1. 横浜・副流煙裁判の被告が準備書面(8)を公開

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2019年04月12日 (金曜日)

横浜・副流煙裁判の被告が準備書面(8)を公開

横浜・副流煙裁判の被告準備書面(8)の全文を紹介しよう。この裁判は、同じマンションの2階に住む一家(A男、B女、C子)が、1階に住む藤井 将登さんの副流煙が原因で、化学物質過敏症になったとして、4500万円の金銭請求や喫煙の禁止を求めている事件である。

請求の根拠になっているのは、民法709条(「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」)である。

藤井さんは個人で、原告の代理人・山田義雄弁護士らと対峙している。

「支援する会」も結成され、理不尽としかいいようがない恫喝まがいの裁判と闘っている。以下、被告準備書面(8)の全文だ。

 

■準備書面(8)の全文 (PDFはここをクリック)

この準備書面では、①被告が副流煙により原告に健康被害が及ばないように十分な配慮を行っていたこと、②原告が罹患した化学物質過敏症の原因が被告の喫煙による副流煙であると断定するに十分な根拠がないこと、③風向を調べ、被告の自室で発生した副流煙が原告宅に流れこむ可能性があるかどうかを検証するために実施した「風向き実験」の結果を報告する。

本件訴状でも、原告が明記しているように、「請求の原因」 は、「タバコの副流煙により体調不良をきたし、殊に、妻と娘は、受動喫煙による化学物質過敏症に罹患するなど甚大な被害を被った」事である。従って被告を発生源とする副流煙が原告宅に流れ込まないように、被告が十分な措置を講じていたか、かりに被告の副流煙が原告宅に流れ込んでいれば、それが化学物質過敏症の原因になったかどうか、さらには原告らが体調不良を訴える約1年前まで原告・A男が喫煙していた事実に基づいて、それがA男本人の体調を悪化させただけではなく、副流煙によって原告・B女、それに原告・C子の化学物質過敏症を引き起こした可能性があるかどうかについて検討する。

 

 

(Ⅰ)被告は十分に安全・衛生に配慮していた

 

1)臭いの有無を調べる実験

 

原告は、副流煙の発生源は被告の自室内での喫煙だと主張する。確かに被告は自室内で喫煙しているが、煙草の煙が原告宅へ流入しないように十分な配慮をしていた。

たとえば、副流煙による人体影響について原告から告げられた後、対策を講じるために、原告が立ち会って、煙草の煙が2階に達していないかどうかを調査する実験を行っている。

被告は、ほとんどの場合、機密構造の防音室内で喫煙していたが、換気扇で吸うことがゼロではないため、仮に煙がABC家に流れ込むことがあるとすれば、それは換気扇以外に考えられない。そこで念のために実験を提案したのである。実験を行った事実については原告も認めており、原告・A男の「報告書」(甲第15号証)には、次のような記述がある。

 

「②突然、(注:被告が)換気扇の下でガラムを吸うから『この臭いがするか確認して』と言われ、B女はびっくりするが、言われた通り急いで自宅に帰り、家族にも伝える。

 吸い始めて直ぐに、自宅に帰されたので、臭っているかどうか判定できなかった。」(4ページ)

 

煙は換気扇を伝って人工的に室外へ排出されるから、換気扇を止めた状態で喫煙する場合よりも、作動させた状態で喫煙する方が室外の空気と混入する可能性が遥かに高くなる。この点を考慮して被告と原告は、換気扇を作動させた状態で、煙草臭の実験をしたのである。

が、それにもかかわらず原告は、煙草の臭いを感知できなかった。そのことを、原告はみずから認めているのである。

 

原告準備書面(1)5ページにも、次のように記されている。

 

「被告が突然、『換気扇の下でガラムを吸うから、この臭いがするか確認して』と言われ、原告B女はびっくりするも急いで自宅に戻ったが、タバコの臭いは確認出来なかった。」

 

なお、原告は原告準備書面(2)の9ページで、名古屋地裁の副流煙裁判(平成24年12月13日)を例に引いて、副流煙による被害を司法が認定していることを強調しているが、名古屋のケースと本件訴訟を同一視できない。名古屋のケースでは、被告が景観を楽しむため窓を開けて煙草を吸う一方、原告も一年中自宅の窓を閉めなかった。こうした状況を前提に名古屋地裁は、被告のマナー違反を断罪したのである。副流煙による被害を近隣住民にまったく配慮しなかったから、断罪されたのであって、副流煙に対して十分に配慮して、実験まで繰り返した本件裁判の被告のケースと同一視することはできないのである。

 

2)臭いの発生源は被告宅ではない

 

本来であれば、臭いの有無を調べる実験で臭いが確認できなかった時点で、被告を発生源とする副流煙が、2階の原告宅に到達していない可能性が極めて高いと判断できる。しかし、被告はさらに、念のための別の実験も行っている。

平成28年9月6日から煙草を吸うことを一切控えたのである。原告が主張する副流煙の発生源が被告である可能性はゼロではないので、喫煙を一時的に控えた場合、原告がどのような反応を示すかを確かめるのが目的だった。原告が訪れた同年9月6日から同月22日まで「16日間完全禁煙」をした。

平成28年9月22日、訴外・管理組合員の瀧上勝治氏を交えて原告と被告は話し合いを持った。この場で、原告は依然として煙草の臭いがすると告げた。

この時点で被告は、原告が臭っていると主張している臭いの発生源は、被告宅ではないことを確信したのである。この際、被告が安堵した様子を、原告・A男は、本件「報告書」の中で、次のように描写している。

 

「①9月6日以降家ではタバコを吸っていないのに、ABC宅にタバコの煙が入っているのは、他の方がタバコを吸っている証明になるのでホッとしている。」

 

原告が描写したとおり、被告はまさに「ホッ」としたのである。「ホッ」として顔の緊張を解いたのである。原告宅に闖入している煙の発生源が自分ではないことが分かったからだ。

 

3)化学物質過敏症の認知度

 

被告は、煙草が原因で化学物質過敏症を罹患する場合があることを知っていたかどうかという点にも言及しておこう。被告は、本件裁判の提訴に至るトラブルが発生するまで、化学物質過敏症という言葉は知っていたがその詳細は知らなかった。

本件裁判を取材している訴外・黒薮哲哉氏(ジャーナリスト)が原告代理人の山田義雄弁護士を取材したところ、山田義雄弁護士も化学物質過敏症をよく理解していなかったという。必要であれば、被告は黒薮氏から入手したその際の録音テープを提出する用意がある。

化学物質過敏症の認知度は極めて低く、それが何であるかをほとんどの人が理解していない。実際、診断書に化学物質過敏症の病名を明記しているのは、北里研究所病院とそよ風クリニックなど日本で数カ所の医療機関だけである。それ以外の医療機関で診察を受けても、化学物質過敏症という病名は付かない。大半の医師にも、診断できない。もちろん化学物質過敏症の医学的な根拠は分かっていないし、他の基礎疾患との区別も容易ではない。

この点について、たとえば化学物質過敏症に詳しい内田義之医師は、『ビジネスジャーナル』(乙第14号証)で、訴外黒薮氏によるインタビューに答えるかたちで、次のように述べている。「化学物質過敏症を疑って受診される患者さんのなかには、実はノイローゼや思いこみである人も少なくありません。」

専門家でも化学物質過敏症の診断はむずかしく、まして医療の素人である被告が、化学物質過敏症と副流煙の関係を熟知していたことはあり得ない。それにもかかわらず、原告から化学物質過敏症について知らされた後は、最大限の予防措置を講じたのである。公共施設や企業の場合は、分煙が推奨され、安全を確保するためのガイドラインもあるが、壁や窓で隣家とは完全に遮断された個人宅の場合、健康被害を発生させるほど副流煙の影響はないという暗黙の了解があるので、そうしたガイドラインは存在しない。が、それにもかかわらず被告は、隣人の健康に配慮して2度の実験を実施し、安全が確認されたにもかかわらず、その後も念には念を入れ、換気扇の下での喫煙は絶対に控えるなど、社会通念からして十分と考えうる配慮を怠らなかったのである。

 

 

4)団地内の「喫煙所」からの煙

 

煙草の副流煙が化学物質過敏症の原因になりうることを、被告は完全には否定しない。

もちろん化学物質過敏症という「病気」があることも認める。しかし、かりに副流煙が原告らの化学物質過敏症などの原因であるとしても、原告宅に流れ込んでいる副流煙の発生源が被告宅であるという根拠はまったくない。煙の発生源は他にもあるからだ。

たとえば被告と原告が居住する棟の裏約20メートルの地点に、自然発生的にできた「喫煙所」がある。そこには常に多量の煙草の吸殻が散乱している。時々、清掃されることもある(乙第15号証)が、そこはバス通りわきの橋のたもとで目立たないため「喫煙所」として定着している。団地の住民や団地に隣接する地域の住民が次々と「歩きタバコ」でやって来て、この場所にポイ捨てして、バスに乗っていく。また深夜にたむろして煙草を吸っている若者もいる。ここから発生する煙も副流煙として、原告宅に流れ込んでいた可能性がある。と、いうのも「喫煙所」は、壁や屋根がある建物ではないので、ここから発生した副流煙を遮るものはなにもないからだ。

原告の主張によると、極めて微量の副流煙であっても臭いを感じるわけだから、近くの「喫煙所」の煙が原告宅へ入っていることも十分に考えうる。

既に述べたように被告は、平成28年の9月6日から22日まで、実験的に煙草を控えたわけだが、それでも原告が臭いがすると返答したのは、「喫煙所」の副流煙が原因だった可能性もある。とすれば、喫煙による安全・衛生への苦情は、むしろ団地の自治会・管理組合やバス会社に求めるべきなのである。

 

5)原告による住民調査について

 

原告は、原告準備書面(3)で、原告代理人・山田義雄弁護士が平成30年5月4日から6日かけて実施した「ご自宅での喫煙に関する調査」の結果に言及している。それによると「101号室の樋口氏からの署名押印は頂いていない」状況はあるものの、それは高齢に配慮した結果だとしたうえで、被告以外に近隣に煙草を吸う住民はいないと結論づけた。

しかし、山田弁護士が調査を実施した時期は、既に本件裁判が始まっていて、原告や被告が住む団地の多くの住民が、被告が副流煙を理由に4500万円もの金銭を請求されていることを知っていた。また、提訴前に神奈川県警が被告を2度に渡って取り調べた事実も、団地内に知れ渡っていた。当然、住民は俗にいう「禁煙ファシズム」に恐怖感を抱いていた。

こうした状況の下で、原告代理人・山田弁護士から喫煙の有無について質問されれば、煙草は吸っていないと答えるのが常識的な対応だ。と、いうのも煙草を吸っていると答えれば、被告と同じように高額訴訟を提起されたり、警察の取り締まりを受けるリスクがあるからだ。

また調査対象を1階と2階の6世帯に限定して行ったことは調査の方法論としても誤っている。高齢者に喫煙者が少ないという原告の主張にも根拠がない。また風の動きによっては、副流煙が下降する可能性や、原告宅とは反対の方向へ流れる可能性もある。さらには原告宅よりも上階に煙草を吸う住民がいる可能性もある。

原告は、化学物質過敏症の原因が被告の煙草の副流煙だと主張しているが、副流煙の発生源を被告であると断定できる根拠はどこにもない。原告の思い込みである。歩き煙草をする者も含めて、喫煙者はどこにでも存在する。こうした状況の下で被告は、喫煙場所を、密封状態にした自室に限定するなど、近隣住民の安全・衛生に十分に配慮しているのである。

原告代理人の山田弁護士も被告とは別の場所を発生源とする副流煙を疑っているのか、「ご自宅での喫煙に関する調査」の質問項目に、「2、自宅以外に自宅近くのバス停で喫煙されたことはありますか」という質問項目を設けている。

この調査では5人全員が「いいえ」と答えているが、原告や被告が住む団地は、300世帯が居住するマンモス団地であり、調査人数があまりにも少ない。

ちなみにバスの本数は多く、数分ごとにバスが到着する。利用客も多い。当然、バス停脇橋のたもとの「喫煙所」で喫煙する人も多く、そこから副流煙が発生していると考えるのが妥当なのである。被告の自室に副流煙の発生源を限定する理由はない。

ちなみに、原告・C子が被告を発生源とする副流煙とは別の副流煙(バス停からの副流煙や「喫煙所」からの副流煙など)によっても、人体影響を受けることは、作田医師が作成したプログレスノートの次の記述(甲第44号証の1)からも推定できる。被告の副流煙を避けるために住居を引っ越したのちの経緯に関する記述である。

 

(略)賃貸住宅に移ったが、3軒吸っていた。やめ、戻った。タバコアレルギーになり、車で1時間の東横インで1カ月過ごした。(甲第44号証の1の2ページ)

 

6)原告は元喫煙者

 

さらに副流煙の発生源として、次の点も検討しなければならない。原告は、被告が発生させた副流煙による被害を主張しているが、原告・A男はもともとは喫煙者であり、それにより自らの健康を害した可能性が高いうえに、A男の副流煙によって、原告の妻と娘が化学物質過敏症や■になった可能性も否定できない。原告・A男は、原告・第2陳述書の1ページで次のように喫煙歴を述べている。

 

「私は、以前喫煙しておりましたが、平成27年春、大腸■と診断され、その時から完全にタバコを止めました。(略)

 

私は、タバコを吸っていた頃は、妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていましたので、ベランダで喫煙する時もありましたが、殆どは、近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所などで喫煙し、可能な限り、人に配慮して吸っておりました。」

 

山田弁護士による調査の質問項目に、バス停で喫煙するかどうかを問う項目があることから察して、原告はバス停を発生源とする副流煙も原告宅に流れ込む可能性があると考えていることになる。そうすると原告・A男が原告宅のベランダで吸っていた煙草による副流煙も、当然、自宅に流れ込んでいたと考えうる。原告がベランダに立った状態で戸を閉めたとしても、戸口の直近で煙が発生するわけだから、副流煙が室内に流入する可能性は、被告宅からの副流煙の場合よりも、バス停からの副流煙の場合よりも遥かに高い。

しかも、宮田幹夫医師が繰り返し述べているように、化学物質過敏症は、化学物質が蓄積した結果、発症するのであるから、原告・A男の長い喫煙歴を無視してその原因を究明することはできない。たとえば宮田医師は、『化学物質過敏症』(文藝春秋)(乙第16号証)の中で、「神経組織というのは、一ヵ所傷み出すとだんだん傷むところが広がってくるという傾向がある。ですから、若い頃にシンナー遊びをやった子供たちが、10年後、20年後に、脳の萎縮がさらに進んでいるケースもあります」と述べている。(188ページ)

また、原告らが証拠としてその一部を提出している『化学物質過敏症』(かもがわ出版)(乙第17号証)の中では、エール大学のカレン教授の定義を引用して、次のように化学物質過敏症の発症に至るプロセスに長期に渡る化学物質の蓄積があることを指摘している。

 

「かなり大量の化学物質に接した後、または微量な化学物質に長期に接触した後で、非常に微量な化学物質に再接触した場合に出てくる不愉快な症状」(43ページ)

 

原告の陳述書からすると、原告らに「大量の化学物質に接した」生活歴はないので、「微量な化学物質に長期に接触した後」、原告らは化学物質過敏症を発症したと考えるのが自然だ。

 

この観点からすれば、原告・A男の自宅ベランダでの喫煙により発生した副流煙が、原告の妻と娘の化学物質過敏症の原因になった可能性が極めて高い。化学物質過敏症を発症した後、被告の極めて微量な副流煙(仮に被告の副流煙が原告宅に入っていたとして)にも体が反応するようになった可能性があると考えるのが正論である。

「可能性」と書いたのは、化学物質過敏症の原因物質の発生源は、煙草以外にも日常生活の中に無数存在するからだ。これについては後述する。

原告は妻と娘から、「室内での喫煙は、一切、厳禁されていました」というのであるから、妻と娘にとっては原告・A男の煙草による副流煙が苦痛だった可能性が高い。

そこで原告は、室外で喫煙することにより、妻と娘の「安全・衛生」に配慮していると自己判断したのかもしれないが、原告の論理によると、下階の窓を閉めた被告宅で喫煙しても、その副流煙が原告宅に流れこみ、人体に影響を及ぼすわけだから、まして自宅ベランダでの喫煙はより高いリスクを伴うことになる。それにもかかわらずベランダで喫煙を続けていた事実は妻と娘の健康に対する配慮を怠ったことになる。その責任を被告の副流煙に転嫁するのは言語道断だ。

 

7)衣服に付着した副流煙

 

既に述べたように、原告・第2陳述書によると、原告・A男は自宅ベランダの他に、「近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所など」でも喫煙していたという。と、すれば原告・A男の衣服に付着した煙草の化学物質が、原告の妻と娘に及ぼした影響も否定できない。

衣服に付着した煙草の人体影響については、過小評価する傾向があるが、本件裁判で原告の側に立って煙草と化学物質過敏症の関係を強調している宮田幹夫医師は、『化学物質過敏症』(文藝春秋)(乙第16号証)で、その驚くべき人体影響を描写している。

 

「実は(化学物質過敏症の患者に)インタビューをしているとき、近くにいた次男の茂弘くんが突然、鼻血を出してしまった。昌子さんが『どうしたん?』と聞くと、茂弘くんは、『分からん』と答える。すかさず紘司くんが『タバコやと思う。さっきから喉がひりひりしていたから』と指摘した。

 

もちろん、われわれは煙草を吸っていたわけではない。その日は朝から喫煙を控え、整髪料もつけずに入江さん宅を訪問した。おそらく、入江さん宅へ向かう途中、新幹線の車内で他の人の吸うタバコの煙が服に染みついたに違いない。日頃から使っているノートや書類、手荷物にも染み込んでいる。」(77ページ)

 

さらに作田学医師も、衣服に付着した煙草の人体影響について、甲第43号証の中で次のように述べている。原告・C子を往診せずに診断書を書いた理由を説明する記述である。

 

「往診する途中で私自身がタバコ煙に接することは予測できました。服や髪の毛に付いたタバコ煙は徐々に揮発して参ります。その私自身についた揮発タバコ煙がC子さんに万に一でも化学物質過敏症を発症させ、呼吸困難になった場合を考え、これだけの証拠が揃っているのにあえて行くことを避けた次第です。」(甲第43号証3ページ)

 

原告・A男が自宅ベランダ、公園、散歩コース、それにコンビニの喫煙所などで吸った煙草の副流煙は、本人の衣服を化学物質で「汚染」し、それによりA男は言うまでもなく、妻と娘が長期に渡って影響を受けた可能性もあるのだ。少なくとも宮田医師と作田医師の論理からすれば、そういう理屈になる。

原告・A男は、みずから喫煙していた事実を、平成30年10月26日に第2陳述書を裁判所に提出するまで隠し続け、副流煙被害の責任をもっぱら被告に転嫁して、4500万円もの金銭を請求したのである。

 

8)喫煙者減少の事実との矛盾

 

厚生労働省の調査(乙第18号証)によると、昭和40年には、82.3%の男性が喫煙者だったが、平成30年は、27.3%に減っている。

一方、化学物質過敏症の患者数は、診断基準が曖昧なこともあって確定したデータはないが、化学物質過敏症になると併発することが極めて多い花粉症は、国民の5割を超えているとも言われる。このデータは、相対的に化学物質過敏症が増えている可能性を示唆している。

喫煙者が増え、それに準じて化学物質過敏症が増えているのであれば、副流煙を化学物質過敏症の有力な原因と推定できるが、実際には喫煙者は大幅に減っている。となれば当然、煙草の副流煙以外に化学物質過敏症を引き起こすもっと有力な原因がある、と考えなければならない。

ちなみにNPO法人・化学物質過敏症支援センターが編集した『化学物質過敏症ハンドブック(第2版)』(乙第19号証)にも、化学物質過敏症の主要な原因として副流煙は入っていない。

 

(Ⅱ)化学物質過敏症の原因について

 

繰り返すように被告は化学物質過敏症という「病気」があることを否定するものではないが、原告らが客観的に見て化学物質過敏症であるかどうかは知らない。原告らは化学物質過敏症であることを立証するために、多量の証拠を提出しているが、化学物質過敏症の原因を副流煙だけに限定し、多角的に捉える作業を怠っている。

原告三人は、副流煙が原因で化学物質過敏症になったと主張しているが、副流煙は、化学物質過敏症の数ある原因の中のひとつに過ぎない。

煙草の煙に大量の化学物質が含まれていることは被告も認める。当然、化学物質過敏症の原因にもなりうる。が、それは煙草が栽培される過程で、農薬や化学肥料が使われ、それによって汚染された煙草の葉が有害な化学物質を含んでいるという程度に過ぎない。

煙草の煙で最も問題になるのは、三大有害成分(ニコチン、タール、一酸化炭素)である。これらは化学物質過敏症の原因というよりも、むしろ■や呼吸器や循環器の病気の原因として知られている。原告が煙草による健康被害を問題にするのであれば、まず、原告・A男と娘が化学物質過敏症を発症する前に、■を発症した事実に注目すべきだろう。その原因が、原告・A男による喫煙である可能性が極めて高い。

 

1)煙草の煙は化学物質過敏症のマイナーな原因

 

被告は、煙草の煙が能動喫煙によるものであろうと受動喫煙によるものであろうと、化学物質過敏症の原因になりうると考えるが、それは数ある原因のひとつに過ぎず、しかも相対的に見ればマイナーな要素である。もちろん化学物質過敏症と副流煙の関係を示す医学的な根拠もない。

事実、宮田医師らによる『化学物質過敏症(ここまできた診断・治療・予防法)』(かもがわ出版)(乙第17号証)の第4章「化学物質過敏症の原因物質は」の記述のどこを読んでも、煙草が化学物質過敏症の原因になるとは記述されていない。同章の劈頭で、「身の回りの原因物質」として明記されているのは次のものである。(72ページ)

 

・花粉

・防ダニグッズ

・塗料

・動物の毛

・カビ、ダニ、ちり

・洗濯剤、漂白剤、芳香剤

・大気汚染物質

・建材、接着剤、ホルマリン

・食品、食品添加物、残留農薬、ガス排気、洗剤

・シロアリ駆除剤、排ガス、ディーゼル粉塵、除草剤

・殺虫剤

 

宮田医師自身が自らの著書で、煙草を化学物質過敏症の原因とは指摘していないのである。副流煙とは別に、もっと有力な原因があるというのが、化学物質過敏症を考える上で常識的な見方になっているからだ。

 

2)複合汚染の問題

 

化学物質過敏症の原因は日常生活の至る所にある。それゆえに宮田医師は、化学物質過敏症は誰でもなりうることを繰り返し強調しているのである。たとえば、『化学物質過敏症』(文藝春秋)(乙第16号証)の中で、家の中の汚染空間について次のように述べている。

 

「家の中を見まわしてみても、汚染物質濃度が異なっている可能性がある居間、寝室、台所、トイレ、風呂場などがある。家の中だけでも少なくとも5ヵ所。」(140ページ)

 

つまり日常生活の中に、化学物質過敏症の原因が潜んでおり、もはや個人の力ではコントロールできなくなっているのである。たとえばどんなに食品添加物を避けようと努力しても、完全に遮断することはできない。有機野菜だけを食べることも、よほど経済的に余裕がなければできない。

米国化学会(ACS)の情報部門であるケミカル・アブストラクト・サービス(CAS)が登録する新しい化学物質の数は、1日で優に1万件を超える。もちろんその全部が有害な化学物質ではないが、生活空間におびただしい種類の新しい化学物質が放出されているのだ。

当然、生活環境の中の化学物質の連鎖は、静止の状態にはない。常に変化しているのである。現在は複合汚染の時代なのだ。複合汚染とは、「複数の汚染物質が混合することで、個々の汚染物質が単独の場合に与える被害の質、量の総和を超える相乗的な汚染結果があらわれることである」。(ウィキペディア)

さらに複合汚染の状況について補足すれば、携帯電話などで使われる電磁波の影響も考慮しなければならない。何らかの化学物質に人体が汚染された状態で、たとえば携帯電話を日常的に使えば、人体への影響がより深刻になるリスクもある。電磁波過敏症と化学物質過敏症は相互関係があるのだ。(乙第20号証)

原告の準備書面には、原告・B女が携帯電話を日常的に使っていることをうかがわせる記述がある。たとえば、

 

「(略)原告B女が、8月7日に、被告の妻敦子(以下「敦子氏」という。)に対して携帯電話で、端的に「葉巻を吸っていますか」と尋ねると、(略)」(原告準備書面1の3ページ)

 

という記述である。

仮に原告らが化学物質過敏症であるとすれば、自らの携帯電話から放射される電磁波が原因のひとつになっている可能性もあるのだ。

このように化学物質過敏症の原因を特定するのは、ほぼ不可能なのである。唯一の例外があるとすれば、化学工場などの周辺住民の間で発症する化学物質過敏症である。医学的な根拠がなくても、疫学調査により、化学物質過敏症の原因物質を特定することができるからだ。

本件裁判では、個人が吸う煙草の副流煙が問題になっているわけだが、原告のほかには、だれも被害を訴えている住民はいない。化学物質過敏症と副流煙の関係を裏付ける疫学調査すら存在しないのである。

 

3)イソシアネートと化学物質過敏症

 

最近、イソシアネートが化学物質過敏症の原因として欧米で注目されている。化学物質過敏症の罹患リスクという観点からすれば、イソシアネートの方が副流煙よりも遥かに危険度が高く、しかも、煙草の煙とは比較にならないぐらい存在範囲が広い。

宮田医師は、自身の論文『環境に広がるイソシアネートの有害性』(乙第21号証)の中で、イソシアネートを化学物質過敏症の主要要因のひとつとして位置づけている。そのイソシアネートを含む商品は極めて多い。宮田医師の論文から、具体的な商品を引用してみよう。

 

 

建築材料】 断熱材、接着剤、塗料、鉄骨・手摺り錆止塗料、改質アスファルト、改質漆喰、変性コンクリート、セメント、モルタル、窓枠・浴槽・水周りのシール、配管接続材、屋根・外壁・水周りの防水工事、室内床材、集成材(合板、パーチクルボード)、ブロック塀目地、舗装表面積層接着剤

 

【家具】絨毯裏ゴム、スポンジ・クッション等発泡材、集成木材接着剤、表面塗料など

 

【家電】 洗濯乾燥機・貯湯式湯沸かし器などの断熱材、各電気器具の基盤、トランス等の絶縁材料、コード被覆、塗料、シーラントなど

 

【自動車】 タイヤ、バンパー、ワイパー、内装材、シーリング剤、トップコート、プライマー、補修用塗料

 

【衣料】繊維(スパンテックス・弾力繊維)、保温繊維、繊維加工剤(起毛・形状保持・防水など)

 

【文具】印刷材料、紙の表面加工、製本背綴じ、接着剤など

 

【医療材料】歯科材料、ソフトコンタクトレンズ、マットレス、手袋、弾力包帯、チューブ、医療機器ホース等

 

【一般材料】熱硬化性成型材料、シーリング剤、ゴム

 

こうした観点から、原告らの生活歴を陳述書から読み取ると、化学物質過敏症になった可能性のある生活歴が見えてくる。それは原告の化学物質被曝歴にほかならない。

 

 

4)原告の生活歴

 

原告・A男の陳述書(平成30年9月15日)によると、原告らは、「昭和55年12月、新しく完成したこの団地の202号室を購入し、妻と幼子2人を連れて引っ越して」(1ページ)きたという。新築の住宅が化学物質過敏症の一種であるシックハウス症候群の原因になるのは周知の事実である。この時期に原告の体内に化学物質が蓄積したことは疑いない。

化学物質過敏症を発症するに至らなくても、化学物質が蓄積したと考え得るのだ。その影響が、後年になって表れることは、既に述べたように宮田医師も『化学物質過敏症』(文藝春秋)の中で述べているとおりである。(本書面Ⅰ(6)乙第16号証)。宮田医師の記述を再度引用しておこう。

 

「神経組織というのは、一ヵ所傷み出すとだんだん傷むところが広がってくるという傾向がある。ですから、若い頃にシンナー遊びをやった子供たちが、10年後、20年後に、脳の萎縮がさらに進んでいるケースもあります」

 

また、宮田医師が作成した原告・C子の「外来診療録」によると、原告は、(診療録の作成日からさかのぼって)11年前に住居の改装工事を行っている。このときにも、建材などを発生源とする化学物質に原告らが被曝している可能性が高い。

さらに原告・C子は、陳述書の中で、みずから化学物質と隣り合わせの生活をしてきたことを認めている。被告の煙草の副流煙が、化学物質過敏症の原因と断定した上で、次のように述べている。

 

「その為に私は、タバコだけでなく、合成洗剤、シャンプー、香料、布団や衣類、マスク等の化学繊維、家具、食器等、家の中の全ての微量な化学物質に、激しく反応し、臭いを吸った瞬間、常時口の中、舌、喉、食道、肺の痛みが増し、激痛が走り、呼吸困難、心臓発作を起こし、凄まじい苦しさです。(略)

 

 微量な農薬、化学肥料を使った食品、水道水、ペットボトルに入った天然水すら、激痛が走り、激しい腹痛、呼吸困難、心臓発作を起こす日々は、耐えがたい、拷問の様な苦しみです。」

 

上記の記述から、原告・C子が日常生活の中で、合成洗剤、シャンプー、香料などを使っていることを認めている。さらに「微量な農薬、化学肥料を使った食品」を食べていることも認めている。これらの商品に使われている化学物質を体内に蓄積させた結果、化学物質過敏症を発症した可能性もあるのである。その中には前述のイソシアネートを含んだ化学物質もある。

さらに原告・C子には■治療を目的とした長年に渡る通院歴もある。陳述書の中で、「化学物質満載の救急車」にも乗れない状態だと述べているが、化学物質過敏症を発症する前は、乗れていたわけだから、その間に体内に化学物質を蓄積させたと考え得る。

また、治療の中で大量の化学物質を使っていることは疑いない。現に「外来診療録」によると、現在も3種類の薬剤(デパス、メイラックス、パキシル)を服用している。検査用の造影剤によるアレルギーもあるという。

当然、■治療の中でレントゲンやCTなどによる電磁波を多量に浴びている可能性も高い。

 

5)車の排気ガスについて

 

原告・C子の「外来診療録」によると、原告は問診の中で住居近くに車の交通量が多い道はないと答えているが、実際には、原告が居住するマンションから25メートルの地点に幹線道路が走りバス停もある。交通量も多い。そこから発生する排気ガスも、原告らの化学物質過敏症の原因になった可能性がある。車が四六時中走っているわけだから、排気ガスの量も並ではない。しかも、バスが頻繁に停止するので、排気ガスの量も増える。

「外来診療録」によると、その排気ガスによる原告・C子の反応度は10段階評価で8となっている。煙草の煙が9であるから、殆ど反応度は変わらない。

また、原告宅の正面には団地内駐車場がある。こうした環境に加えて、原告宅は排気ガスの流入量が比較的多いとされる2階に位置している。

 

6)原告・A男による副流煙

 

結論として、原告・C子は、日常生活や医療現場の中に存在する化学物質が原因で化学物質過敏症になり、その結果、極めて微量の化学物質にも体が反応するようになったと考えるのが自然だ。もし、被告の副流煙が原告宅へ流れ込んでいるのであれば、イソシアネートなどが原因で化学物質過敏症に罹患した後、煙の臭いを感じるようになったと考える方が、論理にあっているのである。微量の化学物質では、急性的な化学物質過敏症は起こりえない。臭いを感じるようになるより前の段階で長期にわたり化学物質に被曝し続けてきたと考えるのが、論理の順序なのだ。

もし、原告・C子が短期間の被曝で急性の化学物質過敏症になったのであれば、大量の被曝を受けている可能性が高いというのが宮田医師の理論だが、陳述書などを見る限り、そのような事実はない。従って長期にわたる微量の被曝が、(仮に原告・C子が化学物質過敏症とすれば)化学物質過敏症を発症したプロセスと考えるのが自然だ。と、すれば原告・A男が発生させた副流煙も、数ある原因のひとつと考えうる。少なくとも被告の副流煙よりも、原告・A男による副流煙の方が、原告・C子の健康を悪化させた一次的な原因と考えるのが妥当なのである。

なお、原告・A男が化学物質過敏症であることを認定する宮田医師による「外来診療録」は存在せず、作田学医師も診断書の中で、化学物質過敏症の認定も行っていない。従って化学物質過敏症を主張する根拠がない。

原告・B女についても化学物質過敏症の認定を行ったのは、作田医師だけで、宮田医師による「外来診療録」は存在しない。従って原告・B女が化学物質過敏症である根拠もない。原告3人は、みずからが化学物質過敏症であると主張しているが、原告・A男とB女の宮田医師による診断書を、原告は提出していない。

作田医師による診断書は提出されているものの、被告準備書面(7)で述べたように、原告らの希望どおりに作成した内容で、医学的な根拠は何も示されていない。特に根拠がないのは、原告・A男を受動喫煙症レベルⅢとする診断である。

原告・A男は、平成27年春から禁煙しているが、妻と娘が体調不良を訴えたのは平成28年の6月(B女・陳述書2ページ)だから、約1年の禁煙により、それまで蓄積された化学物質の「毒性」が消え去ったとする根拠はどこにもない。それどころか、原告準備書面(6)によると、宮田医師は、原告・A男による喫煙が、原告・C子に及ぼした影響について次のように述べている。

 

「化学物質過敏症の発症には、それまでの化学物質曝露の積み重ねの後に発症してくることもあります。その意味では発症の基盤の一部には、父親からの煙草被ばく歴が関与している可能性はあると思います。しかし副流煙被曝もない状態だったとしたら、父親の喫煙の影響は非常に少ないと思います」

 

宮田医師は「副流煙被曝もない状態だったとしたら、父親の喫煙の影響は非常に少ないと思います」と述べているが、それは副流煙被爆がある状態であれば「父親」の喫煙の影響は大いにあるというのと同義である。喫煙すれば副流煙は必ず発生するわけだから、宮田医師による「しかし副流煙被曝もない状態だったとしたら、父親の喫煙の影響は非常に少ないと思います」という記述は論理そのものが破綻している。「父親」が自宅ベランダで煙草を吸っていた事実があるわけだから、原告の論理からすれば、副流煙は室内に流れ込んでいたことになる。従って、原告・B女と原告・C子が化学物質過敏症を発症した「基盤の一部には、父親からの煙草被ばく歴が関与している可能性」があるのだ。

仮に原告が、原告・A男の副流煙は流れ込んでいないと主張するのであれば、自宅ベランダよりも遥かに遠距離に位置する被告宅からの副流煙も、流れ込んでいなかったことになる。

 

 

 

7)問診に依拠することへの疑問

 

宮田医師は、『化学物質過敏症(ここまできた診断・治療・予防法)』(かもがわ出版)(乙第17号証)の中で、診断のためには「詳細な問診が必要」(82ページ)と述べているが、たとえば内田義之医師(さんくりにっく)はこの考えに異論を唱えている。

(乙第14号証)

 

内田:「日本と欧米では、診断基準に大きな差があります。たとえば米国では、慢性疾患で微量の化学物質への曝露にも反応するなど、具体的な6項目(後述)を基準に診断しており、アレルギー疾患としてとらえられています。ところが日本の基準は曖昧で、たとえば『倦怠感や疲労感が持続すること』が主症状として定義されていますが、こうした症状は誰にでもありがちなものです。また、『持続する頭痛』も主症状として定義されていますが、化学物質過敏症なのにまったく頭痛がない方もたくさんおられます。

 

 日本の診断基準は、あまりにも心理面を強調し過ぎ、化学物質過敏症という病気を正確にとらえられていないと思います。化学物質過敏症を疑って受診される患者さんのなかには、実はノイローゼや思いこみである人も少なくありません。」 

 

【化学物質過敏症診断の6項目】(出典:ビジネスジャーナル)

・(化学物質の曝露により)再現性を持って現れる症状を有する。

・慢性疾患である。

・微量な物質への曝露に反応を示す。

・原因物質の除去で改善又は治癒する。

・関連性のない多種類の化学物質に反応を示す。

・症状が多くの器官・臓器にわたっている。  

 

化学物質過敏症がテーマとなったジョンソンカビキラー裁判の第1審では、「宮田意見は問診に頼ったもので、医学的裏付けに乏しく、信頼性に疑問があるという意見もあることが認められる」としている。(出典:化学物質過敏症訴訟をめぐる問題点、小島恵)(乙第22号証)

医学的な根拠がなくても、それに代わって副流煙と化学物質過敏症の関係をしめす疫学調査のデータがあれば、それを加味すべきだが、そうした疫学調査のデータは1件も存在しない。と、すれば被告の副流煙と原告3人の化学物質過敏症を関連づけるには無理があるのだ。思い込みの域をでないことになる。科学的な裏付けは皆無なのだ。

 

8)基礎疾患との関係

 

既に述べたように、原告・A男と原告・C子は、それぞれ大腸■と乳■の病歴がある。これらの基礎疾患が示す症状と、化学物質過敏症の症状は、極めて識別が難しい。それどころか原告・C子のケースでは、体調不良の原因が基礎疾患である可能性が否定できない。原告・C子の「外来診療録」(甲第38号証)には、「現在治療中の病気がありましたら、記入してください」との質問に対して、原告が自ら書き込んだ次の記述がある。

 

「乳■による適応障害」

 

 ■による適応障害とは、■が原因で強いストレスにさらされた場合、顕著な不安や抑うつ、などの症状を呈する心の病で、■患者に少なからずみられる。「外来診療録」によると、原告・C子は、精神的な病の際に投与されるデパス(乙第23号)、パキシル(乙第24号証)、メイラックス(乙第25号証)、の3種類の処方を受けてきた。これらの事実から判断すると、■を発症した10年前から精神的に不安定な状態が続いていることになる。またこれらの薬の副作用の影響も否定できない。

 

この件に関して、宮田医師は原告によるインタビュー(甲第41号証)の中で次のように述べている。

 

「女性にとって乳房や子宮の手術は非常に大きなストレスになります。化学物質過敏症は化学的ストレスから発症し、発症機構には活性酸素や過酸化亜硝酸の関与をとなえている論文もあります。ストレスはこれらを増加させます。その意味では影響が無いとは言い切れません。ただ、手術は10年以上前の事であり、すでに十分精神的にも適応がなされていると思います。そのような微細なストレスよりも、やはりタバコのストレスがはるかに大きいと考えるのが、タバコの有害性を知っている人間の常識的判断だと思います」

 

この説明だけでは、10年来続いてきた■による適応障害と化学物質過敏症の境界線をどこに引いているのか全く分からない。常識からすれば、従来からの■による適応障害の影響を一次的なものと考えるのが自然だ。実際に原告・C子は、「乳■による適応障害」が現在もあることを「外来診療録」の中で認めているのである。

 

Ⅲ)風向きについての証拠

 

原告は「原告準備書面(3)第1の3(1)イ」において「風向きは、すすき野第二団地においては、ほぼ常に西から東の方向に風が流れていた」、「よって、風向きは、ほぼすべて、西から東に流されており」と主張する。そしてその証拠として「甲26写真③ならびに④」の静止画を提出している。

しかし、原告のこの主張は根拠に乏しい。被告は、2月半ばより3月末までの期間に、風の流れを撮影して、DVD動画ディスク(乙第26号証)に収めた。リボン(3本)の揺れ方を約一か月半にわたり連続撮影し、風向きが一定方向ではないことを立証した。風向きが全く一定していないことが動画記録から明確に見てとれる。原告が提出している静止画は、たまたま東向きに風が吹いた瞬間をねらって撮ったもので、風の流れを時間軸に沿って示したものではない。被告の動画が示すように、実際には、風向は一定の方向だけへ吹いているわけではない。

また、原告は「原告準備書面(3)第1の3(2)」で、「タバコの煙はその場に滞留することなく、必ず、上昇する性質を有する。」と断定しているが、これも誤っている。無風状態で煙が上昇するのは、燃やされて生じた煙の温度が周囲の空気より高いためである。冷えて周囲の空気と同じ温度になれば、煙は拡散する。これはタバコの煙に特有な現象ではなく、どのような煙についても言える物理的な現象だ。煙草の煙であるから「必ず、上昇する」などという理論は、物理学の常識にも反しているのである。

たとえ被告の自宅から煙がもれていても、「必ず、上昇する」とは限らない。また風の方向もまちまちで、そもそも煙が原告宅の方向へは流れていない可能性もある。

確かに被告は、ごく稀に北側の換気扇の下で煙草を吸うことはあったが、その場合においてさえも、風の方向や煙の性質からして、副流煙が原告宅に流れ込む確率は皆無に近い。換気扇から出た煙が、東向きの風に乗り(しかも上下四方に拡散しながら)、原告宅のベランダ、窓、あるいは換気扇などに到達し、その瞬間、たまたま無風状態になる条件などが重ならない限り、煙が原告宅に入ることはあり得ないのである。

ただ、繰り返しになるが、被告が喫煙するのは基本的に密封された防音室(防音の基礎は第一に空気層の遮断であり、空気が漏れるようでは防音の効果は消滅する)内であり、喫煙量も少量だ。もちろんチェイン・スモーカーでもない。

また、原告は、「被告は、甲26の図面で個室(3)(即ち防音室)、居間、乃至個室(1)において(窓を開ける等して)喫煙行為をし」と主張をしているが、そのような事実は無い。従って、南側からタバコの煙が戸外に流れ出ることは皆無である。

被告は、「安全・衛生」に十分に配慮しており、しかも、風の方向や煙の性質からしても、原告が主張する「四六時中タバコの煙がベランダに滞留し」「室内に流入する」状況にはなりえないのである。

 

Ⅳ結論

 

以上、3つの観点から論じたように、被告は、喫煙に際しては、十分すぎるほど「安全・衛生」 に配慮していた上に、化学物質過敏症の原因が、被告の副流煙にあるという根拠もない。風向という観点からしても、被告宅の副流煙が原告宅に流れこむ可能性は極めて低い。副流煙を化学物質過敏症の原因として主張するのであれば、むしろ原告・A男の喫煙による影響を一時的なものと考えるべきだ。

宮田医師も強調しているように、現在の生活環境の中で、化学物質過敏症は、だれでもなる可能性がある「病気」であり、診断も問診に重きを置かざるを得ないほど医学的根拠に乏しい。それにもかかわらず化学物質過敏症の多様な原因を丁寧に検討することなく、被告の副流煙を唯一の原因だと断定する原告の態度は誤っている。