようと、Mさんにさまざまな働きかけをし、また、被害者であるMさんを愚弄する不適切な噂が流れたことを知りました。少なくとも、私の耳にまで入ったということは、多くのかたがすでに知っているということだと思います。」
「いま、私の周りのメディアは、おぼろげながらも事件の概要をつかみ始めています。『週刊金曜日』(当時の編集長は北村肇氏)の信恵の記事がキャンセルになったのは、その流れからです。
そして、体制側のマスコミも動き始めました。
これが表に出れば、真っ先に社会的生命を奪われるのは信恵です。
そして、信恵の裁判は、その時点で終わりとなるでしょう。
マスコミは、この事件を第二の『あさま山荘事件』として取り上げるつもりでいます。(略)」
引用文にある「信恵の裁判」とは、李信恵氏が当時、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などを相手に起こしていた反差別裁判のことである。「人種差別的な発言で名誉を傷つけられた」ことに対する審判を求めた訴訟である。
辛淑玉氏の手紙からも読み取れるように、M君が暴行を受けたことは、多くの人々の間で周知の事実になっていた。
◆事件をなかったことにした新聞・テレビ
しかし、こうした状況の下でも、事件を隠蔽する動きに拍車がかかる。その背景には、ヘイトスピーチ解消法が成立まで秒読みの段階に入っていた事実と、反差別運動の旗手である李信恵氏が事件現場にいた事実がある。カウンター運動の関係者にとっては、この2つの事実を「なかったこと」にする必要があったのだ。そのために動いた人物のひとりが、神原弁護士なのである。
神原弁護士自身にとっても、この事件は汚点になりかねない。というのも、神原氏は自分がしばき隊の隊員である上に、日本を代表する人権擁護団体である自由法曹団の幹部の座にあるからだ。暴力的な市民運動と自由法曹団のイメージは、整合しない。となれば、事件をなかったことにして、みずからの立場を正当化する必要がある。
ちなみに新聞・テレビは、カウンター運動が追い込まれていた状況に理解を示して、一切の事件報道を控えた。それどころがこの事件の取材を始めた鹿砦社を、記者会見の場からも締めだす暴挙に出た。
李信恵の裁判に関する報道では、「事件はなかった」という偽りの前提で、彼女を支援した。その報道がいかに派手なものであったかは、新聞のバックナンバーを見れば、記録として残っている。(つづく)