1. M君リンチ事件の第5弾、『真実と暴力の隠蔽』が発売、M君支援に出版人の良心

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2018年05月29日 (火曜日)

M君リンチ事件の第5弾、『真実と暴力の隠蔽』が発売、M君支援に出版人の良心

28日に発売されたばかりの本書は、「M君リンチ事件」を追う鹿砦社特別取材班の調査報道の第5弾である。しかし、冒頭にM君の手記を掲載するなど、はじめてこの事件に接する読者に配慮した構成になっている。

3月に判決が出た損害賠償裁判(原告はM君)の判決に対する批判、鹿砦社が李信恵氏を訴えた名誉毀損裁判の背景、さらにはしばき隊を離れていった人々へのインタビューなど、最新の情況を報告しながらも、同時にこれまでの経緯を総括する内容になっている。

この事件は、在日外国人に対するヘイトスピーチなど差別に反対する市民運動に参加していたM君が、集団暴行を受けて、瀕死の重傷を負い、コリアNGOセンターの仲裁が功を奏せず、やむなく加害者に対して損害賠償裁判を起こしたというものである。従って第1審判決は、M君にとっても、支援者にとっても重要な意味を持っている。

判決は、被告5人のうち3人に対して損害賠償を命じたことで、形式的にはM君の勝訴だったが、賠償金額が80万円という極めて低い上に、M君が最も問題にしていた李信恵氏の責任は認定しなかった。その主要な原因は、裁判官による事実認定の方法にあったようだ。木を見て森全体を見ない事実認定が行われたのである。


たとえば、M君が事件現場の店に入ると、李氏がいきなりM君に襲いかかったのだが、その時、李氏がM君の顔面を平手で張ったのか、それとも拳でなぐったのかという点で、M君の証言が一貫していなかったことを理由に、M君の主張は信用できないとしたのである。

この場面で最も大事な検証点は、「急襲」で暴力の空気が生まれなかったかどうかという点なのだが。「平手」か「拳」かは、あまり問題ではない。

判決は次のように認定している。

 被告普鉉が原告を迎えに出て、同月17日午前2時頃、原告及び被告普鉉が本件店舗内に入ったところ、出入口に最も近い席に坐っていた被告信恵が、原告に対して「なんやのお前」などと言いながら、原告に詰め寄り、その胸倉をつかんだ。これに対し、被告普鉉が、直ちに「まあまあまあ、リンダさん、ごめんな。」と言い、被告金も「店やし、店やし。」などと言いながら、被告信恵を制止して、原告から引き離した。

ちなみに神原元弁護士は、筆者の電話取材の中で、胸ぐらを掴む程度は暴力ではないと述べている。また、李信恵氏の体格については、小柄と述べている。他の関係者は、大柄な人だと話しているのだが。

◇一貫した視点を欠いた判決文
この裁判の判決では、暴行を行ったエル金氏と伊藤大介氏に対して共同して79万円の支払いを命じているのだが、伊藤氏は、暴行そのものにはかかわっていない。賠償を命じられた理由は、「幇助」したからである。具体的には、「喧嘩するならすりゃいい」とか、「殴るんだったら殴ればいい」といった言動が幇助と認定されたのである。

この程度の言動を幇助とみなす一方で判決は、M君が店に入った直後の李氏の「急襲」は、暴力ではないとして何の問題にもしていないのである。実は、「急襲」により暴力的な空気が醸し出された可能性が高いのだが、この点の検証は回避して、李氏を免責しているのである。

伊藤氏に対する評価と、李氏に対する評価に一貫した判断基準がないのだ。
つまり判決文の視点に一貫したものがなく、形式そのものが破綻しているのである。とんでもない駄文なのだ。

ちなみに本書では、裁判官の職能の低さを示すエピソードも紹介されている。判決文の中に、人名の誤りがあるのだ。コリアNGOセンター理事の金光敏氏のことを「金敏光」と誤記しているのだ。しかも、同じ誤りが3箇所もある。

◇鹿砦社が李氏を訴えた理由

鹿砦社が李氏を名誉毀損で訴えた裁判については、李氏が反差別運動のリーダー、つまり公人であることに加えて、李氏の言動が出版社の経営にとってダメージを与えるからとしている。松岡社長は、「鹿砦社はなぜ李信恵を訴えたのか」と題する報告の中で、次のように述べている。

鹿砦社の社員で左翼運動に関わっている者は誰一人もいませんが、内ゲバで多数の死者を出した「中核派」や「革マル派」と関係があるかの如くイメージさせる李被告の発言は、社員にも誤解や動揺を与えています。すでに準備書面でも記載されているように、私が四十年以上前の学生時代、主に学費値上げ反対の運動に関わったことは否定しませんが、卒業後は運動から離れています。(略)
 鹿砦社や私が、かつて血で血を洗う内ゲバ殺人を繰り返した「中核派」「革マル派」に関係しているかのような発言は、なんら根拠のないもので営業妨害にさえあたると思います。

◇出版人の良心とは何か

M君リンチ事件は、さまざまな問題を孕んでいる。ツィッターが人間性を破壊していく社会病理、市民運動のあり方、それに連動した野党共闘の問題点、事件をタブー視するマスコミと「知識人」、弁護士倫理、法による言論規制、さらに筆者の個人的な見解になるが、こうした否定的な要素とは逆に、はからずも被害者に寄り添い支援するとはどういうことなのかという問題も提起している。改めていうまでもなく、鹿砦社によるM君の支援のことである。

出版不況の中で、こうした社会派の本を小さな出版社が制作することは容易ではない。お金の儲け方や「お勉強」の方法を紹介する本を出版する方が利益になるのだ。しかし、M君に正義があるので、支援を続けているのだ。

わたしはかつて取材していたラテンアメリカと、日本の諸問題を比較することが多いのだが、鹿砦社のM君支援にキューバを連想した。キューバは決して経済的に豊かな国ではない。今なお経済封鎖に苦しんでいる。鹿砦社も事情は同じだろう。

しかし、それでも正義がある人々に対しては支援を惜しまない。昨年、キューバは半世紀に及んだ内戦が終わったコロンビアから、元戦士の社会復帰を支援するために、1000名の医学生を受け入れることを表明した。戦士達が命をリスクを負ってまで闘い続けてきたからである。敬意の表明にほかならない。しばき隊とは質が異なる。

【参考記事】半世紀を超えたコロンビア内戦が終わる、世界を変える決意とは何か?

内ゲバ事件を曖昧にごまかしていいのか?。それが正常な社会なのか?鹿砦社のM君支援を通じて、出版人の良心とは何かという別の問題も見えてくるのである。

タイトル:真実と暴力の隠蔽
著者鹿砦社特別取材班
出版社:鹿砦社