1. 論理が破綻した池上尚子裁判長の下した判決、鹿砦社に対して165万円の損害賠償命令、李信恵氏が起こした出版物の名誉毀損裁判

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2021年02月08日 (月曜日)

論理が破綻した池上尚子裁判長の下した判決、鹿砦社に対して165万円の損害賠償命令、李信恵氏が起こした出版物の名誉毀損裁判

大阪地裁の池上尚子裁判長は1月28日、ジャーナリストの李信恵氏が鹿砦社に対して起こした名誉毀損裁判で、鹿砦社に約165万円の支払いと、記事の削除を命じる判決を言い渡した。

李信恵氏はカウンター運動(反民族差別運動)のリーダーで、これまで右翼団体・在特会やネットメディア「保守速報」に対して民族差別的な言動で名誉を傷つけられたとして裁判を起こしてきた。(いずれも李氏の勝訴)。マスコミも李氏を反差別運動のヒーローとして描きだしてきた。

しかし、2014年12月16日の深夜、大阪市北区堂島のバーでカウンターグループが起こした大学院生リンチ事件の現場に居合わせたことが判明し、その素性を問われることになる。この事件を通じて、鹿砦社がカウンター運動の暴力体質を告発するようになったのである。

鹿砦社は、リンチ事件の被害M君を支援する人々からの告発を受け、綿密な取材をしたうえで、事件を報じるようになった。自社のウェブサイト「デジタル鹿砦社通信」に事件関連の記事を掲載したり、『ヘイトと暴力の連鎖』を皮切りとする5冊の書籍を次々と出版した。マスコミが沈黙を守るなかで、異例のジャーナリズム活動を展開したのである。

こうして生まれた記事や書籍は、李氏が事件に深く関わったとする視点に立ったものだった。それを根拠に李氏は2018年、鹿砦社に対し550万円の金銭と記事の削除、それに書籍の頒布(はんぷ)販売禁止を請求する裁判を起こしたのである。

ちなみにM君は、リンチの現場にいたカウンター運動の元同志5人に対して、損害賠償を求める裁判を起こして勝訴した。李氏も被告として法廷に立たされたが、裁判所は李氏の事件関与については、認定しなかった。暴力に加担していないと結論づけたのである。5人を被告とする裁判そのものは被告の敗訴で、3人に賠償命令が下ったが、李氏は免責されたのである。

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李氏を原告とする鹿砦社に対する名誉毀損裁判では、次の2点が最大の争点となった。

1、李氏がM君を殴打したかどうか。

2、李氏が事件の首謀者のひとりで、事件に共謀性があったか。

鹿砦社は、「1」については、李氏がM君を殴打したという視点で報道した。「2」については、事件に共謀性があったとする視点で報道した。

これに対して李氏の側は、いずれも鹿砦社の報道は事実ではなく、名誉を毀損しているとする主張を行った。

既に述べたように大阪地裁の池上尚子裁判長は、李氏側の主張を全面的に認めたのである。そして鹿砦社に対して165万円の支払いと、記事の削除を命じたのだ。

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この判決について、わたしなりの考えを述べる前に、判決の「認定事実」を中心に事件の経緯を確認しておこう。発端は、M君がカウンター運動の資金に関する疑念を抱いたことである。これに怒ったエル金氏ら同志が深夜、大阪市堂島のバーにM君を呼び出した。判決は次のように事実認定をしている。

M(注:仮名)が、本件店舗に入店した直後、原告(注:李氏)がMに詰め寄り、その胸倉を掴んだ。それに対し、普鉉氏は、「まあまあ、まあリンダさん、(原告のあだ名)、ごめんな。」などと言いながら、Mから原告を引き離し・・・・

5人の活動家は、バーでM君と話し合いをはじめた。そのうちにエル金氏が「Mの顔面を1回平手で殴打した」。しかし、それ以上の暴力を同志らが制したので、エル金氏とM君はバーの外へ出た。そしてそこでエル金氏がM君に対して殴る蹴るの暴行を始めたのである。

エル金氏の怒声を聞いた普鉉氏は、店舗を出てエル金氏を制した。その後、3人は一旦店舗に戻るが、エル金氏とM君が再び屋外に出た。普鉉氏は、

Mがこれ以上金氏から暴行を加えられるのを防ぐため、「エル金さんの代わりに1回殴っていいか。」と尋ねた上で、Mの頬を右平手で1回叩いた後、金に対し、「もう殴ることなです。」と述べたところ、金は「わかった。」と答えたので、普鉉は、本件店舗内に戻った。

ちなみに普鉉氏は、「Mの頬を右平手で1回叩いた」ために、後日、M君が5人の元同志を被告に起こした損害賠償裁判で損害賠償を命じられた。平手による形式的な身体への接触でも暴力とみなされ、損害賠償を命じられたのである。

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池上裁判長は、原告・李氏による暴力はなかったと判断した。その理由として、M君の供述や証言の曖昧さをあげている。池上裁判長は、M君が李氏から受けた攻撃を検証する中で、M君があるときは平手で殴打されたと述べ、ある時は拳で殴打したと述べていることを理由に、「原告がMの顔面を殴打した旨のMの供述は直ちに信用できない」と結論ずけた。これが鹿砦社の報道が事実に反し、李氏の名誉を毀損したと認定した理由のひとつである。

しかし、この判断は、他の判例と比較すると明らかにおかしい。たとえばM君が起こした損害賠償裁判の中では、普鉉氏がエル金氏をなだめるために形式的に平手でM君を叩いたことを理由に、普鉉氏に対して損害賠償が下されている。

この判例からすると、李氏がMに襲い掛かって襟を掴んだ時点で、暴力を振るったことになる。M君は殴打されたと言っているが、たとえ殴打はなかったとしても、攻撃により同志らを刺激したのであるから、完全に免責するのはおかしい。暴力の口火を切った運動のリーダーが、何の責任も問われないのは尋常ではない。

鹿砦社は、李氏らが問題とした記事や書籍の中で、この「急襲」について、取材で得た根拠を基に自らの主張を展開したに過ぎない。評論の自由は認められており、正当なジャーナリズム活動範囲である。

まして李氏は社会的な影響力のある解放運動の騎士であり、批判にさらされても、ある意味では仕方がない。それに自分で情報を発信する力もある。記者クラブとも良好な関係にあった。批判に対しては、言論で対抗するのが筋ではないか。

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池上裁判長が李氏による暴力はなかったと結論づけたもうひとつの根拠として、コリアNGOセンターの総会における金光敏氏の次の報告がある。金光氏は事件後、李氏から事情を聴取した人物である。

「李信恵さん自身もですね、『最初に私が叩いたんです』と、手を出したんですということがありましたけれども」と発言したことが認められる。

普通の読み方をすれば、この文章は、李氏が最初に暴力をふるったとしか解釈できない。ところが池上裁判長は、それを捻じ曲げて、次のように解釈している。

金光敏の上記発言の趣旨は、原告の発言として「最初に私が叩いたんです」と引用した後、その表現は正確ではないと気づいたため、「手を出したんです」と言い直したものであると認められる。

李氏がM君を攻撃したことは、原告も被告の双方が認めているわけだから、文脈からすれば、「手を出す」という表現は、攻撃を仕掛けたという意味である。その具体的なかたちが、「叩いた」行為なのである。

それが自然な解釈であり、特異な解釈をする理由はないもないはずなのだ。池上裁判長は、不自然な解釈をしているのである。

ちなみに判決では、鹿砦社が金光氏を取材していないことになっているが、これは完全な誤りだ。鹿砦社は、金光氏を取材している。

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池上裁判長は、事件に共謀性があったかどうかについても、共謀性があったとする鹿砦社の主張を否定して、同社の出版物の名誉毀損を認定した。その理由について判決は、次のように述べている。

Mが本件店舗を訪れた後においては、原告がMに掴みかかったものの、その際に普鉉や金が原告を制止させており、また、金がMに対して暴行を加えている際にも、普鉉は金を抱えてMから引き離そうとするなどして金によるMに対する暴行を制止しようとしており、原告らの行動にはMに対して暴行を加える旨の共謀の存在とは矛盾する行動が認められる。

この判断もおかしい。エル金氏と普鉉氏が李氏を制したとしても、その後、実際に「議論」の最中に暴行が行われているからだ。しかも、最初にM君に襲いかかったのはエル金氏でも普鉉氏でもない。李氏である。

李氏の組織内での立場と事件現場の状況は、事件に李氏がM君へ送った謝罪文からも読み取れる。

いつもであれば、カウンターの中でトラブルがあったときは必ず双方の話を聞くようにしていましたが、事件発生当日は私の保守速報に対する裁判期日の後であり、強度の緊張がほぐれたこともあって会食で普段以上に多量に飲酒しており、その後、知人の訃報を聞いたため、さらに飲酒してしまいました。Mさんが来たときには、すでに冷静な判断ができずにいました。

この文面から酒が原因でM君を「急襲」し、エル金氏らの暴力を放置した状況が読み取れる。たとえ拳がM君の顔面にヒットしていなくても、少なくとも過失があり、完全に免責するのはおかしい。鹿砦社の主張を否定することはできないのである。議論・評論の余地はある。

李氏の謝罪文は続く。

翌朝になってコリアンNGOセンターから連絡があり、驚きました。正常な判断はまだできてませんでした。すぐに謝罪をした方がいいのかとも考え、その旨を金光敏さんに伝えました。が、事件について真摯に振り返ることなく謝罪をすることは形式的な謝罪ではないかと受け取られかねない、かえって不信感をMさんが抱くのではないかと言われました。

李氏はみずからの責任を認めているのである。それにもかかわらず鹿砦社を提訴し、池上裁判長は、李氏の責任を完全に免除したのである。

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池上裁判官が下した判決には、最初から李氏の勝訴を決めていたような不自然さがある。

人を裁くというただならぬ特権を託された裁判官が、これではこまるのだ。以下、池上裁判長が執筆した判決文である。読者はどのように解釈するだろうか。わたしには論理の破綻が読みとれるのだが。

■判決文の全文

 

※なお、2月4日に暴力・暴言型社会運動の終焉鹿砦社)が慣行された。それによるとM君リンチ事件の現場にいた人物の一人が、昨年の11月、深夜に右翼の活動家を呼びただし、暴力沙汰を起こして逮捕される事件を起こしている。現場にだれがいたのか、再検証する必要があるだろう。

この新刊本については、メディア黒書でも近々に紹介する。